第十一話 リアリティ・リアリティ
「頼むッ……村の、村の皆が!!」
サフタム砦の巨大な鉄の門前に集まった俺とカトレア隊長にリリィとローズ嬢。さらに言えばフィンロード辺境伯までもが一人の男の悲痛な懇願に眉を顰めた。
衣服のあちらこちらはボロボロに破れ、その隙間から見えた膝小僧はどれほど転倒したのか分からないほど赤く血で染まっている。もはや靴などつま先が見えるほどに擦り減っていた。
そして……それでも尚、男はガラガラの声を止めず叫び続ける。
村よりこの砦まで走り続けた男の覚悟と、それを知らせるために未だ村に取り残されている知人を置いていくという悲壮な選択。
目を真っ赤にし、裂けるほどに口を開き、今にもこちら側に掴みかかってくるような形相に俺たちはただ圧倒されるばかりだった。
「山の方から黒い化け、化け物が来たんだッ!! 詰め所にいるはずの兵隊達がいなくなってるし……あぁ、どうしたらっ、頼む! 早く、早く!!」
「落ち着け。とりあえず詳しい話を聞かねばこちらとて兵を動かしにくい」
「そんな暇あるわけないだろうがッ!! 今だって、皆が……なぁ、アンタ騎士様なんだろ!? だったらすぐに助けてくれよ!」
その場に崩れ落ち、それでも声を荒げる男に対しカトレア隊長は落ち着かせようと声を掛けるが、もはや恐慌状態に陥っている者がそれを聞くわけもなく。
肩にかけたカトレア隊長の手を振り払うように再び喚き散らすばかりだった。
分からんでもないと彼の言に同情するのは簡単だが、正直な話、例え詳しく彼の話を聞いたところで救援部隊を出すかと言われれば、それは限りなくNOに近い。
指令室に走り込んできたローズ嬢の意見は脇に置いておくとして、まずは詳しい話をとここまで揃って出向いたのだが、肝心の避難者はこの有様。
それでもこの男の話を考えるとしても、もはや手遅れだろう。
ここからサフタムの村までは早くて4時間。兵を率いて救援に向かうとなれば半日はゆうに経過するだろう。今現在で襲われている村を救う事など出来るわけもない。
「お父様! 救いを求める者に手を差し伸ばし、迫りくる悪意に立ち向かうのが我々騎士の役目でしょう!? すぐさま兵を連れて向かうべきですッ」
「あり得ん。今から兵を向けたとしても間に合わん。そもそもダークストーカーがあの村に現れたということはもはや衝突は時間の問題ということに他ならぬ。それに村の者はカラトリア子爵によって……」
「民の手を振り払うおつもりですか!?」
「冥府から伸ばされた手にしがみ付いて何を為すつもりだ、ローズ。騎士であるならば、貴族であるならばそれに相応しき覚悟を持て」
「その貴族の傲慢によって民が苦しめられているのではありませんかッ……」
「口を慎まぬかッ、ローズ!!」
フィンロード辺境伯との口論の中で出掛けたローズ嬢の言葉に、カトレア隊長が怒鳴り声を上げた。
確かに二人の関係は親と子であるが、それよりも今はカトレア隊長率いる第15騎士隊の一員に他ならない。救いを求める民を前にして管轄の貴族がそれを見捨てたなどとそう簡単に言っていいものではないのだろう。
「ディン……」
「…………」
「なんとか出来ないのかな……」
所詮下っ端である俺やリリィはその口論やら何やらのやり取りをただ見守るしかないのだが、リリィもまた思うところがあるらしく縋る様な視線と声で俺を呼ぶ。
いくら親と言えどもかのフィンロード辺境伯を前に一歩も引かず食い下がるローズ嬢も、俺の隣で心配そうに視線を右往左往させるリリィも、その本質は正しく優しさなのだろう。
しかし悲しいことに今は戦争中である。優しさと甘さの境界線はあまりにもはっきりとしすぎている。
フィンロード辺境伯は、責任を果たすために苦悶の表情を敢えて塗りつぶした。
カトレア隊長もまた現実と理想の狭間で心を痛め、そして選択した。
ローズ嬢は理想の中でもがき、現実に立ち向かった。
リリィはこの場にいる誰の心にも理解を示し、最後に手を差し伸ばすことを望んでいる。
誰も彼もが間違え、そして正しい。
ならば俺は――――。
まるで当事者でもないかのように腕を組み、眼を閉じ、聞き流すようにして佇む俺の興味は、まるで見当違いの方向を向いている。
目の前で喚き散らす男にも、彼が持ち込んだ問題に対する選択についてもまるで考えが及ばない。
ただそれぞれが胸に抱いているだろう痛みを思い描いては、図々しくも評価を下しているだけだった。
「お、おい……何だよ、ふざけるなよッ!! お、お前らは俺達を見捨てるって言うのか!?」
崩れ落ち擡げていた頭を勢いよく上げれば、男の顔に張り付いていた表情は憤怒。失意。絶望。向けられれば痛みを負うものばかり。
この場にいる誰もがこの男に苛立ちを向けない時点で誰も彼もが清廉な人間ばかりだ。そして言葉を失い、男の口撃に黙り込んでしまうのも。
だがそういった場合に憎まれ役を買って出るのはやはり大人であり、そして責任者なのだろう。眉間を一度揉んだフィンロード辺境伯が口を開こうとし……。
「おいおい、何だか面白ェ話になってるじゃねえか」
突如割り込んできた声に、俺たちは揃って背後を振り向いた。
巨大な門に背を預けるようにして立っていたのは、全身を無骨で頑強そうな鎧で身に固めたベダール殿だった。
◆
サフタムの砦と村を繋ぐ街道から離れ、近道の様になだらかな丘の上を突っ切る鎧姿の人間の集団がいた。
空に昇っている太陽は凡そてっぺんを通りすぎ、それを隠す雲の群れも今日は少ない。彼らの行軍を遮るような強い風もなく、ただ緑の丘をガシャガシャと騒がしい音を立てながら駆けていくのだった。
その集団の先頭を行くのはジャン・トルビル。後にローズ、リリィ、そしてディン、ベダールと続く第15騎士隊の面々であった。
それぞれが顔に浮かべる表情は様々ではあるが、その中でもローズの固い必死めいた表情とベダールの欠伸混じりの表情はよく目立つ。
良く見れば先頭のジャンが何処となく疲れたような顔をしていることにも気づけるだろう。
さて、話はそう難しいことではない。
口論に口論を重ねていたフィンロード辺境伯とローズの間に口を挟んだベダールが申し出たのは、多数の兵を動かさずに少数精鋭を送るというものであった。
勿論少数精鋭などという言葉にベダール自身も鼻で笑っていたし、そもそもにして彼はただ暴れられる場所を探していただけだった。何せ戦を望んでいると言うのに、このサフタム砦で第15騎士隊が命じられているのはただの囮だったのだから。
「急ぎなさい、そこの山男ッ! あなた自らが申し出たのではありませんか!」
「へいへい。元気だけは一丁前だな、ひよっ子」
「何ですって!?」
「……二人とも、騒ぐんなら置いていくよ? 全く、何故僕がこんなことを……」
面倒くさそうに歩くベダールをローズが咎めればたちまちどちらかが顔を赤くし、その都度ため息を吐きながらジャンがそれを収める。
もはや何度目か分からないこのやり取りにリリィやディンも辟易し、そしてこの緊急任務に就かされたことを徐々に後悔し始めていた。
話は戻るが、ベダールが鼻をほじくりながら申し出たその案にローズは即座に乗ってみせた。兵を出せぬのならば自分が出る、と。
勿論そんな暴論にカトレアも否定の声を上げるが――――実のところコレはローズの父親であるフィンロード辺境伯にとってそう悪いことでもなかった。
何せローズはあまりにも若く、しかも戦争など経験もしていない未熟者に過ぎない。現にこうして救いようのない物事に心を揺らし、指揮官に噛みついている。
自らの指揮下に彼女がいるのは親としてこれ以上ない僥倖であったが、それ以上に扱いに困るそれこそ『お転婆姫』だった。
ならばどうするか。
ダークストーカーを殺すための経験。娘を戦争に参加させることへの忌避感。彼女の甘い考えを向けさせる矛先。ごちゃごちゃと混じる思考の中。
多くの兵を率いる人間としてはあまりにローズに重きを置き過ぎるきらいがフィンロード辺境伯にはあったが、それは傲慢な貴族が為せる業か、それとも心優しき父の想いか。
どちらにしてもベダールの物言いにしばし彼は考え込んだのだ。
「ねぇ、ディン。生き残り、いるかな?」
「無理だな。あのような状態にあった村の男の言葉をどこまで信じられるかは微妙な話だが、戦う力もない人間の群れなど半刻経たずに全滅だろう」
「…………意味、ないのかな」
「下策ではある。だが無意味ではないさ。お前やローズの優しさはこんな状況でも必要な人間らしさだ。ただ、難しいだけで」
「あぁん? 小僧、慰めるだけ無駄ってもんだぜ? これは優しさでも何でもなく調子こいた貴族のお遊びに過ぎねぇんだよ」
「そのお遊びのお陰で貴方もこうして力を振るう機会を得た。様様でしょう、フルゾッタム卿?」
「……言うじゃねえか、ガキの分際で」
「あー! もうっ……一番割食ってるのは僕なんだからな!?」
しかし、ベダールの案に乗って命じられた彼ら五人はあまりにも――――。
口を開けば他人事のような物言いしか表れないディン、視線を右往左往させて心配に胸を締め付けられてばかりのリリィ、目の前のことばかりしか視界に映らず気が逸りっぱなしのローズ、癖のある彼らを纏める力もなく胃痛に悩まされるジャン、そしてつまらなそうに悪態を吐くベダール。
果たして、この行軍に意味はあるのだろうか。
これに関してはフィンロード辺境伯も人選を誤ったと言わざるを得ない。
確かに実力のみで言えば少数精鋭の言葉に恥じぬ者たちばかりであるが――――やはりそれだけでは戦は出来ない。
もはや時間の経過が互いの心を落ち着かせることはなく、無意味な口論を続けてはサフタムの村に近づくばかりだった。
「副隊長、そろそろでしょうか?」
「はぁ……出来れば日が暮れる前に終わらせたいからね。ま、ダークストーカーに襲われたからって村自体が消滅するわけじゃない。むしろ……」
「どうやら見えてきたみたいだな」
木々が疎らに林立する丘の上を進む中、ディンは徐に話を逸らすべく腹の辺りを抑えていたジャンに問いかけた。
げんなりとしてそれに応えるジャンだったが、唐突にその言葉を遮ったベダールの声が聞こえたことに即座に表情を一変させた。
常は頼りない印象が先行するジャン・トルビルという男だったが、こういった戦闘と日常における切り替えにおいては誰よりも優れていた。
少しばかり周りより小高い丘に登った五人見下ろせば、その眼下に見えるのは村……だったもの。誰もがその光景に眉を顰め軽口を言う事さえ憚られた。
◆
サフタムの村に対して何かしら言う事というのはない。
別に一般的な長閑な村とは変わらない普遍的な光景。それらしい住民たち。キリル山脈に近いが為のそれに適応した暮らし。時折山の奥に踏み込む物好きが立ち寄るくらいしか珍しいことはない村であった。
しかしそんな長閑な村も今は見るも無残な有様へと変わっていた。
炎を伴いながら倒壊した家々。村の入り口の門には破損した人間の欠片が吊り下げられ、村中を血の匂いが包んでいる。村の中心の広場には物言わぬ骸となった人間が積み重ねられ、それを黒の異形が取り囲んでいた。
『人』と思われる影など何処にもない。
夕陽の光を浴びて紅く彩られるはずだった村は血の赤によって染め上げられ、一日の終わりにはしゃぎ回るはずだった子供達の声も今や異形達の耳障りな唸り声にとって代わってしまっている。
それは正しく地獄の光景だった。
村に忍びよる狂気の影に気付いたのは誰だったのだろうか。何時だったのだろうか。
首都から伝わる戦争の噂を聞きかじりつつもそこを取り仕切る有権者や兵達に情報を遮られた村の住民たちは、あまりに現状を理解出来ていなかったのだ。
今までたまに山の麓へ薬草などを取りに行くこともあったはずなのに、駐屯兵から何の説明もなく山への出入りを規制されたのは今より3カ月も前のこと。
確かに好き好んで魔獣や野獣が蔓延る森の奥へ足を踏み入れる住民など皆無だったが、唐突に突きつけられた駐屯兵の『不自然さ』に村の者は気付くべきだったのだ。
そして、有権者のエゴによって取り残された村の住民たちは、呆気ないほど簡単に狂気の群れに呑まれた。
山間から森の緑を縫って現れた黒に気付いた時には既に放たれた弓矢が雨のように降り注ぎ、その後には空気を揺らすような雄たけびと地鳴りが響く。
そうしてようやく村の人々は絹を裂くような悲鳴を上げ、一人の男が命からがらサフタム砦まで逃げ込んできた。
――――そんな地獄の真っただ中、崩れ落ちた木造の家の影に隠れている者がいた。
ダークストーカーの襲撃を受けて逃げ惑う中、運よく彼奴らの目から逃れ身を隠すことが出来たその名もなき少女は、泣くことさえ出来ず胸の前で手を握りしめることが精いっぱいだった。
祈る様に、自らの心臓の鼓動を抑える様に、震えと嗚咽を抑える様に少女はただ家の影で動かない。
果たして村を蹂躙するダークストーカーに見つからなかったのは幸か不幸か。村の知り合いたちが血を吹きながら倒れ逝く様を見せられ、その中で未だ命を握られた状態でいるのはもはや限界であった。
今すぐ駆けて行って一か八かにかけてしまおうか。
あの村の広場に集まっている化け物たちに首を差し出し、楽になってしまおうか。
誰かが助けに来てくれるまで、ここで隠れ続けてしまおうか。
村の所々に炎が揺らめき、その中で舞う灰塵を浴びて少しだけ煤けた少女の顔に表情はない。逃げ惑う最中に幾度も擦りきれた衣服は所々が破け、肌が露出した右肩からは血が滲んでいる。
体力の限界。もはや少女の視界すらもぼやけ霞んでしまっていた。
だからこそ、抑えきれぬ身体の震えに物音を立ててしまったのは仕方がなかったことなのだろう――――仕方がなかったのだ。
「――――ッ!!」
少女は自分の身体からたださえ少なくなりかけていた熱が急速に冷めていくのを感じていた。
震えは硬直に変わり、蠢いたダークストーカーさえも物音にピタリと動きを止め、ただパチパチと木々が炎で弾ける音だけが続いていく。
家々が立ち並ぶ家屋の間。崩れた屋根と転がる樽に身を潜ませていた少女に、化け物たちが一斉にその赤黒い瞳を向けていた。
そして彼奴等は、醜悪なまでにその赤錆びたような色の表情を歪ませて犬歯が剥き出しになった口元を吊り上げた。
もはや少女は選択に心を狂わせることなく、棒になった足を無理やりに動かし、影にしていた樽を突き飛ばす様にして駆けだした。
両腕は何かを掴むようにして無様に振るわれ、靴のなくなった素足で赤に染まった大地を蹴り上げる。顔面は蒼白。果たしてどこに逃げればいいものか。
ただ本能に任せて村の入口へと向かう彼女は、ようやくにして嗚咽に混じった金切り声を煙の上がる空へと上げた。
「誰かッ……助け、てッ……!!」
その後を追うダークストーカーの数人の手に握られた剣には、夥しいほどの血が塗りたくられ、振るう毎に宙に血玉が舞い上がる。
足元すらおぼつかなかった少女の駆け足などまるで意味もなく、徐々に少女との距離を詰めていくダークストーカーはハ虫類染みた舌を剥いて舌舐めずりをする。
十歩、九歩、八歩。迫る。迫る。迫る。
もはや少女に振り返る余裕などない。
幾人もの知り合いだったものが吊り下げられた傾いた門まで後数歩といったところで、鈍重な何かが背後で風切り声を上げる音を聞くだけ。
振り上げられた剣。にたりと笑うダークストーカー。コマ送りのように流れる鉄の――――。
「うっしゃああああぁぁぁぁッ!!!!」
黄昏の空に上がったその勇ましい咆哮は誰のものか。
村の門の入口の影。駆けこんできた少女と交差するようにして現れた巨大な影が、振り上げられた剣ごとダークストーカーを巨大なナニカで吹き飛ばした。
まるで砕かれたスイカのようにして化け物の頭は赤と黒を空中にぶちまけ、その途中にあった剣も粉々。頭と剣だけが無くなったダークストーカーの身体は、一瞬びくりと身体を震わせ、地に這いつくばった。
背後で行われたあまりにも暴力的な救いに、少女はもはや力尽きたと言わんばかりに膝からその場に崩れ落ちようとした。
しかしその身体を真正面から抱きかかえるようにして受け止める、何者かの身体。腕。
ふわりと鼻をくすぐるのは地獄に似合わない甘い匂いと、ぼやけた視界に映る血ではない美しい赤の髪。
「もう、大丈夫。後は僕達に任せて?」
その言葉が、笑顔が、温もりが、少女の涙腺を即座に断ち切った。
◆
「おうおう、どいつもこいつも汚ぇ雁首揃えて並んでやがる」
通常よりも遥かに大きい身体だと言うのに、ベダール殿のそれすら上回る赤茶色の大槌を担ぐ姿を後ろから見やり、俺もまた背負った大剣に手を掛ける。
入口から見えたダークストーカーの群れは優に30を越え、中には鎧を付けずほぼ半裸のままでうろつく者もいるが、だとしてもその脅威は見ての通り。
いや、脅威と言うよりも狂気と言った方が無難か。
「ちびっちまったか小僧?」
「彼らに料理という概念はないらしいですな」
視線だけでこちらを振り向き嘲笑うベダール殿の言葉に、軽く答えておく。
俺達の目の前に広がる光景はあまりにも日常とも戦いとも違うものを晒してしまっている。広場に積み上げられた人間の形は一つ残らず欠損しており、ダークストーカーの口元から滴るあの血は間違いなく犠牲者達のものだろう。
どうやらというべきか、やはりというべきか。奴らは人を食うらしい。
「……慣れないどころか……くそっ。ああもう! やんなっちゃうよ」
ようやく俺の隣に並ぶジャン副隊長も顔を歪めながらこの惨状に唾を吐く。彼も口だけの騎士とは違い戦える者であった。
おそらく胸糞悪いものを感じながらも、今はあの逃げてきた少女を守るリリィとて足を震わせながら武器を構えることが出来るだろう。
ならば。
「おい、ひよっ子。てめぇはすっこんでろ。あのマセガキの嬢ちゃんに守ってもらえ」
「そ、それは……」
「う゛ぇすぱぁだ、だったか? おら、召喚して見せろ」
けらけらと笑う様なベダール殿の言葉に、ローズ嬢は顔面を蒼白にさせたまま黙り込むだけだった。
そう、確かに魔法というものはあまりに便利で、強力で、特殊だ。だからこそイメージなどという不安定な要素を含むこの技術は危険である。
魔術という内部で完結する技術ならばまだしも、外部に神秘として顕現させねばならない魔法の難しさは頭一つ飛びぬけていると言って過言ではないだろう。
彼女のように手が震え、目の前の事実を直視できない精神状態であればとても、とても。
背後で少女に向かって習いたてらしい治癒魔法の淡い光を放つリリィを確認すれば、その力量の違いはあまりにも現実を帯びたものだった。
彼女は、誰よりも経験が不足している。おそらくは騎士試験で相対したことを加味するのであれば、教科書通りだった戦い方通りどれもこれも殺しを伴わない練習ばかりだったのだろう。
まあ、この任務を宛がわれる理由となった人間が、先ほどまで威勢が良かった人間が何を情けないことを、と言うのは簡単だが。
多少は予想出来ていたことだ。仕方ない。
「ただの戦争ならまだしも、このような在り様を見せられてはな。いや、戦争も大して変わらないのだろうか、お二人とも」
「はん。終わった後は自分か敵かも分からねぇくらいには血だらけになんぞ?」
「別にこの村に知り合いはいないからね。戦争じゃあ知り合いなんてどんどん減っていくさ…………来るよッ!」
そろそろ駄弁っている暇などない。
目の前に捉えられているのは僅か30人弱のダークストーカーの群れだが、村の大きさを考えれば奥の方にも何体か蠢いているのも確実だろう。
生存者がいたのは嬉しくもあり、それの守護としてリリィの手が放せなくなったのは少しだけ面倒だ。
ローズ嬢はともかく、我ら三人でこの数を捌かねばならん訳だが…………。
まぁ、問題あるまい。
◆
「ガハハハハッ!! まるでガラス細工みてぇだな!?」
玩具を目の前にしてはしゃぐような、贈り物を受け取って踊り出すような嬉々とした声色がくぐもった断末魔の合間に煙を纏った青空に響き渡る。
その巨漢が振るう大槌は絶え間なく唸り声を上げ、それが空を切る毎にパキャ、と乾いた耳障りのいい音が戦場に上がる。
ベダール・フルゾッタムは、正しく戦場の鬼と化していた。
雄たけびを上げているはずのダークストーカーの声さえ霞む、轟音。そして咆哮。
戦を望む狂人故か壮絶な笑みも伴っている彼に、いつも通りのだらしない印象など欠片もなかった。
魔術行使とて勿論嗜んではいるが、それ以上に度重なる戦いと言う経験に裏打ちされた技術と、齢30を越えて尚一線を張る筋力に裏打ちされたそれは、暴力。
我先にと考えもなく突撃した彼には、当然のごとくダークストーカーもわらわらと群がっていく。
最初は二人。小剣を二刀構えたダークストーカーが飛びあがる様に彼に襲いかかり、その空中で真っ赤な花火のように砕け散った。
ただ単純にその大きな槌を横に薙ぎ払っただけ。
次に一人。それこそディンのそれに負けず劣らずの大きさの剣を振りかぶった、周りの者より少しだけ体躯の大きいダークストーカーが、ベダールの間合いに入るなり地に倒れ伏した。
もはや倒れる瞬間など見て取ることも出来ない。会心の勢いで振り下ろされたベダールの大槌によって地面に血の花を咲かせ、さらには黄土色の大地に大きな罅を入れ、あまつさえ少しばかり地震のように揺らしてみせた。
もはやそこにディンのような軽やかな立ち回りも、ローズのような美しい剣捌きも存在しない。
ただ力任せに大槌を振るい、向かってくる敵は真正面から叩きつぶす。
今もまた、向かってくるダークストーカーの一人を柄で殴りつけては、そのまままるでかち上げるようにして下から大槌を振り上げた。
「滅茶苦茶だな、あの人は」
ならば、新しく同じような系統の大剣を持ったディンは。
少し離れたところで大立ち回りを演じるベダールを眺めながら、彼もまたいつも通り避けては叩き、避けては叩きを繰り返していた。
しかしそこには通常の大剣を振るう様な在り様は見て取れない。
彼が右手に持つ自分の背丈もある大剣を『片手』で持ち、その反対の手には肘から手まで程の長さの小剣を逆手に持っていた。
もはや異質という話ではない、あまりにも歪な姿。
しかし、彼はそれが出来る。それほどの技量がある。
それは常人以上の魔力、そして魔術行使によって可能な風変わり過ぎる戦い方だった。
相手の剣を捌く、もしくは一部の隙を突く剣戟は小剣によって。攻めあぐねる、もしくは間合いが開けた瞬間にはまるでブン回す様にして大剣を叩きつける。
そこには自分の腕力によってというものはない。遠心力を利用するかのように自分の身体を翻し、その勢いのまま大ぶりに叩き切る。
鍛錬と魔術行使によって続く意味不明な体力、そしてそれが出来るほど強化されたツーハンデッドソード。
無論鋭利化や軽量化など選ぶわけもなく、彼がそのアーティファクトとして込めたのは硬化一択のみ。
化け物染みた体力とその魔力が、こんなわけも分からない戦い方を可能にしていた。
滅茶苦茶なのはディン・セルグリムもまた同義である。
「自信失くしちゃうなー……」
それに引き換えジャン・トルビルのなんと地味なことか。
多数の相手にごり押しで戦う二人とは引き換え、囲まれぬように自分の立ち位置に気を付けながら一対一を繰り返していく彼の姿は、ローズとは違った『教科書通り』の戦い方だった。
しかし迫りくるダークストーカーに冷や汗を流しながらもきちんと対処出来ている。
剣と盾。騎士としては申し分なく普通で、常道な戦い方。まずは敵の剣を盾で受け、それを受け流しながら確実に一太刀入れる。これ以上ない安心感。
そう。血に染まっている光景。暴れる二人の騎士。そんな異質の中、彼の普通過ぎる戦い方が逆に異質へと昇華されていた。
そんな戦場。
それを、ローズ・フィンロードはリリィの隣で眺めていた。
そして村の奥の影から、ひと際大きい影が現れたのは、その時だった。
ディン→なんか無表情でとりあえず腕組んでる奴。趣味は人間観察。
リリィ→クスクスという笑い方が似合う奴。でもよくヘタレる。普通の娘。
ローズ→後ろ髪を掻き上げる仕草が似合いそうな奴。私の読みは「わたくし」
ベダール→身体の大きい偽オグレン。詳しくはDAOを参照。
ジャン→苦労人の金髪天パ。頭を気まずそうに掻くのが癖。