14.無愛想で何も合わない父親
学校が終わってすぐ走って家に帰る。早くオリオンさんと話したい、早くオリオンさんと恋人みたいなやりとりをしたい。その一心で走って走って、五分もしないうちに家に着いた。ドアを勢いよく開けて靴を脱いでから自分の部屋に行こうと階段を上りかけた時、リビングから低い声が聞こえてきた。
「蒼」
「……」
「来なさい」
忘れていた。今日はお父さんが休みで家にいるんだった。重っ苦しいため息を吐いてからリビングへ向かう。
「……なに」
「座りなさい」
「なんで……? 嫌なんだけど」
「少し……話をしようと思ってな」
「……」
僕とは真反対の黒髪と灰色の瞳が燻んでいる吊り目で、眉間に皺がグッと寄っているいつものお父さん。電子の小説でも読んでいたのだろうか、傍には普段持っていないスマホが置いてある。椅子に座って、対面するようにお父さんと相対する。
「……」
「なに? また制服がガバガバだなとか言うの?」
「それは普段から思っている。今更もう言うことでも無いだろう」
「僕中1だよ? それもまだ6月で、そんな早くこの丈が無くなるわけないじゃん」
少し小馬鹿にするように指の第一関節までしか見えていない手を見せながらそう言うと、父さんはジロリとこちらを見てきた。子供のちょっとした煽りにすらこの反応だ。ほんっと余裕が無い。
「蒼。お前はいつまでそんな可愛げのある口調で喋っているんだ」
「いつまでってなにさ。これが普通だよ」
「もっとどっしりとした男らしい口調を使え。一人称も俺にしろ。男だろう」
「はぁぁぁ……お父さんってほんっと頭かったいよね。そもそもお父さんの『男』の定義ってなに? 身長が高くて、筋肉質で声が低い人のことをみんな男として認識してるの?」
「そうでは無い。もっと男らしく振る舞えと言っているだけだ」
話が通じ無さすぎる。いっつもいっつもこうだ。男らしくしろ、いつまで可愛らしくしてるつもりだ、もっと背を張れなど僕という存在をずっとずっと否定してくる。父さんの理想を押し付けられている気がして僕はもううんざりしているのに、それにさえ気づかない。
「……はぁ〜あ。父さんは男は女と恋愛するのが当たり前とか思ってるでしょ」
「……それはそうだろう」
「じゃあ一つ質問、いい?」
「なんだ」
僕は半分諦め加減、半分希望を持った眼差しを父さんに向ける。
「男が男に恋をするのは、気持ち悪い?」
父さんはその質問を聞いて、眉間の深い皺をさらに深くして考え込む。数十秒ほどしてから顔を上げて、僕に向かってなんの曇りも無く答えを出した。
「ああ。私は生産性の無い恋愛なんてしない方がいいと思っている。だから男同士の恋愛は、気持ちが悪いな」
「……そっか」
「なぜそんなことを聞く?」
「ううん……なんでも……気になっただけ」
当たり前。この父がそれを肯定することなんて無いに等しいのは分かりきっていたはずなのに、いざこうやって目の前で自分のことを実の父親に否定されると流石にしんどい。自分から質問したのはそうだけれど。
「女同士にも同じ事が言える。子を持てない恋愛や婚約に意味はあるのか。それを助長させる世の中にも、私は疑問がある」
「……お父さん……もういいよ……分かったから」
「む……そうか。お前も将来はいい嫁を連れてくるんだぞ。蒼」
「……」
そんな言葉に返事もせず、父さんに視線もやらず椅子から降りてリビングから出る。ため息すら出ず、重い重い足取りで階段を上がる。
僕がしている恋愛は、意味が無いらしい。僕が好きだと本気で思っている人は、生産性が無いらしい。僕が……見ている将来は……
「意味が……無い……」
部屋に入って鍵を掛ける。丈の長い学ランも裾の余ったズボンも脱いで、それが地面にバサっと勢いよく落ちる。
シャツ一枚、下も下着一枚の姿が鏡に映る。女の子みたいな骨格と体型のクセに、下半身には男にしか無いそれが下着の下にある。そんな姿に心底萎えてしまい、着替える気力も無くそのままベットに倒れ込む。
『男同士の恋愛は、気持ち悪いな』
父さんの言葉。心から思っているであろう父さんの考え。『気持ち悪い』、それはそうだろう。男が男に恋をして、ましてそれが顔も声も知らない人に対してなんて気持ち悪いに決まっている。少しでも同意を得られるかもしれないと微かな希望を抱いた僕が間違いだった。
「オリオンさん……」
スマホを手に取り、DMのオリオンさんのメッセージ欄をすぐに開いて、弱々しく文字を打って帰宅したと伝える。
【アオ : 帰りました】
送ってすぐに既読がついて、送信中と出る。そして送られてきた言葉は……
【オリオン : おかえり。今日も頑張ったな】
「う"っ……うう"ぅ"……」
何よりもあったかくて、誰よりも優しい。そう思える言葉だ。文字だけ、声も乗っていない文章なのに、揺れて崩れた心に支柱が刺さっていくような感覚がする。心の中の好きが溢れていく。どんどんと落ちていく。
【アオ : オリオンさん、撫でてください。よしよしって言うだけでいいです】
【オリオン : ん〜? よしよし〜。どしたんアオ? 恋人のお兄さんに甘えたさんか?】
【アオ : そうです。黙って撫でてください】
【オリオン : はいはい。よしよし……】
文字でやるのは実に滑稽だ。画面の中にいるオリオンさんだって、そう思っているはずだ。でも今の僕からすれば、こんなにも優しく僕を癒してくれる行為は無い。本当に頭を撫でられている感覚がして、心が安らいでいく。僕の丸い頭を、オリオンさんの大きな手のひらで包んでくれているような感覚。
側から見れば、馬鹿馬鹿しい。笑いたければ笑えばいい。そんなの関係ないくらいに僕はただ、『恋人』のこの人からの愛を直に受けていたい。自分のことを自分で、『恋人のお兄さん』と言ってくれるこの人の、仮でも感じる深い愛を。
「あーあ……戻れないなぁ……ほんと……」
包み込まれるような感覚の暖かさで、僕はそのまま瞼を閉じた。無防備で服も着替えず、下着の下のそれは少し期待を孕んで膨らみ気味だけど、それすら見て欲しいと思うくらいにオリオンさんという一人の男性に恋をしてしまっていた。




