5.僕は純粋な愛を知る
梅雨は嫌い。
理由は単純で、頭が痛くなるから。低気圧に弱い僕は家の布団の中で唸り声を上げながら小さく丸まっていた。普段なら学校に行っている時間なのだが、今日は特に頭痛が酷くて休ませてもらった。
お母さんはいいよと言ってくれたけれど、お父さんは少し舌打ちをして情けないと一言言って仕事へ行った。お父さんはいつも僕に厳しい。小学校三年生まではそんなこと無かった筈なのに、いつの間にか僕にもお母さんにも平気で毒を吐く人になった。
「うぅ……」
一粒の涙が顔を伝って枕に湿った感覚を残して消える。頭痛のせいもあるけれど、それ以上にお父さんのことを考えるといつもこうなってしまう。
いつからあんな風になったんだろう。もしかすると僕のせいなのかもしれない。僕が『普通の子』だったらあんな風にはならなかったと嫌な思いがどんどん頭を駆け巡って、精神がすり減って行く。
僕は明らかに普通じゃ無い。恋愛対象は男で
、背も全然高くないし高くなる予兆もない。肉付きも女の子みたいで男らしさも無い分可愛いとはよく言われるけれど、カッコいいとは程遠い。僕は多分、お父さんの理想の息子じゃないんだ。
「父さんが望んでた『朝霧蒼』は……僕じゃ無いんだ……」
一粒だった筈の涙が、二粒三粒と落ちて頬を伝う。そこから次第に数えきれないほど零れ落ちて頬と枕が濡れて行く。堪えられない思いが溢れて、お父さんへの感情が抑えきれなくなる。
今の推測だってただの僕の勝手な想像。でも本当にお父さんがそう考えているならと、胸が引き裂かれるような思いになる。実の父なのに、実の息子なのに。
「うぅ……やだ……愛が欲しいよ……」
言葉が漏れる。僕の欲しているものは掌からこぼれ落ちるくらいの、両腕でも抱き抱えられないくらい大きな愛。お母さんは僕を半分息子、半分娘として見ているから。
それは愛なのかな。僕は『男』であって『女』じゃないのに。ただ『男』が好きな『男』なだけなのに。僕は唯一神様から受け取った筈の性別すらも奪われないとダメなのだろうか。愛が無い。この家には僕に対する愛情は、片手の掌で受け止めきれてしまうほどのものしかない。
「……オリオンさん……」
頭痛が酷い頭を押さえつつ、スマホを見る。オリオンさんは学校に普通に行っているはずだし、学校の合間に僕へDMは送らない。僕が見れないことを知っているから。
でも送って欲しい。今オリオンさんから一言でいいから言葉を貰いたい。『好き』じゃなくていいから、『おはよう』とか『何してる?』とかの些細な言葉でいいから。
そう思っていると、スマホがブルブルっと震えた。画面の上の方を見ると通知が見えた。それは間違い無くオリオンさんからのDMの通知だった。
【オリオン : 雨ヤバすぎて休校なう。アオが学校から帰ったら暇つぶし手伝ってや。あ、学校お疲れ様って先に言っとくな】
「……うっ……ぅぅぁ……」
その文字、その言葉を見るだけで雨模様な心が晴れていく。端々に見える気遣いと、僕に対する優しさと暖かさ。オリオンさんにそう言う意図があるとは思わないけれど、この人が送ってくれる言葉はなんでこうも心に沁みるのだろう。
答えは多分、僕がこの人を好きになっているからだと思う。好きな人からの気遣いが見て取れる言葉なんて誰だって心に沁みる。ただの文字、電話での言葉でも直接聞いた言葉でもなんでもないのに、そのお疲れ様の一言がこんなにも沁み渡る。伝う涙の種類が別の間にすり替わり、頬の濡れた冷たい感覚が暖かくなっていく。頭痛も不思議と和らいでいる気がする。
【アオ : 学校ズル休みしちゃいました。お疲れ様はもらえないです】
ズル休みでは無いけれど、そう言って茶化しておこう。要らない心配をさせたく無いし。
しかしそれを送ってすぐに返ってきたメッセージは、意外なものだった。
【オリオン : 嘘つけ頭痛いんやろお前。低気圧で起きる酷い偏頭痛あるって言うてたやん】
「へ……?」
【オリオン : それも含めてお疲れ様な。ちゃんと寝とけ。俺は適当になんかして時間潰すから】
そのメッセージの後、『お疲れ様』と言っている猫の画像が送られてきた。低気圧だと偏頭痛が酷いというのも、前にポロッと話したくらいで話題にもならなかったほどの言葉だったのに覚えていてくれたなんて。
そう思うと感情が昂り、頭で考える前に指が動いていた。この人からもっと言葉が欲しい。そんな欲張りな感情が止められない。
【アオ : オリオンさん。好きって言ってください】
【オリオン : 何故に???】
【アオ : 言ってくれたら頭痛治ります】
【オリオン : んなアホな】
今僕が1番欲しい言葉。今近くにいてくれる人間は誰も言わない、親ももう純粋な『朝霧蒼』に対して言ってくれない言葉。『アオ』に対してでいいからこの人に言って欲しい。
そう思いながらも流石に有耶無耶にされるだろうとも思っていた。だけど……
【オリオン : 好きだよアオ。俺はちゃんと好きやから、大丈夫】
オリオンさんは言ってくれるんだ。有耶無耶にもせず、言葉の端々に紛れ込ませて言ったことにもせず、本当に真正面から言ってくれた。それだけで僕の虚しい両の掌には愛が溜まっていく。その輝きが、どうしてこんなにも心をくすぐるのだろう。
【アオ : 僕も好きです】
【オリオン : お? うれしーなぁ。アオに好きって言われるの悪くないわ。今後も要求したろかな】
【アオ : 何百回でも言います。何千回でも】
【オリオン : おほ〜^^】
オリオンさんからすればなんでもない会話、もしくはじゃれ合いのようなものだろう。だけど僕からすればそんなことは全く無い。顔は熱くて手は震えてるし胸は裂けそうなくらいドキドキしてる。さっきまでの冷たい感情も、頭痛も全部吹き飛ぶくらいにオリオンさんのことで頭も心もいっぱいになる。
雨は収まる気配はまるで無いけれど、その梅雨景色には確かにオリオンさんからの暖かい愛があった。少なくとも僕はそう感じざるを得なかった。




