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捨てられた聖女は、ゴミ箱の中で最愛を拾う~「お前など不要だ」と婚約破棄された私、実は捨てられた王子を助けていたようです~

作者: ゆうた

「君のような地味で取り柄のない女は、もう必要ない」


 シャンデリアの光が降り注ぐ大広間に、その言葉は驚くほど明瞭に響き渡った。


 ヴァルモント公爵家主催の夜会。王都でも指折りの華やかな社交場で、私――リーネ・クローバーフィールドは、五年間連れ添った婚約者から死刑宣告にも等しい言葉を突きつけられていた。


「アレク様……」


 周囲がざわめく。扇で口元を隠しながらも、好奇の視線を隠そうともしない令嬢たち。気まずそうに目を逸らす紳士たち。そして――アレクシス・ヴァルモントの腕にしなだれかかる、純白のドレスを纏った金髪の令嬢。


「見てみろ、この場にいる誰よりも地味な灰色のドレス。まるで使用人のようだ」


 アレク様は嘲るように笑った。金髪碧眼の完璧な貴公子然とした容姿。かつては眩しいと思った笑顔が、今はただ――浅薄に見える。


(ええ、確かに地味ですわね。だって毎晩あなたの屋敷の『浄化』で疲れ果てて、ドレスを選ぶ気力もなかったのですもの)


 もちろん、そんな本音は微塵も顔に出さない。私はただ、いつものように控えめに微笑んだ。


「シルヴィア嬢を見ろ。これこそが聖女に相応しい姿というものだ」


 アレク様が愛おしげに見つめる先で、シルヴィア・メイフェア嬢が儚げに瞳を伏せた。波打つ金髪、薔薇色の頬、そして胸元で輝く銀の髪飾り――聖女の証。


「わたくし、リーネ様のお立場を奪うつもりなど……」


 涙を湛えた翠の瞳。震える声。完璧な被害者の演技。


(あら、随分とお上手ですこと。でもその目の奥、隠しきれていませんわよ?)


「シルヴィアは優しいな。だが心配は無用だ。リーネにできることなど、せいぜいゴミを片付けることくらいだろう?」


 嘲笑が広間に響く。


 ゴミを片付ける。


 ……ああ、そう見えていたのですね。五年間、休むことなくあなたの屋敷に巣食う『呪詛』を浄化し続けた私の仕事が。


 ヴァルモント公爵家が王家の信頼を勝ち取れたのは、代々伝わる呪われた家宝を私が毎晩「掃除」していたからだと、ご存知ないのでしょうね。


「……お望み通りに」


 私は静かに頭を下げた。


「は?」


「婚約解消、謹んでお受けいたします。アレク様」


 顔を上げる。いつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべて。


「五年間、お世話になりました。どうぞ、シルヴィア様とお幸せに」


 アレク様が一瞬、虚を突かれたような顔をした。もっと取り乱すと思っていたのだろうか。泣いて縋ると?


(残念ですが、あなたのためにこれ以上涙を流す気力すら、もう残っていないのです)


「ふん……やはり君には誇りというものがないようだな」


「ええ。ゴミ掃除係には不要なものですから」


 にっこりと微笑む。アレク様の頬がわずかに引きつった。


「……さっさと出ていけ。目障りだ」


「お望み通りに」


 踵を返す。背後で「やれやれ、つまらない女だ」という声が聞こえた。


 構わない。


 シャンデリアの光を背に、私は大広間を後にした。


 灰色のドレスの裾が、磨き上げられた床を滑る。この屋敷の床を磨いていたのも、私の浄化の力。気づかれることなく、感謝されることもなく。


(さようなら、アレク様。せいぜい、シルヴィア様の『偽りの聖女の力』でおうち時間をお楽しみくださいませ)


 屋敷の門を出た瞬間、夜風が頬を撫でた。


 ……冷たい。


 けれど、五年ぶりに息ができる気がした。



◇◇◇



 使用人たちが手配した最低限の荷物を受け取り、私は夜の王都を歩いていた。


 行く当てなどない。クローバーフィールド家は没落寸前の子爵家。私を引き取る余裕などあるはずもなく、むしろ公爵家との縁が切れたことで見限られる可能性すらある。


「……まあ、なんとかなりますわ」


 独り言が虚しく路地に響く。


 聖女の力がある。掃除係と蔑まれようと、浄化の仕事を求める場所くらいはあるだろう。貴族としての誇りなど、とうに捨てた。生きていければそれでいい。


 そう自分に言い聞かせながら、安宿を探して裏路地に入った時だった。



「――ぅ」



 微かな呻き声。


 足が止まる。


 異臭が鼻をつく。生ゴミと、それから――血の匂い。


 路地の奥、積み上げられたゴミ箱の陰から、確かに何かが聞こえる。


(……野良猫、でしょうか)


 そう思いながらも、足は勝手に動いていた。聖女の本能とでも言うべきか。傷ついた者を見過ごせない、この厄介な性分。


 ゴミ箱を覗き込む。



「……っ」



 息を呑んだ。


 腐った野菜と壊れた木箱の中に、人がいた。血まみれの、青年が。


 漆黒の髪は汚れと血で固まり、蒼白な顔には苦悶の表情が浮かんでいる。破れた衣服の隙間から覗く肌には、禍々しい紋様が――呪いの紋章が刻まれていた。


「……たす、けて……」


 掠れた声。薄く開いた瞳が、深紅に揺れる。


 深紅。


 王家の色。


(まさか)


 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


「……仕方ありませんわね」


 私は溜息を吐きながら、ゴミ箱の中に手を差し伸べた。


「同じ『捨てられた者』同士、放っておけませんもの」


 血と泥にまみれた手が、私の手を弱々しく握り返す。


「お前……は……」


「リーネと申します。先ほど婚約破棄されたばかりの、元聖女見習いですわ」


 青年の唇が微かに動く。笑おうとしたのかもしれない。


「俺は……レオン……」


 その名前に、心臓が跳ねた。


 レオン・アルヴァレード。


 三ヶ月前、『病死』したと発表された――第一王子の名。


「……あら」


 私は思わず呟いた。


「随分と大きなゴミを拾ってしまいましたわね」


 深紅の瞳が、かすかに見開かれる。


「……ゴミ、だと?」


「ええ。でもご安心ください」


 彼を抱え起こしながら、私は淡々と告げた。


「私、ゴミの扱いには慣れておりますの。なにせ五年間、『掃除係』でしたから」


 夜空に浮かぶ月が、二人の『捨てられた者』を静かに照らしていた。



◇◇◇



 その夜、ヴァルモント公爵家では異変が起きていた。


「な、なんだこれは……!」


 アレクシスは自室で悲鳴を上げた。


 壁に、床に、天井に。禍々しい黒い染みが浮かび上がっている。代々伝わる家宝の剣が、不吉な光を放ち始めていた。


「シルヴィア! 浄化を!」


「は、はい……!」


 駆けつけたシルヴィアが、震える手で聖印を切る。淡い光が部屋を包み――


 何も変わらなかった。


「……え?」


 シルヴィアの顔から血の気が引く。


「どうした! 早く浄化しろ!」


「や、やって、おりますわ……!」


 だが黒い染みは消えない。それどころか、じわじわと広がっていく。


 五年間、リーネが毎晩欠かさず行っていた浄化。その意味を、彼らはようやく知ることになる。


 知った時には、もう遅いのだが。



 ――これは、『捨てられた聖女』が真の幸福を掴むまでの物語。


 そして、『捨てた者たち』が全てを失うまでの、因果応報の記録である。



◆◆◆



 王都の片隅、古びた石造りの建物の三階。


 私が見つけた安宿――というより、元王城侍女だというマリアンヌさんの下宿屋――の一室で、奇妙な共同生活は始まった。


「……で、お前は本当に俺をゴミ箱から拾ったのか」


「ええ。生ゴミの中に埋もれていらっしゃいましたわ」


「…………」


 狭いベッドに横たわるレオン様――いえ、レオンと呼ぶよう命じられた――は、天井を見上げたまま沈黙した。


 あれから三日。私の浄化の力で命は繋ぎ止めたものの、体に刻まれた呪いの紋章は容易には消えない。毎日少しずつ、丁寧に浄化を重ねるしかなかった。


「もう少し、こう、美しい出会いはなかったのか」


「残念ながら。私も婚約破棄されたばかりの身でしたので、ロマンチックを演出する余裕がございませんでした」


「……それは、悪かった」


「いいえ。おかげさまで退屈しない夜を過ごせましたわ」


 皮肉を込めて微笑むと、深紅の瞳がじっと私を見つめた。


 三日前、ゴミ箱の中で見た時は瀕死の重傷者でしかなかった。だが今、傷が癒え始めた彼の顔を改めて見ると――なるほど、彫刻のようだ。


 漆黒の髪、鋭い目元、形の良い唇。病み上がりでなお、その美貌は否定しようがない。第一王子として社交界を席巻していたという噂は本当だったらしい。


(……アレク様とは比べ物になりませんわね)


 そう思ってしまった自分に、少し驚く。五年間見慣れた婚約者の顔を、もう美しいと思わなくなっている。


「なあ」


「はい」


「お前、本当にあの程度の男の婚約者だったのか?」


 唐突な質問に、私は瞬きした。


「あの程度、とは」


「アレクシス・ヴァルモントだろう。俺も何度か顔を合わせたことがある」


 レオンは天井を見上げたまま、淡々と続けた。


「虚栄心ばかり肥大して、本質を見る目が皆無の男だ。派手な女を侍らせて悦に入る――典型的な三流貴族」


「……辛辣ですわね」


「事実だ」


 言い切る声に、迷いはない。


「お前の浄化能力は尋常ではない。俺に刻まれた呪いは、王国最高位の呪術師が三人がかりで施したものだ。それを一人で、しかも数日で薄められるなど――」


 レオンが首を傾け、私を見た。


「なぜそんな能力を持つお前が、あんな男の『掃除係』に甘んじていた?」



 沈黙が落ちる。


 窓の外で、鳥の声がする。



「……ゴミを見る目がなかったのですわ」


 私は肩をすくめた。


「五年前、私はまだ子供でした。公爵家からの婚約の申し出に、父は喜び、私は――まあ、悪い話ではないと思いました」


 あの頃の私は、本当に何も知らなかった。自分の力の価値も、貴族社会の醜さも。


「気づいた時には、抜け出せなくなっていました。毎晩の浄化を怠れば、ヴァルモント家は呪詛に飲まれる。そうなれば、私の実家も連座で潰れる」


「……人質、か」


「そうとも言えますわね」


 微笑む。いつもの、穏やかな微笑み。


「でも、もう終わりました。あちらから捨ててくださったのですから――私は自由ですわ」


 レオンがゆっくりと上体を起こした。まだ本調子ではないはずだが、その動きに弱々しさはない。


「お前は怒らないのか」


「何にですか?」


「五年も利用された挙句、公衆の面前で『ゴミ掃除係』と罵倒されたんだろう」


「ええ」


「それで、この余裕は何だ」


 深紅の瞳が、探るように私を見つめる。


 私は少し考えてから、正直に答えた。


「……怒りは、ありますわ。でもそれ以上に――」


 言葉を選ぶ。


「――呆れている、のかもしれません。五年間、毎晩浄化を続けて。それでも彼は、私の力が何であるか、一度も知ろうとしなかった」


 窓から差し込む午後の光が、埃を照らしている。


「私は彼にとって、『便利な道具』ですらなかった。道具であれば、少なくとも機能は把握するでしょう? でも彼は、私が何をしていたかすら理解していなかった」


 ふ、と息を吐く。


「そんな人のために怒るのは、時間の無駄ですわ」



 長い沈黙の後。


 レオンが、低く笑った。



「……気に入った」


「はい?」


「お前、面白い女だな」


 面白い。その評価は初めてだ。


「ところで」


 レオンが改まった口調で言った。


「俺もゴミ箱にいたわけだが」


「ええ、存じておりますわ」


「つまり俺も、お前に言わせれば『ゴミ』なわけだ」


 その問いに、私はにっこりと微笑んだ。


「あら、あなたは『資源ゴミ』ですわ」


「……は?」


「再利用可能ですもの」


 レオンが目を丸くする。それから、堪えきれないように吹き出した。


「資源ゴミ……資源ゴミか……」


 肩を震わせて笑う姿は、病み上がりとは思えないほど生き生きとしていた。


「ああ、確かにその通りだ。俺は再利用されなければならない」


 笑いを収め、レオンは真剣な目で私を見た。


「俺を『処分』しようとした連中に、借りを返さなければならないからな」



◇◇◇



 それから、日々は穏やかに過ぎていった。


 朝、私が粗末な朝食を用意する。昼、レオンの体に刻まれた呪いを少しずつ浄化する。夕方、彼の話を聞きながら、王宮の情勢を知る。夜、狭い部屋で眠る――もちろん、ベッドはレオンに譲り、私は床に毛布を敷いて。


「いい加減、ベッドを使え」


「怪我人に床は無理ですわ」


「もうほとんど治っている」


「まだ呪いの紋章が三割ほど残っています」


「それでも床よりはましだ」


「私は慣れておりますので」


 そんな押し問答を毎晩繰り返すのが、いつの間にか日課になっていた。



 ある日の午後。


 いつものように浄化を施していると、レオンがふと口を開いた。


「なあ、リーネ」


「はい」


「お前の目は、浄化の時だけ色が変わるのか」


 手が止まる。


「……お気づきでしたか」


「ああ。普段は薄紫だが、力を使うと銀色に輝く。月光のようだ」


 淡々とした口調。けれど、どこか――感嘆が混じっている気がした。


「綺麗だな」


「……っ」


 不意打ちだった。


 五年間、婚約者に一度も言われなかった言葉を、こんなにもあっさりと。


「どうした、手が止まっているぞ」


「い、いえ。何でもありません」


 慌てて浄化を再開する。顔が熱い。


(何を動揺しているのですか、私は)


 自分で自分にツッコミを入れる。ゴミ箱から拾った相手に、何をときめいているのだ。


「……お前、耳まで赤いぞ」


「黙っていてください」


「ふ、やはり面白い女だ」


 低い笑い声が、狭い部屋に響いた。



◇◇◇



 二週間後。


 レオンの呪いは八割方浄化され、彼は部屋の中を歩き回れるまでに回復していた。


「そろそろ、動かなければならない」


 窓の外を見つめるレオンの横顔は、もう病人のものではなかった。鋭い眼光、引き締まった表情――それは紛れもなく、王族の風格。


「俺を『処分』しようとした連中は、まだ俺が生きていることを知らない。この優位を活かさなければ」


「……心当たりは、おありなのですか」


「ある」


 レオンは短く答えた。


「だが、確証がない。俺が倒れた夜、側近の騎士たちも散り散りになった。生き残りがいれば、情報が得られるはずだが――」



 その時だった。


 階下から、激しく扉を叩く音が響いた。



「マリアンヌさん! 私です! ギルバート・ノックスです!」


 男の声。必死の響き。


 レオンの目が見開かれた。


「ギル……?」


「お知り合いですか」


「俺の騎士団の副長だ。……生きていたのか」


 レオンが窓から身を乗り出そうとする。私は慌ててその腕を掴んだ。


「お待ちください。罠かもしれません」


「ギルは俺を裏切らない」


「それでも、確認が必要です」


 レオンが私を見る。深紅の瞳に、焦燥と――それから、微かな感謝が浮かんでいた。


「……分かった。お前に任せる」



 階下に降りると、マリアンヌさんが扉の前で腕を組んでいた。


「あんた、この人の知り合いかい」


 扉の向こうから、切迫した声が響く。


「頼む、中に入れてくれ……! 殿下を探しているんだ……!」


 私は扉越しに問うた。


「ノックス様。一つ、お聞きしてもよろしいですか」


「……誰だ?」


「レオン様をお預かりしている者です」


 向こうで息を呑む気配。


「殿下が……殿下がご無事なのか!?」


「質問に答えてください。殿下が幼い頃、騎士見習いだったあなたに与えた最初の命令は何でしたか?」


 レオンから聞いていた話だ。彼は側近の騎士たちと、それぞれ『合言葉』を決めているという。


 沈黙。それから――


「……『甘いものを買ってこい、ただし父上には内緒だ』」


 情けない声で、男は答えた。


「俺の初任務は、殿下のお菓子の買い出しだった」


 思わず噴き出しそうになった。レオンも相当な食いしん坊だったらしい。


「マリアンヌさん、開けてあげてください」


 扉が開く。


 鉄灰色の髪を短く刈り込んだ、厳めしい顔立ちの男が立っていた。左頬に古傷。鍛え抜かれた体躯。しかしその目は――今にも泣き出しそうに潤んでいた。


「殿下は……殿下はどこに……」


「こちらへ」



 三階の部屋の扉を開けた瞬間、ギルバートは膝から崩れ落ちた。


「で、殿下……! ご無事で……ご無事で……!」


「ギル。立て、みっともない」


 そう言いながらも、レオンの声は柔らかかった。


「三ヶ月、お前を探した……どこにもいらっしゃらなくて、もう……」


「俺もだ。お前たちが無事か、ずっと気がかりだった」


 主従の再会。私はそっと部屋を出ようとして――


「待て、リーネ」


 レオンに呼び止められた。


「お前も聞け。ギル、報告しろ。この三ヶ月、何があった」


 ギルバートが顔を上げる。涙を拭い、騎士の顔に戻って。


「……はい。殿下が『病死』されたと発表された後、騎士団は解散させられました。俺は別動隊を率いていたため難を逃れましたが、他の者たちは……」


 声が震える。


「王宮では、殿下の死は『流行病』によるものとされています。しかし俺は調べました。殿下を襲った呪術師たちの出所を」


 ギルバートの目が、暗い炎を宿した。


「ヴァルモント公爵家です。あの家が、呪術師を雇い入れていた」



 空気が凍りついた。



「……なんですって」


 私の声は、自分でも驚くほど平坦だった。


「アレクシス・ヴァルモントが、殿下暗殺に関与していた?」


「正確には、ヴァルモント公爵――父親の方です。息子がどこまで知っていたかは分かりませんが、少なくとも公爵は、殿下を排除することで得をする立場にあった」


 レオンが静かに言った。


「俺が死ねば、王位継承権は弟に移る。そして弟の教育係は――」


「ヴァルモント公爵派の貴族たちですわね」


 なるほど、と私は理解した。


 五年間、私があの屋敷で浄化し続けていた『呪詛』。あれは単なる家宝の呪いではなく――王子暗殺のために集めた呪術師たちの『痕跡』だったのだ。


 私は知らず知らずのうちに、陰謀の証拠を消し続けていたことになる。


「……道理で、私を手放したがらなかったわけですわ」


 自嘲が漏れる。


 愛情からではなかった。私の浄化能力が、彼らにとって『都合が良かった』だけ。


「リーネ」


 レオンが私の名を呼んだ。


「お前は何も悪くない」


「分かっています」


「分かっているなら、その顔をやめろ」


 手が伸びてきて、私の頬に触れた。温かい、大きな手。


「お前は利用されていた。だが、それは終わった。――これからは、俺が守る」



 不意に、視界が滲んだ。



「……守る、ですか」


「ああ。お前は俺を拾った。だから俺は、お前を拾い返す」


「それは……どういう意味ですか」


「言葉通りの意味だ」


 深紅の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「俺と共に来い、リーネ。王宮へ。――俺が王位を取り戻す時、お前に隣にいてほしい」



 返事をする前に、涙が一筋、頬を伝った。


 五年間、一度も泣かなかったのに。



「……ゴミ箱から拾った身で、随分と大きなことをおっしゃいますわね」


「ゴミ箱から拾われた身で、これでも遠慮している」


「全然遠慮が見えませんけれど」


「本心を言えば、今すぐ求婚したいくらいだ」


「はっ……?」


 思わず素の声が出た。レオンが、悪戯っぽく笑う。


「驚いた顔も可愛いな」


「か、からかわないでください……!」


「からかってなどいない。だが、まあ――」


 彼は視線を窓の外に向けた。


「まずは、やるべきことがある。俺を『処分』しようとした連中に、借りを返さなければならない」


 ギルバートが、力強く頷く。


「お供します、殿下」


「ああ。頼むぞ、ギル」



 レオンの目が、再び私を捉えた。



「リーネ。お前の答えは――」


「……仕方ありませんわね」


 私は涙を拭い、いつもの穏やかな微笑みを浮かべた。


「同じ『捨てられた者』同士、最後までお付き合いしますわ」


 レオンの唇が、満足げに弧を描いた。



◇◇◇



 同じ頃、ヴァルモント公爵邸では――


「どうなっている! この屋敷は呪われているのか!?」


 アレクシスの悲鳴が響いていた。


 壁を覆う黒い染み。腐臭を放つ花瓶の水。そして、使用人たちを次々と襲う原因不明の病。


「シルヴィア! まだ浄化できないのか!」


「や、やっています……! でも、消えないのです……!」


 シルヴィアの顔は蒼白だった。いくら聖印を切っても、祈りを捧げても、黒い染みは消えない。それどころか、日に日に広がっていく。


「使えない女め……!」


「そんな……アレク様……」


 涙を浮かべるシルヴィアを、アレクは冷たい目で見下ろした。


「リーネの方がまだましだった。少なくとも、あの女は『掃除』くらいはできたのだからな……!」


 その言葉に、シルヴィアの目が歪んだ。


 屈辱と、恐怖と、そして――憎悪。



 元婚約者と偽聖女。


 彼らはまだ知らない。


 自分たちが捨てた『ゴミ』が、どれほどの価値を持っていたのかを。


 そして、その『ゴミ』が――間もなく、彼らの前に『宝石』として姿を現すことを。



◆◆◆



 王都に、異変が広がり始めていた。


「なんだ、この霧は……」


 早朝の市場で、商人たちが顔をしかめる。建物の隙間から、黒みがかった霧がじわじわと滲み出していた。


 瘴気――魔物や呪詛から発生する、人体に害をなす穢れた気。


 本来、王都は聖女の力によって守られているはずだった。



「……やはり、こうなりましたか」


 マリアンヌさんの下宿屋の窓から、私は灰色に霞む街並みを見下ろしていた。


「リーネ。これは」


「ええ。私が五年間、ヴァルモント邸で行っていた浄化は――単に屋敷だけを対象としていたわけではありません」


 振り返ると、レオンとギルバートが真剣な面持ちで私を見ていた。


「聖女の浄化能力は、その場に留まりません。私が毎晩、あの屋敷で力を使うたび――その波動は王都全体に広がり、街を覆う瘴気を薄めていたのです」


「……つまり、お前がいなくなったことで」


「はい。王都を守る結界の一部が、失われました」


 皮肉な話だ。『ゴミ掃除係』と蔑まれた私の力が、実は王都全体を守っていた。


「シルヴィア嬢の力では、この瘴気には対処できません。彼女の『聖女の力』は――」


「偽物、だったな」


 レオンが低く言った。


「ギルの調査で判明している。メイフェア家の娘には、聖女の素質などない。あるのは、微弱な光魔法と――」


「見せかけの才能、ですわね」


 私は静かに頷いた。


「光魔法で聖女の力を模倣することは、不可能ではありません。見た目には区別がつきにくい。けれど――」


「本物の瘴気や呪詛の前では、無力だ」


「その通りです」



 ギルバートが、険しい顔で言った。


「殿下、このまま瘴気が広がれば、市民に被害が出ます。早急に――」


「分かっている。だが、今俺たちが表に出れば――」


「ヴァルモント公爵派に察知される、ですわね」


 私はレオンの言葉を引き継いだ。


「殿下が生きていることが知れれば、彼らは必死で口封じを図るでしょう。今度こそ、確実に『処分』するために」


 レオンが苦々しげに頷く。


「だからといって、民を見捨てるわけにはいかない」


「ええ。ですから――」


 私は微笑んだ。いつもの、穏やかな笑み。


「私が、行きます」



「何?」


 レオンの眉が跳ね上がる。


「リーネ、お前が表に出れば――」


「『捨てられた聖女が、王都の危機を救いに来た』。なかなか絵になると思いませんか?」


「冗談を言っている場合か」


「冗談ではありませんわ」


 私は真っ直ぐにレオンを見つめた。


「私がヴァルモント家を出たのは、公の場での婚約破棄という形でした。王都中が、私が『捨てられた』ことを知っています」


「……だから、なんだ」


「だからこそ、です。私が王都の瘴気を浄化すれば、人々は疑問を持つでしょう。――なぜ、『ゴミ掃除係』と蔑まれた女に、これほどの力があるのか?」


 ギルバートが、はっとした顔をした。


「……民衆の関心を、聖女の能力に向けさせる」


「ええ。そしてその関心は、やがてシルヴィア嬢の『偽りの力』に向かうでしょう」


 私は窓の外を見た。灰色の霧が、じわじわと濃くなっていく。


「本物の聖女と、偽物の聖女。民衆の目の前で、その差を見せつければ――」


「ヴァルモント公爵派は、致命的な打撃を受ける」


 レオンの声に、鋭い光が宿った。


「シルヴィアを『真の聖女』として担ぎ上げていた連中の信用は失墜し、俺が表舞台に復帰する土壌が整う――」


「そういうことです」


 私は微笑んだ。


「『ゴミ掃除係』の最後のお仕事ですわ」



 レオンが、長い溜息を吐いた。


「……お前は、本当に」


「はい?」


「――いや、何でもない」


 彼は私に歩み寄り、その手を取った。大きくて、温かい手。


「俺も行く」


「殿下――」


「顔は隠す。だが、お前一人では行かせない」


 深紅の瞳が、真摯に私を見つめる。


「二度と、お前を一人にはしない」



 その言葉に、胸の奥が熱くなった。



「……仕方ありませんわね」


 私は目を逸らした。顔が熱い。


「では、ギルバート様。殿下の護衛をお願いできますか」


「無論です」


 騎士は力強く頷いた。その目には、私への信頼が宿っていた。


「リーネ様。俺はあなたを見くびっていました。殿下をお救いいただいただけでなく、ここまで――」


「やめてください。私は単に、同じ『捨てられた者』に手を差し伸べただけです」


「それでも」


 ギルバートは深々と頭を下げた。


「あなたこそが、殿下に相応しいお方だと、俺は確信しています」



 その言葉に、レオンが満足げに微笑むのが、視界の端に映った。



◇◇◇



 王都の中央広場。


 瘴気が最も濃く立ち込める場所に、私は立った。


「あれは……」


「誰だ、あの女は……」


 人々が遠巻きに見守る中、私はゆっくりと目を閉じた。


 灰色のドレスに、質素な三つ編み。相変わらず地味な身なりの、目立たない女。


 けれど――



 瞳を開いた瞬間、世界が変わった。



 薄紫の瞳が、銀色に輝く。月光を宿したような、神秘的な光。


 私の体から放たれた浄化の波動が、広場を――そして王都全体を包み込んでいく。


「な、なんだ……!」


「瘴気が……消えていく……!」


 黒みがかった霧が、銀の光に溶けて消えていく。澱んでいた空気が、清浄なものに変わっていく。


 人々が、息を呑んで見守っている。



「聖女だ……あの方は聖女だ……!」


「でも、あれは――」


「ヴァルモント家に捨てられた、あの女じゃないか……!」



 ざわめきが広がる。


 私は目を開けたまま、静かに浄化を続けた。


 五年間、毎晩休むことなく続けてきた作業。体が覚えている。呼吸するように、自然に、穢れを祓っていく。



「お待ちなさい!」


 甲高い声が響いた。


 人垣を割って現れたのは――純白のドレスを纏った、金髪の令嬢。


「シルヴィア嬢……」


「あれが、本物の聖女様では……」


 シルヴィアは蒼白な顔で、私の前に立ちはだかった。


「あなた……何をしているの……!」


「見ての通りですわ。浄化を」


「わ、わたくしがやります! わたくしこそが、王国の聖女なのですから!」


 シルヴィアが、震える手で聖印を切る。淡い光が彼女の手から放たれ――


 何も起こらなかった。


 瘴気は微動だにしない。


「な……なぜ……!」


「無駄ですわ、シルヴィア様」


 私は穏やかに微笑んだ。


「その光魔法では、本物の瘴気は祓えません。――あなたに聖女の力がないことは、もう皆様の目に明らかです」


 周囲がざわめく。


「偽物……?」


「シルヴィア嬢が、偽物だと……?」


 シルヴィアの顔から、血の気が引いていく。


「ち、違う……わたくしは……!」


「シルヴィア!」


 群衆の向こうから、聞き覚えのある声がした。



 アレクシス・ヴァルモントが、息を切らして駆けつけてきた。



「な……お前……」


 金髪碧眼の元婚約者が、私を見て凍りついた。


「リーネ……? まさか、お前が……」


「お久しぶりです、アレク様」


 私はにっこりと微笑んだ。いつもの、穏やかな微笑み。


「ご覧の通り、『ゴミ掃除』をしておりますわ。――王都全体の」


 アレクの顔が、醜く歪んだ。


「馬鹿な……お前にそんな力があるはずが……!」


「五年間、あなたの屋敷で見せ続けていたのですが。お気づきになりませんでしたか?」


「っ……」


「それとも」


 私は小首を傾げた。


「本質を見抜く目が、おありにならなかったのかしら」



 周囲から、笑いが漏れた。


 アレクの顔が、屈辱で真っ赤に染まる。



「この……下賤な……!」


「アレク様!」


 シルヴィアが縋りつく。


「お願いです、わたくしを信じて……! わたくしは本物の聖女です……!」


「黙れ!」


 アレクがシルヴィアを突き飛ばした。


「役立たずが……! お前の力が本物なら、なぜ屋敷の呪いを祓えない! なぜこの女より劣る!」


 地面に倒れたシルヴィアの目に、恐怖と――憎悪が浮かんだ。


 私を見る目。アレクを見る目。


 自分を『選んでくれた』はずの男が、公衆の面前で自分を罵倒している。かつて私が味わったのと、同じ屈辱を。



(因果応報、とはこのことですわね)



 私は何も言わず、浄化を続けた。


 銀色の光が、王都を浄化していく。五年分の穢れを、五年分の屈辱を、すべて洗い流すように。



 その時――


 広場の端で、人垣が割れた。



「道を開けろ! 王家の使者である!」



 馬上から降り立ったのは、王家の紋章を掲げた騎士だった。


 その後ろに――



「久しぶりだな、アレクシス」



 漆黒の髪、深紅の瞳。


 フードを脱いだ男の姿に、広場が凍りついた。



「レ……レオン……殿下……!?」


 アレクが、絶句した。


「馬鹿な……死んだはずでは……!」


「死んだ? ああ、そう発表されたらしいな」


 レオンは冷笑を浮かべた。


「残念ながら、俺は生きている。――お前の父親が雇った呪術師には殺されなかった」



 広場が、騒然となった。


「ヴァルモント公爵が……殿下を……!?」


「王子殺しだと……!?」



 アレクの顔から、血の気が引いていく。


「ち、違う……それは誤解です、殿下……!」


「誤解?」


 レオンの声が、氷のように冷たくなった。


「お前の父は、俺を暗殺するために呪術師を雇い入れた。その証拠は、すでに王宮に提出してある。――そして」


 深紅の瞳が、私を見た。


「その呪術師たちの『痕跡』を、五年間浄化し続けていたのが、お前が『ゴミ掃除係』と呼んだこの女だ」



 沈黙が落ちた。


 すべての視線が、私に集まる。



「リーネ・クローバーフィールド」


 レオンが、私の前に歩み寄った。


「お前は知らずに、王家への陰謀を覆い隠していた。――だが、それはお前の罪ではない」


「……ええ、存じております」


「むしろ、お前が今日、王都を救ったことで――すべてが明らかになった」


 レオンの手が、私の手を取った。


 温かい、大きな手。


「お前のおかげで、俺は命を救われた。王都の民も救われた。そして――」



 彼は、広場の全員に聞こえる声で宣言した。



「この女こそが、王国の真の聖女である。俺はここに、リーネ・クローバーフィールドを、王家の庇護下に置くことを宣言する」



 歓声が上がった。


 瘴気が晴れた空の下、人々が私の名を呼んでいる。



 アレクとシルヴィアは、その歓声の中で、蒼白な顔で立ち尽くしていた。



「……これが」


 私は小さく呟いた。


「ゴミ箱に捨てた者の末路、ですわね」


 レオンが、低く笑った。


「お前、本当に口が悪いな」


「あら、どなたの影響かしら」


「俺は資源ゴミだ。責任は取れない」


「まあ、無責任な」


 軽口を叩き合いながら、私たちは広場を後にした。



 ――物語は、まだ終わらない。


 捨てた者と、捨てられた者。


 その決着は、もうすぐつく。



◆◆◆



 王宮の大広間は、かつてないほどの緊張に包まれていた。


 玉座に座るのは、国王陛下。その傍らに立つのは、三ヶ月ぶりに公の場に姿を現した第一王子・レオン。


 そして、広間の中央で跪いているのは――


「ヴァルモント公爵。そなたに対する嫌疑は、王子暗殺未遂および国家反逆罪である」


 国王の声が、重々しく響いた。


 老いた公爵が、がたがたと震えている。その隣では、アレクシスが蒼白な顔で立ち尽くしていた。


「お、お待ちください陛下……! これは何かの間違いです……!」


「間違い?」


 レオンが冷ややかに言った。


「俺の体に刻まれた呪いの紋章、お前の屋敷から押収された呪術師との書簡、そして――」


 彼は私を見た。


「五年間、お前の屋敷で『浄化』を続けていた聖女の証言。これだけの証拠があっても、まだ言い逃れをするか」


 アレクが、私を睨みつけた。


「お前……! お前が、裏切ったのか……!」


「裏切り?」


 私は穏やかに微笑んだ。


「私は何も裏切っておりませんわ。ただ、『お望み通りに』婚約を解消し、この場で真実を述べているだけです」


「この……!」


「アレク様」


 私は一歩、前に出た。


「五年間、私はあなたの屋敷で働きました。毎晩、休むことなく浄化を続けました。それを、あなたは『ゴミ掃除』と呼んだ」


 声が、広間に響く。


「私があなたの屋敷から何を浄化していたか、ご存知でしたか?」


「……何を言っている」


「呪術師たちの残留思念。王子殿下を呪い殺すために集められた、禁忌の術式の痕跡。――私は五年間、それを消し続けていたのです」


 広間がざわめいた。


「知らなかった、とおっしゃいますか? それは、そうでしょう。あなたには、本質を見る目がありませんから」


「黙れ!」


 アレクが叫んだ。


「お前のような地味で取り柄のない女が、偉そうに――!」


「静まれ」


 国王の一喝が、広間を震わせた。


「アレクシス・ヴァルモント。そなたの父は、我が息子を暗殺しようとした。その罪は重い」


「ち、父上の独断です……! 私は何も知りませんでした……!」


「知らなかった、か」


 レオンが冷笑した。


「ならば、なぜお前はあれほど俺に反対した? 俺が王太子に指名されることを、なぜ公然と批判した?」


「それは……政治的な意見の相違で……」


「お前の父と、同じ意見でな」


 アレクの言葉が詰まる。


「ヴァルモント公爵家は、俺が即位すれば冷遇されると踏んでいた。だから俺を排除し、弟を傀儡にしようとした。――違うか」


 沈黙。


「お前が陰謀を知っていたか、知らなかったか。それは今後の調査で明らかになるだろう。だが――」


 レオンの声が、鋭くなった。


「一つだけ、確かなことがある」


「……なんだ」


「お前は、リーネを『ゴミ掃除係』と呼んで捨てた。俺の命を救い、王都を救い、この国を救う力を持つ女を」


 レオンが私の隣に立った。


「お前の『目利き』とやらは、その程度だ。――本物を見る目がない男が、偽物に騙されたのは当然だな」



 その時。


「違う……! わたくしは本物よ……!」


 金切り声が響いた。


 広間の端で、シルヴィア・メイフェアが叫んでいた。侍女に押さえられながら、狂乱の体で。


「わたくしは聖女よ……! あの女より、わたくしの方が……!」


「シルヴィア嬢」


 私は静かに言った。


「あなたの『聖女の力』は、光魔法の模倣に過ぎません。本物の瘴気の前では、何の役にも立たない」


「嘘よ……! 嘘……!」


「先日の広場で、皆様がご覧になりました。あなたの力では、瘴気を祓えなかった」


 シルヴィアの顔が、歪んだ。


「あなたのせいよ……! あなたがいなければ、わたくしが……!」


「ええ、そうかもしれませんわね」


 私は穏やかに微笑んだ。


「でも、私はいます。――あなたが望んで『捨てさせた』私が」


 シルヴィアが、息を呑んだ。


「ご存知なかったのですか? アレク様が私を婚約破棄したのは、あなたが仕組んだことでしょう」


「っ……」


「『あの地味な女より、私の方が聖女に相応しい』。そうアレク様に囁いたのは、あなた」


 広間が、静まり返った。


「私を追い出せば、自分が聖女の座に就ける。そう考えた。――でも」


 私は小首を傾げた。


「私がいなくなった後、何が起こるかは、考えなかったのですね」


 シルヴィアの顔から、血の気が引いていく。


「王都の瘴気は私が抑えていた。ヴァルモント家の呪詛も、私が浄化していた。私を追い出した瞬間、すべてが崩れ始めた」


「そんな……そんなの、知らなかった……」


「知らなかった、ではなく、知ろうとしなかったのでしょう」


 私の声は、穏やかなままだった。


「本当の実力もないのに、見せかけの力で他人を蹴落とそうとした。その結果が、これです」


 シルヴィアが、へたりと床に崩れ落ちた。


「シルヴィア・メイフェア」


 国王の声が響いた。


「そなたは『偽聖女』として、王国を欺いた罪に問われる。メイフェア家ともども、処分を待て」


「いや……いやあああ……!」


 泣き叫ぶシルヴィアが、侍女たちに引きずられていく。



 アレクは、その光景を見て――何も言わなかった。


 かつて愛した女を、一瞥すらせず。



「……アレク様」


 私は最後に、元婚約者に声をかけた。


「何だ」


 彼の声は、もう怒りも屈辱もなく、ただ空虚だった。


「あなたが『ゴミ』と呼んだこの力で、王国をお救いしますわ」


 私は微笑んだ。


「もちろん、あなたの屋敷は最後ですけれど」


 アレクの目が、かすかに見開かれた。


「五年分の呪詛が、あなたの屋敷には溜まっています。私がいなくなってから、さらに増えたでしょう。――それを浄化するかどうかは、これからの裁判次第ですわね」


 私は踵を返した。


 背後で、アレクが何か言おうとする気配。しかし、言葉は聞こえなかった。



 ――もう、振り返らない。



◇◇◇



 大広間を出ると、レオンが待っていた。


「よく言った」


「当然のことを言っただけですわ」


「それでも、お前は立派だった」


 レオンが、私の手を取った。


「五年間、蔑まれながらも折れなかった。今日、堂々と真実を語った。――お前は強い女だ、リーネ」


「……強くなど、ありませんわ」


 不意に、涙が溢れそうになった。


「ただ……もう、俯いて生きるのは嫌だっただけです」


「それを強さと言うんだ」


 レオンが、私の涙を指で拭った。


「お前はもう、誰にも蔑まれない。俺が、許さない」


「レオン……」


「王子殿下、と呼べ。公の場では」


「……はい、殿下」


 軽口を叩きながらも、私の心は温かかった。



 窓の外には、晴れ渡った空が広がっていた。


 瘴気が消えた王都。私が浄化した、新しい空。



 ――これが、『選ばれる人生』から『選び直す人生』への、第一歩。


 私はもう、誰かに捨てられることを恐れない。


 自分で選んだ道を、自分の足で歩いていく。



 その隣に、この人がいてくれるなら――なおさら。



◆◆◆



 それから、三ヶ月が経った。


 ヴァルモント公爵は国家反逆罪で処刑。アレクシスは陰謀への関与が証明できなかったものの、爵位を剥奪され、辺境の領地へ追放となった。シルヴィア・メイフェアは偽聖女として民衆の怒りを買い、メイフェア家ともども没落。今は誰も知らない田舎で、かつての栄華を懐かしむ日々を送っているという。


 因果応報。


 自ら仕掛けた罠に、自ら落ちる結末。



 そして私は――



「リーネ様、お支度が整いました」


 侍女の声に、私は鏡の前で振り返った。


 淡い亜麻色の髪は、今日は三つ編みではなく、優雅に結い上げられている。ドレスは淡い銀色――月光の色。かつての灰色ではなく、私の瞳の輝きに合わせた、特別な仕立て。


「……まるで別人ですわね」


 鏡に映る自分を見て、思わず呟いた。


「いいえ、リーネ様」


 侍女が微笑んだ。


「お美しさは、以前からお変わりありません。ただ、今は――それが輝いて見えるだけですわ」


 その言葉に、胸が温かくなった。



 扉が開く。


「準備はできたか」


 レオンが立っていた。漆黒の正装に身を包み、深紅の瞳が私を捉える。


「……綺麗だ」


「あら、今更ですわね」


「今更ではない。毎日思っている」


「もう、からかわないでください」


「からかってなどいない」


 レオンが歩み寄り、私の手を取った。


「行くぞ。――俺の、花嫁」



◇◇◇



 王宮の大聖堂。


 王国中の貴族が見守る中、私はレオンと並んで祭壇の前に立っていた。


 三ヶ月前、同じような場所で、私は『ゴミ掃除係』と罵られた。


 今日、私は――王子妃として、王国の真の聖女として、祝福を受ける。



「リーネ・クローバーフィールド」


 大司教の声が響く。


「そなたは、レオン・アルヴァレード殿下を夫として迎え、共に歩むことを誓うか」


「はい、誓います」


「レオン・アルヴァレード殿下。そなたは、リーネ・クローバーフィールドを妻として迎え、生涯守り抜くことを誓うか」


「誓う」


 レオンの声は、揺るぎなかった。


「では、誓いの口づけを」



 レオンが私の手を引き、そっと唇を重ねた。


 大聖堂に、祝福の鐘が鳴り響く。



「おめでとうございます、殿下、妃殿下!」



 拍手と歓声の中、私は――初めて、心から笑った。



◇◇◇



 披露宴の喧騒を抜け出し、私たちはバルコニーに立っていた。


 月明かりが、二人を照らしている。


「疲れたか」


「少し。こんなに多くの方に祝福されるのは、初めてですから」


「慣れろ。これからは、毎日のように祝福される」


「大げさですわ」


「事実だ」


 レオンが、私の肩を抱いた。


「リーネ。覚えているか、俺たちが出会った夜のことを」


「ええ。ゴミ箱の中から、あなたを拾いましたわね」


「……その言い方はやめろ」


「事実ですもの」


 レオンが苦笑する。


「あの夜、お前は俺に言った。『同じ捨てられた者同士』と」


「ええ」


「俺は――あの時、初めて救われた気がした」


 レオンの声が、静かになった。


「陰謀で命を狙われ、味方もなく、ゴミ同然に捨てられて。それでも、お前は俺を拾ってくれた。見返りも求めず、俺が王子だと知る前から」


「……当然のことをしただけですわ」


「当然ではない」


 レオンが私を見つめた。深紅の瞳に、月光が映り込んでいる。


「お前は、俺を拾った。だから俺は、お前を拾い返す。――もう、お前を誰にも捨てさせない」


 その言葉に、涙が溢れた。


「レオン……」


「泣くな」


「泣いていません」


「嘘をつくな。目が真っ赤だ」


「う、うるさいですわ……」


 レオンが、優しく私の涙を拭った。


「お前は俺の宝だ、リーネ。ゴミ箱の中で見つけた、世界で一番美しい宝石だ」


「……ゴミ箱から宝石を拾うなんて、趣味が悪いですわ」


「俺は『資源ゴミ』だからな。趣味の良さは期待するな」


 思わず、笑いが漏れた。


「最低ですわ、あなた」


「お前の夫だ。文句があるなら、今から離縁するか?」


「……いいえ」


 私は、レオンの胸に顔を埋めた。


「あなたは、私が選んだ人ですもの。――自分で選んだものは、大切にしますわ」


 レオンの腕が、私を強く抱きしめた。


「ああ。俺もだ」



 月光の下、二人の影が一つに重なる。



 ――これは、『捨てられた聖女』が真の幸福を掴むまでの物語。


 そして、『捨てた者たち』が全てを失うまでの、因果応報の記録。



 かつて『ゴミ掃除係』と蔑まれた少女は、今――王子妃として、王国の聖女として、最愛の人の隣で笑っている。



 捨てられた場所から、自分の足で立ち上がり、自分の手で幸福を掴んだ。



 誰かに選ばれる人生から、自ら選ぶ人生へ。



 それが、リーネ・アルヴァレードの――いえ、私の物語。




                                *




 後日談。


 辺境に追放されたアレクシスは、呪詛に蝕まれた体で苦しむ日々を送っているという。浄化してくれる聖女は、もういない。


 シルヴィアは、没落した実家で使用人同然の暮らし。かつて自分が見下していた『地味な女』が王子妃となったことを、毎日のように噛み締めているらしい。


 そして、下宿屋のマリアンヌさんは――



「まったく、うちの下宿から王子妃様が出るなんてねえ」


 彼女は、王城から届いた招待状を手に、呆れたように笑っていた。


「リーネちゃん、いや、妃殿下。あんたは最初から、宝石だったんだよ。ゴミ山の中でも、輝きは隠せなかった」


 その言葉を、いつか彼女に伝えよう。


 私を最初に『見て』くれた人への、感謝を込めて。

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