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異世界遊び  作者: にごり
序章 闇に沈む
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第十五話 魂喰み






「…………ジャン?」


 気付いたのは誰だったのだろうか。

 まるで正面から抱きとめたような状態でベデリルとジャンが動きを止め、その様子にたまらずカトレアが声を掛けた。

 しかしそれに双方共に答えることはなく。ただゆっくりとベデリルだけが顔を動かし、青ざめた表情を浮かべながらジャンを弱弱しく睨みつけた。


「き、さま……」


「生きていてもらっては困るのですよ。貴族様」


 零れ落ちるようなベデリルの声に優しく答え、ジャンは老将を突き飛ばす。

 何が起こっているのか誰ひとりとして理解することは出来ない。

 ただコマ送りの様にドサリと床に倒れ伏したベデリルを茫然と見下ろしたまま、皆、言葉を失った。


「…………父、上?」


「…………」


 ジャンの手に握りしめられた血濡れの短剣。

 咄嗟に武器を構えることが出来たのは誰がいたものか。

 そのまま茫然と血溜まりを作るベデリルを見下ろしていたローズに近づいたジャンは、彼女の腹部に拳を叩きつけて気を失わせた。

 その流れるような行動に欠片の迷いなど無く、ジャンは呻く様にして崩れ落ちたローズを盾にするようにして抱え上げる。


「ジャン……貴様ッ!!」


「おっと動くなよ? 動けばこのお姫様の命は…………無いのは分かるよね?」


 その優しげな声色は人を一人の命を奪った今でもなんら変わりはしない。

 まるでそうするのが当然のように今まで同じ隊を過ごしていたカトレアに挑発的な言葉を吐き、右手の短剣をローズの首元に押し付けた。

 そこまでしてようやく口を開いたのはベダール。そこには剣呑な鋭い視線があった。


「いつから裏切ってやがった」


「ど、どういうことさ!?」


「はいはい、フロラウラ君は黙っててね。で、ベダールさんの質問だけど…………言うわけないのは分かってるよね?」


「……馬鹿にしてんのか、てめぇ」


 リリィの疑問を遮りながらおどけるジャンの言葉に、ベダールがすぐさま背負っていた大槌を構えようとするが、地下室の一室でそれを振りまわすにはあまりに大きく。

 そして何よりその隙を許さぬほどにジャンがローズに向ける殺意は本物だった。

 浅く切りつけられたローズの首元から、一筋の血が流れていく。


「ローズをどうするつもり!?」


「だからぁ……まぁ、言ってもいいかな? まずはヴェスパーダを奪い取って、でもって……んー、どうなるんだろうね? ダークストーカーの真ん中に放り込んでもいいし、女に飢えた男の前に素っ裸で突き出してもいい」


「このッ……くそっ」


「あはははは。貴族の馬鹿げた遊びに付き合わされてるのは僕も君らも一緒だね。どう? ベダールさん。貴族を嫌ってる君なら連れてってもいいけど」


「若造が。100年早ぇんだよ。ぶっ殺してやるからそのひよっ子を置け」


 こめかみに深い青筋を作りながら睨みを利かせるベダールなどに、ジャンはやれやれと首を振るだけ。

 果たして彼の目的と真意はどこにあるのか。情報の核を漏らすこともなく、ローズという人質を以って優位に立つ彼に向ける刃はなく。

 あまりにも唐突に希望が断たれたこの現状ではあったが、ジャンはたった一つだけ間違いを侵した。


「ねぇ、ディン君。君だったら貴族が如何に馬鹿かってのも分かるんじゃない?」


 未だに空虚なままでいたこの男に声を掛けてしまったことだった。







 耳に聞こえた誰かの声に、俺はゆっくりとその声の方を向いた。

 優しげな笑みを一変させ、にやついた笑みを張りつけた副隊長だった金髪の男。その腕には今まで共に闘ってきた少女が抱かれ、その首筋には短剣が押し付けられている。

 そしてその足元には血溜まりを作る老いた騎士が倒れ伏していた。かの高潔な魂もこうも簡単に無くなるとすれば、それは実に傑作だ。そして悲しい気がする。


「ディン……?」


 懐かしい声が俺の名を呼ぶ。

 この世界に生まれ落ちてから随分と長く俺の隣に居てくれた少女の声だ。声の奥に震えを隠しながらも、俺の名をまっすぐに呼んでくれる大事な声。

 果たしてその声に俺はどれほど応えられたのだろうか? いつも俺は空っぽのままに彼女の名を呼び、そして決して応えてはいなかった気がする。


「おい、聞いてるのか?」


 思えばこの男の声はいつだって虚構に濡れていた様な気がする。

 誰よりも心を焦がれ、感情を求め、その機微を人の暮らしの端から眺め続けていた俺ならば気付かなければならないことだったのではないだろうか?

 心の奥に彩られたこの男の色は、濁り切った白。色というよりもゴミクズと燃えカスが混じり切った黄ばんだ水。

 それを思えばあのダークストーカーたちの色はどこまでも綺麗な黒だった気がする。


「おい……?」


「ディン!? どうした!?」


 騎士を名乗る意味は一体なんだったのだろうか?

 風を操る少女が胸を張っていた様な輝かしい目的を聞いた時は、それが実にくだらないことだと理解しても実に魅力的な心の在り様だった気がする。

 金剛を誇るこの男が真に清濁を混じり合った灰色だとするならば、立ち並ぶ異形達を前に剣を構え続けたこの女性は熱を帯びる様な赤だろうか。

 少女たちの様に実際に言葉にすることなく心の奥にしまった信念。それは俺にとって実に眩しいものだった。


 色が見える。人の中心に渦巻く様にして形作る色が。


 ダークストーカーも、人も、善人も、悪人も、心には色があった。

 時に他者と混じり合い、時に世界を侵し、そして日々変わりゆく色取り取りの色彩が。


 なあ、リリィ。


 お前の見せる眩いばかりの白に、俺は何を見せられたのだろうか。

 この短い生とはいえども、十もの年月を迎えながら無色でいる俺は何を成し遂げたのだろうか?

 俺を正面から受け止め、様々な色に溺れながらその純白を染めぬままでいるお前に何を返せたのだろうか?


 世界は、色で出来ている。

 心は色を持っている。

 俺には、それが見えた。


 見えるだけだ。


「何? もしかしてこの戦争で狂っちゃったの? 彼」


 ああ。名も忘れた男よ。

 大切な気がする少女たちを傷つける哀れな男よ。

 お前に、その色は勿体ないのではないだろうか?

 例え濁り切った色であっても、それはお前だけが持ち得る汚れた色だ。

 俺にはない、お前だけの色だ。


「じゃ、君らはそこを動かずに死んでいくといいよ。もしも動いたらこの娘を……」


 なら奪ってしまおう。

 そうだ。それがいい。

 ゆっくりと、ゆっくりと。


「え?」


 もう一歩。もう一歩。

 ほら、届いた。

 手が随分と暖かい。

 有難う、名も知らない誰か。


「お前の心を、有難う」


 有難う。







「うあ、うあああアあァアぁああああああ!!!!!!!!」


 声にならない悲鳴がその一室に響き渡った。

 頭上で砦を揺らすダークストーカーの気配さえ消え去る絶叫に、その場の誰もが恐怖に身体を凍てつかせた。

 リリィもカトレアも、そしてベダールさえもが目の前の光景に目を覆いたくなるほどの嫌悪感に苛まれつつ、しかし視線を外すことが出来なかった。


「ハハハハハ」


 浅く笑うディンがその手を唐突にジャンの胸元にねじりこませ、それを驚くほどに呆気なく受け入れたジャンは――――内側から裏返っていった。

 その胸元から侵食するように赤く肌蹴た皮膚が血を纏いながら広がっていく。ピチャリピチャリと血を滴らせながらジャンは身体を大きく痙攣させる。

 そして先ほどまで白銀の鎧で身体を着飾っていた男が、真っ赤な何かに変わった時、ディンの不気味な笑みは頂点を達した。


「ハハハハハ…………ハハハハハハハハッ!!」


 もはやダークストーカーのそれなど比べ物にならないほどに――――誰もがその先の感情を見失った。

 恐怖と、嫌悪と、不安がどこまでも心の中をのたうちまわるのに、表情に浮かぶのはただ悲しげなものだけだった。

 とうとう目の前の凄惨な光景に我慢しきれなくなったリリィが口元を抑えながらその場に蹲る。そうすればベダールもはっとしたようにして武器をディンにゆっくりと向けた。


「ベダールッ!」


「迷うな、お嬢。これは、普通じゃねぇ」


 慌てたように、身の内に蠢く恐怖を振り払うかのようにカトレアが叫んだが、ベダールの言葉に抑えられて黙りこんだ。

 もはや誰の目に見ても明らかなディンの変容。未だクチュクチュとジャンだった何かの胸元を弄くりまわしながら彼は浅く笑みを張りつけている。

 そしてグルグルと掻き回す様にして動かしていた手を突然止めたディンは、独り言のようにして口を開いた。


「行って下さい。確かめなければならないことがある」


「…………どういうことだ」


「確かめなければならない。死を前にして」


 要領を得ない言葉にベダールは顔を顰めたが、徐々に近づいてくるダークストーカーの気配を考えても、もはやここに長く居座ることは出来なかった。

 気絶したローズ。命を落したベデリル。それを考えればまともに戦いながらここを抜け出るのはカトレアとベダールとリリィの三人のみ。しかもカトレアは怪我人である。

 しかしそんなディンの言葉に、せき込んでいたリリィが修羅のような形相で立ち上がった。


「……けるなよ」


「リリィ」


「ふざけるなって言ってるんだ!! 僕は見ていた。君が今何をしたのかを!! それは心なんかじゃないッ……それは君の心なんかじゃないんだ!!」


「だが、リリィ……」


 ジャンだった男が裏返っていく光景を目にしていたリリィは勘づいていた。

 吸い込まれるようにして腕をめり込ませた瞬間から、ジャンのネレイドが拡散していき、徐々にディンのそれに侵食される気配に。

 純粋な魔導師である故に気付いた、その異常性。

 他者の心に自分の心を侵食させて奪い取る、意味不明な行為。


 何故この時になって。

 何故そのような力が。

 だがしかしこの14年の年月を過ごした彼の不安定な心は、この戦争を通して確かに変容したのだ。


「決してそれは僕らが望んだ感情じゃないッ……それはこの男のモノなんだ! 君の心はそんなものじゃない!!」


「そんなもの……とは? それすらあやふやだ。ならば例え偽物でも、代わりでも」


「ディンッ!!」


「すまんな」


 これほどまでにリリィが声を荒げたことがあっただろうか。カトレアやベダールさえ声を失う剣幕で捲し立てた彼女だったが、その血まみれの手を突き出したディンの動きは見えなかった。

 軽く撫でる様にして首元に叩きつけられたディンの手刀に、リリィは歯を食いしばり、彼の手を強く握りしめるように瞳を閉じた。


「すみません。戦力を減らしてしまって。彼女を……リリィとローズ嬢を頼みます」


「…………私たちに、お前を見捨てろというのか」


「どちらにせよ足止めは必要でしょう。もう、ダークストーカーが此処に押し入るのも近い」


 優しくリリィをその場に横たえ、静かに背負った剣を抜き放ち、部屋の入口へと歩み寄るディン。

 それを見送れば、ベダールは黙ったままにローズとリリィを抱え上げ、ジャンが入ってきた鉄の扉を蹴り開けた。


「お嬢。行くぞ」


「しかしっ……」


「小僧がいいって言ってんだ。他に道もねぇ」


「すみません。ベダール殿」


 何かを噛み締めるように連ねたベダールの言葉に、振り返ったディンは深々と頭を下げた。

 しかしベダールから返されたのはこれ以上ないほどストレートな怒り。

 その表情を見せたきり、彼はさっさと地下通路の奥へと走っていった。


「カトレア隊長、お早く」


「私に、お前を見捨てろとっ……」


「ただの我儘です。お気になさらず」


 固く唇を噛んだカトレアの口元に血が流れた。

 それは何よりも彼女にとって現実的な敗北であった。自らが守るべき若い騎士を此処で置き去りにするなどと。

 震える様にして俯いた顔の下。一粒の水滴が血の溜まった床に落ち、そのままカトレアはベダールの後を追うようにして駆けていった。







 扉を開けた廊下の奥。多数のダークストーカーが列をなして俺の方を見ていた。

 誰も彼もが通りざまに多くの血を吸ってきたように血だらけで、もはや赤しか視界に入らない。

 だというのに彼らの色は真っ黒で、滾る様な憎しみと怒りが体中に満ちている。

 それを見れば俺は心が躍るような――――気がした。


 よく、よぉく彼らの姿を見やる。

 まだこの世界で見たことはないが、まるでゴブリンのように尖った耳。鬼のような貌。サイクロプスとは言えないが、人間のそれとはまるで違う体つき。

 纏う鎧や手に持つ武器は蛮族のように無骨なものばかりだが、確かにあれは『人』が持つものだ。

 今なら、色が見える今なら確信できる。






 彼らは、人間だ。






 何がどうなってこのようなわけのわからない状態に変化したのか。彼らが現れた500年前に何が起こったのか。何が彼らをこうしたのか。それはまるで見当が付かない。

 しかし彼らの人間らしくない見てくれとは裏腹に、心の色は人間のそれとそっくりどころか同じなのだ。


 ただ違うと言えば、ダークストーカーのどれも全てがどす黒い色で塗りつぶされており、感情を持たぬかのようにその色が変わらないということだけだ。

 もしかしたらリリィが言っていたネレイドとやらに関係があるのかもしれない。

 もっと魔法について学んでおけばよかったなどと、今更な未練に俺は無意識に笑い声を上げた。


 こんなこと、今更無駄だと言うのに。

 そんなことを思えばダークストーカーはとうとう我慢出来ずに俺に襲いかかってきた。

 それはそうだ。そんな黒に塗りつぶされていれば我慢出来るわけもない。そんな感情に塗りつぶされていれば。

 しかしその狂気こそが俺の感情を――――手に入れたばかりの心を揺さぶる鍵なのだ。


 絶えず振るわれる数多の剣。

 剣を振るう毎に舞う血飛沫。

 鳴り止まぬ怒号、断末魔。

 時折俺の身体を抉るような痛みを感じれば、それは俺の心に渦巻く期待に直結する。


「まだ足りん! この程度か、貴様らはッ!!」


 高ぶる感情らしきものに従い、声を上げた。気勢を上げた。

 手から力が抜ける。足に力が入らない。絶えず俺を切り裂く剣によって血が流れていく。

 しかしその都度俺は黒の異形――――いや、黒の人間達を切り捨て、廊下の上に死体の山を作る。

 少しだけ自分が強者であるような感覚がして、痛みがあるのに顔には笑みが零れた。


 刻々と這い寄る死の気配。

 砦の前で戦っていた時よりも濃厚な、誰ひとり仲間がいない状況で味わう死の匂い。

 もはや希望などどこにもなく、感じるのはどれもこれも絶望ばかり。


 これならば。

 ここまでの窮地ならば―――――感じることができるはず――――






 ―――――――――。












「これでも、怖くないのか。俺は」











 瀕死の身でありながらまるで揺らがない魔術行使。


 冴え渡る剣技。


 俺は流し過ぎた血よりも確かな脱力感を抱きながら、持っていた大剣を適当に放り投げた。






 何だ、この茶番は。


 もういい。


 飽きた。
















 『黄昏の悲劇』などと呼ばれたその戦争は、ここ100年ほどのフラムバルドの歴史においてこれ以上ない被害を被った戦争であり、ベデリル・フィンロード辺境伯を主とした多くの人間が戦死したものと首都カンダネラに伝わった。


 しかし多数のダークストーカーに包囲された砦に、長く伸びたダークストーカーの戦列を追いこむ様にして現れたリヴァン隊、ウォーヴァン隊の部隊が蹴散らし、見事敵の戦力の大多数を屠ることが出来た。


 だが砦を完全にダークストーカーに掌握されたことによって、そのままそこに踏み入る選択は選べず。

 一度軍備を整えに首都まで戻った両部隊は、近日中にサフタム砦に攻勢をかけると専らの噂だ。


 ちなみにサフタム砦陥落の詳細については仄暗い噂が城下町でも広がっており、一般の見解では砦を指揮するフィンロード辺境伯が兵を突出させたことが原因と言われているが、真相は定かではない。


 ――――真相などに拘る者はおらず。


 ただフラムバルドの国民は、多大な犠牲を払いながらもかの異形達をはねのけたことに歓喜し、次の砦への討伐にも不安を抱かずに日々を過ごしていた。

 そう、これは人間の勝利なのだ。例え多くの人間が死しても、勝利には違いないのだ。






 しかし、歴史の影には往々にして決して語られぬ戦いと英雄が生まれるものだ。











 そして、語られぬ『バケモノ』もまた。











 今日も世界は廻る。

 ゆっくりと、ゆっくりと。








ヒャアがまんできねぇ今日だ!


ということで序章完結。


とりあえず作者は厨ニ云々だの世界観云々よりも、先に誤字をなんとかすべき。


書き溜めをフルバーストしたので次回更新は一ヶ月後くらいなんじゃねーかと予想。

今までの更新速度を考えりゃ遅いかもしんないけど、休憩は大事。

作者も読者も無理せぬように。


ここまで読んでくれたみなさん、有難うございます。

次もよろしくね。

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