第七話 茨
「では各々、剣と意思を以ってその力を示すがいい」
鍛錬場とも闘技場とも呼べるような石畳の舞台の上で、試験官であるカトレアの明瞭な声が響き渡った。
彼女の声が空に吸い込まれても尚、他に声を発する者はいなくただ黙って不穏な目つきを浮かべるのみ。そんな志願者達の様子にカトレアは呆れたように頭を振った。
集まった志願者は20人弱。そのほとんどが既に入隊が確実となっているような貴族に連なるものであり、もはや試験自体には何一つ興味を向けていないようにもカトレアには見えていた。
試験の内容よりも次期国王を決めるこの戦争内にて敵と味方を見分け、そして誰よりも早く出し抜くことに躍起となっていた。
そんな中で一人、二人と少なからず存在する『騎士』の資格を正しく持ち得る者もいる。
無論それはローズ・フィンロードと――――そこでカトレアは再び頭を振った。
彼女の脳裏と視界に浮かんだのは間違いなくディン・セルグリムの姿であったのだが、王宮内で次期国王の話の影に隠れて聞こえる彼の噂は、騎士と断ずるには少々頼りない話だった。
実力云々の話ではなく、その気概。
僅か13の子がダークストーカーに連なる話を持ちこんだことは、静かに王宮内にも広まっていった。無論すぐさま話の焦点は持ちこんだ子よりダークストーカーとの戦争そのものに移るのが道理だったが、カトレアのように剣を持って戦う者には実に眉唾な話だった。
剣すら満足に振るえることも出来ぬ年齢であの狂気の権現を打ち倒すなどと。
そしてやがて輪郭を帯びていく、小さな戦士の話。
没落寸前のセルグリム家が持ち得る最後の財産。驚くべきことに13などという歳が霞むほど幼き頃から剣を振っている事実。そして貧困が齎す狭い世間の……すなわちセルグリムを知る貴族間での評価。
王宮内でもセルグリムという名を聞いて眉を顰める者も少なからず――その名を知っている者自体少ないのだが――いた。
力こそが名となるフラムバルド国内でありながらも、純粋に腕一本で貴族に成り上がったセルグリムの名は好かれぬらしい。なんと人間の浅ましいことか。
(本物であることは今更疑いもしない……しかし、どこまで通じるものか)
並び立つ志願者達の中でもその鎧の貧相な見てくれで浮いているディンを、カトレアは観察するようにしてじっと見つめていた。此処に来たディンの力を嘘と断じるつもりはなかったが、それが周りの『金』や『地位』を跳ね返せるかと言えばどうなるのか。
カトレアの心中は少しばかり曇らざるを得なかった。
そしてローズのように真の貴族たる気概を持っているかと言われれば、その判断を正確に下す材料をカトレアは未だ持ち得ていない。
一方ローズという少女は騎士の間ではそれなりに有名な人物であった。その心や技術も目を見張るものがあるが、それよりも彼女が知られる要因はただ一つ。
フィンロードの名を聞けば、騎士であるならば誰しも『アレ』のことを頭に思い浮かべてしまうだろう。
ふとディンに向けていた視線をカトレアは彼女の方に向ける。
煌びやかな装備を身に纏っているのは他の志願者と変わらずとも、その出で立ちは華美な鎧に着られているのではなく、毅然とした戦乙女そのもの。
しかしこれから試験が行われているというのに、彼女には最も重要であろう物を持ってはいない。
彼女の腰には武器と見受けられるような物が一つも下げられてはいなかった。
◆
まるで武道大会でも開かれそうな趣を感じさせる石畳の真四角の会場ではあったが、だからといってこれから志願者を戦い合わせて頂点を決めるような試験ではない。そんなことをすれば毎回騎士となる資格が与えられるのは一人のみとなってしまう。
しかも試験とは名ばかりの貴族達の披露会。参加する者のほとんどが金で合格を半ば約束されているとするならば、試験の内容とは如何様なものか。
そう難しい話ではない。
カトレアから明らかにされた試験方法とは、集まった志願者が自ら戦う相手を指名し、さらに何戦するかまでも自由に決められるというものだった。
つまりは志願者同士が戦う中で可能な限りの自己アピールをしろというもの。試合の中で全力が出せたと自負するならば一度だけ戦うのも良し。試合相手との技量の差、もしくは調子が悪かったなどという格好の悪い理由であっても複数試合を望むことも出来るということなのだとか。
試験会場脇に張り出された志願者一覧の前で、ディンは顰め面のまま腕を組んでじっとその志願票を見つめていた。
無論彼の周りにも試合相手を決めようと目つきを鋭くする志願者達が集まり、ローズもまたその集団から離れた後ろで何やら考え事をしている。
……残念ながらその集団の中で『誰を相手にすれば自分の力を十全に出せるか』などという健全な思考を巡らせているものはいない。
騎士となった後に『敵』となる相手を此処で潰しておくか、晴れ舞台となるこの場で弱者を徹底的に痛めつけて自分の強さを見せつけるか、である。
(…………ふん)
ディンの表情が歪みっぱなしであるのも仕方がない。
真正面から彼の様子を窺う志願者などいなかったが、涎を拭うような下賤な獣の視線が周りから向けられていることに彼は気付いていた。
周りと比べれば随分貧相な鎧、セルグリム家という知らない貴族からすれば全く知らない傍っぱの名、取り巻き一人連れぬその有様は随分と弱く見えるのだろう。
一人、二人と『軽く叩き潰せる相手』に気付き始め、向けられる視線はどんどん多くなる。
そしてディンは漏れ出そうになるため息を必死に抑え、ただ目を瞑って事の経過を待とうとした。
しかしそんな彼の努力虚しく、志願者の中でもひと際無駄に輝かしい黄金の鎧を身に纏った青年がディンの目の前に躍り出た。
「失礼。君はこの試験に参加するディン・セルグリム殿で間違いないかな?」
「……然り。貴方は?」
「……本当に志願者の一人かい? 僕はランバード・フランデル侯爵の子、エイデン・フランデル。まさか僕の事を知らないとは思わなかったよ」
「それは失礼を。幾分、貴族間の世情には疎いもので」
当たり障りのない返答、などとディン自体も思うわけがなく、彼の言葉にエイデンの周りにいる志願者や取り巻きもクスクスと嘲る様にして笑い始めた。
無論ディンが感じるのは怒りではなくただ辟易するのみ。その後ろではローズが人知れず眉を顰めた。
「どこの田舎貴族かは知らないけど、もう少し配慮すべき相手は覚えたほうがいいよ? ……もしかして貴族でもなかったりするのかな? まぁ、そんなみすぼらしい鎧を着ているようじゃ仕方のない気もするけれど」
「…………用件はそこではないでしょう。試合開始も近い。本題に入られては如何か?」
「……ふん。まぁいいさ。だけど此処で声を掛けられるっていうことは分かっているだろう? 僕の相手としては少しばかり力不足な感じが否めないけれど、胸を借りるつもりでかかってきなよ」
「試合相手として私を選ぶと?」
「逃げたければ拒否してもいいよ? 僕の剣が君に見切れるとも思えないけどね」
ディンは無表情のまましばしエイデンと名乗る男を見つめ、そして自分の周りを見渡した。誰も彼もが嫌らしい笑みを浮かべ、騎士試験のことなど頭に入っていないようにしか見えない。
彼らの頭の中では揃ってこのエイデンという男がディンを打ち倒し、高らかに自らの力を誇示する絵しか浮かんではいないのだろう。
ローズの言葉を受け取れば、おそらくこの中にも派閥間の対立があるはずであるというのに、こういった瞬間だけは貴族らしい悪趣味な感情に統一される。
受けるか、拒否するか。
はっきり言えばこの申し出を受けることはディンにとって何一つメリットのないものであった。
何せディンが望むのはこれ以上ない実力を試験官に見せつけ合格するということ。立ち振る舞いから何まで『雑魚』でしかないエイデンを痛めつけたところで意味はない。
さらに言えばここでエイデンを叩きのめすと言う事はすなわち。
(面倒なことにならないわけがない)
確信。となれば彼が取るのは紛れもなく拒否。
無論そんなことを口に出せば一斉にして周りの取り巻きやら何やらが笑い声を上げるのは誰にでも予期出来ることだったが、ディンがそれを気に留めることなど無い。
もはや慣れ切ってしまった他者からの罵詈雑言を予期しため息を吐いたディンは、ゆっくりと拒否すべく言葉を返そうとした。
しかしそんな言葉を遮ったのは、ディンの背後から発された少女の声だった。
◆
「フランデルの名に連なる者がはしたない。此処で必要とされるのは鎧の価値でもお家の名でもなく、剣の腕のみでしょう?」
振り返ることなく俺はそのまま額に手を当てて顔を俯けた。
背後から飛ばされた痛烈な彼女の言葉に、目の前のエイデンと名乗った優男や周りの志願者達は見る間に顔を渋めていき、やがては怒りに染まった瞳を俺の背後に向けた。
誰かを煽ることに躊躇ない者であるというのに、自分が嘲り言葉を受けることには我慢できぬらしい。
フランデルの名というのがどこまで有名なものなのかは知らなかったが、彼並びに取り巻きの自尊心をローズの言葉は程良く傷つけたらしい。
「これは、これは。フィンロード家のお転婆娘が何やら喚いているようだ。僕にはよく聞こえなかったようだが……」
「頬が引きつっていますわよ? 先ほどの通り必要とされるのはこのような下らない戯言に非ず。たとえ図星を突かれて狼狽えようとも、貴方のお飾りの剣が曇ることはありませんわ」
「何だとッ!?」
勝手に盛り上がるのは結構なのだが、もはや外野のように放っておかれた俺を挟んで言い合うのは止してほしい。
目の前には顔を真っ赤にしたエイデンが。そしてゆっくりと振り返れば慎ましやかな胸を張ったままふふんと鼻を鳴らすローズが。
俺は気まずい表情を隠そうともせずに彼女を見やるのだが、俺の考えを彼女は理解出来なかったようだ。唐突に俺に向けて予想外の言葉を並べ立て始めた。
「ディン様を先に対戦相手と決めていたのは貴方ではなく私。そもそもお遊戯がしたいのであれば周りに屯する有象無象と戯れていればいいでしょう?」
「有象無象だと!?」
「……貴様、フィンロードがフランデルに盾突くつもりか」
「女風情が何を偉そうに……」
……そうであればいいとはこの会場に足を踏み入れた時よりも思っていた。
俺の実力を隠すことなく披露し、それに見合う相手と言えばローズ嬢を置いて他にいないというのは明らかだったのだ。
故に彼女が唐突に俺との試合を嘯いた時は驚きつつもしめたものだと思いはしたが、あまりにもお釣りが多すぎる。こんな一触即発の状況まで作りだされては、当然のごとく俺にまでその矛先が向けられそうなものではあるが。
「ならばディン様との試合を賭け、私と剣を合わせてみますか? エイデン殿」
「……何?」
「別に勝てないとお思いであれば受けなくてもよろしくてよ? 私も手元が狂って加減をしくじるとも限りませんし」
「……その言葉、後悔させてあげようじゃないか」
などと余計な心配をしていれば、話の中心にあるはずの俺を差し置いて何やらローズ嬢とエイデンが戦う事になっていた。そしてその後にこの試合の勝者が俺と戦うということすらも。
……どうせローズ嬢の自信とエイデンと名乗る男の実力を考えれば、どちらか、などと言う意味はないのだろうけど。
黄金の鎧は実に荘厳で煌びやかではあるが、エイデンの動きを見ているとどうにも重心がずれて鎧に着られているようにしか見えない。これで剣を振るなどと。
「ディン様」
「…………もっと穏便に出来ぬものか」
ズンズンと肩を息巻かせながら歩いていくエイデンとその取り巻きをぼんやりと眺めながら、いつのまにか隣に立っていたローズ嬢にやれやれと疲れたように零す。
すれば彼女の顔は思いもよらず不満そうな表情を浮かべていた。
「反論の一つも上げないというのはどうかと思いますが」
「あのような下らん言葉も昔から慣れてきたものだ。リリィから聞いてはいないのか?」
「そういうことではありません! 騎士でなくとも、家に執着がなくとも、人としての誇りに傷を付けられたのであれば声を上げるべきです」
一体あのやり取りのどこにディン・セルグリムが傷を負う言葉が含まれていたのかは知らないが、兎に角ローズ嬢という人物のことは少しだけ理解出来た。
真の貴族と言えば聞こえはいいが、やはりその見た目と歳相応にまだ若いのかもしれない。
どことなくリリィとローズ嬢が重なって見えた気がした。
「例え話をするならば、貴女は周りで飛び回る羽虫に剣を抜くか?」
「は、羽虫?」
「おそらくはフランデルという名を持つ彼は君にとって羽虫以上に価値のある男なのかもしれんが、俺にとってはそれと同義に過ぎん。確か、侯爵だったか。高貴なるお家じゃないか」
「…………」
「無論あちらにとってもディン・セルグリムは羽虫以下なのだろうが」
おどけて適当な言葉を並べてみれば、ローズ嬢は頬を膨らませたままに押し黙ってしまった。
おそらくリリィと同じく俺より二つか三つ上程度の歳だろうが、中々に今までの毅然とした姿よりもその顔が似合っているようにも思えた。
冷静に考えれば、この戦争が近い時期に彼女のような歳の少女が剣を握るということは非常に悲しいことなのではないだろうか?
真の貴族と声高に叫ぶ彼女ではあるが、その裏にどういった想いがあるかは知る由もなく。
「試合の準備をしなくてもいいのか?」
「……次は貴方の番ですから、ディン様も呆けて準備を怠ることなどあらぬよう」
「分かっているさ。この期に及んで準備不足などあるものかよ」
クルリとドレスを靡かせて身を翻したローズ嬢は、一度こちらに剣呑な視線を投げ掛けて試合の行われる舞台へと歩いていった。
……そういえばその腰に武器も盾も下げてはいないが、彼女こそ準備が出来ているのだろうか?
そんな心配をよそに遠くなった彼女がもう一度振り返り――――。
「一つ言っておきますが、先ほど口を挟んだのもこの試験において私に相応しい対戦相手を求めたが為。別段貴方の身を想ったわけではないので……あしからず!」
何やら現実ではお目にかかれない、ファンタジーっぽい言いまわしを聞いた気がした。
◆
「何だか大変なことに巻き込まれたようだね」
「……貴方は、確か」
ローズ嬢を見送り、舞台に立った彼女とエイデンを眺めていれば、ふと俺に話しかける人がいた。
その人物は受付の時にディオン卿の隣で俺に苦笑いを向けていたもう一人の騎士隊の男。
少々パーマの掛かって捻じれ曲がった金髪をポリポリと掻きながら、やはり浮かべる苦笑いはやけに似合っている。
何やら『苦労人』という言葉が脳裏に浮かんだ。
「ジャン・トルビル。よろしくな、ディン君」
「これはどうも。しかし此処に居てよろしいので?」
「ははは。試験官はカトレア隊長で十分だからな……ほら、この試験ってあれだし」
「成程」
「そのくせ誰かが怪我した時に手当てする救護班は多いけどね。やっぱり貴族の子ってのは大事なのさ」
愚痴っぽく両手をやれやれと上げるトルビル卿にこちらも苦く笑う。
しかし彼が俺に話しかけた理由とは。無論大変なことになったということには全面的に同意せざるを得ないが。
「どうせまともに戦うのは君とローズ君くらいだろうし……本当に戦うのかい?」
「……? 無論ここまで来たのですから。それに思いがけず彼女と戦う約束も取り付けることも出来ましたし」
「もうエイデン様が負けるのは確定なんだね、ハハハ……」
知らずトルビル卿にやんわりと指摘されたことに不味いことなのかとも思ったが、どうにもフランデルという名が持つ影響は思った以上に強いらしい。
まぁ、どうやら親であるランバートとやらが侯爵らしいのであれば当然か。トルビル卿の彼を呼ぶ呼び方も少しばかり繕われたようなものを感じる。
「……今回の次期国王を決める騒動でも、あのエイデン殿の名は大きいので?」
「ディ、ディン君、声が大きいって」
「……失礼」
慌てて口元に手を翳そうとするトルビル卿に感謝しつつも、何だか歳上と感じられないその様子にこちらの言葉もぶっきら棒になってしまう。
なんというか、常に腰が引けているというか、おどおどしているというか。
そんな風に彼を見ていれば、トルビル卿は仕方なしといった具合に声を小さくして語り始めた。
「まぁ、エイデン様がっていうかお父上のフランデル侯爵がね。跡継ぎの一人であるリヴァン様に最近はよく付き従っているし、そういう意味では王宮内での派閥を強化したいが為に息子のエイデン様も騎士として大成させたいのさ」
「騎士のなり立てが使えるのですか?」
「だ、だからもうちょっと言動を慎んでってば……その、あれだよ。騎士なり立てのエイデン様を名目にすれば直属の部下として私兵を使うこともできるからね。もちろん入り立てが隊長くらいの指揮権を持つことなんて出来ないけど……」
「金と地位、ですか」
「まぁ、ウン、そういうこと」
徹頭徹尾、ダークストーカーというのは貴族にとって敵ではなく利用すべく道具に過ぎないらしい。
確かに500年前から奴らが現れて以来、表だった惨敗というのが人間側にないらしい故にそういう扱いになるのも仕方がないのだろう。
そんなことであれば、ダークストーカーが現れる根本を解明して根絶させればいいだろうに。
「何だか、必死に王宮に駆け込んだのが馬鹿らしくなりますね」
「でも騎士団としては助かったよ。いち早くダークストーカーの情報を齎したのは感謝すべきことだし、呑気なのは貴族ばかりさ。実際に戦って血を流すのは僕らや兵達だしね」
「……ダークストーカーと戦ったことがおありで?」
「……ここだけの話、もうカンダネラ北のキリル山脈付近にダークストーカーの軍勢は集まっているよ。今はまだだけど、二、三カ月の間には戦端が開かれるだろう」
「…………」
トルビル卿の言葉に驚く他なかった。
いくら傍っぱ貴族として戦争の情報を取り入れていないとはいえ、そこまで戦争が近いとは思わなかったのだ。どこぞの村が襲われたという話も聞かず、騎士団やら兵卒の部隊が戦果を上げたと言う話も聞いてはいない。
まるで引き絞られた弦から放たれた弓矢のように、ダークストーカーが溜めに溜めこんだ兵力で一気呵成に突撃を仕掛けると言うのは事実だったらしい。
――――イノシシの群れ。
「成程、なり立て騎士の横暴が通るはずだ」
「……どうかした?」
「いえ」
策もなく突撃するならば人間の知恵さえ届けば、ある程度の狂気も跳ね返すことが出来るのだろう。
未だ本場の戦争など体験していないためにどういった戦争をするのかは知らないが――――。
「覚悟するんだな! 誰に暴言を吐いたのか教えてやるよ!」
あのような人間が騎士として戦争に関わるのならば、どうにも戦いに身が入らないというものだ。
トルビル卿としばらく話していれば、舞台の上には既に二人が相対しており、その間に試験官のディオン卿を挟みながらエイデンは口汚くローズ嬢を罵っていた。
顰め面をしたまま目を閉じたディオン卿の心はどのようなものか。
実力だけではどうにもならないという彼女自身の弁を、その表情で表わしているようにも思えた。前言撤回。苦労人はトルビル卿だけではないらしい。
唯一救いなのはローズ嬢が頭に熱を帯びてエイデンの言葉に応えぬことか。彼女はディオン卿とはまた違う趣で目を閉じていた。曰く、集中といった所か。
しかしその有様をじっと見ていればどうにも違和感が胸中に浮かんでしまう。
黄金の鎧、黄金の剣、黄金に装飾された盾を構えて憤るエイデンと、白銀と純白のドレスと鎧のまま佇むローズ嬢。
――――武器が、ない?
「あれ、もしかして彼女のこと知らない?」
「……彼女は徒手空拳でも使うのですか?」
「それはそれで面白そうだけど、ローズ・フィンロードは騎士の間でも有名なのさ」
ふふんと鼻を鳴らしたトルビル卿の態度を怪訝に思いつつその視線を舞台のローズ嬢に向ければ、彼女の周りの空間が密かに歪んでいるのが徐々に見え始めていた。
その変化は、リリィと共に闘い続けてきた俺には珍しくもないはずだった光景。
無意識に目が丸くなった俺の視界の中で、彼女は高らかに謳い上げた。
「風よ紡げ、天に逆巻け、風切る刃は我がローズ・フィンロードの名の下に……具現せよ、ヴェスパーダ!」
彼女の声が響き渡ると同時に顔を覆う程の烈風が唐突に会場内に吹きすさび、観客と化している志願者や取り巻きたちの呻くような低い声が上がった。
そして吹き荒れる風がやがて止み始めた時、ローズ嬢の手には一対の小型の円盾とレイピアのようなものが握られていた。
盾は鎧と同じく白銀を基としており、デザインはただ盾の中心に十字を刻み込まれたシンプルなもの。
そして右手に掲げられたレイピアは陽の光を浴びている故か、眩しいほどに白く光って見える。その剣先などあまりの鋭利さに霞んで見えるほど。
そして何よりも、そのレイピアを持つ彼女の腕に沿うようにして刀身から『風』がとぐろを巻いていた。
「宝剣『ヴェスパーダ』。フィンロード家に伝わる召喚魔法型アーティファクトを彼女が受け継いだというのは有名な話さ」
まるで自分のことのようにして話すトルビル卿の声を余所に、俺は密かに心の中でうねりを上げる好奇心を感じていた。
――――ファンタジーらしくて結構。
うーん……序章とか言って10話余裕で超えるな、これは