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 まずは昔々のことからお話し申し上げましょう。

 うら若きオト姫様におかれましては、夜空の星々よりも遥かに遠いと思召(おぼしめ)されるに違いない、この古き時代の出来事からすべては始まったのでございました。


 明治天皇崩御(ほうぎょ)によって元号が大正と改められましたその年に、松枝(まつがえ)侯爵嫡男清顕(きよあき)様は十八歳になられました。そうですともお姫様(ひいさま)、あなた様と同じ十八歳の美しいこの若君こそ、〈隠された姫君〉の身分に甘んじるよりほかないあなた様の祖であり、善くも悪くも諸々の出来事の発端となられたお方なのでございます。


 清顕様と綾倉(あやくら)伯爵令嬢聡子(さとこ)様は、俗にいう幼馴染の間柄で、姉弟のように(むつ)まじくお育ちになりました。親しく交流を続ける両家は家柄の釣り合いもよく、本来ならばなんの憂慮もなしに、お似合いの良縁として祝福されるはずの美男美女カップルでございました。


 しいて難を言うなら聡子様が、清顕様より二歳年上であられたことでしょうか。当時の貴族社会において二十歳の姫君は、すでに行き遅れの感がありました。相当に肩身は狭いはずですのに、聡子様は持ち込まれる縁談を片端から断っておられたのです。


 けれどもついに、とある宮様との縁談を断り切れず、準備は粛々と進められます。大学生になったばかりの清顕様は父侯爵様から、この縁談に異存はないかと念を押されます。青年らしくもあり、(いささ)()(がた)く自分ファーストでもあり過ぎる矜持(きょうじ)ゆえに(おそらくですが)、清顕様はお答えになります。何もありませんと。


 物語はここから、いよいよ本編に突入します。自ら望んで大罪の域に踏み込む清顕様と聡子様の恋の顛末、真逆に揺れ動いては互いにつかみ損ね、行き違うお二人の心もようが紡ぎ出す機微は、わたくしなどが語るまでもなく、М島Y夫様の手になる「豊饒の海 第一巻 春の雪」というご本に、(つまび)らかに(あら)わされております。お姫様もぜひ、ご一読なさいまし。


 ともあれ、わたくしがここでお伝えしようとするのは、М島Y夫様のご本に書かれなかった真相の部分でございます。それこそは世人の耳目(じもく)(はばか)るところがあまりに大きく、天子様の大御心(おおみこころ)(わずら)わしかねない事柄ゆえに、М島Y夫様は熟慮の末、敢えて著わすべきではないと、ご決断なされたに違いありません。僭越(せんえつ)ながらわたくし鈴懸は、そのようにお察し申し上げております。


 宮様との婚儀が迫る残り少ない日々に、清顕様と聡子様は狂おしく逢瀬(おうせ)を重ね、聡子様はついに身ごもられます。お二人だけの秘密の恋は、松枝侯爵家と綾倉伯爵家が等しく共有すべき大問題となりますが、秘密裡に処理しなければならないという一点は不変でした。


 もっぱら松枝侯爵様が八面六臂(はちめんろっぴ)のご活躍をなされて根まわしと手筈を調え、聡子様は関西にご親族を訪ねる口実のもと、堕胎手術の旅に出ます。侯爵夫人と伯爵夫人が同行しました。ここまでは「春の雪」に語られている通りでございます。


 現実はその旅の途上で、松枝侯爵夫人都()志子(じこ)様が、はたとお目醒めになったのです。常日頃は夫君の侯爵様から三歩下がり、何事につけても異を唱えず、夫の是非に従う姿勢を貫いてこられたお方でした。


 それがいま、列車に揺られて馴染んだ東京の街並みを離れ、見知らぬ関西の地へ近づくにつれて、心細さと郷愁に捉われた都志子様のお心は、少女時代の無垢を取り戻されました。そして、松枝侯爵夫人としての〈体面〉という、偽りと虚飾にまみれたこの旅の本質に、否応なく直面なされたのでした。


 当時、堕胎は投獄されても当然の犯罪でした。そんな恐れ以上に、せっかく宿った命を葬らなければならない無情と不条理が、都志子様のお心を(さいな)みました。端的に言うなら、この赤子を失うことが堪らなく惜しいと、思召(おぼしめ)されたのでした。


 なにしろ清顕様は前述の通り、異邦人のごとくに理解不能なお方ですが、都志子様にとってはただ一人のお子様です。むしろ、理解不能な子であることを承知なさっている分、()志子(じこ)様はたしかに清顕様の母君でした。


 ふと、今回の一件が落着した後の将来に思いを馳せました。すると、清顕様が人並みに妻をめとり、(聡子様ではないその妻と)子を生すとは考えられないことに気づかれたのです。時を経るほどに、その思いは確信に変わっていったのでした。


 清顕様に妻帯の意思がないと知れば、夫君の侯爵様はどう出るだろうか。都志子様には手に取るようにわかりました。ひたすら〈体面〉を繕うために、今回とは別個の偽りと虚飾を塗り重ねようとなさるに違いないと。


 すなわち、ご自身の妾腹の子を養子に迎えようとなさるかも知れず、さすがに従順な都志子様といえども、こればかりは承服しかねる事態にほかなりません。実際に松枝侯爵様は、広大な邸内の一角に妾を囲っておられたのです。


 ()志子(じこ)様にとっては、ご自身のお立場を揺るがしかねない緊急事態の兆しでした。加えて、母なる者の頭上にときおり降りかかる、不思議な予感の為せる(わざ)でもあったように思われるのです。


 この赤子を闇に葬ってはならない。

 その一念が都志子様を突き動かしました。夫君松枝侯爵様に勝るとも劣らない弁舌と行動力を発揮して、まずは聡子様と伯爵夫人の説得を試みたのです。


 もしも叶うことでしたら。聡子様はすっかり諦めきったような面持ちで、ものうげに(うなず)かれました。そんなお嬢様のお姿を目の当たりにした伯爵夫人は、怖れおののきながらも深く(こうべ)を垂れて、どうかよろしくと仰られたのでした。


 かくして。

 聡子様が宮家へお輿入れなさる可能性はゼロとなりました。だからと言って、清顕様と手に手を(たずさ)え、生まれたお子様を(はぐく)みながらひっそり隠れ住むなど、たまさかにもあり得ません。宮家との婚儀をご辞退申し上げるに際して許された理由はただひとつ、聡子様の再起不能な重病のほかなかったからです。


「春の雪」未読のお(ひい)(さま)にはネタバレになってしまいますが、もう少しだけ、この鈴懸の駄弁におつきあいくださいまし。


 本来の訪問先であったご親族とは、格式高い尼僧寺院の門跡(もんぜき)様でした。聡子様は固いご決意のもと、遁世(とんせい)して寺院の弟子となられます。もとより宗派の教義は殺生を(いまし)めておりますから、お腹の赤子は当たり前のように守られました。


 侯爵夫人都()志子(じこ)様は、ご自身の発意による新しい企ての詳細を、清顕様には告げずにおられました。なにしろ我が子といえども、理解不能な異邦人です。どんな行動に出るか計り知れないと恐れ、いずれ折りをみて、そう考えていらっしゃいました。


 清顕様はただひたすら、聡子様にひと目会いたいと願い、煩悶(はんもん)(つの)らせておられました。そうしたご自身の苦しみばかりにかまけ、手術を受けた女人(にょにん)の苦痛と悲しみ、葬られたはずの赤子については、一片(ひとひら)の思いも及びませんでした。


 もとより、それしか(あた)わないお立場ではいらっしゃいました。高貴なお血筋の侯爵家嫡男であり、並外れて美しい容貌をお持ちの若君であられますから、もうそれだけで清顕様の存在は(はかな)く、不穏の一語に尽きるのでした。


 母の心も父の心も知らず、恋しいお方の胸の内さえ知ろうとするでもなく、ただご自身の熱情だけを小さな(はかり)に載せて、なるたけ大きな目盛りの数字を得ようと腐心なさるのが、清顕様の恋であり、誇るべき純真なのでした。


 極寒の季節、叶わないと知りつつ面会を願って聡子様の尼僧寺院に通いつめ、インフルエンザと(おぼ)しき病に罹った松枝清顕様は、数日後、二十歳で逝去なされました。


 いかにも長い前置きとなりましたね、どうか悪しからず。ですが、お姫様のお生まれの由来を正しく知っていただくためには、どうしても割愛できない序章だったのでございます。


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