救いは打ち砕かれる
※暴力、虐待などの胸糞要素多め
過去一陰鬱な回です。
《真佑…お前は自分が誇りに思う父親、水瀬蒼真の子供じゃないんだよ》
ルシフェルから告げられた、俺の本当の出自。
母さんの過ちの一部始終を見ていただけでも、ずっと頭を鈍器で殴られているような気分だった。あまりにもショックで、また脳内が現実逃避しようとしていたが、はっきりと真実を伝えられた今はそれも不可能だった。
「っ………嘘だ……俺は…俺は父さんがいたからちゃんと生きようって思えてたのに……」
俺は父さんの子供じゃない。
その真実は、今までアンバランスでもなんとか積み重ねてきた全てを一気に崩し、俺の生きる意味を掻き消すに等しいものだった。
(思い返せば…父さんがいなくなる前から母さんはどこか俺を避けてるように見えてたけど…ルシフェルの言ってることが本当だとしたら……俺は………っ)
悪魔のルシフェルの話を信じてはいけないのは分かっている。だが、冷静になって思い返せば、その話と合点のいく要素が俺の母には多くあった。
6歳で父さんを亡くす前から、母はどこか俺を避けてるようだった。俺が話しかけても、父さんの顔を見てから抱っこするか相手をしていたのを、昔から不思議に思っていた。
もし俺が父さんと血が繋がっていなかったとしたら、あの時の母は俺の血の正体がバレてしまわないかを恐れていたのだろう。
父さんを亡くしてから本性を見せ、俺を殴るようになったのは、そういうことだったのかもしれない。
俺は、ますます深い絶望の中に足を突っ込んでいくような感覚に陥り始める。
男にだらしなく強欲で、自分の欲を満たすためなら相手が子供だろうが平気で傷つけられる。母のそういう本性が顕になったのは父さんを亡くしてからだと、今までは思っていた。
しかし、母の悍ましい本性は、俺が生まれる前から存在していた。
何とか気づかないフリをしてきた真実を改めて確信した途端、思い出さないようにしてきたことが一気に頭の中で再生されていく。
暴走した車による衝突事故で父さんを亡くした時、俺は毎日泣いて過ごしていた。父さんを死なせた運転手のことを強く恨むことも何度かあった。
だが、母さんはもっと辛いだろうから、自分が父さんみたいに強くならなければとも思っていた。
だから俺は、泣くのをやめた。泣いてる母さんに向かって、「僕がいるから大丈夫」と慰めようとした。
慰めと共に伸ばしたその手は、一瞬のうちに振り払われた。
戸惑い、驚いている俺に向かって、母は鋭い目で睨みつけながらこう言い放った。
「あの人の代わりにアンタが死ねば全部丸く収まったのに…!」
よくよく考えれば、あの時点で母には違和感があったはずだった。
父さんと血が繋がっておらず、訳ありで邪魔な存在の俺には消えて欲しかったのに、父さんが先に死んで俺が残ってしまったから、そう言ったのだろう。
にも関わらず、当時の俺は自分の慰め方が悪かったせいで母は怒ってしまったと、思い悩んで自分を責めていた。その時感じた違和感も、あまりのショックでいつの間にか心の奥底に閉じ込めていた。
その後も、母を怒らせない良い子でいようと思いながら、過ごしてきた。小学校ではクラスメイトから父を亡くした同情はありつつも、幼稚園からの友人は何人かいたおかげで虐められることはなく、平和に過ごせていた。
10歳を迎えた頃、母は一人の男を度々家に連れ込むようになった。俺はその人が新しい父になるのだと思い、複雑な気持ちだった。
それでも、いつも怒ってばかりの母が幸せになるならと我慢し、何も言わないことにしていた。しかし、母の連れ込んだ男達は俺の父親になろうとはしなかった。
むしろ、その男達にいやらしい目つきで見られることが、高校生になるまで何度かあったくらいだ。俺の考えすぎだ、ただの気のせいだと思っていたかった。
そう思えなくなったのは、11歳の頃だった。
男から「一緒にテレビを見よう」と誘われ、一瞬逃げようとした。だが、新しい父親に対する拒絶を悟られて打たれることを恐れの方が勝ち、結局誘いに従うしかなかった。
最初のうちは、普通の親子のようにテレビを見ていることができた。何もされない安心感で、俺はすっかり目の前で流れるテレビ映像に魅入っていた。
「真佑くん、だっけ?男の子なのに綺麗だねぇ。お母さんによく似てるよ…もっとこっちにおいで」
「っ……!?ひっ……や、やめ……て……くださ……ッ〜〜〜…!!」
完全に油断してしまっていた。
男は、俺の半ズボンの裾を捲って太腿をベタベタと触り、Tシャツの中に手を突っ込んで胸を触り始めた。
蛇のように身体中を這い回る、ゴツゴツとして手汗のついた大きい手。背後からの耳にかかる荒い息遣い。その感触はあまりに気持ち悪くて、今でもたまに思い出しては吐きそうになるほどだ。
当時の俺は、その気持ち悪さだけではなく、逃げたくても男の力のせいで逃げられないことが、ひたすら怖くて怖くてたまらなかった。
俺は、お母さんにか細い声で助けを求めた。
「っ……お、おかあさっ……たすけっ……」
その声を聞いた母は、何事かと振り向いた。だが、助けてくれることはなかった。
それでも、男に冗談っぽく「やめなよー」とでも言ってくれるならまだ良かった。
再び俺の方を振り向いた時の母は、憎い恋敵でも見るかのような鋭い目で俺を睨みつけていた。
あの瞬間、俺は言葉を失うしかなかった。
ショックを受けている最中は、男に気持ち悪い手つきで触られていることなんかもう気にしていられなかった。
目の前にいる母が、お母さんでは無くなっていた。それがとにかく恐ろしく、いつの間にか冷たい涙が頬を伝っていた。
その後、俺は男が酒で酔って寝た瞬間に、急いで自分の部屋に逃げた。そのまま眠ってしまうまで、男と母への恐怖で震えながら布団の中で蹲っているしかなかった。
翌朝には男はいつのまにか帰っていて、母は何事もなかったようにしていた。
昨日睨まれたのは気のせいだと思って安心していたら、珍しく母が朝食を作ってくれた。
「アンタ海老好きだったでしょ?作ったから早く食べな」
「っ……………え……」
海鮮炒飯だと思われるご飯の中には、俺が好んでいた海老の姿はなかった。その代わりに、ろくに処理もされておらず、臭いもひどい海老が沢山入っていた。
「ほら、食べないと遅刻するよ?」
臭いだけで食べたらダメなものだと分かるはずなのに、いつもは見せない笑顔で俺に食べるよう母は催促した。
どういうつもりなのか分からず、珍しく作ってくれたからと、俺は我慢して食べた。
「っ〜〜〜〜〜!!うえぇっ…げほッ……!!」
我慢は効かなかった。
酷い臭いに耐えられず、反射的に吐いてしまった。
すると、母さんは昨夜に見せたあの鋭い目をして、振り上げた拳を俺の頭に命中させた。
「痛ッ!!ご、ごめんなさっ……あ"ぅっ!!!うぅッ……ぅ……」
「せっかくアンタのために作ってやったのに!!何吐いてんのよきったないわね!!!」
「ごめんなさい…!ごめんなさいっ…!!ちゃんと全部食べるからッ……ごめんなさいッ…!!」
頭だけでは済まず、頬まで平手打ちを喰らいながら、母は俺を罵り続けていた。
特に、『人の男を誑かして良い気になるな』とか『男のくせに女みたいで気持ち悪い』などと、俺の一番気にしていて大嫌いな所を何度も持ち出し、昨夜の憎しみを散々にぶつけられた。
わざと食べられないものを出す仕返しをしてまで罵る母への恐怖と、目の前の臭いが酷い食べ物に対して催す吐き気が行き交う。そんな苦痛の狭間で、俺は泣きながら絶対に吐かないよう我慢して炒飯を食べた。
その日をきっかけに、好きだったはずの海老は今でも苦手になってしまった。
殴られていた時、俺は自分が母から同性として対抗され、憎まれていると本能的に感じ取っていた。
しかし、俺はその事実からも必死に目を逸らした。そして、自分が駄目な子供だから母は怒るのだと、無理やり考えるようにしていた。
中学に上がると、日々は更に地獄と化していった。
同じクラスで出来た親友に裏切られる形で虐められるようになった俺に対して、母は気にかけることもなかった。
それで無関心を貫いてくれれば良いのに、
『やり返さないあんたが悪い』
『蒼真さんにも似ないどころかこんな弱い子になるって分かってたら産まなきゃ良かった』
『その汚い傷を二度と見せるな』
と、俺が傷を負って帰ってくる度に物を投げながら罵倒してくる始末だった。
本当はずっと前から疎まれていたとも知らずに、あの当時は虐めが原因で愛想を尽かされ、疎まれるようになったと思い込んでいた。
母のいる環境下で育つ俺を哀れに思っていた母の親戚と父方の祖父母は、大学進学の支援をしてくれた。そのおかげで、大学進学と同時に家を出ることができた。
その頃には、母は殴りもせずただ冷たく接するようになっており、家を出る時には、
『出てってくれて清々する』
『初めてクソみたいな自分の家族に感謝した』
という、この二言そのままを言われるだけだった。
本当はルシフェルから真実を聞かされるずっと前から、毎日が辛かった。
何で父さんの代わりに俺が生きてるってだけで、こんなにも母親から憎まれなければならないんだと、何度も苦しんだ。
時には、父さんじゃなくて自分が死ねば良かった、自分だってこんな世界に生まれて来たくなかったと思うこともあった。
縁を切ってからも、母から受けた仕打ちを忘れることなんてできない。ふとしたことがきっかけで思い出し、パニックになることは何度もあった。
それでも耐えられたのは、俺の中で父さんの存在があったからだ。
父さんは、弱いだけの俺や自分勝手な母とは違う。あの人だけは俺に優しく接してくれて、最期の瞬間まで母の代わりに育ててくれた。
誰に対しても優しくて、勉強も運動も何でも出来る。おまけに背も高くて男らしく、顔も精悍で格好良い人だった。
そんな父さんが自分の父親であることは、俺にとっては誇りでもあり、唯一の救いだった。
その救いは、今打ち砕かれた。
俺は、父さんの子供じゃなかった。
母が父さんとの交際中に"浮気した誰か"の息子だった。そして、誰にも望まれないまま生まれてきた存在だった。
これも、ルシフェルが俺を苦しめるために吐いた嘘かもしれない。しかし、嘘だと聞く耳を持たずにいることはできなかった。
父さんとは顔も何もかも似ておらず、父さんでさえ俺に血液型を頑なに教えてくれなかった理由が、その最悪の事実で腑に落ちてしまったからだ。
「………俺は…父さんの子供じゃない………血の繋がりも……何もない…………」
何があってもそばにいたいと願った美加理を再び失い、神様の呪いで死ぬことができない。ならば、せめて父さんの子供として恥ずかしくなく、ライヤ・ラズライトとしてこれ以上汚点を刻まない人生を送ろうと決意していた。
そのためにはどうすれば良いのかは分からないままだったが、カルミアと出会って接するうちに、自分がかつて見た夢を思い出し、改めて目指したいと思えるようになった。
その生きる気概は、一瞬のうちに全て失われた。
俺は生まれた時から母に疎まれていたことを知ったせいではない。
優しくて尊敬している父さんではなく、どこの誰だか分からない男と血が繋がっているという事実を知ってしまったから。
《真佑、お前は最初から誰にも愛されない存在だったんだよ。嗚呼、可哀想に。どれだけ死にたくても自分から死ぬことができないなんて…お前は本当に哀れだな》
ルシフェルの言う通りだ。こんな俺なんか、今すぐ死んで消えてしまいたい。呪いのせいで死ぬことができないなんて、神様はあまりに残酷すぎる。
自分の血が、気持ち悪くて気持ち悪くてたまらない。
自分のような悍ましい魂がライヤの身体に入り続けること自体、罪なのではないか。
「ッ………ごめんなさいっ………ぐすっ……俺はもう…生きていたくない……ぅっ…うぅっ…」
俺は、かつての幼い頃のように布団の中で蹲った。
休憩から戻らなければならないのは分かっている。だが、涙は止まらず、身体はその場から動くこともできない。
今すぐ死にたいと考えながらも、そのことで俺は父さんへの罪悪感すらも覚えてしまう。俺自身の浅ましさを突きつけられているようで、自分のことがますます嫌で嫌でたまらなくなる。
《真佑…もう何も考えなくて良い。そのまま眠ってしまえばいいんだ》
いつになく優しく頭を撫でてくるルシフェルの手が、とても温かい。相手はライヤの負の感情の塊で、悪魔のような存在だ。しかし、今はもう悪魔の優しい温もりには勝てない。
このまま眠って目が覚めたら、永遠に抜け出せない真っ暗闇の中にいたら良いのに。
そう思いながら、俺は深い深い眠りに落ちた。
カルミアや、自分の夢のことも忘れて。




