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第5話:静寂を斬る刃

 

 琵琶の弦が弾かれた残響が、凍りついた空気を裂いていく。

 レゾ・デコードは、シエルを背後にかばったまま、一歩も動かなかった。

 彼の「波形視」には、目の前の盲目の男から放たれる異質なエネルギーが、鋭利な一筋の『黒い閃光』となって視えている。

 それは軍隊の放つ重厚な音波とは違う。余計なノイズを一切削ぎ落とし、ただ一点を両断するためだけに研ぎ澄まされた、絶対的な殺意の旋律。

「……いい度胸だ。今の音を聴いて、一歩も引かぬか」

 盲目の男――サジュウロウは、不敵に口角を上げた。

 彼は背負った琵琶を滑らせるようにして持ち直すと、腰に差した長刀の柄に手をかける。

 刀身が鞘から数センチ抜かれただけで、周囲の空間がキィィィィンと耳鳴りのような高周波に包まれた。

「お主の放つ無音。不気味だが、我が『鳴神なるかみ流』の前では、ただの止まった標的に過ぎぬ」

「……僕は、戦いに来たんじゃない。この子を守りたいだけだ」

 レゾは、耳の聴こえない者特有の、抑揚のない――だが、透き通った声で答えた。

 サジュウロウはその声の響きを、耳をぴくりと動かして鑑定するように聴く。

「……ほう。嘘のない響きだな。だが、その娘はシレンツィオの『最終兵器』。連れ出せば世界が崩れる。それをわかっておるのか?」

「兵器じゃない。シエルは、ただの女の子だ」

 レゾの指先が、わずかに空中で揺れた。


 サジュウロウが動いた。

 抜き放たれた刀が、月光を反射して銀色の弧を描く。

 それは音速を超えた振動を纏った『神速の抜刀音』。

 物理的な刃が届くより早く、その「音の刃」がレゾの喉笛を断ち切らんと迫る。

 シエルが悲鳴を上げようとした、その瞬間。

 レゾは避けるのではなく、迫りくる見えない刃に向かって、そっと左手をかざした。

 ――ズンッ。

 重厚な、鐘の音を叩き潰したような鈍い音が響く。

 レゾの掌の数センチ手前で、サジュウロウの放った「振動の刃」が、目に見えるほどの『波形の歪み』となって静止していた。

「なっ……我が剣を、掌で受け止めたというのか!?」

「……違うよ。君の剣の『周期』を、僕の指先で上書き(デコード)しただけだ」

 レゾは、歪んだ波形の中央にある一点を、指先で弾く。

 パリン、と。

 空気そのものが砕けるような音がして、サジュウロウを包んでいた威圧的な旋律が、一瞬にして霧散した。

 静寂。

 再び訪れた静寂の中で、サジュウロウは抜いた刀を構えたまま、呆然と立ち尽くした。

 刀身は激しく震え、彼の手には「拒絶」とも取れるしびれが残っている。

「……聴こえぬ。お主の音には、一切の迷いも、濁りも聴こえぬ。……全くだ。世の中には、まだこんな怪物がいたとはな」

 サジュウロウはふっと肩の力を抜くと、刀を鞘に収めた。

 その顔から殺気が消え、代わりに、渇いた笑いが漏れる。

「安心せよ。拙者はシレンツィオの追手ではない。……むしろ、その逆だ。あの不快な軍歌ノイズで世界を埋め尽くそうとする帝国には、拙者も飽き飽きしておってな」

 彼は琵琶を背中に担ぎ直すと、レゾとシエルに向かって、深々と頭を下げた。

「我が名はサジュウロウ。東方の『八百万の静域』を追われ、真実の音を探して旅する風来坊だ。……デコーダーの少年よ。お主の創り出すこの『静域』、なかなか居心地がよい」

「……仲間になりたいってこと?」

「はっ、単刀直入だな。左様。……お主のような『怪物』が、あの呪われた王女と何を成すのか。この耳で、最後まで聴き届けたくなった」

 レゾは、サジュウロウから放たれる波形を注意深く読み取った。

 そこには、もうトゲはない。

 あるのは、澄み渡った秋の空のような、どこか寂しげで、それでいて強靭な律動だけだ。

「(……レゾ、いいの?)」

 シエルが不安げにレゾの袖を引く。

 レゾは、彼女の手を優しく握り、サジュウロウに向けて小さく頷いた。

「いいよ。……ちょうど、この場所を整えるための『用心棒』が必要だったんだ」

 こうして、音を失った廃村に、三人目の住人が加わった。

 耳の聴こえない調律師、レゾ。

 歌声を封じられた王女、シエル。

 そして、静寂を斬る盲目の剣士、サジュウロウ。

 バラバラだった三つの周波数が、この日、初めて一つの『和音コード』として重なり合った。

 それは、後に帝国を震撼させる「伝説の楽団」結成の、静かな第一歩だった。

「さて、あるじ殿。拠点を整えるのもよいが、腹が減っては戦はできぬ。この村に、まともな食い物はあるのか?」

「……あ。食料のことは、デコード(計算)してなかった」

 最強の少年が初めて見せたマヌケな表情に、シエルは思わず、小さな、けれど心の底からの笑い声を上げた。


 不協和音の世界に、新しい、温かな旋律が流れ始めた瞬間だった。


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