雨のあとに
戦いが終わった後の戦場は、奇妙なほど静かだった。
時折吹く風が、至る所から立ち昇る黒煙の焦げた匂いを運び、その煙に混ざる溶けた金属の刺激臭が鼻を刺す。
ぽつぽつと降っていた雨は、いつしか激しい降りに変わっていた。
瓦礫の隙間から粉塵混じりの水が流れ落ち、地面に汚れた水溜まりを生み出していく。
F-220の部隊をはじめとする懲罰部隊の生き残り達は、中央拠点に陣取る本隊から追い出される形で野ざらしの瓦礫の中、バリケード跡に簡易テントを張り、負傷者の応急処置や食事の準備に追われていた。
どこかで誰かが理不尽さを叫んでいる。
どうしようもない怒りと悲しみを抱え、八つ当たりするように瓦礫へと何度も拳を叩きつける鈍い肉の音が響く。
アリサはテント等の屋根のない濡れた地面に腰を下ろし、杖型デバイスを抱えたままぼんやりと空を見上げた。
冷たい雨粒が髪や頬を伝い、戦闘の熱を静かに洗い流していく。
――知っていた。この世界はどうしようもなく理不尽で、残酷だと。
いつ胸を貫かれても頭を切り落とされても良い覚悟で乱戦に飛び込んだ……。
なのに、身体は……心に反して自分が死ぬ事を許してくれなかった。
例え腕が千切れかけても、深く身体を切り裂かれても、致命傷でなければナノマシンが治してしまう。
……醜くも生き残ろうと、思ってしまう。
「……死ぬのは、怖い」
センチな気分になってしまったからだろうか、自然とそんな呟きが唇から零れ落ちてしまう。
雨脚が少しずつ強くなってきた頃、水溜まりを踏み締める音と共に誰かが近付いてきた。
その方向へ気だるげに視線だけ向けると、第四分隊の分隊長であるP-935が片手を上げながら歩み寄ってくるのが見え、すぐに立ち上がり敬礼をして迎える。
「よっ……ここにいたのか。メシでも食いに行ったかと思った」
「……そんな気分ではないです」
アリサは無表情のまま短く答える。
P-935は「まぁそうだよな」と苦笑交じりに小さくため息をつき、アリサの隣に腰を下ろした。
彼女も濡れる事など気にも留めていない様子だ。
上官を見下ろすわけにもいかず、アリサもP-935の隣へ座り直し、二人して無言で空を眺めていた。
聞こえるのは雨音と、遠くで崩れた瓦礫の転がる音。
強まった雨に他の兵士らは次第に屋根のあるテントへと移動していたのだ。
「第二分隊の生存者は、まだ確認が取れてない。生き残りがいればいいんだが……」
――アリサは何も答えない。だが、視線だけをP-935へと向けた。
「……まぁ、魔導人形の魔力砲の直撃を受けてるんだから、奇跡でも起きない限り厳しいよな」
P-935は乾いた声で軽く笑い、濡れた前髪をかき上げ……そのまま片手で顔を覆った。
「いやぁ、参ったな……姐さんより先に消えちまうなんて。これはもうあたしが姐さんの右腕の座に就くしかないかぁ?」
あえて明るくおどけたように話すP-935だが、その声は僅かに震えていた。
「はは……悪いねおチビ。あんたは今回生き残ったけど、次は死ぬかもしれないから。あたしのみっともない姿も一緒に持って行ってくれよ」
「……善処します」
「はっ、善処か……そりゃいいね」
雨はやがて夜更けになるにつれ弱まり、瓦礫だらけの人工的な灯りのない街は、深い闇に沈んでいった。
ナノマシンによる暗視機能で、暗闇の中でも難なく歩哨に立つアリサ。
この一晩だけの短い休息の時間が過ぎれば、夜明けには次の進軍が始まる。
徐々に蝕む眠気を振り払うように、彼女は無言で今一度しっかりと杖型デバイスを握り直した。
崩れた街の向こうでは、雨水に濡れた鉄骨が風に揺れ、きぃ……と不気味な軋みを響かせている。
死者の名を呼ぶ声も、嗚咽も、もう聞こえない。
一条の希望の光に縋り、この地獄から抜け出そうと追いかけるも、光など初めからどこにも差していなかった。
それは深淵へ落ちる前に見た、人として生きた懐かしき日々の残像に過ぎない。
この戦いに勝っても、誰の明日も約束されない。
ただ、終わりの見えない闇が、静かに人々を呑み込んでいく――。
この暗闇に満たされた夜の様に。
――人々の待ち望む夜明けは、まだ遠い。
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懲罰部隊の獅子奮迅なる活躍により、救済の御手によって支配されていた第四十八地方都市は、再び皇帝派によって掌握された。
しかし公式には第三機動制圧魔導大隊が制圧したと公表され、そこにネームレスの名前は文字通り無い。
その代わりにあの現場に一度たりとも姿を見せなかった、指揮官であるハインツ少将の胸に、今回の功績でまた一つ何の役にも立たない輝くゴミがぶら下がる事になった。
敵司令官は混乱に乗じて逃亡し、消息は不明。
そして今回、戦闘中に放たれた魔導砲と思わしき兵器に関して、司令部は調査隊を緊急派遣していた。
着弾点に残る残留魔力、またほんの僅かに残された設置跡。記録映像を照らし合わせた結果、一つの仮定が提言された。
『救済の御手は、魔導砲を量産している』
誰もがそれを、信じたくなかった。
それでも、戦いは次の段階へと進み始めていた。
何一つ事実が明らかにならないまま、戦いは次の段階へと進み始めていた。
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あの戦いから数ヶ月後。
戦場で過ごす日々の中でも季節は音もなく移ろい、気が付けば6254年へとカレンダーは変わっていた。
あの日、瓦礫の街から見上げた同じ鈍色の雲からは、雨ではなく灰色の汚い雪が舞っていた。
多大な犠牲を出して奪還した第四十八地方都市を皮切りに、皇国軍は持ち得る戦力の全てを注ぎこみ全方位への解放作戦を進め、多くの地方都市群まで皇帝の威光を広め、支配を取り戻していた。
一方で救済の御手は量産型魔導砲をはじめ、遥か昔に役目を終えて失われたはずの兵器を次々と復活させ投入し、徹底抗戦を選んだ。
支持母体である二級国民の魔科学者達は、自らの知識が人々と世界を救うと日夜問わずに研究を重ね、週ごとに生み出されていく新兵器の連続投入に皇国軍は攻め切る事が出来ず、戦線は拡大の一途を辿った。
……そして争いは軍人と義勇兵の間だけでは済まなかった。
一級国民と二級国民という同じ枠組み内でも、いつしか疑心暗鬼に駆られ、各地で奪い合い、殺し合い、憎しみ合う……。
自分と異なる肌の色、人種、考え方ならば敵だ。
いつか自分に牙を剥くかもしれない、家族を奪われるかもしれない。
笑顔の裏では自分を出し抜こうとしているのかもしれない。
誰もが、生き延びる為に必死で牙を研ぎ続けた。
ネームレスも、出撃する度に顔ぶれが大きく変わっていた。
C-390は中央拠点の制圧を始め快進撃を続けた事から恩赦のチャンスを得るも、自らそれを蹴ってネームレスに残った。
そして、次の出撃の時……いつも通り突出した所を、敵の罠に掛かり塵に帰った。
それでも最後まで彼は笑っていた。
戦場で死する事こそが、本望であるかのように。
自然と次の中隊長の座をF-220が引き継ぐ形となったが、今までC-390により物理的に抑えられていた男兵士らの不満やガラの悪さが溢れ、懲罰部隊らしい姿へと変わっていった。
彼女も奮闘するも、常に死と隣り合わせの極限状態を強いられる男衆の欲望は抑えきる事が出来ず、一人が間違いを犯したのを皮切りにネームレス内で不和が生じた。
新たに懲罰部隊送りになった人間と、戦死者。
その比率は圧倒的に男性が多く、人数配分的にどうしても男女混合部隊を作らざるを得なくなり、その部隊の士気は最低の一言に尽きた。
そんなF-220も、最後はあっけない物だった。
休息中に問題を起こした兵士を諫めに向かうも、逆上した兵士が隠し持っていた暗器に胸を貫かれ、彼女を慕う女兵士達に囲まれ塵へと帰った。
――今のネームレスの規律が乱れに乱れているのは言うまでもないだろう。
戦術は日々塗り替えられ、昨日の常識は今日の死因になった。
開戦初期の泥臭い戦術は、もう既に通用しない。
誰もが新しい魔法を求め、より速く、より確実に命を奪う為の知恵を競い合った。
平和の為、日々を彩る為に生まれた魔法も軍事用に転換され、皆が扱う魔導デバイスも王道の杖型だけでなく、指輪型・グローブ型・弓型と多くの試作品が生まれ、定着する物しない物で溢れていた。
今、私は効率的に殺す為の術式を、息をするように刻んでいる。
……もう、後戻りはできない。躊躇う事は、死へと繋がる。
相対する敵と私、どちらかだけが相手の命を食らって生き延びる事が出来る。
慈悲は要らない。仲間への気遣いもいらない。
名声もプライドも必要ない。
自分を迎えてくれる温かい手も抱擁も……必要ない。
すぐに失われてしまうくらいなら、初めから要らない。教えないで欲しい。
愛だとか、優しさだとか……弱さに繋がる毒でしかない。
その毒に侵され、肝心な時に腕が止まれば、刃を振るう時に力が抜ければ、詠唱が途切れてしまえば……。
その時に死ぬのは、私だ。
だからこそ、私は心を殺す。――もうこれ以上傷付きたくない……。
誰かを愛する事も、愛される事も捨てる。――本当は……誰でもいいから、私を抱きしめて欲しい。
私はただの兵器、皇帝陛下の剣の一本であるH-163だ。――違う、私はアリサ。
もう覚悟は出来ている。ただ突き進むだけだ。——誰か、助けて……。
直感が警鐘を鳴らすも反応が遅れてしまった――その時だった。
「ぐうぅっ……!!」
飛来した敵の高速魔弾が腹を貫き、アリサの身体が弾ける。
だが、彼女は死なない。いや、死ねない。
体内を巡るナノマシンが即座に細胞を繋ぎ止め、傷を塞ぐ。
死を許さないように。
即座に右手に握る杖型デバイスを掲げ、敵へ向けて斬撃魔法を放つ。
首と胴を切り離した相手は、声も出せず崩れ落ちた。
そしてプロローグへ……。
それでは次回予告です
~~次回予告~~
闇夜に紛れ、最前線を突破し帝都に迫るのは救済の御手の決死隊。
彼等の目的はただ一つ。皇帝の抹殺。
まさか帝都に攻撃があるはずないと油断していた皇国軍は、飛び込んで来た情報に耳を疑うのでした。
帝都の上空を覆うのは、黒煙か、それとも夜明けの兆しか。
次回、「帝都急襲」
それでも、私は立ち止まらない




