第四分隊 前編
「間に合わなければ……全てが、終わる」
その言葉は、冷たい風の中で小さく消えていった。
分隊員達は言葉を失い、それぞれが自分の役割を振り返るように無言で装備を点検する。
瓦礫の向こう、白亜の巨壁からはまだ断続的に爆発音と魔力砲の着弾する地響きが届く。
これからアリサ達第四分隊が行おうとしているのは、当初のブリーフィングを無視した独断専行なのだ。
それでも誰一人として異議を唱えようともせず、ただ分隊長の命令に従うと目で応えていた。
言い訳は既に考えてある。……生きて帰れれば、の話だが。
ナノマシン通信の不通。そして白亜の巨壁での戦闘は囮であると敵の記憶を読み取ったからである。
今一度本体への通信を試みるも、やはり通じない。しかし行動ログは残る。それが大事なのだ。
「行くぞ。迅速に……」
アリサは淡々と命じ、分隊を整列させた。
瓦礫の直撃を食らってダウンしていたN-760は、Y-335によって回復魔法が施され、少し頭を気にしながらも復帰を遂げていた。
目の前に広がる通りには、崩壊した建物の影が迷路のように折り重なっている。そこを突破し、西へ伸びる大通りへと出られれば、目標地点まではさほど時間をかけずに到達できるはずだ。
移動は駆け足で、静かに……。
道中に残された魔導人形の残骸が不気味に光り、瓦礫の合間からは焼け焦げた衣服や破れた旗が覗く。
ここでは全てが既に死によって平らげられていた。
アリサはナノマシンバイザーに表示した地図を頼りに進路を取り、後ろを走る分隊員は視認にて索敵を行う。
今のところは敵の残党も斥候の姿も見えていない。
「隊長、魔素濃度が次第に増加してきています!もしかしたら……!」
Y-335の報告は確かであった。
アリサは軽く頷き、僅かでも魔素濃度の変動が起きている方面に向けて歩を進めた。
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時々斥候の魔導人形が徘徊しているのをやり過ごし、戦闘行為を控え敵砲撃拠点へと着実に近付く中、アリサの思考回路は未だに自爆した敵兵の抱えていた記憶が支配していた。
白亜の巨壁の向こう側。誰も見た事のない皇帝の居城。
あの男が覗いたのは、ほんの少しだけだった。
分厚い白い壁の向こうには、今の曇り空とはまるで違う澄んだ綺麗な青空が広がっていた。
空気が違う。息を吸うたび、胸の奥まで澄み切っていくような——そんな感覚。
禿山に時々生えている毒々しい色をした奇妙な草ではなく、柔らかそうな背の低い草が一面に広がり、遥か遠くには豪華絢爛な城が見えていた。
――あり得ない光景。
――何なのだ、あれは?
アリサの脳裏から、その光景が離れなかった。
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敵の砲撃拠点へ接近するほどに徘徊する魔導人形の数も増え、瓦礫に身を伏せる回数が増えていく。
地響きを立てながらゆっくりと歩く魔導人形達は、帝都中央で見た機体よりも見るからに高性能な装備を纏っていた。
両肩にマウントされた中口径の魔力砲が鈍い輝きを放ち、両腕には鋭いブレードが伸び、巨体を支える為に太く逞しく伸びる脚部はしっかりとした装甲版に覆われている。
「隊長……流石にアレを近接戦でどうにかしてやろうなんて言いませんよね?」
小声でL-201が冗談交じりに囁くが、アリサは沈黙を保っていた。
本音を言えば、絶対に避けるべき敵だ。
しかし……この先、魔導砲を破壊するとなると、必ず戦わなければならない。それも複数体と。
――覚悟を決めるしかない。
ここまで敵に見つかる事無く進んでくる事が出来たアリサ達第四分隊ではあったが、いよいよ隠れ潜みながら進むのが難しい地点まで来ていたのだ。
潜むのに使える瓦礫は片付けられ、少し小高い丘になっている場所に急造された要塞には、視界の開けた位置に見張り台が立てられ、重装魔導人形が等間隔で仁王立ちをしている。
回り込もうにも周囲の建造物は魔導人形により破壊・整地され、遮蔽物になり得るものはない。
一度砲撃を行った陣地は、すぐに移動するのが定石ではある。
しかし今回のように反撃の心配のない場合、移動と展開をする時間を省ける分、万一に備え陣地を要塞化する時間がたっぷりとあるのだ。
「どう……する?」
N-760の呆然とした囁きが漏れた。
沈黙が続く。
誰もが息を潜め、丘の上の要塞を見つめていた。
バイザーに映る魔力反応は十を超える。
その光点一つ一つが、人間を一瞬で消し炭にするほどの火力を持っている魔導人形だ。
「……進めば全滅、下がれば滅亡……か」
アリサは小さく呟き、分隊員達へと振り返り、皆の顔を見回した。
「この後、本隊への通信が回復するまでここで潜伏する。……連絡が付き次第、先制して我々だけで攻撃を仕掛ける」
吐き出された声は冷たく、感情の色は見えない。
「L-201、Q-039。私と共に正面から攻撃、敵魔導人形を引き付けられるだけ引き付けて左翼へ後退。N-760とY-335は魔導人形が引き寄せられた所を突いて煙幕魔法と共に突入。……魔導砲を破壊しろ」
「正面……!?」
Q-039の声が震え声で呟く。
「無茶だ。あの配置じゃ、顔を出しただけでも即死だ!」
「……分かっている。でも、誰かがやらなければ、皆死ぬ」
アリサは淡々と返し、デバイスを握り直し魔力刃を展開させる。
「……これは、命令だ。皆、死んでくれ」
短く言い放たれたその一言に、全員の呼吸が止まった。
音が消える。風も、遠くの爆発音も、何も聞こえない。
彼女の顔に一切の躊躇はない。だがその命令は、ただの自滅を要求するものではない。むしろ――覚悟を固めよ、という苛烈な呪文だ。
誰もが生き延びたいと願っている。それを否定するつもりはない。
苛烈な言葉を吐いたアリサ自身すら、根底では死にたくないと繰り返している。
だが、今の選択は二つしかない。彼女達が行かなければ、ここで帝都が粉々に砕け、次に来るのは全ての終焉だ。
だからこそ、彼女は迷わない。
そして……残酷な命令を下さねばならない苦しみにさえ、何も感じていないように振舞わねばならない。
彼女は冷たく部下達へ背を向け、敵の砲撃陣地を見据えていた。
だが……その背中が僅かに震えているのを見て、分隊員達は何も言えず、震えそうになる手を握り締めるのだった。
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時は刻一刻と過ぎ去り、辺りは厚い雲によって薄暗く染められていく。
黒寄りの灰色の雲から白い雪がチラつき始め、降り模様は次第に強さを増していた。
帝都から枯れかけていた魔素濃度も平常時には劣るものの大方回復し、しばらく本隊との通信を試みていたY-335が、バッと顔を上げた。
「……ッ!!分隊長!本体と通信が取れました!至急ネームレス以外からも増援を送ると!……そして、第二射発射阻止の為に……突撃を……強硬せよと」
前半の朗報に一瞬、野郎共の顔がほころぶ。だが「強硬せよ」という言葉が続くと、歓声はたちまち凍り付き、沈黙へと戻っていた。
「……想定通りだ。我々は、我々の為すべく事をやるだけだ」
淡々と呟くアリサの声が、妙に良く聞こえた。
いよいよ、作戦開始の時がやってきた。
アリサは目を伏せ、徐々に積もりつつある雪を眺めながら、手にした杖型デバイスを今一度強く握り締める。
既にバイザーに常時警告されていた魔素不足の表記は消え失せ、いつ魔導砲が機動されても可笑しくない状況だという事を暗に告げている。
誰一人として後には下がらない。だが男達は目を血走らせ、Y-335は唇を血が出るまで噛み締めて震えを堪えていた。
皆、分かっている。これは勝ち目の薄い賭けであることを。
それでも誰かの未来に繋げる為、切り立った絶壁にも一歩を踏み出し楔を打ち込まねばならないのだ。
「——作戦開始」
長くなってしまったので前後編編成でお送りします。
後編もお楽しみに……!




