名もなき者の行進
廃墟と化した街の大通りを、女兵士の列が無言で進む。
安全圏はとうに抜けた。崩れずに残っている建物の影からか、僅かばかりの車や大型バスの残骸の影か、はたまた今踏みしめているこの瓦礫混じりの地面の下からか。
どこに敵が潜んでいてもおかしくない――そんな場所だ。
前方を進む小隊長、F-220は短く鋭い指示を時折飛ばす。
小隊は索敵魔法を使用する無防備な人員を守る様に隊列を組み、瓦礫の陰や崩れかけた建物の窓をそれぞれ警戒しながら、緊張の糸をピンと張ったまま進軍していく。
重い空気を裂くのは、軍靴と装備が擦れる音、そして遠くに響く爆裂音のみ。
濁った空の下、立ちこめる粉塵の匂いが鼻を刺し、喉の奥がじりついた。
アリサは列の中ほどに位置し、胸元に杖型デバイスを抱えながら周囲を冷静に見渡す。
何度も彼女の命を救った直感は、ズキズキと頭痛のような痛みを発し、警戒を最大まで引き上げろと訴えかけていた。
誰も口を開かず、固く唇を結んでいる。
皆、勇猛果敢な女傑達ではあるが、死が開く大口の中へ自ら飛び込まねばならぬ恐怖の入り混じる空気の中で、ただひたすら前進を続けるしかなかった。
――突如、静寂を切り裂いたのは地を震わせる不穏な轟きだった。
「全員防御ッ!!!」
F-220の怒鳴るような命令が、瓦礫の街並みに反響し、小隊は皆で防御魔法を固めた。
ぱっと明るくなった空を見上げると、敵陣から放たれた小さな流星のような輝きが3つ天へと雲を突き抜けて登っていく。
その高度が限界を迎えると、再び雲を貫きながら隕石の如く地表へと降り注いだ。
着弾までのその僅かな時間で、F-220やE-247は顔色を蒼白にさせていた。
「まさか……魔導砲ッ!?」
着弾と同時に内包された凝縮された炸裂魔法が解放され、破滅の閃光が轟音と爆風を引き連れ周囲を消し飛ばしていく。
その衝撃波はF-220の小隊も、別ブロックから攻めているC-390の中隊も、後詰めと本命部隊として悠々と圧倒的戦力と装備で中央から進軍をしていた本隊をも呑み込んでいった。
曖昧な狙いで放ったからか、運良く魔力弾は少し離れたところへと着弾した。
そして……不思議とその威力はイマイチで、衝撃波や爆風で巻き上げられた瓦礫の破片も、機転を利かせたアリサや他兵士が生み出した岩壁の遮蔽物で防ぎ切る事に成功し、事なきを得た。
「……?おかしいね、ハニカムを消し飛ばしたアレなら誰も生きちゃいないはずなのに」
爆風による落下物が落ち着き、部隊の損害を確認して全員の無事を確認して、どこかほっとしたような表情を浮かべるF-220であったが、すぐに表情を鋭く引き締めた。
「行くよ、あんたたち!火力支援の後には突撃が来るってのが定石だ!遅れんじゃないよッ!!」
F-220の檄を受け、動揺から持ち直した女性小隊は再び動き出した。
魔導砲の衝撃で更に崩れ去った瓦礫の山を越え、遮蔽物もまばらになってしまった、元都市だった荒れ果てた道を進む兵達。
しかしある程度進んだ所で、急遽土魔法による岩石でのトーチカやバリケードを作り簡易戦闘拠点を作る事となる。
F-220の読み通り、魔導砲(?)による予備砲火の後、敵は防衛拠点から打って出て突撃を開始したのだ。
紫電が瓦礫の金属へと引き寄せられ火花を散らし、魔力弾が空を裂きながら飛来し、石礫が雨あられの如く降り注ぐ。
撃ち合う爆裂魔法が至る所で炸裂し、乾いた大通りに爆音と土煙が広がる。
正面から襲い掛かる敵部隊の進撃を、バリケードや簡易トーチカに身を隠しながら足止めする小隊本隊。
わざと派手な魔法を使い敵の注意を引き付ける本隊から、二つの分隊が密かに瓦礫の影を進み敵の横や背後を取ろうと移動を始めていた。
その分隊は、先の任務失敗を挽回しようと燃えるE-247率いる第二分隊とP-935率いる第四分隊。
アリサは小柄な身体を生かして瓦礫の隙間をするすると抜け、正面に気を取られている敵義勇兵の無防備な側面へと辿り着く。
胸の鼓動が自然と早まる――しかし、恐怖はない。ただ、目の前の戦況を冷静に見極める為の集中が、彼女の意識を満たしていた。
次々と押し寄せる義勇兵や武装市民は、前方のトーチカやバリケードから放たれる魔力弾や紫電から身を護る事に集中しており、横への警戒は甘い。
分隊長のP-935の合図で、それぞれ杖型デバイスを握った分隊員が静かに魔力を収束させ、隠密性と視認性の低さに優れる石礫を高速で射出する。
ガッと鈍い音が響き、固い石礫が義勇兵の側頭部を撃ち砕く。呻き声と共に倒れた兵の近くにいた武装市民達に動揺が生まれる。
『今だ、畳みかけるよ!』
「了解!」
ナノマシン通信で届くE-247の指示を受け、魔力を集中していた分隊員が敵が密集している所へ爆裂魔法を叩き込み、続けて一斉に分隊員が効力よりも視覚的恐怖に訴えかける炎と雷の魔法を交互に撃ち込み、敵の注意を両側面へと引き寄せた。
別動隊は左右合わせて二十人しかいない。それでもタイミングと工夫を重ねれば十二分に撹乱できる。
敵義勇兵達は慌てふためき、逃げ隠れようと隊列を乱して仲間とぶつかる者も出ていた。
一度発生した混乱は簡単に収まるどころか人から人へと伝播し、勢いだけの武装市民の心をへし折って更なる混乱を招いていた。
人数の多さも仇となり、混乱を収めようとした義勇兵が逃げようと押し寄せた武装市民に押し倒され、次々に踏まれ、足を取られて転倒した人々に押し潰され圧死する者すら出始めていた。
瓦礫の迷路を縫うように、側面を進む分隊は小刻みに射撃と移動を繰り返し、じわじわと民衆の歩みを止め、あえて血や肉片が飛び散るように石礫や鋭く尖らせた岩を撃ち出し、恐慌状態へと持ち込んでいく。
防御拠点では未だ派手な爆裂魔法の撃ち合いが続いているが、次第に敵側の攻撃の手が弱くなっている事に、F-220はニヤリと口元を歪めた。
「中々やるじゃないかい」
戦場の流れは、確実に女性小隊が握っていた。
このままいけば、逆に押し返す事だって可能——だが、そう簡単には事は進まない。
大通りの奥、瓦礫を踏み砕き粉塵を吹き上げながら、重々しい足音が響き始めた。
地鳴りのように広がるその音に、E-247が思わず眉をひそめる。
『……来るぞ、敵の本隊だ』
次の瞬間、土煙の向こうから姿を現したのは、統制の取れた隊列を組む義勇兵と、無機質な魔導人形の群れ。
さっきまで相手にしていたのは所詮鞘当ての烏合の衆――だが、今度は違う。明らかに訓練された兵士のそれであった。
先頭を進む魔導人形の装甲には対魔法コーティングが施され、救済の御手の旗を思わせる赤と黄の塗装がされている。
先制攻撃を仕掛けた第二分隊の放つ魔力弾が、展開された盾に次々と弾かれていく。
たかが分隊規模の攻撃では、もはや足止めすらままならなかった。
『ちっ……! これが本命ってわけね……こっちは一旦本隊に戻る!第四分隊も下がって!』
E-247が低く吐き捨て、瓦礫の影に身を伏せながら撤退の指示を飛ばす。
しかし、敵の進軍はあまりにも速かった。進路妨害の為に生み出した対魔導人形障害物も次々と破壊されていく。
「E-247!狙われてるぞ!!援護する!」
『大丈夫、こっちの心配より自分の分隊の心配しなっての!』
そんな分隊長同士のやりとりの直後、敵の魔導人形の肩にマウントされた大口径魔力砲の一斉射撃が第二分隊が潜んでいた瓦礫を粉砕した。
砕けた瓦礫の破片が散弾の様に第二分隊の兵へと襲い掛かり、内包された火炎魔法が周囲を焼き尽くした。
「嘘……だろ、E-247!応答しろ!」
P-935がナノマシン通信で呼びかけるも応答はない。
圧倒的な質と量の差。
戦場の空気が、さっきまでの優勢を嘲笑うように、一瞬で敵側へと傾いていった。
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敵本隊の攻勢に押し潰されるように、第四分隊は瓦礫の影を転々としながら後退していった。
魔導人形の一斉射撃で陣地は粉砕され、第二分隊は瓦礫ごと吹き飛ばされて消息を絶つ。第四分隊も防戦一方、今にも包囲殲滅されるのは時間の問題だった。
その時――悲壮に満ちた空気を裂くように、重低音の雄叫びが響いた。
「おいおい、まだ終わってねぇだろォォォ!!!」
瓦礫を蹴破りながら現れたのは、C-390率いる中隊だった。
先ほどの魔導砲の直撃範囲にいた為に大きくその数を減らしていたはずの部隊。
その全身は血と煤にまみれ、ボロボロの軍服と焼け焦げた装備が彼らの戦場を物語っている。
C-390は相変わらずパワードスーツすら纏わず、煤けた顔で槍型の魔導デバイスを掲げた。
「横っ腹ぶち抜くぞ!!俺に続けッ!!」
怒号と共に、彼の中隊が敵本隊の横腹へと突撃した。
轟音と共に炸裂する爆裂魔法。牽制の魔力弾が交錯し、崩れかけていた戦線が一気に熱を帯びる。
「中隊長!!これなら二面作戦でこっちが有利だ!!」
P-935が思わず叫び、攻撃態勢を立て直す。彼女に従う分隊員もC-390隊の突撃に合わせ、瓦礫の影から反撃を開始した。
側面を急襲された敵義勇兵らは僅かに動揺するも、さすがは精鋭部隊と言ったところか、想定外の乱入にも一瞬動きが鈍るだけで落ち着いて迎撃を開始した。
無論F-220小隊もそれを見逃さず、前線を押し上げる号令を飛ばした。
「全員突撃!!この機を逃すなッ!!」
作戦開始時から別動隊として離れていたネームレス全部隊が、今この瞬間、一つの波となって敵主力部隊へと雪崩れ込んだ。
戦場は至る所で爆裂魔法の閃光や爆風、煙幕魔法の漆黒の靄で覆われ、誰がどこにいるのかも分からない乱戦へと縺れ込む。
C-390のお得意の白兵戦だ。
叫び声、破砕音、そして魔法の輝きが交錯する中、アリサもまた杖型デバイスを剣へと変形させ、相対する敵を次々に切り伏せていく。
飛び交う流れ玉や死角から振るわれる敵の剣や槍が時にアリサを切り裂いても、致命傷にさえならなければ死にはしない。
流れ出る自らの血潮すら敵の目潰しに使い、ただ生き残る為、生存競争に勝利する為、腕が千切れかけても戦う事を辞めなかった。
乱戦になり、数の有利を活かせぬ義勇兵は戦線を保てず、精鋭部隊ですらこの混戦を捌ききれなかった。友軍が妨げとなり、盾の役目しか果たせなくなった魔導人形が倒れ、残る者も転がる死体に足を取られて思うように進めない。
次第に敵は後退を続け、前線は敵中央拠点まで押し進められていた。
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「押し込めぇッ!!止まるな!!我が槍に続けッ!!!」
C-390の鬼気迫る咆哮が戦場に響き、隊列の先頭が中央拠点とされる元役所を覆う堅牢な防壁へと取りついた。
まだ負けぬと守備隊が頭上から雨あられの如く魔法を放つも、目の前の友軍が斃れようとも、命を散らそうとも使命を果たさんと魔力を集中させ、何度も破城槌の如き巨岩を防壁へと何度もぶつけ、いよいよ壁の一部を崩壊させる。
「いけぇぇぇい!!!我らの勝利まであと一歩だ!!」
瓦礫を飛び越え、アリサ達も建物内部へと突入する。
戦闘の余波で崩れかけた廊下や暗い内部での戦闘は混沌としていたが、決死の勢いを止める事は出来ず、次々と義勇兵は討ち取られていく。
――やがて、中央拠点の制圧が完了したという報が、戦場全域に駆け巡った。
荒れ果てた街に、勝利の号令が木霊する。
だがその足元には、数えきれないほどの死体が転がり、塵へと消えていく。
本当の名も知らぬ戦友の識別コードを呼ぶ声も、すすり泣く声も、歓声にかき消されていく。
役所の屋上に掲げられていた救済の御手の旗を引き下ろし、代わりに懲罰部隊の旗を掲げた。
それを仰ぎ見て、懲罰部隊の兵士達は息を荒げながらも誇らしげに互いの顔を見合った。
彼等が多大な犠牲の上奪取した中央拠点。本作戦の成功。
ナノマシンによる戦績記録という証明もある。……懲罰部隊からの解放は約束されている。
涙ながらに手を握り合い、生き残れた幸運を讃え、志半ばで散っていった戦友を想い涙した。
涙と笑顔が交錯する中、誰もがこのほんのひと時を、この勝利を噛みしめていた。
――その数分後、追悼と喜びの静寂を踏み荒らすように悠然と姿を現した正規軍が整然と行進し、我が物顔で中央拠点入りを果たした。
指揮を任された士官が形ばかりの心の籠らぬ敬礼をしながら、出迎えたC-390へ賛辞を述べる。
「あー、中隊長。実によく頑張った」
そして鼻で笑いながら芝居掛かったように腕を広げ、士官は続けて高らかに声を張った。
「だが、忘れるな。勝利を掴んだのは皇帝陛下の御力、御威光。そして我ら本隊の睨みがあってこそだ。思い上がるなよ」
そして役所の旗台に靡く懲罰部隊旗を一瞥すると、小さく鼻を鳴らして傍仕えの副官へと顎でしゃくるように合図を出す。
「いかんなぁ、あくまで貴様らは今作戦のみ、我ら第三機動制圧魔導大隊の一部隊に過ぎないのに。旗台に靡かせるは皇帝陛下の御旗!そして一番功績を上げし我らが大隊旗であるのが正しい姿だろう?……身を弁えろ懲罰部隊風情が!!」
士官の怒声が響き渡り、副官が風に揺れる懲罰部隊旗へと杖を向けると、たちまち大隊旗へと模様を変えてしまった。
ネームレスの兵士達は誰も、目の前にて行われた蛮行に文句を言わない。
例えそれが、多大なる犠牲の上にようやく勝ち得た栄光を、土足で踏みにじる事だったとしても。
もしも異議を唱えてしまえば、処分が待ち受けている事を知っているから。
つい数分前まで場に満ちていた、俺達はやり遂げたという喜びの空気は既に消え去り、希望の入り交ざった表情を浮かべていたはずの懲罰部隊の兵士達の顔には、悔しさとやるせなさしか残されていなかった。
そんな兵士らの中にポツンと佇むアリサは、無表情のまま自分の傍に立つF-220の横顔を眺めていた。
F-220は余りに強く歯を食いしばったせいか、彼女の口内からバリリと歯が砕ける音が響き、握り締められた拳からは血が垂れている。
多くの戦友を亡くし、右腕たるE-247も失い、終いには戦果まで理不尽に奪われた彼女の心境は如何なるものだっただろうか。
しかし、もう今のアリサには分からなかった。
何を失っても、誰が居なくなっても、何も変わらない。
心は冷たく凍り付き、凪の海のように波一つ立たぬ。
ただ、一歩ずつでも立ち止まらずに前へと進む。それだけだ。
救済の御手の本拠点たる中央拠点が陥落しました。
しかし彼等の頭脳たる指揮官の姿は既になく、残っていたのは死を覚悟した殿の義勇兵だけでした。
それでは次回予告です。
~~次回予告~~
生き残った者は、戦場の片隅で息を整える。
勝利の声が響く中、雨が静かに瓦礫を濡らしていった。
誰が生き、誰が死んだのか。
そして、明日は誰が立っているのか。
次回、「雨のあとに」
それでも、私は立ち止まらない




