失って、与えられて
微かな電子音に耳を擽られ、アリサは重い瞼を開けた。
白い天井。無機質で固く狭いベッド。
完全に乾いた喉を動かそうとして、声にならない吐息を漏らす。
舌はべったりと口内に張り付き、無理やり動かそうとすると癒着しかけていたのか、鉄の臭いが鼻を突く。
荒療治だが仕方ないと顔の真上に魔法で水球を作り出すと、一思いに顔へと落下させ一気に水分を補給し――当然だがむせて咳き込む。
冷たい水でぼやけた意識もしゃっきり戻り、いざ起き上がろうとした時、違和感に気付く。
四肢を動かそうとすると、無数の針を刺されているようなむず痒い痛みがピリピリと襲って来る。
日常的に動く分には問題ないが、終始これが付きまとわれると厄介極まりない。
無理やりに勢いをつけてベッドから起き上がると、枕元に一つの小型ホログラム投影機が置かれていた。
軽く手をかざすと薄い光が瞬き、僅かな魔導機動音と共に、少将の襟章を付けた壮年の男性の映像が映し出される。
『H-163、司令部は貴官の働きが懲罰を清算するに値すると判断し、現時刻を以て懲罰部隊からの復員を認む。また療養を終え次第、司令部へと出向せよ。以上』
アリサの目が、わずかに細まる。
それは祝福の言葉か、あるいは呪詛か。
枕元のホログラムは何も答えず、淡々と光を散らしながら消えた。
残るのは、焼け焦げた記憶と――また歩け、と命じる声だけ。
びしょ濡れになったベッドを魔法で乾かし、着せられていた医療衣を脱ぎ捨て、壁に掛けてあった自分の軍服を身に纏う。
鏡に映る自分の顔は相変わらず無表情で、すぐに目を逸らした。
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彼女が眠ったままの三日間で帝都は再復興――する事は出来ず、急減した人口に合わせた街作りになっていた。
壊滅的な被害を受けたのは帝都中央と西部、そして北部南部の西側に被害が出ており、東部は屋内にいた人間に関しては高い生存率を記録している。
また壊滅した西部のシェルターは一部が崩壊しており、避難民の半分が被害を受けるも半分は生き残るというデータが取れ、更地となった西部エリアには改良型のシェルターが乱立する事となる。
アリサが搬送されたのは東部の空き兵舎だった。
皇国軍の主力はすでに各戦線へ投入され、帝都の兵舎はほとんど無人――だから、空いていた。
アリサは久方ぶりの効率食を口に運ぶ。
懲罰部隊時代の、腐臭に近い粥状の廃液ではない。
一般兵が口にする、塩味の効いた落ち着いた香りのペーストだ。
味は――今はどうでもいい。
ただ、身体が勝手に栄養を欲して飲み込んでいくだけ。
目の前の情報モニターには、三日間で更新された前線図が赤と青の光の点滅で示されていた。
皇国軍の勢力図は、一目で分かるほどに……後退していた。
あまりにも拡大し広げ過ぎた前線は敵の突破を容易にする要因となっていた。
今回の帝都襲撃も戦線が伸び切り、兵士の展開が薄くなったところを突かれた突破作戦によるものだと情報部は発表していた。
これを受け、完全に進行が停滞していた前線は放棄され、大幅に後退する事により強固な防衛線を張り直した。
また皇国軍は後退する際に大量の魔導人形をばら撒いて後退しており、皇国軍が引いて喜び意気揚々と前進した義勇兵は、瓦礫の底や降り積もった雪の下から現れた魔導人形によって少なからず被害を受け、歩みを遅くしていた。
未だに敵の首領であるアークの居場所は掴めていない。
皇国軍がこの戦争を勝利で終わらせる為には、かの男を仕留めなければならない。
無論、彼だけでなくその幹部達も根こそぎ刈り取らねばならない。
一人でも残せば、次いつ残した根から雑草が生えるのか分からないからだ。
それに対し、救済の御手は白亜の居壁に魔導砲を撃ち込むという、皇帝の殺害へと王手をかけたのだ。
支配する領地は皇国軍が圧倒するも、勝利条件という手では救済の御手側に圧倒的なアドバンテージがある。
この事実に軍司令部は頭を抱え、情報局により一層の情報を収集するように求めた。
そして……各方面軍から戦績優秀な人材を選出し、起死回生を狙う特殊部隊を編成する事となる。
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食事を終え、身支度を済ませたアリサはすぐに司令部へ向かった。
かつては民間輸送車に揺られ、車窓から白亜の巨壁をぼんやり眺めていた。
だが今日は徒歩だ。瓦礫の片付けも追いつかない道を、軍靴の音だけが乾いた調子で鳴り続ける。
それでも――巨壁だけは、あの日と変わらぬ白さだった。
亀裂一つすら見えない。
まるで魔導砲の被害など最初から存在しなかったと言わんばかりに。
脳裏に、崩れた向こう側の景色が一瞬だけ滲む。
ナノマシンが警告するように反応し、胸の奥で嫌なざわめきが広がる。
――見てはならない。あれは、この世界の禁忌だ。
静かに頭を振り、浮かび上がった澄んだ青空の断片を意識の底へ押し戻す。
代わりに、これからの現実へ意識を向けた。
司令部に呼ばれるのは、これで二度目。
ただ……前とは決定的に違う。
父はもういない。……兄も、兄ではなくなった。
忌み嫌う元妹だったモノである私を今更呼ぶはずもない。
――なら、誰が。どんな意図で。
アリサは足元の細かい瓦礫を踏みしめながら、胸の奥に小さな騒めきを抱えていた。
司令部の入口には、仮設の防御魔法発生器が三基も並んでいた。
砲撃で損傷した壁は応急の金属パネルで塞がれ、所々に焼け焦げた後が残っている。
玄関を過ぎれば、至る所からの怒号と慌ただしく行き交う人々の足音が響いていた。
「やかましいッ!責任問題は軍法会議に回せ!今は復旧が先だと言っているだろうが!」
「魔導砲の残骸解析班はどこへ行った!寝てる場合ではないぞ!」
通り過ぎる誰もが視線の端に場違いなアリサの姿を捉えた瞬間、一瞬だけ言葉を止める――
だがすぐ、混乱の奔流へ戻っていった。
受付の事務官に場所を聞き、司令部南棟の会議フロアへ向かう。
そこだけは戦禍が比較的少なく、豪奢な床がまだ原型を残していた。
ある程度進んだ先、とある会議室の扉の前で立ち止まり、ナノマシンに送信されたデータの部屋番号と違いない事を確認し、ドアをノックする。
「入室を許可する」
「……失礼します」
会議室は形式だけ整っていた。
楕円卓の前には簡素な椅子が一つ。そこに士官の一人が腰掛けているのみで、他の面々の姿は見えない。
帝都襲撃を受け、誰もが忙しく、現場に駆けつける余裕などないのだ。
アリサが入室し、所定の場所に起立すると卓上の端末が小さく震え、壁一面のホログラム群が一斉に点灯する。
将官の顔が光の粒となって浮かび上がるが、画面越しの目線はどこか事務的で、誰一人アリサに親身な表情を向けてはいない。
胸に中佐の襟章を光らせる男性が端末を指で弾き、淡々とその内容を読み上げる。
「H-163。事前通達はしているが、貴官は既に懲罰部隊からは復員処理が済んでいる。故に次の配属を告げる」
士官の声は必要最小限で、感情の籠らぬAIのようだった。
ホログラムで映る将官の一人が士官へと早く進めろと言わんばかりに顎でしゃくる。
面倒事を手早く片付け、次へ移りたいだけだというのが言わずとも態度ではっきり伝わる。
「……H-163。現時刻を以て、貴官を特別侵撃魔導機動部隊への編入を命ずる」
士官はデータをアリサのナノマシンへと送信する。そこには任務概要と編成表のデータが並んでいた。
「……お言葉ではございますが、その部隊の事を存じ上げません」
「当然だろう。新設されたばかりの部隊だ。……おめでとう、貴官は選ばれたのだ」
ホログラムの将官は言葉では祝辞を送っているが、その声色と表情には皮肉が見え隠れしていた。
アリサの瞳がわずかに揺れる。インプットが終わったデータから読み取れた任務概要は、敵の包囲を強行突破し、敵深部に潜む首領を討ち果たす事。
アリサが返事をする間もなく、将官のホログラムは既に次の案件があると一方的に通信を切り、士官はやれやれと軽く肩をすくめる。
「明日には引き抜きを受けた兵士が帝都へと集うだろう。上官の指示に従え。以上」
アリサは静かに敬礼し、会議室を後にした。
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諸々の処理や新しい軍服の受領。最後には復旧の手伝い等に駆り出され、兵舎に戻る頃には外は既に薄闇が落ちていた。
誰もいない食堂に入り、アリサは効率食の配膳機に魔力を流す。
粘質な音を立てて落ちたペーストは、わずかに湯気を立てながらトレーの中央で揺れていた。
席に座り、無言でスプーンを持つ。
アリサが規則的に、何も感じずにペーストを口へ運んでいくその間、網膜にはナノマシンが士官から送られた部隊データが投影されていた。
――特別侵撃魔導機動部隊は、各方面軍からの選抜であり練度は総じて高い。士気も悪くない。
……でも。
『生還率、前提にあらず』
短い文面が、胸の奥に氷の棘を突き刺していく。
華やかな名を被せただけの鉄砲玉部隊。
敵の重防御をこじ開け、指揮官の首を獲るだけのために編成された寄せ集めだ。
だが、そんな寄せ集めに頼らねばならない状況まで追い詰められたのだ、皇国は。
口の中のねっとりしたペーストが、泥を噛んでいるような味に変わった。
アリサはゆっくり深呼吸し、瞼を閉じてデータを消す。
分かっている。
こういう場所に自分が入れられる理由も。
ここで死ねば、都合がいいと思っている者の顔も。
冷えた思考が、静かに沈んでいく。
だが、明日の招集時間まではようやく与えられた休息時間なのだ。
今は完全に安全だとは言えなくなった帝都だが、それでも今夜は屋根と壁とベッドがある。
誰にも邪魔されず眠れるというだけで、贅沢と言えた。
今夜は久しぶりに身体をゆっくり休めるとしよう……。
アリサはスプーンを置き、静かに立ち上がった。
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ナノマシンバイザーに表示される時計が、訓練場集合の時刻の一時間前を淡く示した。
アリサは身支度を整え、無言で兵舎を出る。
外は早朝の厳しい冷え込みで、吐く息が白くほどけていく。
訓練場へ向かう道は只々静かで、雪を踏み締める足音だけが彼女の耳を撫でていく。
新たな部隊。新たな命令。
そこに何が待つのかは分からない。
だが、アリサはいまさら何が待ち受けていようが構わなかった。
——それでも、私は立ち止まらない……。
アリサの所属 懲罰部隊 → 特別侵撃魔導機動部隊
いよいよ第一部第一楽章ep6で触れられた、アリサの最終所属となる部隊が登場しました。
次回にはep3で目にしたあの名前が……?
それでは次回予告です
~~次回予告~~
新設された特別侵撃魔導機動部隊。
荒削りで、それでも生き残ってきた者達が集う場所。
そんな死地で、
この先、世界を越えたあとですら私の記憶に残る
とある少女兵と出会う。
差し伸べられた手は、優しさか。
それとも、新たな痛みか。
次回「春風の乙女」
それでも、私は立ち止まらない。




