裁きの余波
作戦から数日後。
帝都中心部に構える皇国軍総司令部、その奥にある作戦会議室には冷え切った空気が張り詰めていた。
並ぶ将官達の前に、アウグストが無表情のまま立つ。
背筋を伸ばし、キレのある敬礼をすると、抑揚のない声で報告を始めた。
「本作戦の結果について報告致します。作戦目標であるハニカム。――その中に巧妙に隠された違法魔導デバイス製造拠点は完全に壊滅。生存者も掃討致しました」
淡々とした言葉が会議室に響く。
報告を受け、将官の一人が冷たい声で問う。
「……製造拠点があったという確証は?」
アウグストは一歩下がると、副官に目配せをした。
ほどなく兵士数名が入室し、拘束された捕虜を引き立ててくる。
鎖で雁字搦めにされ、喉を噛ませた拘束具によって言葉を発することすら許されない男。
「こちらが現地で拘束した敵性分子です。少々大人しくさせる為に処置を施してありますが、健康そのものです」
将官が頷くと、待機していた魔導士が前に進み出た。
彼の掌に紫色の光が灯り、捕虜の男の頭部へとかざしていく。
「……読心魔法を行使します」
会議室が静まり返る。
――僅か数秒後、魔導士の口から低く言葉が漏れた。
「確かに……奴らは密造を行っていた。劣化した杖型デバイスの試作品の記憶を確認……大量の複製……。
技師、魔導士、住民を巻き込み、組織的に違法生産に関与していたのは間違いない」
ざわり、と空気が揺れる。
将官らは互いに視線を交わし、短い沈黙の後にひとりが結論を下した。
「――つまり、今回の作戦は正しかった、ということだな」
「ええ。皇帝陛下の勅命は、揺るぎなく正義であった」
冷たく硬い言葉が並び、それ以上の議論は打ち切られた。
捕虜の男は憎悪に濁った目で将官たちを睨みつけていたが、その眼差しを気にする者は誰一人いない。
すでに「証拠」として利用価値を搾り取られた以上、彼の存在はもう塵芥に等しかった。
アウグストは再び直立し、無表情のまま声を放つ。
「以上をもちまして、第七機動鎮圧部隊による作戦の報告を終了致します」
冷たい沈黙が会議室を包み、次なる処理へと場は移っていった。
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ハニカム殲滅作戦は、軍の記録において『皇帝陛下の采配による完璧な勝利』として残された。
捕虜からの読心魔法によって違法製造の証拠は得られ、公式には『賊の拠点を滅ぼした正義の裁き』と広報される。
帝都の街頭スクリーンを始め、各家庭の情報モニターにはAIアナウンサーによるニュースが昼夜問わず繰り返し映し出され、同じ言葉を流し続けた。
『救済の御手の根拠地が皇帝陛下の剣たる皇国軍により討たれ、皇国の秩序は守られました。親愛なる臣民の皆様、不穏な動きをする隣人にピンときたら皇国情報局までご連絡下さい。あなたの家族を守るために、疑わしきは報告を』
『親愛なる臣民の皆様、平穏なる明日を守る為に我々皇国軍は日々努力研鑽を重ねております。あなたの力をお貸しください。共に皇国の平穏を守りましょう』
――だが、市井の反応は二分化されていた。
一級国民を中心に、報道を信じ皇帝への忠義をより強める人々。
一方で、軍部と情報部の動きに疑念を抱き、真実を求め動き始める人々。
ハニカムの住民を一人残らず殲滅したと証言を漏らした兵士の噂、そして運が良いのか悪いのか、ハニカムを仕事等で離れていた人々が、瓦礫の山となり見るも無残な姿になったハニカムを呆然としながら映した映像が地下で出回り、拡散されていた。
「……本当に、皆殺しだったのか?」
「いや、違法なデバイス工房だけが標的だったはずだ」
「ナノマシン通信の履歴が残っている……!妻は私に助けを求めていたが……皇国軍が彼女を救助するわけでもなく、口封じの為に殺したんだ……!!」
彼らの声は密かに記録され、巡回検査をすり抜けた旧式の通信端末により都市から都市へと運ばれ、やがて皇国全土へと広まっていった。
情報部は軍部と協力し、これを止めようと治安維持を目的とする摘発を開始する。
証言者は片端から連行され、消息を絶った。
だが、時は既に遅かった。
既に多くの証言者は逃げ延び、匿われ、救済の御手の旗の元で「皇帝は我らを見捨てた」と叫び始めていた。
疑念の種は瞬く間に芽吹き、二級国民の間で皇国軍と皇帝への信頼は急速に失われていった。
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ハニカム殲滅作戦から数週間後。
表向きの報道は「完勝」「栄光」と勇ましく調子のよい物だったが、実際兵舎に漂う空気は重苦しい物だった。
第七機動鎮圧部隊に属する兵士の間でも、噂は止めようがなかった。
「……聞いたか。ハニカムの中には工房も無く、本当はただの住民しかいなかったって」
「黙れ。そんな出まかせ冗談でも口にしたら懲罰じゃ済まんぞ」
「そうだ、事実敵さんの構成員が出たんだろう?レオンハルト少尉が捕縛したって話の」
「だが……あの惨状を見たんだ。あれを正義だと言えるのか?」
声を潜めたやり取りは、食堂や寝台の隅々で絶え間なく囁かれていた。
二級国民出身の兵士の多くは顔を青ざめさせ、食事の手を止め、誰とも目を合わせなくなっていた。
一方、一級国民の兵士の中には不安を抱くよりも、むしろ苛立ちを募らせる者もいた。
「上が勝利だと言っているんだ。何を迷う必要がある?」
「疑念を口にするやつは逆賊と同じだ、皇帝陛下を疑うのか?」
そう声を荒らげる兵士ほど、内心では恐怖を必死に押し隠しているのだと誰もが知っていた。
だが誰も、それを口にすることはできなかった。
――そして、噂はやがて指揮官達の耳にも届く。
報告会で交わされる短いやり取りの裏には、互いに言葉を選び、沈黙で誤魔化す気配が色濃く漂っていた。
声に出してしまえば、それは裏切りと見なされる。
だが心の奥底では――あの作戦は、誤りだったのではないか、と。
その疑念は抑えつけられることなく、じわじわと部隊の中に広がっていった。
無論、レオンハルトを始め胸を張って功績を誇らしげに語る指揮官もいる。
迷いを顔に出した人間を見つければ、自分より階級が下ならばその場で鉄拳制裁。
階級が上ならば密告という形で制裁を加える。
いつしか同じ友軍同士、背中を預けきれずに常に警戒する事を余儀なくされていたのだ。
兵舎の空気は澱み、皇帝の威光を掲げながらも兵士達の胸中には小さな疑念の種が芽吹きつつあった。
それはやがて芽を張り、根を伸ばし、部隊の結束を静かに蝕んでいく。
――そして、その綻びが取り返しのつかない裂け目となるのは、そう遠い未来のことではなかった。
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深夜の兵舎。
薄暗い部屋の中に無理やり並べられた他段ベッドに横になり、静かに眠りにつく兵士達。
寝息だけが聞こえていた空間に、突然魘されたようにうわ言を漏らす人間がいた。
「……やめてくれ……子供は……手に掛けたくない……」
苦しそうに眠っていた兵士は、汗だくのまま跳ね起き、荒く呼吸しながら震えていた。
だが慰める声はどこからも上がらない。
うわ声を聞いて目覚め、そのまま頭を抱えて眠る事が出来なくなる兵士もいた。
だがその中で、アリサは規則正しく胸を上下させ、静かに寝息を立て続けていた。
やがて訓練場に、兵舎に戻らぬ者が一人、また一人と増えた。
一級国民の兵士達はそれを見て、裏切者めと吐き捨て、逆に苛烈に皇帝へ忠誠を誓う姿を示すことで彼等とは違う事を周囲に示していた。
その兵士間での温度差は、さらに隊内の分断を産んでいた。
だが、この緊張感を利用していたのがレオンハルトだった。
ある時食堂の片隅で、胸の内の不安を同期に漏らしていた兵士の前に、突如として影が落ちた。
「……俺の前でくだらん妄想を吐くな」
低く響いた声と共に、レオンハルトの拳が机を叩き割らんばかりに振り下ろされ、金属製の食器が跳ねて床に転がった。
二人は顔面蒼白になり、慌てて立ち上がって敬礼する。
だが次の瞬間、レオンハルトの拳が片方の兵士の頬を打ち抜き、鈍い音と共に兵士は床に崩れ落ちた。
「ほかの奴等も見ていたな?こいつのように逆賊の種を口にする奴は、誰であろうと容赦しない」
そう吐き捨てると、彼は周囲を鋭く見渡した。沈黙と無言の威圧が兵士達を縛りつける。
「……逆に、忠義を示した者には必ず報いる」
レオンハルトは口元を緩め、残った片方の兵士の肩によくやったと言わんばかりに手を置いた。
表情を僅かに曇らせながらも、敬礼し頷く兵士に、彼は声を潜めて囁く。
「今後、また噂を耳にしたら俺に報告しろ。次に密告した時は、お前の名前を上に推してやる」
兵士の顔には、恐怖と安堵の入り混じった歪な笑みが浮かんでいた。
その場を支配する空気は、恐怖による沈黙と、疑心暗鬼に駆られて不安げに同僚を見る息苦しいものに包まれていた。
あの一件以降、皇帝派の人間はアウグストの息子である彼に付き従い、腰巾着となれれば今後は安泰だと思う反面、彼に見放されぬように軍規違反ギリギリを攻めた個人的な任務をこなす親衛隊となっていく。
一方、親衛隊からの不評を買わぬよう、密告されないよう口を閉ざし、一見素直に従いながらも不満を溜めていく反皇帝・救済の御手派。
――監視と密告。
それが、部隊の日常となった。
そんな中でも、アリサは変わらなかった。
毎日規則通り訓練をこなし、食堂で食事を取り、与えられた任務を遂行する。
表情は常に無。声も必要最低限しか発さない。
皇国軍という組織である以上、皇帝派である事が正しいと判断し、兄に媚び諂うことはせず、淡々と皇帝へ忠を尽くしていた。
だが、彼女の中では確実に「何か」が壊れていた。
食事をスプーンを口に運ぼうとした瞬間、幻のように子供の泣き声が耳元で弾ける。
母親が必死に庇う姿。紫電に焼かれて消えた子供の瞳。
それが蘇る度に一度スプーンを下ろし、息を整えてから何事もなかったかのように再び手を伸ばす。
水場で手を洗っても、鼻腔をくすぐる鉄臭い匂いが消えない。
爪の隙間を何度擦っても、擦り過ぎて皮膚が捲れても、そこに血と灰の匂いが残っているような錯覚がまとわりついて離れない。
しかしアリサは、その違和感を一切顔に出さなかった。
出す必要もない。出しても、何も変わらない。
ただ任務を果たし、今日も明日も「一兵士」として命令に従う。
彼女の無表情は、もはや仲間達にとって恐怖の象徴であった。
誰も近付かず、誰も話しかけない。
いくらレオンハルトの息のかかった兵士により妨害されても、言葉汚くなじられても顔色一つ変えない。
それでいて任務や訓練では必ず冷徹に結果を出す──その姿は、ますます「化け物」との噂を強めるだけだった。
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作戦から一ヵ月が経過したある日。
帝都中心部に聳える皇国軍総司令部。その作戦会議室に将官達が集められた。
アウグストは整然と立ち、緊迫した空気の中で新たな命を待っていた。
重々しい声が会議室を支配する。
「次の標的は、地方都市第三区に存在する居住区並び行政施設を含む区画だ」
将官は眉一つ動かさず続ける。
「情報部からの密告によれば、そこに救済の御手の集会所がある。証拠は断片的だが……疑わしきは罰せよ。これが皇国の鉄則だ」
「オルディス大佐、貴官の第七機動鎮圧部隊に本作戦を命ずる。敵対分子の殲滅と秩序回復を、速やかに行え」
冷たい言葉が、無機質に突きつけられる。
「大佐殿の部隊は一度大規模殲滅戦を経験している。一度も二度も変わらぬだろう。よろしく頼む」
アウグストは背筋を伸ばし、敬礼を返す。
その表情には迷いも躊躇いの色もない。
「拝命致しました。必ずや任務を完遂してご覧に入れます」
その言葉に将官らは満足げに頷き、会議は閉じられた。
――まもなくして、その作戦内容を記録したデータは兵士達へと伝えられる。
行政施設、避難シェルター、そして住居群――全てを吹き飛ばせと。
その瞬間、兵舎の空気は凍り付いた。
治安維持部隊の手に負えない暴動や、反皇帝反一級市民を掲げる地下組織の撃滅作戦とは訳が違う。
再び……あの惨劇を自分達の手で起こせと言われているのだ。
声に出して批難する者はいなかった。だが互いに目を交わした二級国民の兵士らは、心の中で同じ言葉を叫んでいた。
――これ以上は、従えない。
その小さな決意が、やがて皇国の運命を大きく揺るがす事を、この時点で知る者は誰もいなかった。
~~次回予告~~
再び下された殲滅の命令。
標的はまたしても市民を巻き込むものだった。
それでも父は迷わず、部隊は着々と準備を進めていた。
だが、その理不尽さに揺らぐ者たちがいた。
そして、決意を固める者たちも――。
次回、裏切りの刻
それでも、私は立ち止まらない。




