第一話 憂鬱な世界で
現代日本という視点からは少々古めかしいものを感じさせる洋館の入り口前広場。
よく整えられた芝生が広がるその広場で木剣を叩き合わせる二つの影が動いていた。
青空の中で照らされる日光を浴び、額に珠のような汗を浮かばせながら剣術の鍛錬に動く二つの影の内、片方は成人男性の半分というくらいに小さなものだ。
しかしその小さな影は肩を上下させつつももう一つの影に突撃することを止めない。
特に咆哮を青空に上げることなくその木剣を振り上げた小さな影は、まるでブレの無い達人の如く構えるもう一人の影の前に為す術も無く打ち倒されていく。
単純木剣を弾き飛ばされるか、足技で蹴り飛ばされるか、それとも隙だらけの脳天を小突かれるか。
何にしてもコレが剣術の訓練というのなら随分と力量差のある悲惨な有様であった。
「ディン様、あまり無理をなさらない方が」
「……構わん。今は、家に入れそうもないしな」
しかしその無様な有様に比べ、小さな影の口調は随分と尊大なものであり、大きな方の影は幾分傅く者を感じさせる気を使った口ぶりであった。
小さな影の――――琥珀色の瞳を浮かべた幼さの抜けない茶髪の少年の名はディン・セルグリム。大きな影はロン・フラムバという名の、つまりはディンの世話役を担っている男であった。
「しかし、これでは奥さまが……」
「構わんと言っている。それに理解しているはずだぞ、ロン。もはやこの家に余裕なぞあるものか」
「それは……」
「ふん……苦労を掛けるな」
およそ10にも満たない歳でありながらも、ディンのその小さい身体と年相応の童顔に浮かべる表情はあまりに似つかわしくない。
どことなく枯れているものを感じさせ、自ら生まれた家の不幸をその若さで受け入れているようにも見える。
世話役として幼少の頃から付き従っているロンからすればこれこそがディンの両親を暴走させる原因であり、そして余計な欲を生み出す根源であった。
「クラントン家の長男であらせられるシュウ様とて未だ手から玩具を放さぬと聞きます。あくどい商売をすると噂のリーンデル家の子も遊戯に顔を綻ばせているというのに……嘆かわしい」
「他家の噂など止めろ、ロン。どこで此方の失態やら失言を嗅ぎ回る鼠がいないとも限らんだろうに」
「……申し訳ございません」
「何がきっかけにこの血筋が絶えるとも分からん。金の失くした貴族ほど虚しいものは無いな」
「…………」
無言のまま俯くロンと、どこか諦めたように呟くディンのため息が重なった。
古めかしい……いや、街中に立ち並ぶ他の屋敷と比べればあまりに荒れ、外装を飾る装飾も破損の程が激しいボロ屋敷。その中からはしばらくして女の金切り声と男の怒鳴り声のようなものが響いてくる。
ディンとロンはその声にため息をもう一つ重ねる他なかった。
「過去の栄光に縋る、か。クソの役にも立たん真似をよく続けられるものだ」
「セルグリム家がこの国に残した功績はそれほどまでに大きなものでした。他の貴族は100年足らずの歴史で何をほざくかと嘲るものもおりましたが……」
「たかがダークストーカーとの一戦で一番槍を掲げただけじゃないか。運よく生き残った曽祖父の勇猛さに胡坐を掻くだけでやっていけるほどこの時代は優しくはあるまい。いや、どの時代だろうがダークストーカーに襲われればただの肉の塊か?」
「ディン様っ!」
皮肉気な笑みを浮かべながらディンは遠くに見える白塗りの大きな城を眺め見る。例えしわくちゃのロンの顔が歪み、声を上げた所でその笑みは変わることは無い。
ディンが向けるその侮蔑にも似た笑みは一体何に向けられたものだろうか。
うだつの上がらない両親にか。
余計な枷を背負わせた家にか。
絶えず血の流れ行く世界にか。
それとも、この異世界に生まれ落ちた運命にか。
◆
カチャカチャと音を立てながら行う食事は行儀の悪いものと言われるはずだが、家族内の会話さえないこの家では貴重な貴重なBGMだ。
父と、母と、俺と。この世界観を鑑みてみればあまりに少ない家族だとは思うが、それもこれも現状を考えれば仕方のないものかもしれない。
だとすれば俺の浮かべるつまらなそうな顔に少しばかり理解を示してくれてもいいものなのだが。
「ディン。まだ騎士団に入るには力が足りませんか?」
「申し訳ありません、母上。未だ魔を打ち倒すにはあまりに力が足りず、これでは名を残す前に屍と変わり果てるだけになるでしょう」
「……ならば一層鍛錬に励みなさい、いいですね」
「はい」
口を開けばこの有様だ。
そもそもにして金のないこの家が由緒ある騎士団に息子をねじ込むなど、相当の力量がある素材でなければ国も認めるわけがない。
ただの一兵士としてならば国も喉から手が出るくらいに欲しているだろうに。騎士団などと身にそぐわぬ欲を出すから一向に改善しない現状を考えてほしいものだ。
特に此方の進展に怒りも喜びも浮かべぬまま無表情で話しかけてくるのは母であるベリル・セルグリム。その対面で此方をじっと睨みつけるのは父のゴルドー・セルグリム。
どちらも家族間で浮かべる様な顔ではないのだが、人間、余裕のない時と言うのはこうなってしまうものなのか。
俺は人知れず出てしまうため息を止める術を知らない。
「10年前にダークストーカーを地底に追い返してから、未だ再侵攻の影は無い。しかしこの平穏も直に崩れる時が来るだろう」
「それまで功を立てられるほどに強くなります、父上」
「いいか、ディン。我がセルグリム家はこんな所で潰える血筋ではない。こんな……こんな」
以下続く父のどうでもいい過去の栄光と汚い感情に塗れた世界に対する恨みつらみ云々。
一体何の因果でこんなわけのわからない世界に生まれ落ちることになったのやら。
正しく現状を理解出来たのは3,4歳を過ぎた頃だった。
徐々に頭の中で輪郭を取り戻していく記憶に色を付けることに躍起になっていた俺は、身の回りの現状など知らずにシコシコと瞑想めいたものばかりに耽っていた。
そうすれば出てきたのは地球という惑星の日本という国で生まれ、そして死んだという妙に現実感のある記憶の束。
ようやくこの剣や魔法やらしまいには化け物がいるという異世界に転生したと理解した俺は、ただひたすらに運命を呪った。
ただ前世の知識を持ったまま転生というならいざ知らず、目の前に広がるのは性質の悪いファンタジー世界だったなどと。
それだけならただやさぐれて可愛げのない子供になるだけだったのだろうが、不幸にも生まれた家は没落寸前のゴミ貴族。
屋敷ばかりはでかいというのに今しがた口に入れている料理も質素、屋敷の内装も外装もボロボロで、ひょっとしたら身に纏う衣服もそこらの物乞いと変わらないのかもしれない。
そしてそんな家の両親が人間的にまともな者などあり得ない話であって。
過去の栄光に縋りつき、たかが8歳の子供に全てを投げ出した碌でもないダメ親父。母としての愛情と家を優先させる覚悟のどちらにも傾けない中途半端に人生を諦めきった駄目母。
唯一使用人として俺の世話をしてくれるロンの爺が現状最も俺を癒してくれる存在であるが、そんな彼もいつストレスで倒れるかわかったものではない。
「聞いておるのか!? ディン!」
「勿論ですとも。父上」
禿げ散らかした頭を掻き毟る様にして喚き散らす父を軽くあしらってみれば、そんな俺の態度に腹を立てたのか見る見るうちに顔を真っ赤にする父兼ごく潰し。
一応前世ありとして大人びた様子を見せつけ、そういった天才児としての評価を受けるのには苦労していないが、この男はそれにさえ嫉妬して見せる故始末に負えない。
子が他の子よりも優秀であるならばそれを利用するか、もしくは誇りさえすれば多少は見られる人間になるだろうに。
「クソッ……お前に魔の才があればッ……」
憎々しげに吐き捨てた父の言葉には、魔という言葉。
ファンタジーのお約束ということで、いや、これがあるからこそファンタジーと呼べる要素である『魔法』という技術。
勿論この世界にはその技術があるのだが、どうにもこの魔法を自由自在に扱うという才は貴重らしく、軍に身を寄せれば莫大な地位と名誉と金が手に入るらしい。
まぁ、実際に見たことは無いが手から炎やら氷やら出す人間ほど恐ろしいものはないだろう。
故に子にその才がないことを嘆く我が父であるが、今の今までそのような人間が生まれなかったらしいこの血筋で都合よく当然魔法使いが生まれるものかよ。
本当にどうしようもない父の様子にため息を――――抑える。これ以上呆れかえるとナイフやらフォークやらが飛んで来そうで怖い。
全く。何故こんな世界に生まれてしまったのやら。
◆
夜も更け、空には煌々と照る月が昇った暗闇の中。
蝋燭の灯りに照らされながら、この世界で唯一楽しみにしている書物の読破にしけこむ。
無論金のない我が家にそんな娯楽などありはしないが、世話役のロンが両親に内緒で様々な種類の本を調達してくれる。
どうやら借り物らしく、一週間ほどで手元を離れるために読み返すことが出来ないのが残念で仕方がないが。
薄い布団を被り、現代日本と比べればあまりに小さい蝋燭という一粒の光源を頼りにページを捲る一時は、何故かワクワクとした感情に胸が溢れる。
子供染みた感情ではあったが、一日を生き延びることさえ億劫になる現状ではこれ以上の無い楽しみであり、生き甲斐であるのかもしれない。
憎たらしいくらいの生まれと世界に怨嗟の声を上げるのも一興なのかもしれないが――――前世の影響か、例え自分が生きねばならない世界だとしても、本の中に連なる文字の群れと挿絵は俺にとっては魅力的だった。
古代遺跡より発掘される剣や魔道書。地底より溢れるダークストーカーという魔物達。魔法というあまりにも魅力的な技術……そして、戦いと言うあまりに原始的な闘争。
一度死んだという経験をした俺にとっては、そのどれもが命を対価としても欲するほどに魅力的だった。
もしもこのような家の束縛さえなければ、俺は今頃気ままな冒険者となって世界各地を旅していたのかもしれない。
家を捨てずに両親のいいなりになるのは、まがいなりにも身内であるという良心的なものと、何より世話になったロンに恩を返したいが為。
そのロンが何よりも俺の自由を願っていそうでどうにもならんのだが。
俺は今日も本を捲る。
車の音などもってのほか。科学の音など聞こえぬ静寂の中で、ただひたすらに蝋燭の灯りに照らされながら本を捲るのだ。
作者の暇つぶしにお付き合いいただき、感謝感激。