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魔法少女☆幸運のサチ ~幸運パワーでガンガンゴリ押し~

作者: 一・一

 魔法少女。魔法の杖を手に「チチンプイプイ」と魔法を使って悪い奴らを倒す“正義ヒ ー味方ロ ー”。

 幼い頃、女の子であれば誰もが憧れたであろう存在だ。

 かくいう私も、かつてはそんな魔法少女に憧れていた。あんなふうに、カッコよく誰かを助けられるような人になりたいと思っていた。

 三年前、巻き込まれた私は街の平和を脅かす“魔獣”の存在を知り、悪を滅ぼし平和を守るために私は魔法少女になった。

 けれども、魔法少女なんて実際にやってみるもんじゃない。「現実は醜く、ろくでもない」と昔の人が言った通りだ。 

 できることなら、過去に戻って当時の私に、引いては魔法少女なんてものに憧れるみんなに言ってやりたい。

 魔法少女にだけには絶対になるな――と。



「――さて、こんなもんかな」


 椅子の背もたれに身を預け、天井を見上げるようにして身体を伸ばす。横目で時計を見ると、もう午前の二時を過ぎていた。

 しまった、今日こそは零時には寝ようと思っていたのに。

 明日、また授業中に襲ってくるであろう睡魔にうんざりしながら、私はパソコンに目を戻す。

 光る液晶画面に写っているのは、黒い背景に白い文字。ローカルのオカルト系のサイトだ。読みにくいったらありゃしないが、自分の知っている中で一番の情報量を有する。


「“連続神隠し事件”について、何か有益な情報は手に入ったかね?」


 横からかかったやけに渋い声は私の自称使(パー)トナーであるトーサのものだった。彼はベッド代わりの毛布を敷かれたバスケットの中で丸くなっていた。

 外見こそ愛くるしい柴犬の子犬だが、これでいて私よりも二倍近く歳は上、つまりは三十路近いというのだから驚きである。


「微妙」


 私はパソコンの電源を切りながら言う。


「被害者まではまだわかるんだけれど、それ以上のこととなると憶測と嘘が混じりすぎて情報として信用できなさすぎ」


 “神隠し”。近頃この街を騒がしてる連続事件だ。一週間前から始まり、隔日で事件が起きている。昨日――いや、もう二日前か――にはもう三人目の被害が出ている。


「“いつの間にかにいなくなっている”らしいんだけど……」

「……何かね、そのいい加減な情報は。生まれたての赤ん坊の方がよっぽどマシな情報が出てきそうなものだ」

「だから、言葉通り“いつの間にか”よ。時刻はバラバラ。自宅でふと目を話した隙にはもういなくなっていた、なんて状況もあったそうよ」


 あくびを一つ。そろそろ限界だ。私はいそいそとベッドの中に潜り込み、疲労混じりのため息をついた。


「…………」


 おそらく、今日。 

 おそらく今日――不足気味の判断材料から導き出した、不確実な推理とも呼べないものだが――四件目の“神隠し事件”が起きるだろう。

 布団の端を握る。強く、強く、握力で手が白くなってしまう程に。



 私の朝は、まず布団を蹴り上げることから始まる。

 ぼす、と今日も鈍い音を立てて布団が床に落ちる。時計を見ると朝の六時。このきっかり定時に起きられることが、私の数少ない習慣であり自慢だ。

 蹴りあげた布団の下敷きになっていたのだろう。やっとの思いで這い出てきたトーサが言う。


「もう少し大人しい起き方はないのかね?」

「二度寝防止よ」


 とはいえ、やはり四時間ぽっちの睡眠時間では寝足りない。思わずあくびが出てしまう。


「眠そうだな」


 使い魔は床の布団にやれやれと丸まり、起きているのだか寝ているのだかわからない眼を私に向ける。


「運動してれば眠気なんてその内吹っ飛ぶわよ」


 タンスからジャージを引き出し、長髪をまとめて一纏めにし、手早く着替えてしまう。寝間着は無遠慮にそれを眺める変態使い魔に向けて脱ぎ捨てて視界を封じる。


「むむむ、しかし脱ぎたてのわずかな体温の残る少女のパジャマ。これはこれでまた視覚的な要素とは違った触覚的、嗅覚的、味覚的味わいが……」

「何がむむむだ、この――淫獣!」


 ばふばふと夢中になって私の寝間着に顔を叩きつけているバカに、そばにあった枕を投げつける。命中。コントロールに問題はないようだった。

 部屋の恥安もとい治安を維持したところで、私は準備体操を始める。


「……それにしても毎朝早朝ランニングとは、朝から精が出るなあ。女なのに」


 復活したエロリストに手近な辞書を投げつけた。すんでのところで回避されてしまう。


「い、いきなり何をするのかね!」

「……っち、次からは偏差撃ちね」


 手早く時計を確保して投擲の構えへと移る。


「待て待て待て待て待て、金属系は洒落にならん! 一体我輩が何をしたと言うのか!」

「あなたはセクハラ発言の現行犯で即私刑が確定されたわ」

「あ、あれか! あれは濡れ衣だ! 我輩は純粋に朝から運動とは女児にしては感心だと、そういう意味で――!」

「……うるさい。あなたが言うことは何でもかんでもセクハラに聞こえてくるのよ」

「不条理! 不条理――!」


 山なりに時計を放るようにして投げる。ひい、とトーサは後ずさったが、その動きは予測済みだ。偏差で落ちてきた時計が頭に命中。変態が倒れる。


「……そういえば、昔は悪いことをした人に煮えたぎる湯で満たされた釜の中に手を突っ込ませて、火傷をしたら有罪、何事もなければ無罪としたらしいわね」

「そ、それでも我輩はやってない……!」


 一応反論できる程度の活力と意識はあるらしい。私は安心してトーサの首輪に手綱をつけた。


「……サチよ。なぜ我輩に手綱を付けているのかね」

「決まってるでしょう? 早朝ランニングよ」

「な、なぜ我輩まで連れて行こうとするのかね。いつもは一人ではないか」

「パトロールも兼ねて、あなたを引きずり回そ――散歩させてあげようかと思って。“魔獣”と遭遇したらすぐに戦えるでしょう?」

「魂胆! 魂胆が見え隠れてしたぞ今!」


 無視して手綱を引いて強引に連れ出した。

 とりあえずコースは被害があった場所三件を順に見に行ってみる形にしよう。頭の中で町の地図を展開。最短ならランニングには丁度いいだろう。

 家に帰ってくることには、トーサはヘトヘトに疲れているだろう。どんな顔をするだろうか。

 疲れてへとへとになっているトーサの表情を想像しながら、私は手綱を引きながら家を出た。



 結果からいうと、今回のパトロールを兼ねた早朝ランニングでは、“神隠し事件”に関わる有力な手がかりは何一つとして手に入らなかった。

 日頃からセクハラし放題なトーサが疲労困憊の体でいたのはいい気味だったのだけれど。


「ねえ、あなたさすがに体力無さすぎじゃないの?」

「む、無理を言うな。我輩はそもそもマスコットポジションなのだ。貴様が突っ込む貴様が戦う貴様が勝つ。それを我輩は遠くから何もせずに悠々と見ている」

「遠回しに言ってマジ使えないわねあなた」


 普通、「魔力の残滓がまだ残っている……!」とか何とか言って、“魔獣”を見つけ出す重要な手がかりを掴みそうな役回りっぽいのに。

 半目になりながらも、私はカードを混ぜていく。


「だから無理を言うな。魔法とはすなわち世界の一部を改ざんすることで得る力。改ざんすれば必ず世界は辻褄合わせに自身をものの数分で“改変”し、“近似値の世界”へと分岐し移動させる。存在そのものが魔力の塊――つまりは世界の“バグ”の集積体――である“魔獣”については言わずもがな、だ。魔力の痕跡などは残って数分程度だろうな」

「まあいいわ。あなたが役立たずなのは今に始まったことでもないし」

「サチ。サチ。これでも一応我輩にも魔法少女への”変身”補助というそこはかとなく重要な役回りがあってだな。貴様、吾輩がいなければ変身できないのだぞ」

「あら良かったわね。ところで私達が知らない森の奥深くで大木が今倒れたとして、それは果たして存在できたと言えるのかしら?」

「サチ。サチ。テクニカル遠回しに我輩の数少ない役目を量子力学的に存在しなかったことにしないでくれ……」

「いいじゃない、NEET。――ところで働かずに食う飯はそんなに美味しくって?」

「言葉も武器も人を傷つける……!」


 ぐぬっているNEETを放って、私はよくシャッフルできたカードを決まった場所に配置していった。

 私が今やっているのは、タロット占い。トーサいわく、結構な的中率らしいのだが何にせよ占って出てくることが抽象的過ぎて意味がわからないため、“手がかりゼロの時の苦肉の策”として今回は運用している。

 タロットの手法はセブンテーリングというもの。七枚のカードで現状、自分、相手、原因、注意、方法、結果を見ることができるらしい。時間がないので、手短に大アルカナのみでやっている。


「……ドロー! 私は手札から魔法カード“強欲な壺”を発動! カードをさらに二枚ドロー!」

「タロットカードで遊ぶな」


 トーサの冷静なツッコミで落ち着いた。カード系のものを手にすると何となくやりたくなるこの気持ち、どう表せばいいのだろうか。

 計七枚のカードを特に意識せずに配置。めくっていく。

 現状は“逆位置の世界”。自分は“逆位置の賢者”。相手は“征服者”。原因は“月”。注意は“塔”。方法は“吊るされた男”……。


「どうだい?」

「あまりの引きの悪さに萎えてきたわ……」


 カードの意味を意訳していくと、“現状は停滞していて、自分は世間体を気にしている。敵は攻撃的。何かの原因には迷いがあって、解決には自己犠牲が必要。突然事故に遭うかもしれないから気をつけてね!”ということである。


「魔力を込めてやっているのだ。タロット占いをしたため、世界は自らの辻褄を合わせるために“近似値の世界”――この場合、“占いの結果の世界”へと移動する。それ故、君くらいの魔法少女なら解釈さえ間違えなければほぼ必中の的中率を誇る」

「……なんだか八百長臭い話よね」


 タロットで確率きまっていないを強引に“確定きめてさせてしまう”のだ。的中も何もあったものじゃない。


「まあとどのつまりは引きの悪さはイコールこれから起こる現実だ。受け入れろ」


 存在自体がファンタジーな生物に現実を諭される日が来ようとは。

 ひょこひょことトーサもこちらにきて、タロットカードの結果を見る。


「まだ最後のカードを引いていないではないか。早くめくり給え」

「ああ、そうだったわね」


 位置は結果。出てきたカードは“逆位置の力”だった。

 意訳すると“結果的に暴力で解決できるよ”とのこと。


『……これはひどい』


 トーサと声がかぶる。必中なだけに現実的すぎて逆に夢のない話だ。


「すごくやり直したいんだけど」

「やってみたらどうだ? 確率の霧は確定したから同じ結果になるだろうが」

「……やらなきゃよかったかしら」

「結果に“力”が出たのだから、あまり贅沢は言うな」


 ふと時計を見る。いつの間にやら遅刻寸前の時間になっていた。


「いけない、遅刻する! それじゃ、自宅の警備は任せたわよ」


 手早くカードを片づけ、カバンを手に、家から飛び出す。

 “解釈さえ間違えなければ”ほぼ必中のタロット占い。

 世界、賢者、征服者、月、塔、吊るされた男、そして、力――。

 私は一抹の不安を抱えながら、学校へと走っていった。



 彼女に話しかけられたのは、横断歩道で信号機が青に変わるのを待っている時だった。


「やっ」


 ぽん、と後ろから肩を叩かれる。振り返ってみると、人差し指が私の頬に刺さった。


「やーい、引っかかった引っかかった!」

「小学生かおのれは」


 手を合わせていたずらっぽく笑うのは、脱色した長い茶髪をひとまとめにした水色のシュシュがよく似合う少女だった。私の友人の一人、エリコである。

 刺された頬をさすりながら、呆れ半分に笑う。


「緊張感ないわねえ、あなたも」 

「あー、神隠し事件? だってアレ、注意してても仕方ないじゃない。防ぎようがないもん」

「……結構あなたって肝が座っているというか、神経が図太いのね」

「ちょっと、花も恥らう乙女に対して図太いはないでしょう図太いは」

「そういうのはまずオトコに手折ってもらってから言いなさいよ」

「あー、そこを突かれると結構痛いなぁ。私もオトコが欲しいー!」


 怒る、落ち込む、吠える。くるくるとよく回る彼女の表情は、見ていて飽きないものだ。


「やっぱりさ、まだ続くのかな、神隠し事件」

「続くんじゃない、この調子だと」


 だったらさ、だったらさ、と彼女は瞳に期待の色を輝かせながら声を弾ませる。


「もしかして、ガッコとか休みとかになるんじゃないかな!」

「あー、確かに」


 これ以上続くようなら学校側もそういった対応に移るだろう。安全面の問題ではなく責任の所在を移す、という意味でだろうけれど。


「そしたらまたみんなでカラオケ行こうよ!」

「いや、まあ……うーん」


 言葉尻が濁る。行きたいのは山々なのだけれど、そんな時間があるのなら早めに“魔獣”の討伐をしたい。これ以上事態が深刻化すれば厄介なことになりそうな分、尚更だ。


「最近ご無沙汰だったでしょ? サチが構ってくれないせいでみんな寂しがってるんだよぅ」


 求められるように瞳を覗きこまれる。視線を逸らしたが、回り込まれてしまった。私は目を閉じ、視線から逃れる。


「いいじゃない、どうせ結構溜まってるんでしょ? たまにはぱーっとやってわーっとストレス解消しちゃおうよ」


 理由を重ねられるほど断りづらくなっていく。


「……うん、そうだね」


 私は観念してため息をついた。


「でも、あくまで学校がお休みになったらなんだからね」 


 最後の悪あがきを口にしながら目を開ける。

 エリコはいなかった。


「…………え?」


 一瞬、何も考えられなくなった。

 現実に頭が付いて行かない。今、目の前で何が起きたのか、上手く認識できない。

 ――“塔”。

 タロットカードの絵が脳裏をかすめる。意味は、“予期せぬ出来事”。

 私はそのイメージを打ち払うようにして、周囲を見渡す。


「エリコ……?」


 名前を呼ぶ。声は自分で自分が動揺していると知れるほど、小さく、そして震えていた。

 返事は無い。ただ視界から外れて見失っただけだろうという、私の希望的観測は打ち砕かれた。

 不意に、目の前の空間に違和感を感じた。


「これは――」


 “魔力”の残留物。世界を改変する力の欠片。ついさっきまで、魔物がここにいたという何よりの証拠。

 薄々感じていた疑念が確信に変わる。エリコは”神隠し”にあったのだ。


「――――っ」


 頭を切り替える。違和感を目で追う。

 気付けば私は魔力の残滓を辿り、走っていた。



 鬱蒼とした森林を掻き分けるように進み、辿り着いた先は、郊外の廃工場だった。

 魔力の跡は工場の中へと続いている。ここが”神隠し”を引き起こした“魔獣”の本拠地であることは、これでもう間違いはないだろう。


「さて……」


 トーサには既に道中で量子情報通信まほうでこちらに来るように伝えてある。確実に“魔獣”を倒すのなら彼を待つべきだ。しかしエリコが捕らわれている以上、こちらも彼女に危険が及ぶ前に救助してやりたい。

 トーサを待たずに突入すれば、使える戦力しゅだんは限定される。最悪、返り討ちに遭いかねなし、仕留め損なえば”魔獣”には逃げられてしまうだろう。

 拳を握る。

 今こうしている間にも彼女は危険に晒されている。いくら魔法であっても、死人を蘇らせることはできない。


「……きっと、大丈夫」


 自身に言い聞かせるように呟く。

 第一、要救助者が知人なのだ。あんな恥ずかしい格好はとてもではないが見せられない。

 それに、魔法で人体強化さえしてしまえばそこそこ戦える。単なる格闘戦であればエリコに対してある程度の言い訳もできるし、不利になれば持久戦まで持ち込めば援軍トーサが来て決着を付けられる。


「……よし」


 何も問題はない。ノープログレム。モーマンタイ。

 身を隠していた雑木林から出て、こっそりと廃工場の中を覗き込んだ。

 いた。奥の方に倒れている少女がエリコ。その手前側に立っている身の丈二メートルはあろうかという人影が、件の“魔獣”だろう。

 目を凝らし“魔獣”をつぶさに観察しようとして、背筋が凍りついた。

 第一印象は、「わけがわからない」だった。

 渦巻状の角を有した羊頭に身体は人間、翼は蝙蝠コウモリ。手には猛禽類を連想させるような鉤爪を有し、足は馬のそれ。尻尾があるべき場所には蛇が生えている。まるで理解されることを自ら拒んでいるかのような存在である。

 色々な動物の部品を組み合わせた異形。キマイラやバフォメットとはだいぶ違う。しかし、それに準ずる悪魔の類であることは確かだろう。

 だからこそ、私の頭は警鐘を鳴らす。 

 人間にとって――いや、生物にとって“わからない”“理解できない”ことは即ち恐怖だ。生理的嫌悪感や本能的忌避感とは一線を画した、“純粋たる恐怖”である。

 思わずその存在感に私は気圧けおされ、後退あとじさる。

 ジャリ、と足元で音が立った。しまった、と思った時には遅かった。


「――――!」


 “”魔獣”がこちらを振り向く。

 素早く頭を切り替える。アレは恐らく相当高位の“魔獣”なのだろう。私とてこれで3年目になるけれど、アレほど強い敵は未だに片手で数えられる程度しか戦ったことはない。だとすれば、到底生身で立ち向かえるような相手ではない。だとすれば、私が取るべき行動はただひとつ。

 地面から手近な石を拾い上げ、魔物目がけて全力投石。少しだけ魔力を込めた一撃は直線を描き、過たず“魔獣”の脇腹に命中。“魔獣”の注意がこっちに向く。


「こっちよ、化物!」


 言い放ち、走り出す。狙い通り“魔獣”はこちらを追って来た。

 目的は敵の誘導と遅滞。とにかくトーサが来るまで時間を稼ぐ。

 木々の間をくぐり抜け、駆け続ける。速度は僅かながらあちらの方が早い。いつかは追い付かれてしまう。

 走る。走る。走る。

 木々の根を踏み越え雑木林を走破し獣道を駆け上がる。自慢の長髪が乱れに乱れるが、今はそんなことに構っていられない。

『――――!』

 振り返って“魔獣”との距離を確認する。近い。既にだいぶ縮んでいる。

 一瞬だけ、凄まじい叫び声を上げながら追ってくる“魔獣”の恐ろしい形相が見えた。冷や汗が背筋を伝う。

 私はその恐怖感に後押しされるかのように速度を上げた。既に息は荒れ果て、足からはジンジンとした痛みを感じる。普段から足は鍛えてはいたが、足場が悪く上下運動が激しい山道では使う筋肉が違う。もう、そう長くは続かないだろう。

 ならば、ここで賭けに出る必要がある。

 私は雑木林を走り抜ける中、適当な枝を拾い上げた。

 相手は曲がりなりにも人型だ。であれば、急所は人間と同じのはず――。

 試行回数は何回あるだろうか。魔法少女に変身していない状態での命中確率は十のマイナス何乗だろうか。きっと、どちらもそう多くない数だろう。

 頭の中で“魔獣の目に枝が刺さる場面”を強く想像し――私は振り向かず、魔力を乗せた枝を後ろへと無造作に投げ捨てた。

 後ろから、馬がいななくような叫びが上がった。


「――――よしっ!」


 当たった。走りながら振り返って確認すると、“魔獣”は右目を押さえて悶え苦しんでいるのが見えた。

 このまま大きく差を付ける。

 スパートをかけようと前を向いた瞬間、何かにぶつかった。


「え――?」


 “魔獣”だった。

 あまりの予想外の出来事に、頭が混乱する。後ろにいたはずの“魔獣”が、いつの間に回り込んでいたのか。

 困惑する私を、浮遊感が襲った。

 その圧倒的な膂力をって、“魔獣”が私を投げ飛ばしたのだ。

 樹の幹へと受け身も取れずに背中からぶち当たる。

 襲う激痛。明滅する視界。混濁する意識。喉元からせり上がる吐き気。


「あ、ぐっ……」


 ずるずると潰れたカエルのように地べたに這いつくばる。

 激痛と衝撃の影響で手足を動かすことはおろか呼吸さえできない中、前方から“魔獣”が歩み寄ってくる重い足音が聞こえてくる。

 抵抗はできない。ああ、ここで死ぬのか、と間近に迫る死を自覚する。フィルターを通したかのようにくぐもったその音が大きくなるにつれて、自然、私の身体は緊張で固くなる。

「…………」

 足音が止まる。そして次に、二度目の浮遊感が来て――私は“魔獣”の肩に担がれた。

 呆気に取られる私。構わず移動し始める“魔獣”。

 どうにもこの“魔獣”、私を持ち帰ろうとしているらしい。

 成程よくよく考えてみると、“魔獣”からしてみればこの場で私を美味しく頂いている間にもう一匹の獲物が逃げてしまうリスクを避けたかったのだろう。

 “魔獣”の捕食は捕まえて殺してバラしてごちそうさま、と非常に単純なものだが、人間を“消化”するのがとにかく遅い。詳細はトーサいわく、「人間は“観測能力”を持つ知的生物であるからして、世界の在り方と人間は密接な関係であるため、バグである“魔獣”はその存在を情報として“消化”するのに時間がかかる」のだそうだ。その時もっと簡潔にするように言うと、彼は苦笑しながらも「パソコンでもウィルス駆除のとき多少なりとも時間ともかかるだろう? つまり、そういうことだ」と言っていた。まるで比喩の立場が逆である辺り、皮肉な例え話である。

 ゴツゴツした“魔獣”の肩で腹を圧迫されながらも、私は特に抵抗するでもなく大人しく運ばれていく。とにかく、ここは少しでも時間を稼いでトーサを待つしかない。

 廃工場に着くと、私はまだ気絶したままのエリコの方へと無造作に放り投げられた。受け身を取ってダメージを軽減するが、それでもさっき打った背中が痛む。

 目だけで辺りを見回す。

 いた。

 物陰の中にトーサが隠れているのを見つけた。彼は心なしか心配そうな目をしながらこちらの様子を伺っている。

 私は量子情報通信まほうで彼に語りかける。


『随分早かったのね』

『ああ、早かった分かなり心配させられた。指定された場所に貴様がいなかったものだから、てっきり食われたかと思ったぞ』

『ええ。今度ばかりは私も死んだかと思ったわ』

『悪運ばかり良いな』

『”幸運”が私の魔法属性ですので』


 ところで、と私は前置きを入れる。


『あいつ、妙な能力を持ってるわ。瞬間移動みたいなやつ』

『ふむ。要注意、といったところか。ともかく変身しろ、サチ』

『…………』


 言われて、私は押し黙り、近くで気絶しているエリコを見やる。


『……変身したくない気持ちはわかる。だが、今そっちの小娘は気絶している。やるなら今しかないぞ』

『わかっている。……わかっているわ。私もエリコ共々“魔獣”に美味しく頂かれるつもりはないから』


 敵は強いが、私が“変身”すれば倒せるだろう。

 しかし、私はどうしても“変身”をためらってしまう。

 魔法少女――その世界にも干渉しうる魔物狩りの能力者は、絶大な力と引き換えに莫大な“代償”を要求される。

 もし、私が一度“変身”してしまえば――最悪、彼女とは友達でいられなくなるどころか、顔を合わせることすらできなくなってしまうだろう。

 エリコ。私の大切な友達。それを私は失いたくない。


『…………トーサ』


 だから、私は――。


『――“変身”して一気に片付けるわよ』

『応!』


 返事とともにトーサが飛び出す。私はそれを受け止めて、決意とともに口を開いた。


「――“変身”!」


 言葉に応じるかのように、身体が白光に包まれた。

 私の着ていた物が霞み、一瞬であたかも最初からそうであったかのように魔法少女の服装へと成り代わる。手はシルク地の白い手袋に包まれ、お気に入りの革靴は未だに履きなれないパンプスに。学校指定の制服は桃色を基調としたきらびやかなドレスのような服装に。

 長髪が宙を舞う。私の自慢の黒髪は、毛先から霞んで消えて行き――遂に私の髪はすべてなくなり、禿頭になってしまった。

 今すぐにでも泣き出したくなる屈辱感を押さえ込み、私は半ば以上ヤケ気味に言い放った。


「魔法少女☆幸運のサチ! この姿を見られたからには生かして帰さん」


 原因は驚きか戸惑いか、硬直する“魔獣”をステッキでさしてポージング。“魔法少女”としての存在を“確定”させる。

 禿頭――女の命とも呼ばれる髪を捨て去った、髪型とも呼べぬ髪型。それが、魔法少女の“代償”の一つだ。


『ホント、なんで魔法少女は禿頭なのかしらねえ……!』

『人類最初の魔法少女が“魔法少女は禿頭である”と確定させてしまったからだろうな』

『控えめに言って性格が素粒子レベルで崩壊してるんじゃないかしらその女』


 十の百二十八乗まで譲歩して“魔法少女は禿頭である”ことを良しとするにしても、この華美な服装と禿頭のミスマッチングは断じて認められない。


『ちなみに魔法少女としての服装は貴様の“魔法少女としてのイメージ”から引用されているな』

「私のバカあああああああああああああああ!」


 頭を抱えて強く契約したことを後悔する。“魔獣”がびくりと反応したのは驚きからだろうか。


『ともかく今は戦闘だ。幸い敵は混乱している。一気に畳み掛けるぞ』

『そりゃこんな格好したハゲがいたら混乱するか大笑いするかに決まってるでしょ……』


 魔法のステッキのグリップをしっかりと握り込み、敵めがけて突撃。


「そぉいっ!」


 目標は頭部。右足の踏み込みと同時に、真っ直ぐ敵の脳天を魔法のステッキでカチ割りに行く。

 しかしステッキを振りかぶる直前に我に返った“魔獣”の腕によって、その殴打はぎりぎりで防がれてしまった。


「ちぃっ――!」


 舌打ちとともにそのまま敵の懐に飛び込み、肘を胸部に叩き入れる。それによって相手の体勢を崩しつつ、その反動を利用して工場の外まで距離を取る。

 魔法の属性が生体系でない私の筋力は、変身前とそう変わらない。一撃が軽く身体能力が劣っている私が、インファイトに挑むのは無謀だ。

 勝ち筋はただ一つ。急所を狙って敵を一撃で沈めること。


「――――ッ!」


 雄叫びを上げて“魔獣”が突進してきた。私はステッキを構え、背中から迎えるように後ろを向く。

 鋭い羊角を突き出した、力強いチャージング。しかしその突撃は私には当たらない。

 魔獣は私をすり抜けて行ったのだ。

 十の十の二十四乗分の一以上。それが物質が量子力学的なトンネル効果によって“透過”する確率だ。その宇宙開闢以来起きたことのないような奇跡的確率を強制的に引き当てるというのが、私の“幸運”の魔法だ。

 混乱して振り返った、隙だらけの“魔獣”の顎部を拳で撃ち抜く。


「っしゃーおらァ!」


 体重を乗せた一撃が綺麗に入った。太陽の光で私の禿頭がぴかりと光る。

 しかし所詮は女の筋力。“魔獣”に対するその威力の程はたかが知れている。脳のない“魔獣”は脳震盪を引き起こすこともなくすぐに戦闘態勢へと移行した。


『やはり打撃では効果が薄いか。サチ、武器を使え』

『…………』

『長期戦になれば貴様の方が社会的に不利だ。武器を使え』

『……ああもう、わかったわよ! ここに至って恥の一つや二つ、そう変わりゃしないわ!』


 目を閉じ、強く武器をイメージする。

 想起したのはナイフ。鋭利な刃と武骨な柄のコンバットナイフを脳裏に浮かべながら、私は腰の下――つまりは尻の辺り――に手を運び、それを掴んだ。

 ずっしりと重い鉄の感覚。紛れもなくあるはずのないナイフがそこにあった。

 尻からのナイフの召喚。存在確率の操作である。

 “ただし魔法は尻から出る”――。

 それが魔法少女が操る魔法の大原則にして、魔法少女の力の代償の一つである。“視界の死角”である自分の尻で存在確率を操作、強制的に特定の物体を出現させて“無いはずのモノ”を共通認識として量子力学的に実体化させているらしい。


『……魔法って実は羞恥心の概念でも燃料にして発動してるんじゃないかしら』

『かもしれないな。――くるぞ』


 次の瞬間には目の前に鋭爪が来ていた。透過。鋭爪は空を切るように透過した私の身体を過ぎ去って行く。それにも関わらず、“魔獣”は連続して影を切り裂こうとするが如き攻撃を繰り返し、その一撃一撃を加速させていく。

 これはあまり良くない。

 絶対的な防御に見える透過であるが、この魔法にもいくつか欠点がある。

 一つ、私が認識できていないモノは透過できない。つまり、今背後から一刺しされてしまったり私の動体視力で捉え切れていない攻撃は透過できない。

 二つ、この魔法は使用時にかなりの負担が私にかかる。常時透過状態というわけにはいかない。効果時間は保って十数秒間といったところで、あまり長い間使ってはいられない。

 三つ、熟練度的に透過能力を使っている間はこちらは攻撃できない。つまり、透過状態を瞬間的に切り替えるや部分的な非透過状態は不可能である。

 以上がこの魔法における大体の欠点だ。

 よって、現時点のように継続的に攻撃を受けているとこちらからは殴れない上、制限時間が来れば敵の攻撃が当たるようになり、更に言えばこうして加速度的に敵の手数が増していくと私の認識力の限界を突破した攻撃が通るようになってしまうのだ。

 これらの欠点を敵は見抜いたのか、それとも単に動物的な猪突猛進によるものだろうか。

 地を蹴った反動でバックステップ。それに釣られて魔獣は狂爪で私を捉えんと腕を伸ばして追って来る。

 急ブレーキ。反応が遅れて慣性の法則に従い、“魔獣”は突然制止した私の後ろへと透過していく。


「やぁっ――!」


 振り向く遠心力を利用しながら踏み込み、コンバットナイフで敵を斬りつける。ガツ、という硬質な音と反発的な手応えが返ってきた。


『どんだけ堅いのよ……。さすがに乙女の細腕にこれは少し荷が重過ぎるわ』

『魔法属性からして貴様自体の火力はそこまで高くないからなぁ。……火力は』

『余計なお世話よ』


 こちらの頭を刈り取るかのような横薙ぎに、腰を落として相手の懐に入って回避し、軽くナイフを腹部に突き立てる。人体であれば骨に阻まれていない比較的柔らかい箇所であるはずのそこは、ガツンと硬質な音を発して表皮でナイフを止めた。呆れ返るほどの堅さだ。

 しかし私は構わずナイフを押し込んだ。すると、吸い込まれるようにそれは抵抗なく“魔獣”の腹部の奥深くへと侵入して行った。

 “魔獣”はこちらを殴りつけるように腕を振り回しているが、それらの攻撃は全て私の身体を過ぎ去り、空を掻くのみに終始する。

 ナイフを手放して“魔獣”から離れる。それを追うように手を伸ばすが、それは途中でぴたりと止まり、“魔獣”は腹を抱えて苦しみ出した。

 透過させたナイフを“魔獣”の腹に入れ、それを“実体化”させたのだ。


「さあ“魔獣”さん、ナイフのお味はいかがかしら? ひょっとすると人間よりも美味しいかもしれないわね」

『控えめに言って貴様原子核レベルで性格崩壊してるだろ』

『つまりとっても情熱的ってことね、崩壊熱的に考えて!』

『モノは言いようだよな』


 おほほほほ、と笑って誤魔化しながらも“魔獣”からは目を逸らさない。膝を屈し腹を抱え悶え苦しみ動けば動くほど腹中のナイフが体内を傷つけるという負のスパイラルを体験している様は正直憐憫に値するものだが、人間の敵なら仕方ない。

 ふと、“魔獣”の赤眼がぎらりと光った気がした。


「――――?!」


 刹那、眼前から“魔獣”が消える。


「嘘っ!?」


 突然の出来事に驚く私は、次の瞬間には横へ吹っ飛ばされていた。

 立ち上がろうとすると、傷口から焼き付くような痛みがした。


「ぐ、ぅっ……」


 あまりの痛覚に渋面する。確実に右の肋骨にはヒビが入っているだろう。


『死んでるか?』 

『……生きてるわ』


 右からは鈍痛、左からは激痛。それらの苦痛を全て飲み下し、呼吸を詰まらせながらも何とかして立ち上がる。

 ちかちかと所々が揺らぐ視界に、腹を押さえながら立つ“魔獣”の姿を捉えた。


『良し、ならば聞け。どうにも奴は瞬間移動する能力を持っているようだ』

『瞬間移動……』

『お仲間……というわけではなさそうだがな。擬似的な――おそらく時間停止か何かによる――瞬間移動だろう』

『……はっきり言って相性最悪ね』

『しかし勝算はあるのだろう?』

『ええ。……不本意ながら、ね』


 自嘲気味に口元が釣り上がる。やはりどこまで行っても、どのようなものであっても“力”は“力”なのだ。

 瞬間移動されて視界外から攻撃される――そのことさえ分かってしまえばこっちのものだ。

 魔法で意識を拡大する。頭が重い。

 知識を総動員する。頭痛が酷い。

 演算を開始する。鈍痛が激痛に変わる。

 前を見据える。しかして機を待つ。


「さあ、来なさい……」


 応えるかのように魔獣の赤眼がぎらりと光り、忽然とその姿を消す。


「この勝負、私の勝ちだ――!」


 即座に姿勢を前屈みにする。

 爆音。

 2,4,6トリニトロトルエンによる爆撃だ。

 私の“幸運”の魔法――プランク定数hの操作――によって、TNTトリニトロトルエンを量子力学的に創出し、爆破したのである。


「“ただし魔法は尻から出る”……ってね。私の背後を取れるのは一度きり。その機を逃して尚、再度背後を取ろうとしたのがあなたの敗因よ」


 爆殺された“魔獣”の姿は、見るも無残だった。

 尻からナイフを一振りを出し、“魔獣”の左胸――ちょうど心臓がある辺り――に切っ先を押し当てる。


「さようなら」


 音もなくナイフは沈み、そして胸へと吸収されるかのように入って行った。

 ふと、一瞬だけ“魔獣”がぼやけたかと思うと、ぱっと舞い上がるようにその身体は光となって消えていった。


「……終わったぁー」

「うむ、ご苦労だった」


 ひょこひょことトーサが廃工場から出てくる。


「よっ……んぅ~」


 立ち上がり、大きく伸びをする。変身を解除した私の身体に、戦いの傷は無い。世界のバグである“魔獣”が排除されたことによって、“世界の修正”を受けたためだ。


「今頃エリコは学校で授業かぁ」


 “魔獣”に関する比較的人に認識されていないものは“なかった”ことになる。それが“世界の修正”である。“神隠し事件”自体は残るだろうが、これでもう終わりだ。


「貴様はどうするのだ?」

「決まってるわ」


 私は言う。


「――家に帰って寝る」

「……台無しだ」


 はぁ、と溜息をつかれる。私は肩をすくめてこう言い返した。


「別に良いでしょう? 昨日は遅かったんだし」


 だから。


「だから、明日からまた日常へと帰りましょう」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「魔法少女☆幸運のサチ! この姿を見られたからには生かして帰さん」 素敵。
[良い点] オチだけ無駄にきれいwwwwwwww [一言] 真面目にバトルというか、ステッキが撲殺武器なのがw
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