第二話 潤滑油
「見捨てた……ってどういうことさッ!」
「…………」
激昂にも近いリリィの怒鳴り声に、カトレアはソレを咎めることも忘れて下唇を噛んだ。
リリィからすれば見上げるほどに長身のカトレアの胸倉を掴み、鬼のような形相で責め立てる。
夜の港町の裏通り。人もすっかり寝静まった静寂の中では、リリィの声はよく通る。
カトレアが説明したサフタム砦での顛末にリリィが怒り狂ったのは道理なのだろう。
ディンを一人あの砦に置き去りにし、自分たちはおめおめと逃げ伸びたなどと。
無論そこに気を失った自分たちがこれ以上ない足手纏いだったという事実もリリィの頭の片隅には残っている。あの時ディンを止めることが出来ればという後悔の念も残っている。
だが、リリィは心の内にある無念さと怒りを誰かにぶつけねば耐えられなかった。
それを飲み込んでいられるほど、彼女は大人ではなかった。
そしてそのままカトレアに当たり続けられるほど子供でもなかった。
「くそッ……」
吐き捨てるように呟き、力の限り握りしめていたカトレアを突き飛ばす。
体格差もあってかカトレアは少しだけよろけるだけで、ただじっとリリィの言葉と受ける無念に耐えるばかりだった。
あまりにも重い静寂。
まるで人形のように眠るローズをちらりと見ると、リリィは小屋の中をがさがさと何かを探す様にして歩き回った。
やがて小屋の奥に隠されるようにして残されていた武器の束。
ベダールの大槌。カトレアの騎士剣。そしてリリィが一年もの間共にしてきたデュアルリング。
「何をする気だ」
そのデュアルリングを握りしめ、追い詰められた表情を浮かべるリリィにカトレアは声を掛ける。カトレア自身、馬鹿げた問い掛けだと理解していた。
この流れで、その表情で、その心でリリィが選ぶことなど二つしかない。
あり得ない奇跡に縋りつくか。それとも救われない復讐に身を委ねるか。
そのどちらもカトレアは認めることが出来ない。
自分たちが一人の少年を生贄にして生き延びたのであれば、この生をむざむざ捨てさせるわけにはいかなかった。
「助けに行く」
「生きているわけがない」
「ディンが死ぬわけない。今も戦ってるに決まってる」
「本当にそう思っているのか?」
カトレアのその問いは、無表情を装っていたリリィの眉間に皺を入れた。
心を問う。事実を問う。ディンという男を問う。それをすれば、彼が生き残っているなどという可能性などあるわけもなかった。
あのダークストーカーに囲まれた場所から脱出できるのか、などという当たり前な問いかけではない。ただディン・セルグリムという男の生きる意志を問う。
「……見たはずだ、あの瞳を。あの心を」
「…………ッ」
「騎士試験の頃から危ういものは見せていた。彼には、生きる意志が……」
「黙れよッ!!」
カトレアの問いに理路整然と答えることなど出来るわけもなく、リリィはただ否定するだけだった。肩を震わせ、顔を俯け、その後に続く言葉を遮るだけ。
大人であるカトレアと、少女であるリリィの心が交わることなどあるわけもなかった。
リリィの言葉に、正当性などあるわけもなかった。
「お前に何が分かるんだよッ!!」
「…………」
「お前にッ……お前にぃ……」
とうとう泣き始めてしまったリリィを前にして、カトレアは埃被った天井を見上げることしかできなかった。
しかしどれだけ我儘を言っても、悲壮な決意を誓っても、リリィを行かせることなど認めるわけにはいかない。
だが、ここまで追い込んだのは自分達責任者とも言える者達なのだ。
傍に眠るローズとて父親を殺されたとなればリリィと同じく悲しみにくれ、そして暴走するのかもしれない。
(例え死を覚悟し、戦場に赴いたとしても――――敵が人間だったなどとは……)
リリィに見えぬよう、背後に手を隠しては砕けんばかりに拳を握りしめる。
情けなかった。
人々を守る騎士を目指し、名乗り、戦っておきながら、身近にいた大切な部下一人救うことが出来なかった。
だからこそ、カトレアはこの悲劇を起こしたリヴァンを許せぬと胸に誓う。
それはやはり、リリィとカトレアの心が交わらぬ証拠だった。
◆
ベダールが憂鬱な気分で隠れ家となった小屋に戻ってくれば、静かな裏通りにもリリィの叫び声は聞こえていた。
遠くから聞こえる声に一瞬自分たちの潜伏がばれたのかと、ひやり汗を垂らしたベダールだったが、よくよく考えればそれにはまだ早い。
そうして近づいていけば、小屋の外にも聞こえるその会話の内容。
ベダールは一つ舌打ちをすると、ひとしきり周りでそれを聞く第三者がいないか確認してからその小屋へと手を伸ばした。
ぎしりと頼りない音を立てて開けば、息を飲む様な音と共に泣いているリリィと表情を固くしたカトレアがベダールの視界に入る。
察したのは早かった。そして深いため息もまた。
確かに犠牲はあったものの、自分たちはこうして五体満足に生きている。
それを考えれば、この幸運を前にしてこのような表情を浮かべる女連中をベダールは少しだけ疎ましく思ってしまった。
「気が付いたみてぇだな」
「ベダール」
答えたのはカトレアのみ。
リリィが向ける視線を感じれば、自分もまたディンを見殺しにしたひとで無しにみなされているのは火を見るより明らかだった。
また一つため息。今は子供の癇癪に構っている暇はない。その視線を受け流す様にしてベベダールはぽつぽつと表で集めた情報を語り始めた。
「お嬢。はっきりいって手遅れだ。今から俺らが何をやってもリヴァンの野郎が玉座につくのは止められねぇ」
「…………我らが謀られたことは、彼奴の気まぐれなわけがないか」
「分かっていたことだがな。俺らの……中立派の何が不味かったのかはさっぱり知らんが、俺らが皆殺しされるのは決定事項だったらしい」
「……どういうことだよ」
そこでようやくリリィが鼻をすすりながら声を上げた。
ちらりと彼女を一瞥するベダールとカトレア。
その視線にどこか仲間外れされている気がして、リリィは再び胸の奥にドロドロとしたものが流れ始めた――――だが耐えた。
「王様巡って馬鹿王子がシコシコやってんのはおめぇも知ってんだろうが。その悪趣味に俺らは巻き込まれたってわけだよ」
「僕らは、中立だったじゃないのさ。どっちかを邪魔したなんて話聞いてないよ」
「んなもんこっちだって知らねぇよ。ま、ジャンの野郎があっちと通じてたってことは相当前から計画されたんだろうがな」
ジャン・トルビル。
自分達を騙し、その凶刃でベデリルを屠ったあの男の顔をそれぞれ思い浮かべる。
付き合いの短いリリィならばまだしも、それなりに一緒にいたカトレアやベダールさえも頭に浮かぶのは裏切りの際に浮かべた憎らしげな顔だった。
「ま、死んだ奴のことなんざどうでもいい。重要なのはこれからどうするかってことだ」
しかしその男の顔もベダールの声によって即座に掻き消された。
それほどに、その問い掛けは自分たちにとって重要なものだったから。
何でもないようにさらりと話したはずだったが、その問いを受けてどちらも顔を歪め、どことなく救えない誓いを匂わせてみる。ベダールが最も嫌う匂いだった。
「僕は諦めないよ。絶対ディンは待ってる。それにディンがいないなら……」
「リリィ! それ以上は許さんぞ……」
「貴女達が見捨てた人を僕が拾うってだけでしょ? 迷惑なんてかけないさ。すぐに砦に向かうから」
「へっ……馬鹿じゃねぇのか」
「何だと!?」
だからこそ、無謀な決意を浮かべて強者になった振りをするリリィに対して、ベダールは隠すことなく吐き捨てた。
「誇りに生きようが女として生きようが勝手だがな。現実見据えろや。それとも何か、一丁前に悲劇のヒロインって奴か? あァ? 悲劇の未亡人気取るってんならまだ笑えるのによぉ」
「お前はッ……!」
「そもそも寝起きの奴がどう意地張っても砦まで辿り着くことなんぞ出来るわけもねぇ。一体どこの誰がひーこら言ってここまで運んできたと思ってやがる」
「……それは、感謝、してる……けどッ!」
頭に血が上ったリリィが納得するわけもない。
ベダールは疲れたようにしてカトレアに視線を向けると、そのまま小屋の中にあった藁の束に背を預け瞳を閉じた。
「お嬢。抑えるならおめぇがやりな。こっちは酔いに酔えねぇ酒にイラついてんだ。どうせそこのひよっ子が起きりゃまたぶーたれるんだろうしな」
腰を下ろし、足で寝静まるローズを指差してみれば、彼女は少しだけ声を漏らしながら身体を捩った。
いくら寝ていると言ってもさすがに大声で騒ぎ過ぎたのだろう。
リリィとカトレアもまるで悪夢に苛まされているように苦悶の表情を浮かべるローズを見下ろし、そのまま手持無沙汰の様にして互いに口を閉じた。
「戦争やりゃ死ぬ奴は出るだろ」
混迷の中で、ただ彼女らに取れるのは睡眠という時間潰しだけだった。
◆
あまりにも長すぎる夜が明け、陽が昇り始めた港町には船乗りたちの威勢がいい声が木霊する。
国の玄関口というだけでもなく、魚場としても盛んであるソーファの街であれば、まだ町人が眠りこけている早朝からでも船乗りたちは動き始める。
石畳が続くありきたりなその街の風景の中に、屈強な男たちが忙しなく走り回り、時にガラガラと騒々しい音を立てながらその道を手押し車が走っていく。
少しばかり危なっかしい速度で走っていくそれだったが、勿論のことこの時間帯に外を出歩く者は少ない。
故に、道の端をとぼとぼと歩く赤毛の少女の姿は余計に船乗りたちの目に止まるものであった。
結局のところ一睡もすることが出来ずに朝を迎えてしまったリリィだが、この機に乗じて街を出て砦まで行くという選択肢は取れなかった。
こっそりとあの隠れ家出ようと足を忍ばせてみれば、いつのまにか愛用のデュアルリングがベダールの傍に置かれており、それに気付けば寝ていたはずのベダールの瞳がギョロリとリリィを射抜いていた。
どうあっても自分の思い通り行かせるつもりはないらしいと悟ったリリィだったが、なんだか親に怒られたような気まずさを感じて慌てて小屋を飛び出したのだった。
無論、目的などない。
ただ咎められた様な空気に耐えきれず、逃げ出しただけだった。
例え眼が眩む様な朝日が海の向こうの水平線から昇っているのを見ても、リリィの心が晴れることなどあり得ない。
船乗りたちが平和に――――『いつものように平和に』働いているところを見ても、安心感の欠片も浮いては来ない。
時折街中に響く鶏の声など、苛立ちを煽るだけだった。
(…………生きてるよね? うん、死ぬわけがないさ。死ぬわけが)
一人、街の中で孤独を感じてリリィは胸元を握りしめた。
しかしそうやって心を奮わせるたびに、身体が細かく震えた。
頭の片隅で悪魔と現実が笑っている様な気がした。
―――――どう考えても、あそこは死地じゃないか。
淡く残る首筋の痛み。擦れていく意識の中でまるで希望を乱していたかのように薄らと笑みを浮かべていたディンの顔。微かに身体に残る戦争の、あの血の匂い。
ポロリ。またリリィは涙を零した。
「うっ……う、ああ……」
嗚咽が止まらない。
涙が止まらない。
今にも叫び声を上げたくなる感情に囚われる。
戦争だった。例え人間の裏切りがあり、ディンの変容があったとしても、あれは戦争だった。いつだったか、恐れていた戦争だった。
初めてダークストーカーを見つけ、戦い、そのまま戦争の引き金となるべく向かったフラムバルド城。
自分たちの功績を認めつつも、その影におびえていたリリィは言ったのだ。
冒険者にならないか、と。
冒険者ならば、一緒に旅が出来る。
冒険者ならば、一緒に戦える。
冒険者ならば、果てしない自由が得られる。
――――冒険者ならば、共に死ねる。
リリィは、また声を上げて泣いた。
◆
「お嬢。碌なことになんねぇぞ」
「……それくらいは、いい」
リリィが出て行ってからすぐ。
どたばたと出て行ったリリィを見送り、ベダールは呆れたようにして眠っているはずのカトレアに声を掛けた。
いくらこそこそと動きまわろうとも、リリィの行動に二人が気付かぬはずがなかった。
「私たちの言葉など、彼女には届かないさ」
「ガキが話を聞くわけもねぇからな」
「違う。私たちが情けないからだろう」
「…………ちっ」
ぼんやりと天井を眺めながらでも、カトレアの言葉に迷いはなかった。
だからこそベダールは苛立つ。そんなことは自分自身が何よりも分かっているから。
自分の無様さが、頼りなさが付きつけられたようで、少女の泣き顔を見るのは苦手だった。
再び続く僅かな静寂。果たしてこのように寝転がる時間が有用なのかどうか、まだその判断はつかない。
「で、結局どうするつもりなんだよ。敵討って軽く言うが、マセガキみてぇに特攻でもすんのか?」
「ウォーヴァン様に接触できればどうにかなるかもしれない。対抗馬としてのあの方ならば、我らの情報も無碍には扱わんだろう」
「…………もうリヴァンの野郎が手柄を得て、一つに纏まろうってんでいいんじゃねぇのか」
「何が言いたい」
「いや、お嬢がそれでいいならいい」
ほんの少しだけの意地悪だった。誇りだの敵討だの面倒なことを好まないベダールだからこその意地汚い言葉だった。
だがもはや決心してしまっているカトレアになど意味はなく、ただ凄まれて妙な空気が漂うだけだった。
故にそれを誤魔化す様にしてベダールは気になっていたことをカトレアに零した。
あの、変容を。
「ディンの野郎……最後のあれは何だったんだ?」
「さあ、な。リリィは確か、ネレイドがどうとか言っていたが」
「お嬢も魔法使えんだろ? なんか分からんのか」
「私のものはアーティファクトに頼った簡易的な物だ。魔術師のようにその筋の教育を受けているわけではない」
思い出せば思い出すほどディンのあれは異常だった。
戦争の最中、時が経つほどにその精神に異常をきたし始め、そしてその果てにはあのジャンに行った『侵食』。
目の前でジャンという人間の皮膚が裏返り、真っ赤に染まり、そのままグズグズと崩れて行った。
そんな魔法など聞いたこともないし、そもそもディンが魔法を使えたなどリリィでさえ知らなかったのだから。
「ネレイド、ね」
「ベダール」
だがしかし、リリィの零したネレイドという言葉にベダールもカトレアも思い当たることがあった。
とてもリリィの前では言えない――――いや、このフラムバルドという国で騎士として戦うに当たり逃れられない真実を。
「『侵食』の瞬間なんて見たこともねぇが……」
「ベダール。そんなことがあり得るとでも思っているのか」
「かもしれねぇ、ってだけだろ。何にしてもこれ以上ガキ共を混乱させるわけにもいかねぇが…………あのままじゃ、あのマセガキ、辿り着くぞ」
腕を頭の後ろに組み、ベダールは遠い記憶に想いを馳せながら苦いものを感じていた。
思い出したのは自分が前回の聖戦へと参加した頃の記憶だった。
その時も同じようにしてダークストーカーの侵攻が明らかになり、兵が集められ始め、化け物たちは飽きることを知らず一気呵成に責め立てるだけだった。
その時の戦は取り立てて思い出す様な戦いなどなかった。だがそれそのものがベダールの脳裏に影を落としたわけではない。
その後に行われた『後始末』こそが最悪の始まりだったのだ。
「サフタム砦が苗床にされるぞ」
「リヴァン隊とウォーヴァン隊が対処するのではないのか」
「対処したとしても、だ。話によればダークストーカーの生き残りが砦に引き籠ってやがるらしい。このままじゃ…………」
眉を顰め、隣で寝静まるローズの顔をちらりと見、ベダールは苦々しく吐き捨てた。
「死体共が立ち上がるぞ」
◆
ベダールは頭の奥から響く頭痛に眉を顰めていた。
眼の前には涙を薄らと見せつつも、しきりにカトレアの言葉に頷くもう一人の少女。
その隣ではもう片方の少女がなんだか居心地の悪そうになりながらも、崩れ落ちそうな少女の肩を支えている。
小屋の中に響く嗚咽。一体この街に来てから何度少女の辛気臭い涙を見ればいいのかとベダールはため息を吐かざるを得なかった。
リリィが目を覚ましてから2日後。あの戦場から逃げ出してから既に5日経、ようやくローズが目を覚ましたのだ。
金糸のようだった髪は少しだけ痛んだ様に崩れ、眠っていたと言うのに目下には悪夢から目を覚ましたばかりかのように隈を作っている。
正常な精神状態などと言えるわけがなかった。
だがしかし虚ろな瞳をしつつもあの時起こった時の顛末は僅かに覚えているらしく、自分の父親が刺客によって殺されたということも何となく分かっていたようだった。
それを正しく認められるか、それを知っても平静でいられるかはまるで違うが。
だがしかし騎士としての家系に身を置く故にか、身内が死んだということに対して年頃の少女のように暴れながら泣き喚く様な事はしなかった。
カトレアの言葉を噛み締めるように聞き、固く閉じられた拳の上に涙を零していく。
その光景に、ベダールは誇りばかりが高いとこうなるものかと、どこか珍しいものを見るかのように一歩引いた場所で腕を組んでいた。
「済まない」
「いえ……いいのです。悪いのは、カトレア様ではございませんもの」
「しかし我らは……」
「すみません。今は、少し、一人に」
頭を垂れるカトレアに弱弱しく笑うローズだったが、常に浮かべていたあの凛々しく自信に満ちた表情はどこにもない。
疲れたようにしてカトレアの言葉を拒否し、それを受ければ彼女以外の人間はその小屋から出て行くしかなかった。
ローズを小屋の中に残し、三人は揃って隠れ家の前で押し黙る。
聞こえて来たのは、嗚咽だけだった。
「…………」
「…………」
「…………」
無論、交わされる会話などありはしなかった。
この戦争で誰かを失ったのは誰もが一緒である。ベダールこそ反応は表に出さずとも、同じ隊で飯を食った仲の者を全て失っている。
リリィはディンを。カトレアは部隊を。そしてローズは愛する父を。
だがしかしローズこそが一番に悲しみを感じているのだと思わざるを得なかった。
低く響くローズの嗚咽。
それが耳に入る度にベダールはどうにもならない状況に眉を顰め、カトレアは頼りにならない自分の不甲斐なさに歯を食いしばり、リリィは同じく信じているのかどうかすら分からなくなったディンの生存に目下を潤ませる。
底の底だった。
何をしても絶望に繋がり、何を放しても悲壮に繋がり、どんな行動も無駄に繋がってしまう。
言うべきか、言うまいか。カトレアの心にはウォーヴァン隊との接触を決めているが、それに彼女を、彼女らを連れていくことが出来るのか。彼女らは自分の言葉に続いてくれるのだろうか。
それを考えれば、カトレアは隣でじっとローズのいる小屋を見つめていたリリィに視線を向けた。
「リリィ」
「…………何ですか」
「お前は……」
「諦めるわけないじゃないですか。亡骸を見るまでは信じてなんかやるものか」
変わらない。
同じ境遇であるはずだというのに、未だ誰ひとり歩幅を合わせるどころ同じ方向すら見向きはしなかった。
◆
およそ自分たちが生きている事実を知られたくない彼女らの行動は激しく制限されねばならないものだった。
だがしかしあのような暗がりの路地裏に引き籠っていれば、それこそリヴァンの手の者に見つかる前に心が死んでしまうだろう。
それを考えれば、リリィが提案した『散歩させろ』といった類のものをカトレアは容認せざるを得なかった。
そもそもにして市井の者に顔をある程度知られているカトレア以外であれば、ある程度は表に顔を出しても問題はない。
ローズ辺りは微妙なところではあるが、今の彼女はあまりに本来の彼女と似ているような顔つきはしていない。
つまりは――――ローズのための気晴らしだった。
リリィのような暴走を見せてはいないが、時折死相さえ見せそうな彼女の表情は、さすがにリリィでさえも気にかけた。
同じく大切な者を失いながらも、その反応はまるで真逆。
憎悪とも変わらないどす黒い炎のように滾る者と、薄氷のように弱弱しい感覚に陥る者。
「ローズ、大丈夫…………じゃないよね」
「ごめんなさい。リリィも、辛いでしょうに」
「良いんだ。うん、良いのさ。多分」
どちらが正しいのか、リリィには分からなかった。
このように悲しみにくれるのが本来の在り方なのか、自分の様になるのが正しいのか。
分かるのは自分たちをこのような目に合わせたリヴァンが正しくないと言う事だけだった。
再び、胸の奥深くでローズに冷やされたはずの炎が蘇り始める。
リリィは、全てが憎たらしくなった。自分達と行き交う人々さえも。
(どつぼ、だな……)
自分を落ち着かせるようにして大きく息を吸い込めば、海から香る潮に匂いが肺まで通り少しだけリリィはむせた。
何をやっても上手く行かない。リリィの眉間の皺はますます深くなるばかりだった。
「リリィ」
「な、なんだい?」
そんな折に、ローズが弱弱しい声で話しかけて来た。
日中の陽光に照らされながらも、やはりその顔に前までの輝きはなかった。
「何故、こんなことになってしまったのでしょうか……」
根本的過ぎる話に、リリィはただただ絶句した
もはや応えることの出来る言葉など持ち合わせてはいなかったのだ。
「分からないのです。これから何を、どうやって……頭では分かっています。泣いていても仕方がないと」
「ローズ……」
「でも、どうして……お兄様が」
ローズは、聡明な少女だった。
リヴァンの姦計をカトレアに明かされば、すぐさま脳裏に浮かんだのは狂王の右手として知られていた兄の存在であった。
この悲劇を起こしたのがリヴァンだと言うのであれば、それを兄が知らぬわけがない。これを黙認するわけがない。
だがしかし結果はこれだった。
「クジャ様は……」
「仲がいい……とは言えないのかもしれません。騎士の在り方に幾度も討論を交わしたこともありましたし、ただ理想に生きる私がヴェスパーダを受け継いだ時は……」
「……憎まれてた?」
ローズは恐る恐る頷いて見せた。
「宝剣を受け継いだことに悔いはありませんでした。それだけの努力をし、幾度も鍛錬を重ね、心を鍛えたつもりでした。それでも兄と父が私を認めないのは……理想しか追わない小娘だからだと」
「そんなことないさ」
「…………だから、認められれば……理想だけでなく実力も兼ねる騎士であればと突き進んできたはずでしたのに」
――――憎しみを煽るだけだったのでしょうか。
雲一つない空に向けて、ローズは懺悔するようにして呟いた。
全ての思考が後ろ向きになってしまっているローズに、リリィは痛ましいものを感じながらもそれを否定することは出来なかった。
ローズと友となりそれなりに時が経ちつつも、彼女の兄と話をしたことはなかったし、その頃から兄に認められたい、父に認められたいと鍛錬を積んできた彼女の心は誰よりも知っていたはずだったから。
「私が、この悲劇を引き起こしたのでしょうか」
「違う! そんなことない!」
「でも……」
だからこそ彼女の努力を、心を潰えさせることはリリィに許容出来なかった。
そうして大きな声を上げれば、周りにいる人間も次第に目を向け始める。
ようやくその状況にリリィが気付けば、おそらくは街を巡回していただろう兵士の一人と眼があった。
――――まずい。
熱くなった心を冷ましながらも、頭の中では最悪の事態が蠢いていた。
果たして自分達の消息やらがリヴァンまで届いているとは思えないが、余計に目を付けられるのは愚行以外の何者でもなかった。
「ローズ、行くよ」
「え、ええ」
よろけるようにして体勢の安定しないローズの手を強引に引きながら、兵士からさっさと離れようとする。
だがしかしその不自然さが余計に兵士の疑問を煽ったのか、安物の鎧を身に纏ったその兵士はどんどん近づいてきていた。
完全に対応を間違えているが、兵士もまた少しだけ勘違いされている。
その巡回兵としては、その少女たちの片方が泣いているのを見て何か厄介事に巻きこまれたかと親切心で近寄っただけなのだから。
「ちょっと、そこの君達!」
「……くそッ」
およそ厄介な状況の真っただ中で隠れた生活を送っているリリィに、それが単なる親切心だと理解する余裕などありはしなかった。
しつこく追ってくる巡回兵から逃れる様にしてローズと共に港町を駆け抜けていく。
そうすれば余計に様々な眼を引いてしまうのだが、この状況で裏通りに入り、隠れ家にまで目を付けられるのは絶対に避けねばならない事態だった。
「ゲホッ……リ、リィ……」
「ローズッ!?」
しかし丁度ベダールが情報収集を行っていた酒場の前で、急にローズが足から崩れ落ちた。
今の今まで眠っていたローズが、急に走れるわけがない。
その場に膝を付くローズを気遣いながらも、リリィは遠くから近づく兵士の影に苦虫を噛み潰したように顔を顰めるしかなかった。
その時。
「こちらです、お二人とも」
唐突に背後から掛けられた声と共に、ローズとリリィは酒場の中へと引き込まれた。
何が起こったのかと驚く前にリリィはその引き摺りこんだ人間を確認しようと首を後ろに回したが、そのまま黙っていろといわんばかりに酒場の大きな樽の影へ押し込まれた。
そうすれば微かに鼻に通る、その『男』の匂い。
それは幼少の頃より何度も足を運んだ、あの家の――――
「おい、ここに女の子が来なかったか?」
「ガキのケツなんて追い掛けて何やってんだい。戦争も終わったってのに。此処には来てないよ」
酒場の中まで入ってきた兵士に応えたのは、カウンターを布巾で吹いていた女店長。
入ってきたローズとリリィ、そして男のことを隠すようにして早々に兵士を追い払ってしまった。
そしてそのまま呆れたようにして彼女は男の方へ声を掛けた。
「もういいよ。全く、面倒事を持ち込んでもらっちゃあ困るよ、『飢狼』の旦那」
「いやはや、申しわけありませんね、カルラ殿」
「よしてくれやい」
筋骨隆々の女店長が、照れたように後ろ頭を掻きながら男から視線を背けた。
一体何が起こっているのかリリィとローズには理解出来ず、ただ呆ける様にしてその男の顔を見上げる。
白髪混じりの頭。
質素な服の下から分かる鍛えられた身体。
物腰柔らかなその在り様。
「ご無事で何よりです――――リリィ様、ローズ様」
その男の名をロン・フラムバと言う。
よし決めた。
もうこれ厨ニに固執すんのやめる。
まあ、作者が好きにやるってことに変わりはないのですが、色々と当初から厨ニに期待していた方には残念なことになるかもしれません。
あと更新速度の方。
当作者には一万字近くを一週間前後で書き終えるほどの執筆速度も才能の方も持ち合わせておりません。
そこだけは妥協を許して頂きたい。
早くて一週間、遅くて……正直のところ明言出来ませんが、どうしてもこちらの余裕に合わせた更新になるかと思われます。
読者の方にはいろいろと不自由をさせることになりますが、どうかご勘弁のほどを。
今回のだけは急ピッチで。
死ぬかとおもた。
<追記>
固執するのをやめるだけで、厨ニ描写は隙あらばガシガシ入れていくので。