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異世界遊び  作者: にごり
序章 闇に沈む
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第十四話 一秒を求めて

 





 燃え上がるような夕焼けの空の下に広がる、紅に彩られた大地。

 疎らに生えるか細い木々や不規則に盛り上がる丘、歪に砕かれた岩場と夕焼けの紅によって塗りつぶされた緑の草花。遠景から見れば絵画の中に収められそうな、淡く郷愁を感じさせる光景。

 そして、沈みかける太陽の光を真横に受けている石壁の砦。赤と灰色が混じった様な色を西半分に。影によって真っ黒に塗りつぶされた色を東半分に。

 どれもこれも鮮やかな色を以って世界を彩る。


 ――――あまりにも似つかわしくない光景だった。


 遠巻きに見れば分かるだろう。

 砦が迎える北の大地が蠢いていることを。


 遠巻きに見れば分かるだろう。

 砦の前に立ち並ぶ戦士の群れを。


 寄って耳を澄ませば聞こえるだろう。

 世界を震わせる狂気の怒号が。


 寄って耳を澄ませば聞こえるだろう。

 戦士たちの荒い息遣いが。


 ――――あまりにも現実的過ぎる光景だった。


 土煙を上げて津波のように押し寄せる黒と赤の大地があった。

 否。それは大地に非ず。

 真実は、今まさに狂気そのものとなって黄昏の砦に押し寄せる異形の群れ。


 狂気の群れを真正面から受け止めるべく立ちはだかる鋼鉄の戦列があった。

 否。それは盾に非ず。

 真実は、誰も彼もが恐怖を抱き身体を震わせ予期せぬ状況に右往左往するヒトの群れ。


 大地が踏みにじられた。

 誰でも無い、人類の敵によって。


 希望が踏みにじられた。

 誰でも無い、ヒトの仲間によって。


 ――――それはあまりにも哀れな光景だった。


 慌ただしく動く兵隊達の中で、黒のロングヘアーを靡かせて指揮を執る女騎士の姿があった。

 地に足が付かない一般兵達に向けて声が枯れんほどの大声で配置につかせ、鎧の装着にすら手こずる様なだらしのない者には尻を蹴り上げてまで戦場に立たせる。

 その表情に余裕などありはしなく、その指揮に時間を取れば取るほどに歯を食いしばり、遠くに見える土煙を睨みつける。


 砦の外壁の上では投石機や弓兵隊の指揮に奮戦する一人の老将の姿があった。

 元はそこまで多くの戦力を割いていなかった防衛部隊を引っ張り出し、砦の奥にしまってあった多数の兵器を無理やりにその外壁に並べ立てる。当初の作戦通りであれば、外壁に隙間なく弓兵隊やバリスタを並べ立てる過剰戦力などいらないはずであった。

 しかしそのしわがれた老将の手で以ってすら、今は準備に奔走している。


「何故ッ……何故動かんッ!!?」


 血の匂いを漂わせるダークストーカーの群れを一瞥し、それを挟むように布陣しているはずの方を睨みつけて、老将ベデリル・フィンロードは激昂するままに吐き捨てた。

 この瞬間には既に動いているはずの両隊は、未だ戦場に名乗りを上げることなく静かに夕暮れの闇の中で息を顰めていた。伸びきった蛇のわき腹を突く様にして現れるはずの戦士など一人も見て取れない。


 ただこの砦の前に布陣する700もの戦士達と、それにただ突撃を掛ける2000ものダークストーカーが見えるだけ。今もまた、黒と赤の群れは着実にその輪郭を年老いたはずのベデリルの瞳に見せつけ始めている。

 もはや一刻の躊躇すらもない。覚悟を決め、耐えきらねば生存はない。


「リヴァンッ……ウォーヴァンッ……! この国の本意を履き違えるか!」


 今は悪態をついても何一つ生存には繋がらない。

 だがしかし外壁に拳を叩きつけながらそれを思わずにはいられなかった。固く握りしめられた皮手袋がギチリと音を立てて軋み、ベデリルは肩を震わせる。

 ダークストーカーを狩る者として名を上げ、それを誇りにしてきたはずのこの国の騎士が、王が、そのために仲間の命を糧とする。あってはならない。絶対にあってはならない裏切り。


 徐々に耳の奥まで響く地鳴りの音と、あの狂気に濡れた姿を確実に視認できるほどの距離になって、ベデリルは苦々しくも腕を振るい、兵器の使用を命じた。

 火を灯された油付きの巨石が、唸り声を上げながら大地を揺らす。充填されたバリスタの巨大な矢が、ダークストーカーの身体を削り取る様に放たれる。

 強力な、強力な兵器――――数は、まるで減らない。


「弓兵隊…………放てッ!!」


 もはやダークストーカーの怒号によって、老将の声など砦の端から端までになど届かない。

 獣とも思えぬ咆哮によって空も大地も震えさせ、それが圧倒的な恐怖となってヒトの心を侵していく。

 狂気しか、いや、狂気のみに奔る暴虐の徒であるからに、ダークストーカーの戦列は乱れない。知性さえ怪しい獣の群れが足並みを揃え、ただ真っすぐに、ただ真っすぐに――――殺しに来る。


 放たれた弓矢のなんと弱弱しいものか。

 大火に如雨露で水を掛ける如く、黒の群れに吸い込まれては消えていくのみ。効果があるのかどうかなど分かったものではない。


 もう近い。すぐそこまで来ている。

 もう見える。異形の貌が。

 もう聞こえる。恐れに悲鳴を上げた戦士の声が。


「ディオン卿――――――ッ!!」


 剣を抜き放ち、ベデリルは天高くそれを振り上げて力の限り空に吼えた。

 もはや強がりにも等しい、あまりに幼稚な咆哮だった。

 砦の前で最前列に並んでいた白銀の騎士隊の中心、ただカトレアは襲い来る黒の群れに退くことなく自らもまた空に剣を掲げることで答えた。


「我は剣、我は盾。我が迷いなき意思がある故に、闇が蔓延る生などないッ! 兵よッ、騎士よッ! 今こそその高潔なる心を震わせ、悪鬼に刃を突き立てろ!! ――――我らが主よ。人の神よ。どうか、照覧あれ」


 果たしてその言葉はどこまで伝わったのだろうか。どれほど心に届いたのか。

 はち切れんばかりに膨れ上がった恐怖と、高揚と、数多の感情が今、確かに堰を切った。


「フラムバルドに栄光あれッ!!!」


 烈火のごとく、戦士たちは駆けだした。







「づああああああッ!!!」


 振り下ろされる剣をそれごと切りはらうようにして、カトレアは大きくダークストーカーの胴を薙いだ。継接ぎだらけのダークストーカーの骨とも鉄とも言えぬ鎧は切り裂かれ、血で濡れた剣もあっけなく砕ける。

 戦場を舞う砂塵に紛れてカトレアの顔に血が掛かり、それでも彼女はそれを拭うことなく背後から襲いかかる敵を回し蹴りで蹴り飛ばした。


「次だッ!」


 気勢を上げながら、近場で二対一の攻防を繰り広げていた騎士とダークストーカーの戦いに割って入り、一気に異形の背から剣を貫く。

 そうすればほんの少しだけそれに気を取られたダークストーカーが元々相手をしていた兵に切り捨てられる。

 混戦に次ぐ混戦。もはや360全てに人間とダークストーカーが剣戟を散らしており、目の行き場全てに肉塊と化したモノが転がっている。


「あ、有難うござい……がっ……」


「貴様ッ!!」


 そうして救われた兵もまた、背後から襲いかかる斧によって頭部を叩き潰された。

 死ぬのは一瞬。殺すのも一瞬。そのダークストーカーは玩具には飽きたとばかりに頭部に斧がめり込んだ兵を投げ捨て、休む暇なくカトレアに襲いかかる。

 地獄に次ぐ地獄。夕闇に染まっているはずの戦場が、所々に舞い上がる炎によって照らされている。


 鎧袖一触。下卑た笑みを浮かべるダークストーカーを一閃に切り伏せると、カトレアは油断なきままに周りで奮戦する人間達を見やった。

 基本的に一対一で処理できてはいるが、ダークストーカーの軍勢は切れども切れども終わりがない様に砦の周りに這い寄ってくる。

 実力そのものは何とか処理できるかもしれなかったが、終わりなき戦いと狂気で力を緩めぬ異形の有り様に、兵達も一人、また一人と物言わぬ骸に倒れていく。


 遠くに見れば、巨体で目立つサイクロプスの姿や、四足歩行の獣のような姿をした異形の姿も見て取れる。

 カトレアが小さく舌打ちをすれば、その獣ような姿の――――ケルバスと呼ばれる狼型のダークストーカーが地を駆け抜け襲いかかってきた。


「畜生風情がぁ!」


 人間の背丈の半分ほどの大型犬の大きさを誇り、口元に見える牙や手足の爪は異常なほどに発達し、首周りに生えているたてがみは怒髪天を突く針のように狂暴性を表し、瞳は真っ赤なままに標的を捉えて放さない。

 そこらの狼と比べれば、なんとその恐ろしい姿か。


 しかし獣は獣に変わらず。

 カトレアはフラムバルド国を表わす紋章が描かれた盾を突進してくるケルバスに真正面から叩きつけると、その勢いにも負けぬ力で大地に叩き伏せ、そのたてがみ諸共勢いよく首を踏みつけた。

 具足越しから伝わるケルバスの骨が折れる感触など気にせず、カトレアは再び剣を構える。

 横から、二体のダークストーカーが走り込んで来ていた。






 ―――――終わりが見えない。






 ほんの、ほんの少しだけ絶望が過ったその瞬間だった。

 襲いかかってきたはずの二体のダークストーカーが炎の奔流に巻きこまれながらカトレアを巻き込んだのは。

 咄嗟に盾を前面に押し出したが、そのダークストーカーを火だるまにした炎は瞬く間にカトレアを飲み込み、そのまま大きく彼女を吹き飛ばした。


「ぐっ…………くそっ……ソーサラーかッ!?」


 白銀の鎧の一部を黒く焦がし、その長い髪の端からチリチリと煙を上げながらも即座にカトレアは立ち上がり、その『魔法』を放ってきた方を睨みつけた。

 そこには捻じれ曲がった木の枝の先端に、苦痛の表情を浮かべた人間の頭部を突き刺した杖を持つダークストーカーの姿。

 異常な筋肉質の体を誇る一般のそれよりも細めの、どこか魔導師のそれにも似たボロボロのローブを身に付けた異形。


 それこそがソーサラー。

 サイクロプスと同じく少ない個体ではあるが、その鬼とも悪魔とも思えぬ歪んだ顔に浮かべるのは、もはやこれまでカトレアが幾度も殺してきたそれと同じ。

 奴もまた、人間を殺す異形に他ならない。


「ならば、私がッ!!」


 無意味なのかもしれない。無駄なのかもしれない。

 だがしかしあのソーサラーを殺すことは、確かに現状を打破する何かの一手に繋がるはずだ。

 もはや戦鬼と見紛うほどに走りだしたカトレアに迷いなど無い。先ほどチラリと顔を覗かせた絶望などありはしない。


 再び剣と盾を構えなおしたカトレアに向けて、ソーサラーは口に弧を描いたまま自らの足元に魔法陣を展開させる。その弧の口が僅かに動いてはいたが、そんなものに今は何の意味があるのか。

 徐々に空間が歪んでいく光景に、ただカトレアは魔法に備え体勢を低くした。


 血に染まった大地を叩く様にして杖を突き刺したソーサラーによって、龍が地中をうねる様にして次々に地面からは土の槍が盛り上がっていく。

 その途中にいるダークストーカー、そして人間の兵も巻き添えにして、一直線にその刃の波はカトレアに向かっていく。しかしそれを彼女が受けるわけもない。

 まるで物理法則と人体の構造を無視したかのように走りだした速度のままに真横へ飛び跳ねると、その場で剣を大きく振り上げた。


「雷貫くは愚鈍の黒。ならば我が手は蒼を誘う――――果てまで逝け、『天の刃』よッ!!」


 赤と黒によって彩られた戦場に、眩いばかりの雷光が一筋の線を残してソーサリアを貫いていく。バチバチと弾けるようにしてソーサリアが身体を痙攣させ、やがて炎も上げずにその身を黒く焦がしていった。

 カトレアもまた魔法を扱える者。帯電しているかのように青い電気の束を剣に纏わせると、一気のその雷剣でソーサリラーを縦に割った。


 しかし。


 ぐずぐずと身体を粉にするかのように崩れていくソーサラーを一瞥しながら、カトレアは唐突に全身の肌が粟立つ感覚に即座に横に飛び退き――――そして吹き飛ばされた。


「――――――――ッ、が、ふっ……」


 ボールのように地面を跳ね跳び、ようやくにしてその勢いを止めれば、右肩の鎧が凄惨にひしゃげ、凛とした表情を浮かべる顔には一筋も二筋も血を流していた。

 朦朧とする意識と視界の中でカトレアが見上げた先には、こちらに近寄ってくる紫の巨人の姿。

 右手に3人も4人も人間のような肉塊を掴み、左手に持った棍棒を肩に担いでいた。


「ま、だ……まだ、だっ……!」


 立ち上がろうと支える腕を震わせて、自分の近くにあった剣を拾おうとする。

 もはや傍に転がっていた盾は無残にも砕けており、それがサイクロプスの剛力というものを知らしめている。

 それでもまだ彼女が立ちあがれるのは、咄嗟に勢いを殺す様に飛び退いたからか。それとも魔術行使を以ってある程度自らを強化しているからか。

 どちらにしても、限界だった。


「うあっ……」


 カトレアを見下ろす距離まで近づいたサイクロプスが徐に右手の肉塊を放り投げ、空いた手で彼女を持ち上げ、耐えきれず声が漏れた

 鷲掴みのようにカトレアを自分の目線まで持っていくと、苦悶の表情を浮かべる彼女をその一つ眼で見つめ、牙だらけの口を涎塗れに開く。


 喰う。


 あまりに原始的な行為に――――それでもカトレアは恐怖に顔を歪めるようなことはしなかった。

 真っすぐ異臭を放つサイクロプスを睨みつけ、あわよくば右手の剣をその一つ目に突き刺してやろうと腕に力を込める。

 だがしかしその腕は震えて上がらない。身を捩らせ、僅かでも生きるために足掻こうと歯を食いしばった。


 ――――ここまでなのか?――――


 再び絶望が過る――――だがカトレアはすぐさまその意思をねじ伏せる。

 先ほどのそれよりも濃い、身体に纏わり付く様な死の匂い。

 走馬灯など彼女の脳裏には浮かばない。そんなものを思うほどに、まだ彼女は諦めていない。


 そんなカトレアの視界の横。

 ようやくその視界に入るか否かの右側で、ダークストーカーが宙を舞った。

 まるで殴り飛ばされたかのように空中でぐるぐると玩具のように回るそれを見て、カトレアは静かに口元に笑みを浮かべた。


「遅い、ぞ……お前達……」


 直後、カトレアを頭から喰らおうとしていたサイクロプスに躍りかかる三つの影があった。

 一人は大剣をサイクロプスの右足に突き刺し、そのまま一気に振り抜いた。

 一人は風を纏った刺突剣をサイクロプスの右手に突き刺し、風の力を解放させることによって大木を思わせる右腕を内部から爆散させた。

 そして、金剛は吼えた。


「儂が起こすは烈天震破ァ! ゴミクズ共もひよっ子共も見晒しやがれぇ!!」


 サイクロプスには届かないながらも巨体を誇る山男が飛びあがり、力の限りに大槌をサイクロプスの脳天に叩きこむ。

 その威力に偽りはなく、一つ眼の巨人は全身をひしゃげさせながら大地に沈んだ。

 カトレアの視界に映るは、いつもは情けない姿を見せながらも、誰よりもダークストーカーを殺す者。


「儂は金剛ッ!! 星も丸ごと砕いて見せよう!!」


 髭面の男が、満面の笑みを浮かべていた。







 砦を守る兵達と、絶えず突撃行軍歌を歌い続けていたダークストーカーが激戦を繰り広げていたのは、勿論サフタムの砦の北門前。

 時間の経過に従って黒の異形共も回り込む様にして砦を囲んでいくが、奴らの目的は殺す一点のみ。奮戦を続けるカトレア隊長達に惹かれる様にして背後を突こうとはしなかった。


 故に、俺たちがこの乱戦の中に一気に駆けこむ方法とタイミングに迷う事はなかった。

 俺たちもまた迂回するようにしてこの乱戦の真っただ中へ。

 それでも、リリィやローズ嬢の表情の強張りを見逃すことはなかった。


 戦争。

 そう、戦争なのだ。


 もはや怒号と悲鳴と剣戟だけが山彦となって耳の奥にこびり付き、視界で色を分けるのはダークストーカーの黒と血の赤と時折鈍く光る剣の銀色だけだ。

 人かどうかなど血を全身に浴びた兵達を見分けることも難しい状況。身の回り全てが敵に見え、身の回り全てが味方に見える混乱の渦。

 それこそが戦争なれば、彼女らの震えも同意せざるを得ない真実だった。


 しかし既に彼女らに迷いはない。

 ベダール殿もまた前線で戦っているカトレア隊長を珍しく気にしているらしく、あの乱戦に踏み入ることに誰もが反対の意を唱えなかった気がする。

 今となっては何が正解なのかは分からないが――――いや、本当であればこの戦場から逃げ出すことが正答なのだろう。まともな人間であれば、こんな地獄に自ら足を踏み入れ、亡者どもと剣を合わせるなどと。


 そのことに関して俺は……まぁ、いつも通り。

 こんな戦争の中でも俺はいつも通りなのだ。






 ―――――腹立たしい。






「リリィ! 隊長を頼む」


「分かった!」


 一瞬心の底に浮かびかけたマグマのような感情はすぐに冷め、俺はローズ嬢によってサイクロプスの手より救われたカトレア隊長と、それを治癒する為に地に座り込んだリリィを守るべく、周りに睨みを利かせた。


「よく、戻って、来てくれたな……」


「今は喋らないでください。では…………」


 この戦場の中心で、リリィは治癒魔法を行使する。行使することが出来るほど心を落ち着けている。

 あのサフタムの村で遭遇したサイクロプスとの戦闘が彼女にどれほどの成長を促したのかは分からないが、周りで絶えず響く喧騒を聞きながらも視線を彷徨わせないリリィに、俺は少しだけ息を吐いた。


「ディン様ッ! 余所見は禁物ですわよ!?」


 リリィの様子に呆けていたのか、そうではないのか。

 これでも油断なきように襲いかかってきたダークストーカーを斬り伏せるために剣を振り上げたのだが、その合間に入るようにしてローズ嬢が敵を切り裂いた。

 刺突剣だというのに、まるでその切り口は日本刀のように鋭利。ヴェスパーダに備わった風の力を用いて、彼女は戦場の風となって駆け抜けていく。

 この血みどろの世界の中で、彼女だけが妙に唯一の白として映え渡っていた。


「マセガキィ! お嬢は生きてんだろうなぁ!? 死んでたらブチ殺すぞ!!?」


「うっさい! いいから黙っててよ!!」


「お嬢と言うなと言っている…………すまんな、リリィ。世話を掛けた」


 俺の背後で行われているやり取りを、遠くなった耳で聞きながら俺は一気に飛びかかってきた三体の剣撃を大剣で受け止め、今はただ吹き飛ばすだけに留めた。

 吹き飛ばせば一方から敵が。切り殺せば背後から敵が。交わせば二太刀目が。休む暇などありはしない。

 そして今もまた、俺たちの周りに数少なく戦っていた兵隊達も血飛沫を上げて倒れ伏していく。


 ――――限界か。


 カトレア隊長が既に立ち上がり剣を握りしめていることはこれ以上ない吉報だが、それが何の意味に繋がるのか。

 もはや今となっては王位継承に当たる陰謀云々などどうでもいい。出来るのであれば、この死地から逃れうる方法を考えねばいけないだろう。

 苛立つほどに俺は冷静だ。


「隊長! すぐ撤退を。砦は捨ておくしかないでしょう」


「そりゃあ俺も賛成だなぁ!! 貴族の野郎にしてやられたままじゃあ、儂の腹の虫も収まらんわッ!!」


 相変わらず剛腕でダークストーカーを弾き飛ばしているベダール殿も俺の言に賛同してくれるが、その声色はとても撤退に賛同する様なものではなく。嬉々として叫ぶその有様はまさに戦闘狂だった。

 これではリヴァンとやらもベダール殿も変わらないのではないか、などと胸中にそんな考えが過った。

 おっと危ない。顔のすぐ先を風が薙ぎ、俺は少しばかり胆を冷やしながら敵兵を斬る。


「カトレア様! 指揮官は……父上はっ!?」


「…………今も砦の内部で指揮を取っていらっしゃるだろう。あの方を置いてはいけん」


「そんな……」


 今もまだ戦闘中。

 息を吐きながら集まった俺たちは、互いに背を預けながらも少しずつ情報を揃えていく。

 カトレア隊長のくぐもった声色に砦の方を見てみれば、未だその外壁から放たれるバリスタや弓などがかすかに見えた。

 良く見れば砦の門は既に突破され、そこには未だ多くの兵隊たちが抗戦をつづけていた。どちらにしても今から砦の中に入ってフィンロード辺境伯を救出し、そして脱出するなど…………どれほどの運が必要なのやら。


「そういえばジャンは!?」


「この現状を打開させるためにウォーヴァン様の所へ。リヴァン様は我らを見捨てるおつもりのようです」


「…………ならばフィンロード辺境伯の救出は絶対だ」


「陰謀の証人ですか? この状況でそれを?」


「ならば見捨てておめおめと逃げるか? 砦の中にも秘密通路を通じた脱出路はある」


「では急ぎ砦の中へ! ぐずぐずしていたら私達も無事では済まされませんわ!!」


「…………ちっ、面倒くせぇ」


 もはやうだうだと戦場で言葉を交わす暇などなく、どう考えても無理な目的に反論を挟む暇なく会話は終わってしまった。

 舌と剣を舐めまわすダークストーカーも他のサイクロプスやら見たこともない狼のような異形も、直にこちらに標的を見定めつつある。

 だがしかしこの戦場を砦まで突っ切る方法など―――――いや、あるか。


「ローズ嬢。道を切り開けるか?」


「無論ですわっ!」


「僕もフォローするよ!」


 俺の言葉に応える様にして少女が言霊を連ね始める。

 リリィのそれは、大地から生え出た槍の群れが一直線に砦までの道を形作り、ローズ嬢のそれはあの試験の時に見せた台風を纏う様にして嵐を巻き起こし始める。

 すれば、自然と戦場に蔓延るほとんどのダークストーカーは此方を向いた。

 これほどの魔力の流れ、これほどの天変地異。奴らが此方を見定めぬはずがない。

 そして――――それに気付く生き残りの兵達の瞳も。


「た、助け…………」


「ローズ嬢ッ!! 今だッ!!」


 その声が、あまりにも残酷な声がローズ嬢とリリィの耳に届かぬように、俺はただ大きく叫んだ。

 果たしてあの縋る様な表情と瞳の群れに気付いたのかそうではないのか。どちらにしても選べる選択肢は多くない。

 これが、今の最善だろう。


「ブチ抜きますわよッ!!」


 一人の台風となってダークストーカーに突貫するローズ嬢の後を追う様にして、俺たちは砦の中へと逃げ込んでいった。







「フィンロード卿ッ!」


「ディオン卿!? 何故ここに!」


 砦の内部を駆け回り、ようやく外壁で兵器隊を指揮するフィンロード辺境伯の下まで辿り着いた時には、既にダークストーカー達も砦の門を突破し、中で兵達と激闘を繰り広げていた。

 今もまた眼下に広がる戦場だけでなく、砦の中からも時折轟音やら何やらで砦自体が揺れている。事態は一刻も早い応対を求めているようだ。


「もはや両王子はこの砦と我らを見捨てるおつもりです! 今は速やかに脱出せねばッ」


「ならん! 此処の指揮を任された立場で、どのようなことがあろうとも兵達を見捨てるわけにはいかんのだ!」


「父上! 今はそのようなことを言っている場合ではありません! 今はリヴァン様の、いえ、かの狂王の暴走を止めるために生き延びるべきです!」


 口論が始まることはどことなく予期していたことだった。

 この脱出の根幹は『陰謀を張り巡らし、兵隊達を生贄に捧げたリヴァンを糾弾する為』に証言者となるべき有権者を生き残らせることに他ならない。

 ダークストーカーとの戦いで考慮される脱出ではなく、人間同士に惨めな争いを打破する為の脱出。

 それに高潔なフィンロード辺境伯が首を縦に振るかと言えば、どうにもその望みは薄いように思えたのだ。


 俺は外壁まで辿り着いた階段下を見張る様にして父と娘の間で続けられる言葉のやり取りに背を向ける。

 すればベダール殿も大槌を肩に担いだままに俺の隣に並び、不満そうな声を漏らした。


「貴族なんぞいっつもこれよ。誇りが何だとか、権力が何だと下の奴らを犠牲にする。あの耄碌爺も此処に残って勝機が見えるとでも思ってんのかね? ひよっ子の奴も民を救うだのなんだのいいながら結局親父が大事で仕方ねぇ。ぶれまくりじゃねぇか」


「死に際の時とは言え、あまりそのようなことは口にせぬほうがいいかと。生き残った後にツケとなりましょう」


「ほぉ……てめぇはおかしな奴だな。その死に際で生き残った後のことなんて考えやがって。新兵のガキなんざどいつもこいつも怯えるだけだろうに」


「それを誰よりも深く考えているのはカトレア隊長やローズ嬢でしょう。我らはこうして……愚痴る他ない」


「…………僕もここにいるんだけど」


 背後から聞こえた声に振り向いてみれば、腰に手を当てたリリィが半眼で俺たちを見ていた。

 その衣服には所々に返り血のようなものが多く見られ、良く見れば俺の鎧もベダール殿のそれも――――肌が見える顔などにもべったりとそれはついていた。

 今は呑気に話していても、先ほど通ってきたのは確かに死地であり、今もまた死の足音を伴いながらそれを近づいている。


 土壇場で感情のリミッターが壊れたのか、誰もが深刻な状況を理解しながらも恐怖に胸を締め付けられるようなことは――――。


「怖いよ」


「…………リリィ?」


「怖いに決まってる」


 ふと、自分の手を見つめる。

 しかしそこに震えはない。

 小手付きの手で、頬を撫でる。

 この無表情は崩れていない。


「小僧……てめぇ」


「…………」


「……前言撤回だな。壊れてる奴なんて、そりゃ元からビビらねぇわな」


「髭もじゃ、その言葉を取り消せ」


「ははーん。お前が惚れてたのは小僧か」


 声が遠い。

 ローズ嬢とフィンロード辺境伯の口論も、目の前で火花を散らすリリィとベダール殿の声もどこか遠くに聞こえる。

 もはや夜に変わった夜空の下で、噴煙が埋め尽くす灰色の空の下で、俺は徐々に視界から色を失くしていく。


 そう、そうだ。こんな地獄を経験して、怖くないはずがない。震えないはずがない。

 ベダール殿の軽口とて、人間の本能には逆らえぬ死への拒絶を収めるための方法だ。

 此処まで走り込んできた時に幾度もすれ違った、助けを乞う様な兵達の視線が真実であり感情の表れなのだ。


 ――――感情が欲しい。


 同じ戦争に参加した仲間が切り捨てられていることに涙する感情が欲しい。

 自らの大切な物を嘲ることに怒りを抱くリリィのような感情が欲しい。

 心底面白いと感じるように笑うベダール殿のような感情が欲しい。

 ローズ嬢やカトレア隊長、そしてフィンロード辺境伯が持ち得るような『誇り』が欲しい。

 心に一本の芯が走った、譲れぬものに固執する執着が欲しい。


「…………ディン?」


「…………」


 おかしい。

 おかしい。

 おかしい。


 だって記憶の中の俺は笑っていたじゃないか。泣いていたじゃないか。怒っていたじゃないか。

 あの灰色で埋め尽くされた陳腐な世界で、俺は何一つ変わらぬ日常を繰り広げていたじゃないか。

 何故、何故、何故、俺は感情が無いのだ。いや、中途半端にそれを持ち得ながらも、やはりこうして壊れてしまっているのだ。


「ディン!」


 一歩。一歩。外壁の端に歩み寄り、眼下で暴れるダークストーカーを視界に入れる。

 今では感情かどうかも分からないが、狂気というそれ一本であそこまで狂った笑みを浮かべられるあの黒の異形達を見つめる。

 彼らは一体なんだろうか。何故にああも狂っているのだろうか。

 何故にああも楽しそうなのだろうか。


「小僧! なにやってやがる!!?」






 俺は、楽しくないな。









 ローズとベデリルの口論はしばし続いたが、やはり眼下の惨状を目の前にして意地を張る意味を失くしたのか、歯を食いしばりながらもベデリルはカトレアの提案に乗った。

 砦の地下通路を通り、南の出口から戦場を脱出するという選択に。


「ディオン卿……彼は、いいのかね?」


「戦いの最中に緊張感が切れたのでしょう。心配なされることはありません」


 砦を最下層まで降りた地下の一室。

 ダークストーカーが侵攻してくる振動で部屋の天井端から砂埃が時折落ちたりしているが、それでもカトレア達の目の前にある頑丈そうな鉄の扉は未だ歪むことなく、希望への道筋を示している。

 そんな中でどこか浮ついたように無表情を貫く男がいた。


 先ほど外壁からじっと眼下の戦場を見つめ、リリィの声に引き戻されたディンだった。

 彼は今も心ここにあらずといった風に虚ろな瞳を浮かべ、その動きは前と変わらず年齢に即さない隙のない立ち振る舞いだと言うのに、その表情だけがどこか不気味なままだった。

 その隣で心配そうにリリィが声をかけてみたりもするが、帰ってくるのは空返事のようなものばかり。

 ベデリルがそこに顔を歪めるのは当然の話だった。


「ディン様……」


「…………」


 ローズもベデリルに付きそう様にして時折後ろを振り向くが、ディンはそれにピクリと反応するだけで特に声を上げようとはしない。

 まるで死人のような態度に、ローズはその顔を悲しそうに歪めた。

 ただ一人亡霊が混じるだけでどうにも雰囲気が重くなりがちだったが、そこにカトレアはため息を一つついてその鉄の扉へと手を掛けた。


「今は生き残ることを考えねばなるまい。では私が先に……」


「その必要はありませんよ、隊長」


「貴方は、副隊長!?」


 しかしそこを開けようとすれば、そこから出てきたのは金髪の騎士の姿。

 先ほど分かれたはずのジャン・トルビルその人だった。

 いつもの優男風の優しげな笑みを浮かべる姿は、この切羽詰まった彼らにとってどれほど心強いものだったのか。

 誰もが先ほどまで漂っていた空気を四散させ、顔に歓喜を張りつけた。


「ウォーヴァン様の所へ行っていたのではなかったのか!?」


「いえ、一度村で助けたあの娘を預けて、すぐに戻ってきましたよ。どうにもウォーヴァン様の方も動いてくれる様子ではなかったでしたから」


「やはりウォーヴァン様も動かぬかッ……兵を何だとッ……」


「まぁ、そう怒らずに。今は逃げることだけを考えてください。さぁ、此方へ」


 ジャンの報告に憤怒の形相を浮かべたベデリルであったが、今はそれを言っても仕方が無し。

 再び揺れた砦に足を取りながらもよろめけば、その手をジャンが透かさず取って見せた。

 変わらぬ笑顔で。優しく、優しく。






 優しく。






 その光景を、ディンは変わらぬ貌で眺めていた。






 そして、血が流れた。





更新がゆっくりと言ったな。あれは嘘だ。


次で序章最終回。

もう一気に明日更新します。

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