春風の乙女
早朝の訓練場は、まだ朝靄が薄く漂っていた。
昨晩の内に続々と各方面軍から引き抜かれ、帝都に帰還した兵士達が既に整列を始めており、アリサが足を踏み入れた瞬間、いくつかの視線がこちらをかすめた。
それに籠められるのは敵意ではない。……だが好意的な視線でもない。
ただ──同じ場所へ放り込まれた品物を確認するような、乾いた眼差し。
誰も声を発さない。
誰も誰かと寄り添おうとはしない。
彼らは皆、死地を生き抜いてきた強者達なのだ。
だからこそ戦地で紡いだ絆以外に、無駄な情を与えない。
故にその視線にあるのは、何度目の出撃まで生き残れるかという品定めの意のみだった。
……この程度、どうでもいい
アリサも冷ややかな視線を兵士らへと向け、互いに同時に目を逸らした。
あまりにも早く集まり過ぎた兵士達は、結局誰も一言も発する事無く、静かに白い息を吐き定刻を待っていた。
やがて訓練教官が姿を現した。
「──注目。辞令通り、諸君等は新設部隊である『特別侵撃魔導機動部隊』に本日より正式に編成される」
教官の声はよく通るが、どこか熱のない声だった。
淡々と、尚且つ冷酷に必要事項だけを告げていく。
「本日行う演習で各々連携を完璧に仕上げるように。三日後には実戦に投入予定故、各員抜かるなよ。それでは編成データを送付する」
教官がこめかみに手を当ててナノマシンの操作を行おうとした、その瞬間だった。
軽やかに誰かが走る足音が沈黙に満たされた訓練場に響き、濃い朝霧のカーテンを開け放つかのように、吹き飛ばした。
次いで、鈴を転がすような明るい声が訓練場の沈黙に満ちた空気を破る。
「すみませーんっ!遅れました!S-087、ただいま到着しましたーっ!」
その声はあまりにもこの場にそぐわないほど柔らかく、厳しい冬の寒さに終わりを告げる春の風みたいであった。
あまりの異物感に、アリサの視線が自然とそちらへと引き寄せられる。
その少女が纏う装備は、この死地に集められた歴戦の兵士達の喪服のような法衣とは明らかに異なっていた。
無駄を削り右に倣えの模造品とは異なり、どこか丸みと柔らかさを意識したふんわりとした桃色の布地に、裾元や背中等にもリボンの装飾が施されている。
……場違いなほどに、軽やかで可憐。
S-087は教官の前でぴたりと止まり、呼吸を整えるように深く息を吸い込んで、敬礼を一つ。
「えっと!遅れてしまってすみません!途中で道間違えてしまって……急いできました!」
満面の笑顔を咲かせる。
場にいた誰もが言葉を失った。
それは怒りでも呆れでもない。
ただ、あまりにもこの空気に似つかわしくない空気に反応しそびれたのだ。
すぐに我に返った教官は眉をヒクヒクと動かし、仏頂面のこめかみに青筋を浮かべた。
「……S-087。貴様だけだぞ……他の兵士は集合時間より早く此処にいた。……後で私の元へ来るように」
「は、はいっ!」
教官の射殺すような剣幕に押されたのか、流石に上擦った声で返事をして、S-087は走って列へ戻っていく。
——その途中、アリサの前で彼女は足を止めた。
そして向き直り、正面からまっすぐアリサを見る。
「……H-163さん、ですよね?」
彼女は目が合うと大きな瞳を更に大きくし、キラキラした目で興味深げにアリサを見つめた。
「……何か用ですか」
自分でも驚くほど、返す声は冷たく硬い。
それでもS-087は怯むどころか、ふわりと微笑みを深めた。
「ううん。なんとなく、挨拶した方がいい気がして。だって——」
その言葉の先を、教官の声が切り裂く。
「S-087、配置に付け!」
「わわっ、はいっ!」
ぱっと離れ、駆け戻る少女。
「……それとH-163、貴様も同罪だ、後で私の元へ来るように」
「……はっ」
アリサは、無意識に少しだけ拳を握り締めていた。
胸が妙にざわめく。
だがそれは、S-087に巻き込まれた苛立ちや怒りではない。
これが何なのか、理解が出来ない。
ただ、S-087という存在そのものが、この部隊にも、この訓練場にも、この世界の空気にも馴染んでいない。
まるでこの世界のモノではない、摩訶不思議な生物を目にしたような感覚だった。
理由も正体も分からないまま、胸の内側が静かにざわめき続ける。
教官の言葉は耳に入っているにも関わらず遠ざかり、深い思考の海に沈みゆく。
アリサは結局、解散の号令が下るまでその怪物が残した波紋の正体を掴めないまま、ただ立ち尽くしていた。
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「……失礼致しました」
「失礼しましたっ!」
解散後、教官に叱責され訓練場の外周10周を言い渡された二人は、早速全速力で走り出す事となる。
一人は無表情、もう一人は罰を食らっているにも関わらず何故か笑顔のままであった。
さっさと終わらせて演習に戻らねばと、更にスピードを上げたアリサにS-087はピタリと隣を並走し続け、笑顔でアリサに問いかけた。
「ねぇH-163さん?魔導砲……本当に一分隊だけで破壊したの?」
——無論、アリサは答えない。
別に彼女は嫌がらせや悪意を持って沈黙している訳ではない。
ただ、話す必要がないと判断しただけなのだ。
だが、S-087は気にも留めていない様子でぴたりと横を並走し続けた。
「私、この部隊にその生き残りの女の子がいるって聞いて、お話してみたかったんだ!」
アリサは視線を前に向けたまま、どこか小さく苛立ちを感じていた。
別に質問される事が苦手なのではない。
ただ無遠慮に踏み込んでくる存在に慣れていないだけだ。
「ねぇ、ほんとのところどうやって——」
「……走れ。口を動かす余裕があるなら、まだ加速出来るだろう」
氷のように冷たい一言を吐くと、アリサは更に加速を続け、地に積もる雪を激しく巻き上げてS-087と距離を離す。
その言葉の冷たさと態度に、普通なら怯んで距離を取るだろう。——だが、この少女は違った。
「あははっ、ごめんごめん!確かにそうだよねっ!」
S-087は嬉しそうに笑ったまま、アリサに置いていかれないようにその背を追いかけ加速した。
……何なんだ、この人。
理解不能な存在が自分の後ろをぴったりと着いてくる様は、さすがのアリサをしても困惑せざるを得ず、完全に突き離そうと本気を出して大地を蹴る。
だがそれでもS-087は、アリサの後ろをしっかりとキープしながら笑顔で追いかけていく。
――後に彼女等の様子を見ていた兵士はこう語った。
正反対の表情を浮かべて走る二人は、とても同じ罰を受けているとは思えなかったと。
外周のランニングを終え、息を付く間もなく演習が始まった。
アリサは第七魔導歩兵分隊の分隊員として割り振られ、それぞれ扱える魔法の属性や精度を分隊内で共有していく。
今回の第七分隊は男が九人、女はアリサ一人だけ。
年齢層も壮年から青年まで幅広く、アリサは大隊の中でも変わらず最年少のままであった。
だが懲罰部隊の頃のように舐めた目では見られない。
何故ならこの部隊に配属されると言う事は、間違いなく優秀である証拠なのだから。
「飛行魔法で編隊を組む、速度高度はバイザーの指示に従え」
各々が魔導デバイスに魔力を流し込み、自身に繋がれた重力の鎖を外していく。
ナビゲーターに従いふわりと上昇した兵士達は、自然とそれぞれの距離を調整し菱形を描くように並び、分隊長を先頭に飛行を始める。
次々と他の分隊も合流を続け、空に巨大な鏃を描きながら帝都上空を旋回し飛行していく。
その堂々たる様は被害を受けた帝都市民達を振るい立たせ、歓声と共に拳を突き上げ、久方ぶりの笑みを浮かべさせた。
しばらくの飛行の後、次第に編隊は解けていき、各々の隊のタイミングで訓練場へと降下していく。
下手に怖がって降下速度を緩めてしまえば、敵に良い的にしかならない。故に訓練ではギリギリまで高度を下げつつ、地表寸前でふわりと着地する事を叩きこむのだ。
『降下に入る。全員続け』
第七分隊も他部隊と同様に、水平飛行から降下軌道へと進路を取り、猛スピードで地上ギリギリまで加速して落ちていく。
――地表が目前に迫る。
風圧が肌を切り裂きそうなほどに強くなり、恐怖に負け他兵士達が速度を緩める中、アリサは加速したまま呼吸を整え、寸分違わぬタイミングで魔力を噴出し、ふわりと着地地点の積雪を吹き除けながら、靴底から衝撃を受ける事無く完璧に着地する。
遅れて分隊長が、更に遅れて分隊員がバラバラと着地を終え、すぐに隊列を組みなおす。
「……ふん、残念な事に地上に叩きつけられてひき肉になる奴はいなかったか」
「今日の食事量は変わらずってね」
分隊長の言葉に分隊員が軽口を叩く。
隊員達のバイザーから覗く口元は弧を描いており、ほんの一瞬だけ場の空気に笑いが混じった。
――その直後、空から一筋の桃色の閃光が訓練場へと降り注いだ。
地表寸前で強引に魔力を反転させたのか、轟音と共に雪が跳ね飛び訓練場の硬化石材の床が顔を覗かせる。
その着弾点に立っていたのは、飛行の際邪魔になると結んだ髪をふわりと解くS-087だった。
「ふぅ~っ……!ひき肉セーフ!」
けろりと笑っているその背後で、巻き上がった雪が光を反射しながら再び大地へと舞い散っていく。
「お前なぁ……」
彼女が所属する分隊の分隊長が額を押さえ、周囲に小さな笑いが起きる。
本来であれば鉄拳制裁を食らっても可笑しくない悪目立ちする着地。
それでも彼女は兵士達の笑顔の中心にいた。
アリサはその様子を静かに見つめ、やがて興味を失ったように目を背けた。
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飛行中のアリサ達は知り得なかったが、地上からしっかりと編隊飛行の様子がプロパガンダ用に録画されており、翌日『皇帝陛下の三種の神器たる弓より、悪鬼を射抜く矢が放たれた!』と、人々を勇気付ける為に至る所で放映される事となる。
またその編隊飛行の後には兵士らへ笑顔を振りまくS-087の姿が映り、その映像に付けられた字幕を見て、アリサはようやくあの怪物が、東方戦線の『春風の乙女』と呼ばれる実力者である事実を周囲より遅れて知るのだった。
「春風の乙女——か」
アリサは短く息を吐き、視線を画面から外した。
戦場には……春など存在しないはずなのに。
「……私には、関係ない」
頭をもたげかけたS-087への好奇心を抑え込むように、アリサは自分自身へ言い聞かせるように呟き、固く狭いベッドへと身を委ねる。
つい先程まで見ていた情報モニターのディスプレイを消し、部屋の電気も合わせて消灯する。
——明日には、実戦投入。無駄にする時間は一秒とない。
アリサは目を閉じ、静かに呼吸を整え、規則正しく小さく寝息を立て始めるのだった。
――アリサの脳内メモ
S-087——市民や仲間の前ではふわふわとした雰囲気を纏う少女。その仕草や佇まいからは二つ名を持つ程の実力者には見えない。
……だが、彼女に敵として戦場で出会うのなら、特徴的な桃色の法衣が目に映った瞬間、全力でその場を離れる事を推奨する。
『春風の乙女』の名は伊達ではない。——しかし、対処は可能。
追記――食堂や合同演習中に妙に距離感が近い。 迷惑……ではない。だが……何故か落ち着かない。
今後も観察対象として監視を続ける。
それでは次回予告です
~~次回予告~~
特別侵撃魔導機動部隊、出撃す。
目的地は、皇国防衛の要たる前線要塞。
交錯する命令と、春風のように自由に駆け抜け舞う少女。
舞い降りた戦場で私を待ち受けるのは……。
次回「怨敵は深き守りの懐に」
それでも、私は立ち止まらない。




