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忘れんぼうの朝

作者: 上尾逢衣

「おはよう智明ー!起きてる?朝だぞー!!」


香澄からのモーニングコールが頭の中にぐわんぐわんと響く。俺がそれに気付いたのは電話の着信音が鳴る前にちゃんと起きていたから、ではなく。


「窓から入ってくるのやめて?」


暖かかった季節が蝉の鳴き声によって徐々に塗り替えられていく。そんな変化を感じさせる一陣の風が入ってくる開け放たれた窓からも分かるように、香澄が俺の部屋に侵入しベッドの上で健やかに眠っている俺の鼓膜を直接震わせているからだ。それはもう、ぐわんぐわんと。


「おばさんにはちゃんと許可もらったわよ」


「なに許可してんだよ母さん!」


ちなみに俺の部屋は二階である。香澄の部屋の窓から俺の家のベランダまで飛び移るのは彼女の類稀な運動神経がないと厳しいだろう。

いや類稀でもだよ!普通に危ないだろ!


「なになに、心配してくれてるの?照れるじゃんか〜」


そりゃ心配もするだろ!二階だぞ!常人が落ちていい高さじゃねえよ!


「ベランダへ飛び移るダイナミックさがなければその恥じらいも様になるのにな」


「心配してくれるのはありがたいんだけど、今は自分の身を案じるのが先じゃない?」


なんで俺が逆にたしなめられているのだろう……? と思ったが、香澄が指差した場所を見るとその原因も判明した。


「どう勉強したらそんなに教科書が散らかるのよ…… プリントも散乱してるし、足の踏み場もないわ」


「散乱してるプリントを足の踏み場にしてるくせによく言うぜ」


「どうせ明日からの試験も一夜漬けで挑むつもりでしょ」


うっ。

ぐうの音も出ない。


「めえ」


「なによ」


「ぐうの音が出ないので、めえの音を出してみました」


「屍の出る音、聞きたい?しかば音」


「ごめんなさい」


そのやり取りはまさしく、オオカミのただならぬ雰囲気を感じ取り身震いをする子ヤギのようだ。今度はめえの音さえ出ない。


「くだらないこと言ってないでさっさと準備したら?」


「むっ、なんで香澄にそこまで言われないといけないんだよ」


「先生に言われたからでしょ…… 智明、あんた最近忘れ物多過ぎ」


強めの女子に対して珍しく反論したものの、あっさりと言い負かされてしまった。この件の責任の一端、というか元凶は主に俺だった。


「あんたの忘れ物が目に余るからなんとかしてくれって先生に頼まれたんじゃない」


「はいそうでしたごめんなさい」


「とにかく、今日ある授業の勉強用具ぐらい持っていきなさいよ」


そう言われ、教科書数冊と試験に出そうなプリント数種類を床一面を覆い尽くす大海原からなんとかすくい上げる。航海を終えた船乗りはこんな気持ちなのだろうか。


「船乗りさんをこんなくだらないことに巻き込むんじゃないわよ」


「独白にまでツッコミ入れるなよ、船長」


香澄ほどの器なら船員をまとめ上げるのも容易いことだろう。きっと。


「あと今日は体育あるから体操服、あとお弁当も作ってきたから入れとくわね」


「それぐらいするからもういいって」


「本当に?もう忘れ物ない?」


「大丈夫だから。香澄は香澄の準備をしてきなよ」


「私はもう制服も着て準備万端なんだけど」


「もうバカッ、言わせないでよ!着替えるから一人にしてって言ってるのよ!この鈍感!」


「なんで女口調なのよ……」


分かりました分かりましたと香澄は踵を返し、彼女が入ってきた窓へ向かう。


「帰りも窓かよ!」


「いいでしょ楽なんだから」


その歩く姿はまさに威風堂々と言ったところだ。勇まし過ぎる。


「あっ」


香澄が窓に手をかけたと同時に、俺は思い出したように声を上げた。


「今度はなに?まだ忘れ物が……」


香澄がこちらに振り向いた瞬間。俺は香澄との距離を一気に近付けて。


「……!」


香澄を両手で抱き寄せて、こうるさい恋人の口を塞いだ。


「……忘れ物」


「バカ!」


そう言い残して香澄は軽やかに跳んでいった。先ほどまでの勇ましい風格が一気にしおらしくなったものの、その身軽さは鮮やかなものだった。


「もう夏か……」


香澄が出て行った窓から強い日が差し込んでいる。


今日も暑くなりそうだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に個人的な感想ですが、自分が智明の部屋の一部になって二人の毎朝のやりとりを見ているみたいで、自然と微笑ましくなりました。この世界観好きです。
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