繰り返しても戻らない
美加理に対し、俺の意識のない間に罪を犯そうとしてから、数日は経った。
今いる拘置所は、俺にとっては意外と落ち着く所だ。
前世の時みたいに、上司や周囲の人間の顔色を伺って、なるべく普通に過ごそうとしなくても良い。もっと昔の頃のように、母親を怒らせないよう配慮し続ける必要もない。
これから自分はライヤ・ラズライトとしての名誉を傷つけた罰を受けるにも関わらず、俺はこのままここに居た方が余程マシだと思ってしまっている。
美加理に会いたくても、どうせ拒まれるだけだ。ならば、死ぬまで心を殺して罪を償い続けるべきだろう。
そう思いながら、今日も罰が決まるまでぼーっと天井を眺めていた。
「おい…あの話聞いたか?」
「ああ……ありえねぇとは思ったが…」
外部から情報を得たらしき人が、何やらひそひそと話しているのが聞こえてくる。
「どうやら"国王の愛人"が死んだらしいぞ」
悪い冗談だと思った。
"ミーシャ・グレイス"が死んだとは言っていないから、アレキサンドラが密かに何処かで作った愛人の存在が死亡という形で知られたのだと、思っていなければ耐えられない。
しかし、拘置所の人間からは俺が騎士出身故に煙たがられているため、噂の真相を話している本人達に確かめるのは容易ではない。
「まあこんな噂が出るってことは…あの聖母のように美しい王妃にすら熱を上げなかった国王が愛妾作ったって話も結局嘘じゃなかったってことか」
「その愛妾のことはよく知らねぇけど…連れてきたって噂が出てから何事もなく今日まで過ごせてるわけだから、欲深で碌でもねぇ女ってわけじゃなさそうだな、ははは」
拘置所に何年もいるらしい人達は、そもそも愛妾が誰なのか知らないようだ。その愛妾がミーシャ・グレイスであり、本当は転生者の天音美加理という真実は、噂として入ることもなかったのだろうか。
拘置所にいる人達がどう噂をしていようと、俺はその愛人が美加理ではないことを祈るしかできない。
美加理であって欲しくないと願いながらも、頭の中に浮かぶのは、美加理と初めて出会ってから、気まずくなる忌まわしい日を迎えるまでの、楽しかった時のことばかりだ。
縁起でもない。こんな走馬灯のように美加理のことを思い出し始めるなんて。
思い出すな。
俺は美加理のことを考えて良い人間じゃない。
「にしてもその愛妾とやらを一度は拝んでみたかったものだ。あの国王が側に置く女ならさぞかし美しいんだろうなぁ〜』
『噂だと20近くの女とは到底思えないほど幼くて可愛らしい女らしいぞ。国王は幼女趣味かもしれんな、はは」
うるさい黙れ。
俺が言うことではないかもしれないが、何も知らないお前らが美加理を語るな。
「おい静かにしろ!!ジルコニア公爵子息がお入りだ!!」
「やべっ…あの男父親に似てめちゃくちゃ怖ぇんだよな…』
「公爵の方がよっぽどマシだっての…!もう二度と拷問されたくねぇよぉ…っ」
グレイが拘置所まで様子を見に来たことを知らされ、噂話で盛り上がっていた皆はすっかり怯えて、借りてきた猫のように大人しくなった。
確かに拷問官の父を持つだけあって、グレイは身長も相まって怖い。ゲーム内でもヒロインの前で時々出る元の口の悪さは、仮にも高位貴族出身とは思えないほどだった。
しかし、周りから恐れられる雰囲気とは裏腹に主人想いであり、本当は誰よりも義を重んじている人間であることを、俺は知っている。
美加理を傷つけてしまった後、殺して欲しいと嘆いた俺を殴ったグレイを見て、それを肌で実感した。
(拷問された奴は一生グレイのことをただの恐ろしい人だと思い続けるんだろうな)
そんなグレイが、何故こんな場所に来たのだろう。
いよいよ、俺が拷問されながら尋問を受ける時が来たのかもしれない。
周囲が怯えている中、グレイは俺のいる部屋の前に立った。その瞬間に覚悟を決めたが、俺はあることに気づかされた。
グレイの目の下が、腫れたように赤くなっている。俺を睨みつけていたあの目は虚ろになっており、加えて表情もかなり沈んでいた。
グレイの顔を見て、俺は嫌な予感を覚えた。
「……だ、大丈夫…ですか……?」
「……お前が気にする事じゃねぇ…それよりライヤ・ラズライト。本当なら今からお前がミーシャお嬢様にしでかしたことを聞き出す所だが…"ある用事"ができてそれは延期になった」
「……え………用事………?」
違う。
ここは他人の用事に対して、何も聞かずにただ一言「分かりました」と答えるべきだった。俺にとって、万が一の最悪の答えに辿り着かないようにしたかった。
なのに、俺は間違えてしまった。
だからこそ、俺はグレイが重い口を開こうとする瞬間に、余計に全身に緊張が走って止まらなくなった。
「………ミーシャお嬢様が………昨日の夕方に…部屋で"死亡"しているのが確認されたんだ…」
「…………ッ!?」
"ミーシャが死んだ"
グレイのその知らせは、俺に深い絶望を与える者だった。
「…………み……かり………」
「一昨日に血を吐いた後も死にかけていたのは知っていたが……その後は回復したって…サラや………っ…アレキサンドラ様に…聞いていたからっ……もう大丈夫だって信じてッ……」
「………ッ」
美加理の体調が悪いことは、ライヤの記憶を通して知っていた。その原因は一切不明であり、ライヤが内心では非常に心配していたことも。
公爵子息に戻る前からずっと、主としてだけでなく妹としても面倒を見ていた大切な人の病が治ったと聞いて、さぞかし安心していたのだろう。だが、安心したのも束の間で、突然永遠の別れが来てしまったグレイは、俺に話しているうちに涙を流していた。
グレイのその姿を見ているだけで、聞いてるだけでも辛くて胸が締め付けられる。なのに、美加理の死に対するショックが大きすぎて、涙が出てこない。
そもそも、俺に泣く資格なんかあるんだろうか。
美加理を傷つけておいて、いざこの世の別れとなったら泣くのは都合が良すぎるのではないか。
「………伝えておきたかったことはこれだけだ…お前との話は葬儀が終わってからにする」
「……………分かり……ました…」
俺が精一杯搾り出した言葉を聞いたグレイは、美加理の葬儀の準備をしに行ってしまった。
俺はもう二度と美加理に会えないことが、ここで確定してしまった。
二度目の人生でやっと再会できた喜びは、本当に束の間のことだったのだと思い知らされる。また美加理を傷つけて、その後に永遠の別れとなるのは、どの人生でも変わらなかった。
(…………一人になると美加理のことを思い出すのも……全然変わらないな……)
一人になれば、また俺は美加理との思い出を甦らせる。
死を聞かされた後だからか、思い出は残酷なほどに鮮明に浮かんでは消えてを繰り返す。
俺の人生の中で一番幸福だった頃は、美加理のことで埋め尽くされている。
そして、出会わなければ、過去のものを超えるほどの深い絶望を味わうこともなく、ただひたすら暗く単調な日々を過ごしていたかもしれない。
それぐらい、俺にとって美加理は大事な存在だった。
(……美加理も…俺が一度目に傷つける前までは…そう思ってて…くれたのかな……)
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出会ったばかりの美加理は、ヒールによる靴擦れのせいで涙を流していた。
俺が入った私立大学の入学式では、皆スーツを着なければならない。靴もヒールかローファーを履くのが当然だった。
入学を祝う式なのに、祝う気持ちがないレベルの嫌がらせをされてるとしか思えない暗黙の了解だと、今でも思っている。
俺と美加理は、その暗黙の了解の被害者状態だった。
俺もあの当時は慣れないローファーを履いていたことで、爪先も踵も痛くて仕方がなかった。絆創膏を買うために大学の周辺にあるコンビニに寄ろうとしたが、どこも運悪く売り切れてしまっていた。
だから休もうと思っていたら、その目的地に丁度美加理がいたのだ。
絆創膏を買い損ねたらしい美加理は、痛みを和らげる手段がなさそうだった。しかし、ただ足が痛いだけとは思えないほど、美加理は辛そうにしていた。
普通なら、余程のことがなければ靴擦れしたぐらいで落ち込んで泣いたりはしない。
"あの子は靴擦れしたことよりも、何か別の理由があって泣いているのではないか"
そう思った時には、足が勝手に動いていた。
「……大丈夫…ですか?これ…貸しますよ」
俺は、美加理にハンカチを差し出していた。
渡すべき絆創膏も持ってないくせに、いきなりハンカチを渡してくるなんて、ただの要らないお節介をかける男だと思われるに決まってる。分かっているのに、俺は手が勝手に動いていたのだ。
舌打ちされるかもしれないと身構えていたら、美加理は恐る恐る手を伸ばし、ハンカチを受け取ってくれた。
「ッ………!!ぁ…りがと……ござぃ…ます…」
目線は合わなかった。
当たり前だ。他者からの気遣いは、時には本人に気恥ずかしい思いをさせる時だってある。
何か和ませることを言わなければならない。否、その前に共感できる話の方が良いだろうか。
そう思いながら、俺は緊張から息を呑んで口を開いた。
「………本当に、嫌になりますよね。入学式なのに堅苦しいスーツで来いだなんて。嫌がらせとしか思えないです」
「………はい?」
あ、やってしまった…と俺は即座に思った。
見た目にそぐわないことをしたら碌なことにならないのに、何故こんな話題を出してしまったんだろうと後悔した。
美加理は、拍子抜けしたように顔を上げていた。
俺を見つめていた猫目寄りのグレーがかった瞳は、透明感があって綺麗だった。
その綺麗な目でなんだこいつと睨まれるのは辛いなと、怒られそうな状況で馬鹿みたいなことを思っていた。
「あ、なんかすみません…俺も今慣れない靴履いてるせいで足がめっっっっっちゃ痛くてイライラしてしまって…」
謝ったところで、もう遅いかもしれない。
俺の下手くそすぎる作り笑いは、もう女の子にとっては不審者のように怪しく映っているだろうと、不安を感じていた。
「………あの…私も靴擦れして…今に至ってました」
「え」
美加理の反応は、予想外だった。
泣いていた理由が靴擦れにあることには俺が気づいていないと、思っていたらしい。そして、靴擦れで泣いていたこと自体、俺の取り繕って絞り出したくだらない悩みに合わせて話してくれた。
それに対して俺も拍子抜けしてしまい、しばらく沈黙が続いていた。
「ぷっ……あはははッ…!!はははッ…」
「ふふッ…ははははッ…」
お互いなんだかおかしくなり、美加理に釣られて笑い出してしまった。
変な状況におかしいと思いながらも、美加理に対して笑うと可愛いんだなと、胸が少し高鳴ったのを、よく覚えている。
「はははッ…は…っ…ここに来たのって…まさかの足を休めるためですか…?」
「ふふっ…そうですよ…そしたらなんか泣いてる人がいたから…」
「あ、それは…みんなには言わないで下さい…」
「じゃあ…その代わりに俺が足痛くてイライラするあまり大学に不満言ってたことを内緒にしてもらえますか?」
「そ、それはもちろん…!」
さっきまで辛そうに泣いていた子が、いつの間にか柔らかい笑顔に変わっていた。
その時から、またこの子にどこかで会えたら良いなと思っていた。
数日後に、美加理は自分で選択する外国言語の授業が一緒であることと、俺が入った法学部と授業が被ることが多い政治学部に所属していることを知った。
それだけで嬉しかったのに、美加理は何故か俺に話しかけるようになった。
他の陽キャっぽい男子(下心丸出しだった)に話しかけられても恐ろしいほど塩対応だったが、俺には積極的に話しかけてくれる。
他の女子には表面上だけ仲良くしつつも、親友の柚莉香にしか心を許していない様子も伺えて、美加理のことは顔立ちも相まってますます猫っぽいと思った。
美加理とは、趣味だけじゃなくて、性格もどこか似ていた。
特に、お互い育った境遇は真逆だが、場を乱さないようにしながら振る舞う癖があった。
ただ、美加理は空気を読めてほっとするだけの俺と違って、内心では空気を読まなければならない状況に対して毒付く一面があり、俺にとってはそれが強いと感じていた。
本人曰く腹黒ではありつつも、美加理は大学進学と同時に父を亡くした柚莉奈や、心の距離はあろうとなんとか姉を気遣い、常に助けようとする優しさを持っている。
俺は、美加理のそういうところに惹かれていった。
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出会ってから徐々に仲良くなっていった半年後に、俺は美加理に告白し、無事付き合うことができた。
付き合い始めてから、あの忌まわしい日を迎えるまでの日々が幸せだったのは間違いない。
ただ、今改めて思うと、友人として仲を深めながら美加理に惹かれていた頃が、ある意味一番幸せだった気がしている。
俺なんかが美加理と付き合ったことで、あの忌まわしい日を迎えてしまった。
先に人の彼女に下心を向けておいて、美加理のことを彼女としてどうなんだと馬鹿にした奴とも、関わらずに済んだはずだった。そのせいで、過去に男性関係でトラウマのある美加理が俺にまで演技するようになってしまうこともなかったのに。
美加理は、死ぬ直前に俺のことをどう思っていたのだろうか。
すれ違う日を迎えるまでは、俺と一緒にいて幸せだったと思っててくれていただろうか。
否、二度も傷つけた俺とは、もう出会ったことすら後悔してるかもしれない。
(………もしかしたら…そもそも俺のことなんか考えることすらなかったりして……)
冷たいものが頬を伝うのを感じる。
何度思い出しては後悔を繰り返したところで、美加理はもう本当にこの世にいないのだ。
「っ………!!ぅっ……うぅ…ッ……!ぐすッ……美加理…っ……美加理ッ……!!」
会いたい。
会って、何度も傷つけてしまったことを謝りたい。
もっと美加理と一緒にいたかった。
そんな永久に叶うわけがないことを、願ってしまう。
「ごめん…美加理……ごめんなさい…っ……うぅッ……ぅッ…」
狭くて孤独な場所で、俺は誰にも届かない謝罪をひたすら繰り返した。
次回はアレキサンドラ視点です。




