春風は彼方へ 前編
戦いは終わった。ほんの一握りの希望を残して。
死亡し塵へ帰ったヴィーに代わり拘束されたのは、捕虜殺害・命令違反・無権限指揮を行ったレオンハルト。
連行された帝都司令部での軍法会議によって、家名の剥奪、階級剥奪、懲罰部隊『破棄部隊』編入を宣告された。
その場で処刑にならないだけまだマシだ。次の出撃までは命を繋げる上に、何度か生き残る事も、敵や戦死した友軍の魔導デバイスを鹵獲して戦果を挙げる事が出来れば『名無し部隊』に昇格できるかもしれない。
ただし、これは全て運が良ければの話。あくまで『もしも』の話だ。
そう幸運が続くのは、余程超常的存在に愛されているか、死神に蛇蝎の如く嫌われているかだ。
判決文が読み上げられても、レオンハルトは一言も発する事なく、僅かにぽかんと口を開けたまま、ただ虚ろに頷き無抵抗のまま連行されたと聞く。
憎しみも、怒りも、悔しさも、悲嘆も……そしてオルディス家という誇りも──すべて燃え尽きた、ただの灰の如く。
多くの兵が死んだ。
その責任の一端が、レオンハルトにある事は誰の目にも明らかだった。
だが同時に、物事を良く知らぬまま擁護でも非難でもなく、ただ客観的に文字だけを見て語る声も多かった。
「あれほどの復讐心を抱えたまま、正気でいられる人間がいるはずがない」
「寧ろ、よくここまで踏み止まっていた方では?」
だとしても、名も立場も人としての権利も失った男にわざわざ手を差し伸べる者は、もう誰もいなかった。
軍は既に次の作戦を進め、戦死者の集計が行われ、死者への追悼の時間すら簡素に形式的に済まされる。
――戦争は、人の憎悪の応酬は簡単に止まってはくれない。
それはアリサも同様だった。
胸の奥に割り切れぬざらつきが残ったまま、それでも前を向かざるを得ない。
得た情報は、あまりにも乏しい。
ただ──救済の御手の中枢と思しき地下拠点は、電波塔の見える都市にある。
……本当に、それだけ。
だが、条件が該当する街は無数にある。
一つずつ虱潰しに越境し、攻撃し、命を削るしかない。
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夜営中哨戒任務に就いていたアリサは、ふと暗視機能を切り久々に晴れた夜空を見上げていた。
人口の光が世界から徐々に減っているせいか、星はよく見えた。
知識として頭にインプットされている星図と照らし合わせ、肉眼では中々見れないとされていた暗い星々さえ、目を凝らせば見える幻想的な光景。
でも、それを美しいと思う心は、とうの昔にどこかで置き忘れてきてしまった。
ようやく厳しい寒さも過ぎ去り、穏やかな春の夜風が立ち止まった彼女の背を押すように吹き、歩き出そうと踏み出した靴に小石が当たって小さく跳ねる。
夜営地の外れで聞こえるのは、自身の歩く靴底が荒れた地の石を踏む音と、ナノマシン通信で定期的に発せられる異常なしの報告。
その静寂の中に、足音と共に誰かの気配がアリサへと近付いて来ていた。
「……H-163?」
振り返るまでもなく誰か分かった。
桃色の法衣は泥に汚れ、裾はほつれ、ところどころ焦げている。
それでも彼女――S-087は、いつものように明るい笑顔を浮かべていた。
「眠れないの?……あ、違うか。見張りだったんだよね」
そう言って苦笑し、隣へ立つ。
暗闇を恐れるでもなく、当たり前のように。
「……今日の作戦のこと、考えてたの?」
優しい声を向けられても、アリサは頷きもしない。
ただ夜空を見上げ続ける。
そんなアリサを見て、S-087も星空を見上げた。
――今日も大勢の仲間が塵に帰った。
戦地へ出た事のない帝都に引きこもったままの司令部の考える作戦など、理論上では可能であってもその損害は軽く見積もられがちである。
現場の兵士の事を盤上の駒としか思っていない。何も考えていない。
最初は同時展開される越境攻撃に救済の御手側は混乱し、迎撃に当たる魔導人形も敵兵士も、対空砲火ですら少なく、それぞれの任を少ない被害で達した。
多くの部隊が皇国全土で同様の作戦を行えば、それだけデータを得て敵の対応も的確になっていくのは避けられない。
昨日より今日、今日より明日と敵の防御は固く、迎撃も激しい物になっていく。
名前も顔も覚えていない同じ分隊員が、明日には別人になって同分隊に補充される。
それでも次に進むしかない。
正しい正しくないと考えるのは後回しだ。それは彼女自身が最もよく知っている。
今一番大事なのは……自分が死なない事。それだけだ。
互いに無言のまま星空を眺めていた二人だったが、大きく伸びをしてからS-087が小さく呟いた。
「ね……H-163。私、間違ってるのかな」
アリサの眉がわずかに動いた。
だが彼女は沈黙を貫く。
「皇国を、誰かを守る為に私は杖を取った。分かり合えなくて、今まで積み上げた物を全部壊そうとする人達を……沢山手に掛けた」
彼女はきゅっと胸の前で両手を組んだ。
――美しい星々に懺悔するかのように。
「本当は……戦う事自体が間違いなのは分かっている。あの人達にも守りたい人がいる事も、自分の自由を得る為に戦っているのも分かるの。……私も二級国民だし」
その言葉は、戦場の華であり英雄である『春風の乙女』としてではなく、ただ悩み不安げに身体を揺らす普通の少女のものだった。
アリサはようやく星空から視線を外し、S-087の横顔を見る。
どこでも、いつでも。例え戦場であっても誰にでも優しく柔らかな笑みを浮かべる彼女が、今は笑っていなかった。
「S-087。私はあなたが全て間違っているとは思わない」
S-087はゆっくり瞬きをし、アリサへと視線を交わした。
「……でも、正しいとも思っていない。これは誰にも答えられない。誰にもこれが正解だと答える資格はない」
淡い星の光が二人の横顔を照らす。
「誰かを守りたいから戦う。自由を得たいから壊す。……自分が生き残りたいから、どちらかしか座れない生者の為の席を勝ち取る為に――殺す。何が正しいかなんて……生き残った方が決める。……それだけ」
それは残酷な真理。
戦場に立つ者が逃れる事の出来ぬ現実。
「……だから、生き残って……勝たなければならない。自分の選択が、ここまで歩んで刻んだ時間が正しかったと証明するために」
「……そっか」
S-087は再び夜空を見上げ、またいつもの笑顔に戻る。
「じゃあ私は守る側が勝つ未来を信じて選ぶ。戦うのは嫌だけど……守りたいものがあるから」
その言葉はあまりに無邪気で、あまりに残酷で、あまりに美しかった。
アリサは小さく息を吐き、短く呟く。
「……変な人」
S-087は嬉しそうに肩をすくめ、いつもの明るさで笑った。
「うん、変だよ私。知ってる♪……でもね、それでいいの。だって、それが私の信じる正しさだから!」
そう言ってS-087はにっこりとアリサへ笑いかけた。
アリサは視線を伏せ、僅かに肩の力を抜いた。
彼女の横に立つこの時間が、なぜか悪くないと思ってしまった自分自身に、少しだけ困惑する。
一度得てしまえば、あとは失うだけ。
温もりを知れば、無くすのが怖くなる。
愛は甘美で危険な毒だ――オルディス家で痛い程知ったはずなのに。
「あ、そうだ!レオンハルト少佐があなたの事アリサって呼んで……あなたも少佐を兄様って呼んでいたけど、本当の名前はアリサ・オルディスさん……?」
「……もうその名前の人間はいない。私はただのH-163だから」
「そっか……。そういえば!前に好きに読んでいいって言ってくれてたよね?」
その言葉にアリサは、そんなこと言っただろうか?と首を傾げ、すぐにまさか……?とS-087へと顔を向けた。
「アリサちゃんって呼んでいい??」
――やっぱり。
アリサは返答に詰まり、言葉を探すように視線を揺らした。
「……勝手に呼べばいい」
つい棘が混ざった声音になってしまった。
突き放したかったわけじゃない。
ただ……変に期待したくなかっただけ。
距離を置いてくれれば、失った時に傷付かずに済む――そう思っていた。
でも。
「うんっ!じゃあ今日から二人でいる時はアリサちゃんって呼ぶね♪」
心底嬉しそうに笑うS-087の声は、アリサの拒絶を拒絶として受け取らなかった。
その無邪気さが痛いほど眩しい。
アリサは小さく息を呑む。
──もし、この手を伸ばしてしまったら……きっともう離れられなくなる。
夜風がふわりと二人の間を通り抜ける。
得てしまえば、いつかは必ず痛みと共に失われる。
それでも――欲しいと思ってしまった。
この優しき温度を。
この声を。
目を背けたくなるぐらい、眩しいくらい笑顔を。
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それからも越境作戦は続いた。
終わりのない消耗戦だった。
『生還率、前提にあらず』
この言葉の重みが、出撃の度に増している気がした。
敵地へ侵入し、電波塔の見える都市を破壊し、また次の都市へ向かう。
どの町も似ている。数刻で生み出される瓦礫の山、立ち昇る炎、激しい抵抗と殲滅、そして撤退。
繰り返す度に戦場での記憶は曖昧になり、死者の人数だけが鮮明に蓄積されていった。
補充兵は毎日やって来る。
突出せずに防衛戦のみ行う各方面軍には、もう攻める為の部隊は要らないのだ。
昨日隣にいた者の名は思い出せず、今日新しく来た者の顔も識別番号も覚える気にならない。
どうせ数日後にはまた入れ替わるのだ。
――そんな中で、唯一変わらないものがあるなら、S-087の笑顔だった。
いつしか二人は第二分隊へ割り当てられ、常に同じ範囲で戦うようになった。
戦場でも野営でも、視界に彼女がいることが自然になっていく。
「ほら、今日もちゃんと食べなきゃ〜!栄養は大事だってナノマシンも言ってるでしょ?」
彼女は当然のようにアリサの隣へやってきて、一緒に食事を取る。
「んー暑くなってきたなぁ~……あ、アリサちゃんにも冷風吹かせてあげるね?」
季節が廻り夏が来たら涼やかな風を。
「ふんふん~♪今日はオシャレにお団子にしてみました!どうかな?」
朝には鼻歌を歌いながら、アリサの髪を結び直してくれる。
アリサはされるがままに、拒まない。
しかし、一定のライン以上はまだ踏み込ませない。
どこまでも微妙な距離を保ったまま。
これ以上得てしまえば、失うのが怖い。
愛は自分を弱くする毒だと、骨の髄まで知っていたから。
戦場では、二人は異様なほど噛み合った。
S-087が暴風で足場をならし、その風の流れに沿ってアリサが駆け抜けて敵の急所を断つ。
アリサが索敵をすれば、S-087はすぐさま風の砲撃を発見した敵へ放つ。
直感が働くアリサが防御を受け持ち、S-087は攻撃に専念する。
連携の際は、言葉すら必要ない。
考えるより先に互いの行動が重なる。
その戦果は積み重なり、気が付けば魔導機動部隊のエースとして君臨していた。
「第二分隊到着!これで勝てるぞ!」
「春風の乙女が前にいる、押せ!」
いつしか二人は義勇兵達の恐怖の象徴となっていった。
S-087の代名詞とも言える暴風魔法が戦場をかき混ぜると、敵は無理な攻撃をやめて後退を始める程に。
無論、S-087とアリサ以外にもエースは各戦線に存在していた。
だがうら若き乙女であるS-087とアリサは絵になった。
友軍らの士気を上げる為。
そして皇国の勝利を民衆に信じさせる為。
彼女達は前へ前へと進み続ける。
――戦いは続く。
失われる命は増える。
その度に、二人は互いの背中だけを頼りに生き残った。
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夕暮れ。次の越境作戦の前。
野営地全体を薄紫色の影が包み、空は沈む前の茜色に染まっていた。
風が優しく吹き、初夏の匂いを運んでくる。
アリサが魔導デバイスの点検を静かに行っていると……。
「アリサちゃーん!」
元気な声と共に、S-087が笑顔で両手に食器を持って駆けてくる。
「ご飯、持ってきたよ!一緒に食べよ?」
「……感謝する」
すっと手をかざして土魔法で手頃な大きさの椅子を二つ作成する。
……椅子といっても、表面をツルリとさせたほんのりひんやりする岩だが。
「えへへ、ありがと!」
S-087と並んで座り、今日も変わり映えのないブヨブヨしたペーストをスプーンで口へ運ぶ。
最近また効率食の味が落ちてきているような気がすると、アリサは無表情を崩さずに、僅かに眉を顰める。
一方のS-087は、変わらずニコニコ笑顔を絶やさなかった。
二人の持つ食器から効率食が姿を消した頃、名残惜しそうに地平線がまだ夕焼けで色付くのを眺めながら、S-087がぽつりと呟いた。
「きっとまた、最前線に出されるんだろうね。……怖いけど」
言葉を切り、少しだけ唇を震わせた。
「けど、アリサちゃんが隣に居てくれるなら大丈夫」
迷いのない笑顔を向けてくる。
アリサは返事をしない。
視線が一瞬だけ、S-087へ吸い寄せられた。
その一瞬の視線に、彼女は気付かない。
アリサの胸の奥に、温かな感情が灯っていた。
凍り付いた心が溶けかけて、軋むほど痛みを感じてしまう感情。
――もし、あともう一歩だけ心を許せば。
きっと私は救われるのだろう。
……でも。
救われた私は、救ってくれた彼女を失ってしまえば、きっともう立ち直れない。
……だから踏み込まない。
決して踏み込ませない。
それなのに。
……それでも。
今だけは願ってしまった。
――もう少しだけ、彼女が笑っていてくれますように、と。
瑠璃色の空の下、S-087の笑顔が脳裏で揺れていた。
後編へ続きます!




