わたしはスペア?
正調 とはずがたり 近代王朝絵巻 デジタル版
~侯爵嫡男と伯爵令嬢の道ならぬ恋は時空を超えて蘇る~
(1-1)
鈴懸と申します。
世にいう〈隠された姫君〉、オト姫様にお仕えする者でございます。ゆえあってご誕生からもうじき十八歳になられる今日まで、晴れやかな祝祭や儀式とは一切無縁に、あくまでも密やかにお育ちあそばされた姫君様を、微力ながらお守り申し上げてまいりました。
オト姫様のお血筋を問われたならば胸を張って、紛うことなき高貴な方々を祖と仰ぐ、やんごとなきご身分の姫君に在られますとお答えいたしましょう。けれども、悲しいことにその事実を証明する術はございません。そのために必要不可欠な書類というものを、お持ちではないからでございます。
オト姫様のお血筋を明らかにする書き付けの類は、どこをどう探しても見つからないでしょう。そもそも記されたことがないからだと、わたくしどもは伝え聞かされてまいりました。
卑しき平民の名が連なる戸籍簿などは無論のこと、わたくしのように高貴の方々にお仕えするべく生を受けた侍従民のリストにも載っておられません。申し上げるまでもなくどちらも、オト姫様にはふさわしからぬ下賤の身分であるがゆえでございます。
それならばと、〈公侯伯子男〉の五つの爵位から成る誉れ高い貴族の家々の系譜を辿ってみても、オト姫様に繋がるお名前を見つけることは叶いません。であってもわたくしどものお姫様ほど、気高き爵位にふさわしい品格と美貌を備え持つお方はそうおられぬと、秘かに自負しておりますのですが。
ご明察の通りでございます。
ご当人の姫様のみならずこの鈴懸もまた、〈隠された姫君〉であり続けるよりほかない今般の在り様に、と鬱々(うつうつ)と憂える思いを抱えてまいりました。そこへもって、思いがけず姫君様から頂戴したのが、以下のお言葉でございます。
「わたしはスペアなの?」
「ねえ鈴懸、本当はあなたもそう思っているのでしょう?」
にっこりと愛らしく微笑みながら仰られたオト姫様のまなざしは、目前のわたくしよりも遥かに遠いなにかを見つめておられるようで、虚ろな悲しみに満ち満ちているとお見受けいたしました。
わたくしどものお姫様が悲しんでおられる。
衝撃がこの身を貫きました。こんなにもお若くお美しいのに。楽しかるべき十八歳のお誕生日を迎えようとするこの折りなのに。そこでわたくしはふと、気づいたのでございます。
十八歳ですって?
先刻よりも大きな衝撃が、落雷並みの激しさでわたくしを打ちのめしました。なんということでしょう。これほど重大な事柄をうっかり失念しておりましたとは。わたくしどものお姫様が、とうとう十八歳になられるというのに。
わたくしとしたことが、なんと迂闊な。いかに日々の暮らしを支えるため、パート労働をふたつ掛け持ちしていようとも、うっかり失念などが許されるはずもない最重要の事柄でございます。あまりの失態に茫然自失、お返事さえ忘れて絶句するわたくしに、心やさしきオト姫様は以下のように宣われました。
「ねえ鈴懸。話して頂戴、わたしのこと。お父さまとお母さまのこと。それよりもっとずっと先におられたという、お二人のこと。ねえ、どうか秘密にしないで。わたしにもちゃんと聞かせて。だって。いずれはわたしの身に降りかかってくるはずの事柄なのでしょう?」
仰る通りでございます。いずれはすべてがオト姫様のか細い両の肩に、ずしりと重くのしかかってくるはずの、言うなれば宿命の賭けであろうかと、僭越ながらこの鈴懸は解しておりました。
吉と出るか凶と出るか。確率はきっちりと半々。情け容赦もなく、どちらかひとつ。だからこそ結果を突き詰めて予想することは、あまりに恐ろしく厭わしいがゆえに、臆病なわたくしの心がついうっかり、忘れたふりをしたがったのかも知れません。いいえ、きっとそうに違いないと、いまにして腑に落ちるのでございます。
このことは秘密にしなければならぬと、一体いつどちらのどなた様が、どのような場面でどこのだれに申しつけたのでしょうか。なにより肝心なはずだったそのことさえ、長い年月の過ぎる間には風雨に打たれ陽に灼かれ、赤のインクが消えてしまった案内標識のように、姿かたちも定かでない曖昧模糊な口伝えとなり果ててしまいました。
とはいえどもこの鈴懸は、侍従民の家系に生まれ育った者でございます。父母はそれぞれが絢爛たる宮様方のお邸にて、長く近しくお仕えし、過分なるご信頼とご寵愛をいただいた者たちでございました。
然るにわたくし鈴懸もまた、お仕えする姫君様への忠義の念は決して父母に引けを取りません。オト姫様が如何に数奇な宿命を背負ったお方であろうとも、怯むものではございません。むしろ一層の篤き決意を新たに、益々の忠義を尽くしてまいる所存でございます。