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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第二部 第三楽章 初陣、そして……。
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H-163

時々車体を軋ませながら進む兵員輸送車の中は、行きとはまた違った重苦しい沈黙に覆われていた。


座席に押し込められた兵士達は皆、煤と血にまみれ、軍服からは戦場で染みついた焼け焦げた匂いが漂っていた。


ようやく安全とされる帝都へ戻る事が出来る。それでも誰一人、口を開こうとはしない。



揺れに合わせて頭を揺らし、壁にもたれたまま目を閉じる者。

肩を震わせながら嗚咽を殺し、両の拳を固く握る者。

仲間を見捨て、地獄のような戦場を後にした後悔は、誰の胸にも深く突き刺さっていた。



一番端の席にアリサは無言のまま、背筋を伸ばして座っていた。


レオンハルトによって負わされた激しい打撲創と砕けた頬骨や歯は、ナノマシンにより元通りの姿に修復されている。

だが表情は能面のように硬直し、窓に映る自分の顔を見ても、そこに人間らしい感情の影はなかった。

ただ静かに呼吸を繰り返し、意識を途切れさせぬよう、自分の存在を保ち続けているだけだった。



一方で最前列に座るレオンハルトは髪を乱し、赤く充血した瞳で膝の上の手を見つめている。

苛立ちに揺れる指先は小刻みに震え、ナノマシンにより治療されたはずの拳は未だに痺れている気がしていた。


戦場で何を失い、何を掴んだのか――彼自身にも整理はついていなかった。




車内に響くのは、反重力エンジンが唸りを上げる駆動音と、兵士達の深いため息やすすり泣く声だけ。

それが異様に耳につき、無言の重圧は誰もが言葉を発することを拒んでいた。



やがて、輸送車の列は帝都の大通りへと差し掛かり、窓の外には見覚えのある景色が広がっていた。

兵舎まであと少し。

ようやくほっとした表情を浮かべ、窓の外を覗いた兵士は思わず表情を固くする。


一級国民だけが入れるはずのエリアに、二級国民達が大手を振って歩き回り、我が物顔でたむろしている。

その表情には恐怖も遠慮もなく、むしろ兵員輸送車を見て侮蔑の目線を送る程だった。



彼らはもう、思考を縛るナノマシンの抑制に支配されていなかった。


「……また、電波塔が破壊されたのか?」


誰かが小さく呟いたが、返す者はいなかった。



一方で、本来この帝都の一等地を支配していた一級国民達は、我先にとシェルターへと避難を済ませ、亀のように閉じこもっていた。


前回の様に、どんなに新たに避難民が訪れようとも扉は固く閉ざされ、何人たりとも中へ入れる事はしなかった。


日和見をして避難が遅れた一級国民はシェルターに入る事も叶わず、自宅へと引きこもり外部との接触を拒んだ。



一見帝都は完全に二級国民へと支配されたようにも見えていたが、それでもまだ崩壊してはいなかった。



皇帝の膝元であるこの都では、皇国軍の兵が巡回し、杖型デバイスを振り上げて暴れる者を捻じ伏せていた。

常に装甲車の車列が街路を抑え、監視用の魔導ドローンが空を飛び交い、最低限の秩序を保っている。


だが、それは見せかけに過ぎない。

この均衡は脆い。

一度崩れれば、戦場で見た混沌がそのまま帝都へ広がるのだ。




輸送車の中では誰もが言葉を失い、ただ窓の外を凝視していた。

故郷に戻ったはずなのに、そこにはもう「帰るべき場所」の面影はなかった。





———————————————————————————————————





車列が帝都の軍用拠点へと到着すると、兵員輸送車は軋む音を立てて停車した。


「総員降車!」


荒々しい声と共に、扉が開かれる。


泥と血にまみれた兵士達が一人、また一人と降りていく。

誰も声を発さず、ただ生きて帰還できたという実感だけが、虚ろな瞳の奥で微かに揺れていた。


その場に待ち構えていたのは、帝都司令部の将校たちだった。

だが彼らの顔には労いの色はなく、冷ややかな視線が敗残兵を突き刺していた。


「……任務を投げ出し、生きて戻ったのは貴様らだけだ」


吐き捨てるような声に、兵士らはうつむき、誰も抗弁しなかった。


やがて将校の一人が声を張り上げた。


「アウグスト・オルディス大佐は戦死した!よって第七機動鎮圧部隊は解体、諸君等は別の部隊へと振り分けられる!」


その言葉は、雷のように兵士達の耳朶を打った。


「なっ……!」


レオンハルトが息を呑み、顔を上げた。


「父上が……死んだ……?」


血走った眼が大きく見開かれ、次の瞬間、彼は叫びを上げて前に踏み出した。


「嘘だッ!そんなはずはない!父上が……父上が死ぬはずが……ッ!」


「控えろッ!!尉官風情が上官の発言を遮るかッ!!」



将校の副官が杖を振るい、雷撃をレオンハルトの足へと浴びせかけ、彼を強制的に跪かせた。

その雷撃の余波がすぐ両隣にいた兵士を襲い、たたらを踏ませる。


近くの兵士が巻き添えを避ける為に彼から距離を取る中、レオンハルトは地面を拳で打ち付け、声を殺して身を震わせていた。

その姿は普段の冷徹な尉官の顔ではなく、父を失った一人の息子の顔だった。



将校は鼻を鳴らし、冷ややかに告げる。


「事実だ。副官ヴィーの裏切りにより、大佐は討たれた。……これ以上の詳細は不要だ。貴様らには一日の休息を与える。その間に身辺整理をしろ」


将校はそう言い残し、一足先に拠点建物へと踵を返し戻っていく。


残った副官が配属の辞令を追って送信すると事務的な伝達をし、将校と同様に建物へと戻る。

その場に残されたのはレオンハルト以下、哀れな敗残兵達だけであった。




上官が去り、今一度大きく息を吸い込み、レオンハルトは地面を殴りつけて叫んだ。


「ヴィー……ッ!あの裏切り者がァ……ッ!!」



レオンハルトの慟哭は拠点の広間に反響し、兵士達はただ距離を置いて見守ることしかできなかった。

誰も彼に近寄れない。怒りと悲嘆に狂ったその姿に、声を掛ける勇気を持つ者はいなかった。



――ただ一人を除いて。




アリサは無言のまま歩み寄り、倒れ伏す兄へと手を差し伸べた。

だが……無慈悲にもその手は勢いよく払われる。


「触るな……ッ!」


血走った瞳で睨み付けられるも、アリサは全く動じることなく、ただ立ち尽くす。


レオンハルトは荒い呼吸の中で、憎悪を滲ませた眼差しを妹へ突き刺した。

だが、ふと何かに気付いたように、その表情が変わる。




――そうだ。


父は死に、母も姉ももういない。

ならば、オルディス家の当主は自分なのだ。



その確信が脳裏を駆け巡った瞬間、彼の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。

紡ぎ絶ゆる事なく生み出され続けていた黒い感情が、ついに溢れ出す。


「……そうか。もう俺が……当主なのだな」


低く呟いた後、レオンハルトは急に立ち上がり、その場にいる兵士達に聞こえるよう、大声で冷酷な宣告を放った。


「オルディス家が当主、レオンハルトの名の下に宣言する。この場にいる全員が立会人だ!……アリサ・オルディス――貴様を、今この瞬間、我がオルディス家より勘当する!!」



凍り付いたような沈黙が周囲を支配した。

兵達は息を呑み、兄を見上げるアリサの瞳は、ただ虚ろに彼の歪んだ笑みを映していた。


「以降、オルディスの名を名乗るのは許さん。名乗った瞬間我が家名を騙る詐欺師として始末する。いいな?」


どこか勝ち誇ったような、心底気持ち良くしてやったりといった表情を浮かべ、未だ無表情を貫き通すアリサを見下した。


レオンハルトは口元を歪めながら、妹が縋りつき、許しを乞う姿を想像していた。

それこそが彼の求める支配の証であり、化け物のような妹だとしても、自分の()の存在でしかないのだと、自分が彼女より()なのだとハッキリ示したかったのだ。



だが――アリサの反応は違った。


「……畏まりました。これまで多大なる御恩とお慈悲を頂きまして、御礼申し上げます……オルディス少尉殿」


静かに跪き、深く頭を垂れる。

その声音に熱はなく、虚ろな瞳は何一つ感情を宿さない。


涙も、怒りも、悲しみもなく、ただ従順に、機械のように命令を受け入れる。

そこにオルディスの名にしがみ付こうという気概も、執着も微塵もなかった。




――その瞬間、レオンハルトの胸に走ったのは勝利の昂揚ではなく、得体の知れない寒気だった。


目の前の妹は、死刑宣告にも同然な仕打ちにも全く堪えていない。

理不尽にオルディスの名を奪われ、一級国民という権力の庇護下から二級国民へと落とされた事への痛みも未練も見せる事なく、どうでも良いかのように、ただ虚ろに跪くだけ。


それに気付いた途端、レオンハルトの背筋を這い上がるのは、支配を手にした者の安堵ではなく――自分だけが必死にオルディス家という権力に縋り付いている惨めさだった。


当主を名乗ったその瞬間から、背負わされる覚悟と責任。

愛を与えてくれる家族もいない、天涯孤独となった現実。


……今さら、その重さに押し潰されかけている自分を、彼はようやく自覚し始めていた。



だが、吐いた言葉を今更取り消す事など出来ない。車輪は回り始めてしまったのだ。



「……H-163、上官へ杖を向け、あまつさえ衝撃魔法を放ち危害を加えた。この事について取り調べが行われるだろう。——覚悟しておくんだな」



捨て台詞のように吐き捨てると、レオンハルトはアリサを睨みつけたまま背を向け、その場から去っていく。

その歩みには怒りと苛立ちが滲み、思い通りに進まなかった事と、自身の背に背負わされた遥かに重い責任から目を背けるように強引に足を前へ進めているようだった。



残されたアリサは、ただ静かに跪いたまま微動だにしない。

輝きのない瞳には何も映しておらず、そこに感情の色は見えない。



兵士達も声を失い、互いに顔を見合わせながら、この場の異様さを噛み締めていた。

それでも誰もアリサへ声をかける事も、手を差し伸べる事もしなかった。






――そして、光景は再び闇に溶け、みちるの視界が漆黒の暗闇へと引き戻されていく。







『ッ……!』


喉の奥が詰まり、ヒュッと呼吸の音が漏れる。

みちるは思わず胸元を押さえ、強く唇を噛んだ。


ようやく戦場の鮮血や爆炎から逃れてきたのに、悪意と絶望はどこまでもアリサを追いかけて来る。


家族の名の下に突きつけられる勘当の宣告――それはどんな死線よりも冷たく、残酷に響いていた。


『……最後に残った家族なのに……どうして……?』


震える声が涙と共に暗闇に消えていく。

アリサが無表情のまま跪いた光景が、脳裏に焼き付いて離れない。


アリサがアリサである事を最後の家族から否定され、再びあの機関での名前……「H-163」と呼ばれた彼女の心中は、計り知れない悲しみで満たされていただろうと、みちるは自分の事のように痛む胸を抱えながら苦し気に息を吐いていた。



アリサはそっとみちるを背後から抱きしめ、胸の前で固く握られた震える彼女の手を両手で包み込み、彼女の肩へと自分の顎を乗せる。


『……大丈夫、大丈夫です……みちる。あなたが苦しむ必要はない、もう全て過ぎた事……終わった事なのです』


耳元で囁かれる優しい声色。

思わずビクッと身体を固くするみちるだったが、静かに首を横へ振った。


『でも……でも!アリサは何も悪くないのに、どうしてあんな顔ができるの……?どうして……泣かなかったの……?』


堰を切ったようにあふれる言葉に、アリサは暫し沈黙する。



やがて、わずかに息を吐き、淡々と呟く。


『……泣いても、誰も助けてはくれませんから』


『ッ……』




再び口を開こうとするみちるを制するように、アリサは彼女を抱く力を強めた。

ようやくみちるの手の震えが治まり、握り込まれた手から力が抜け、ゆっくり開かれた手の指の間に自身の指を絡ませていく。


『……私は、確かにオルディスの名を失いました。でも、それだけです。お父様から名付けられたアリサの名は……奪われていませんでしたから』


ふ……と微かにアリサが笑みを浮かべる息遣いがみちるの耳を擽る。その吐息にみちるは思わず背筋に電気が走ったような感覚を覚えた。


……今はそんな場合ではないのにと、自制に努めるみちるに、アリサの無自覚な追撃が襲い掛かる。


『……みちる?大丈夫ですか?』


『ふぁあ……ッ!?』


耳元で名前を囁かれ、みちるの心臓が跳ねる。

頬が熱を帯び、視界が滲んでいく。


『ば、ばかっ……!耳元で話すの禁止っ!!』


『……分かりました』



素直に引き下がるかと思いきや、アリサはみちるの肩に顎を乗せたまま、そっと身を預けた。


『……っ、ちょ、ちょっと……!それはそれで近いってば……!』


抗議の声を上げても、アリサはきょとんとしたように瞬きし、まるで当然のように囁く。


『……申し訳ございません。離したくないんです。……アレを思い出した今は特に』


『……ッ~~っ!!』


耳まで真っ赤に染まり、みちるは思わず握られた手をほどいて顔を両手で覆った。


心臓が煩いほどに鳴り響く。

壮絶な戦場や冷たい人々の悪意を目の当たりにして削られた心を、今この瞬間、アリサの無自覚な温もりが優しく埋めていく。


『……もう……ほんと、ずるいんだから……』


零れた呟きは涙混じりだったが、その声色には少しだけ安堵の響きが宿っていた。


こうして一級国民『アリサ・オルディス』は、二級国民『アリサ』もとい『H-163』となりました。

今回二級国民の兵士の大半が反旗を翻した事もあり、珍しくも残った数少ない皇帝派の二級国民の兵士達は非常に肩身の狭い思いをして日々過ごす事となります。


それでは次回予告です


~~次回予告~~


オルディス家を勘当された私を待っていたのは、軍法会議だった。


私の有罪を雄弁に語るはレオンハルト。


しかし読心魔法が真実を暴き出す。


判決は処刑か投獄か、それとも……。


次回、「軍法会議」


それでも私は、立ち止まらない。

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