祝福されない子
真佑の父・蒼真さんとの思い出に関する話。
俺を何もない真っ白な空間に連れてきたはずのミーシャが、いつの間にかいなくなっていた。
「ミーシャ!?どこにいるんだ!?」
そばにいてくれると言ったのに、突然すぐいなくなるなんてあんまりだ。
そう思いながら辺りを見回して、ミーシャを必死に探すが、その姿はどこにも見当たらなかった。
『おぎゃぁああっ……あぁああっ…!!』
「ッ!?」
ミーシャを探していると、ふと赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
何処から聞こえてくるのか、気になった俺は、その音を辿りながら足を進める。歩いていくに連れて、赤ん坊の泣き声が大きくなり、向こう側にある景色が見えて近づいてくる。
赤ん坊の泣き声が聞こえる景色の前に辿り着くと、そこには泣く赤ん坊を抱き上げる黒髪ロングの女性がいた。
ルシフェルが見せた過去を知らなかったら、俺はその人が誰だか知らないままだった。その人を見た瞬間、自分の身体が強張るのを感じた。
「っ………母さん…」
一見あやしているようには見えるが、赤ん坊の俺に向ける母さんの表情は、心から笑っているようには見えない。
泣く俺を眠るまであやし終えると、まるでこれ以上構いたくないとばかりに、さっさと俺をベビーベッドに置いてしまった。ベッドに寝かされた俺を、母さんはずっと見下ろしたまま何も言わない。
ただ黙って、冷たい目をしているだけだ。
『………蒼真さんと結婚したくて、意地張って産んじゃったけど…やっぱり蒼真さんに似てない。まだ私に似てるから大丈夫だろうけど…成長したら浮気相手の子供だってバレるかもしれない…』
やっと口を開いた母さんから出た言葉は、俺にとって最悪かつ辛い現実を突きつけるものだった。
ルシフェルの見せた過去は、信用していなかったからこそ嘘だと思いたかったが、ミーシャが見せているのなら、もう認めるしかない。
「……ッ…やっぱり俺は、父さんの子供じゃなかったのか…」
将来性がある父さんと結婚したいがために、浮気相手との子を父さんの子だと嘘まで吐いた母さんを、心底軽蔑したくなる。
こんな人だとも知らずに、縁を切るまでは一応母親だと思っていた自分が恥ずかしい。それ以上に、父さんはこの真実を知っていたのだろうかと、母さんと同じように不安を覚える。
『なんで産んじゃったんだろ…こんなことなら、アンタなんか産まなきゃ良かった』
生まれてきた赤ん坊にかける言葉とは思えないほど、冷たく残酷だ。俺は、一度だけでなく、二度も産まなきゃ良かったと口にされていた。
母さんがそういう人だと分かっていても、胸が締め付けられる。
自分は生まれてくることを誰にも望まれていなかった、祝福されなかった子だ。
そう言われているようで、この場にいるのも辛かった。
居た堪れなくなって立ち去ろうとすると、見知った影がベビーベッドの前に立った。
母さんの独り言が終わり、眠り始めた頃だっただろうか。現れた父さんは、いつもの穏やかな表情ではなく、少し強張った表情だった。
「ッ……!!父さん…もしかして母さんの独り言、聞いてた…?」
父さんは眠る母さんの布団をかけ直すと、眠る赤ん坊の俺を黙ったまま見下ろし続ける。強張った表情のままで。
『………お前は、俺の子じゃないのか…?莉愛が、嘘をついて出来た………っ』
苦しげにそう呟いた父さんは、赤ん坊の俺の首元両手を伸ばし、今にも首を締めようとしていた。
母さんに裏切られた悲しみと、誰の子か分からない子供への憎悪に満ちた目。
「ッ………父さんッ…!!ごめんなさい…でも、良いよ…そのまま殺して良いから……」
『ふぎゃぁ……ひっく…ぅぇえッ…』
殺意を察知したのか、赤ん坊の俺は泣き声を上げ始める。
その声を聞いた父さんは、伸ばした手をピタッと止め、引っ込めてしまった。
(ああ…そのまま殺してくれれば良かったのに…)
俺が泣き声を上げてしまったせいで、父さんが殺してくれることはなく、俺はずっと誰かを傷つけて、苦しめることになってしまった。
なにもかも全部、自分の………。
『………はぁ…よっこいしょっと』
泣き声を上げ始めた赤ん坊の俺を見て、溜め息を吐いた父さんは、ゆっくりと抱き上げた。
『……そうだよな。お前は何も悪いことなんかしていない。なんの罪もない子供を怖がらせるなんて…俺は父親失格だな』
『あぶ……ぅう…?』
『俺がいなきゃ…お前は独りぼっちになってしまう…こんなに小さくて、綺麗で可愛い子供を独りになんてさせられない』
『あぅー…ぅう…』
『でも…俺にできるのか…?お前を…本当の息子として愛することが…』
赤ん坊の俺は、訳がわからない様子で、父さんを見上げるばかりだ。苦悩する父さんは、本当は俺が憎くて仕方ないのに、優しさから俺を見捨てられないのだろう。
俺を見る度に、本当は父さんは苦しかったかもしれない。
過去を変えられる訳じゃないのは分かっている。だが、父さんにこれ以上苦しんで欲しくない。
こんな俺を育てることを、直接声が届かなくても今すぐ止めたい。
「駄目だよ父さんっ…!俺はっ…俺は父さんに愛されて良いわけない…!俺は何処の誰だかわからない人間の子供なんだよ……母さんと離婚して、俺も見捨てれば父さんはもう何も辛くないんだよ…!だからっ……!!」
『ふぎゃぁああっ…あぁあんっ…!』
俺の悲痛な叫びを形にするように、赤ん坊の俺はタイミングよくまた泣き始めた。
愛されたいとでも言いたいのか。お前に、父さんにその想いをぶつけるかのように泣く資格なんかないのに。
「やめろ!!泣けば良いと思ってるのか!?お願いだからっ…これ以上父さんに迷惑かけるな!!」
『よしよし、もう大丈夫だ。父さんがいるから安心しろ。……あー、名前がまだ決まってなかったな。どうしようかな…』
俺の思いは、伝わらなかった。
当然だ。これは所詮過去に起こっていることなのだから、俺が何を言っても父さんに通じる訳ない。
『………決めた。お前の名前は、俺の名前から取って"真佑"だ。真佑、お前は俺の子供だ』
父さんに命名された途端、赤ん坊の俺は嬉しそうに笑顔を見せた。名前をつけてくれて、父さんの子供だと認められたのが嬉しいのだろうか。
赤ん坊の俺は、足をバタバタさせて父さんに笑いかけていた。
『っ!!笑った…!ははっ、可愛いなぁ。真佑、お前は…父さんの子供だ。母さんの代わりでも、なんでもなってやる。お前は父さんが守ってやるからな』
赤ん坊の俺にそう語りかけた父さんは、一体どんな気持ちだったんだろう。
憎しみを隠し、母さんに愛されない同情で俺を育てるつもりだったのかもしれない。
「父さんは知ってたんだ…俺が、自分の子供じゃないってことを……本当は母さんと同じぐらい…いや、それ以上に俺のことが憎くてたまらなかったはずなのに…」
父さんは、母さんの裏切りの末に出来て、得体の知れない男の血が流れてる俺のことを、心の底から憎んでも仕方ないはずだ。
なのに、父さんはずっと憎しみを隠して、最後の瞬間まで俺を育てていた。そして、誰にも自身の苦しみを話すこともできず、そのままこの世を去ってしまった。
「うぅっ……ぅ…ぐすっ…!父さんっ…うぅうッ…ごめんなさい…ごめんなさいッ…!」
俺が生まれたから、父さんは苦しんだ。
俺さえいなければ、誰かが傷つくことも、憎しみを生むこともなかった。
母さんの言うとおり、俺なんか生まれてこなければ良かったんだ。
涙が止まらなくて、父さんに抱っこされている俺を見ていることなんてできない。
泣き続ける俺を他所に、景色はすぐに切り替わっていた。場所はうろ覚えだが、恐らく父さんの生まれた実家だと思われる。
さっきまで赤ん坊だったはずが、歩けるようになり、喋るようになっていた。今見ている景色にいる俺は、三歳ぐらいだろうか。その俺が、父さんの方に向かって走っている。
『おとうしゃん!おとうしゃーん!!』
『どうした?あんまり走ると転んじゃうぞ?』
『おとうしゃん!あのね、これおとうしゃんにあげる!!』
舌が回らない口調で、幼い俺は父さんに何かを差し出した。
『これは…指輪?』
シロツメクサで作った指輪だ。女の子が作るならまだ分かるが、男の子が作って父親にあげるものとしては少々可愛らし過ぎる気がする。
俺自身ほとんど覚えてもいない思い出だが、改めて見ていると無性に恥ずかしい気がしてきた。
『おばあちゃんがいってたんだよ!"ゆびわ"はだいすきなひととずっといっしょにいるためにつけるんだって!』
いや、大好きな人っていうのはそういう意味ではないとツッコミを入れたくなる。いくら父さんが好きでも、流石に色々と誤解を招くからやめておけと言いたい。
そう思っていると、父さんも流石に何か言いたげな顔をしていた。だが、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻り、幼い俺の頭を撫でていた。
『上手に出来たな!真佑、ありがとう』
『えへへ、がんばってつくったんだ!おはなもいちばんきれいなのをえらんでつくったんだよ!』
父さんに褒められた俺は、嬉しそうにしながら自慢げに指輪を綺麗に作れたことを話し始めた。
だが、その背後から俺と同じ年頃の親戚の子が父さんの元にやって来た。何十年も会ってないため顔もほとんど忘れたが、たしか名前は海斗だった気がする。
『おじさん!ぼくカッコいい剣作ったんだ!おじさんにあげる!』
俺の作った指輪の後に、海斗は刃物か何かで木を削って作った、本物みたいに立派な剣を父さんに見せた。
『すごいな!自分で削ったのか?』
『ゆびわはどうしてもむずかしいから剣にしたんだけど、どうかな?』
『………海斗くんのほうが…すごいよ…』
一見謙遜してるように見える海斗の発言は、俺に対する当てつけだ。どう考えても剣より指輪の方が作りやすいのに、敢えて謙遜して自分の評価を上げようとする。
どんな顔だったかなどの記憶が薄れかけていても、海斗のそういう所だけは成長してもずっと変わらなかったのは、よく覚えている。
『どっちも俺のために作ってくれて嬉しいよ、ありがとう。真佑、海斗』
嬉しそうに笑う海斗に対して、幼い俺は劣等感を感じているのか俯いたまま黙っていた。
満足した海斗は、去り際に俺の側に来てなにやら耳打ちをしに来た。
『………男の子なのに指輪なんか作って女の子みたい。真佑ってなんか、きもちわる〜い』
『っ………』
海斗は、どこまでも俺を見下したいらしい。
意地の悪い笑みで馬鹿にされた幼い俺は、何も言い返すこともなく黙って目に涙を滲ませるだけだった。勝ち誇ったような顔の海斗は、いつもの外面を作って祖母のところに向かって行った。
俺と海斗のやり取りをなんとなく察した父さんは、気まずそうにしている。
この頃から、俺は臆病で、酷いことを言われても何も言い返すこともできない。
父さんも、本当はなよなよしてて臆病な俺なんかじゃなくて、性格が悪くても海斗みたいに男らしくて、難しいことも要領良くこなせる子供の方が良かったはずだ。
当時の俺も薄らとだがそう思っていた記憶がある。
幼い俺が俯いてしまって顔も上げられないでいると、父さんは貰った指輪を右手の薬指に嵌めた。
『……?あれ、つけてくれるの?』
『付けるに決まってるよ。真佑がお父さんに大好きって気持ちを伝えたくて、一番綺麗なお花を探して、一生懸命作ってくれたんだろ?』
『うん…でも、あんまりきれいにできなかった…』
『真佑。お父さんは、真佑が作ってくれたことが嬉しいんだ。だから、この指輪はずっと大事にするよ』
『ッ………!!ほんと?』
『本当だよ。真佑、ありがとう』
父さんは、幼い俺を抱きしめて、安心させるように背中を優しくトントンと撫でた。
『えへへ…大好き、おとうさん』
『俺も大好きだよ、真佑』
父さんはなんて優しいんだろう。
失敗してるのが分かるほどボロボロで、綺麗だったはずの花もシワシワになってしまっている指輪など、大事にする価値なんてない。それも、母さんが裏切った末に出来た子供から貰ったものだ。
「俺なんかが作ったボロボロのものなんて…大事にする必要なんかないのにっ……なのに…どうして父さんは…大好きなんて嘘まで言ってっ………ぐすっ……ぅっ…!うぅッ……!」
嬉しいなんて思っちゃダメだ。
父さんに愛されてるなんて、期待しちゃダメだ。
全部父さんの吐いた優しい嘘で、本当は俺のことが憎いと思っているんだ。
《……真佑、泣かないで。お父さんの言ってることは全部本当だよ》
何処に行ったか分からなかったミーシャの声だけが、何もない空間内で聞こえてきた。
「………そんなの…わからないだろ…父さんの優しい嘘かもしれないのに…」
《お父さんは嘘なんか吐かないよ。どうしても信じられないなら、見せてあげる》
ミーシャの言葉と共に、さっきまで見ていた景色がまた切り替わった。




