ひとときの安息 後編
二話連投 というより分割して投稿なので実質一話投稿です。
前編からご覧下さいませ!
それではどうぞ!
朝の柔らかな日差しが桜並木を透かし、吹き抜ける湿気を帯びた風が木漏れ日をきらきらと揺らしていく。
6月もそろそろ終わりが見えてきた週明け。今日は珍しく天気も晴れているが、その代わりに早くも夏の暑さが顔を覗かせていた。
約束の時間より少し早く家を出たみちるとアリサは、互いの制服の乱れがないか確認しながら静かに待っていた。
やがて、いつも通り少し小走りに駆けてくるあかりと、その近くを飛ぶソラシーの姿が桜並木の遊歩道の向こうから見えてきた。
「おはよーっ!みちるちゃーん!アリサちゃーんっ!」
あかりの元気な声が静かな並木通りに響く。
初めは返事を返すのも、手を振り返すのも少し恥ずかしがっていたみちるも、今ではこのあかりの元気な声が聞こえないと不安になるくらい、当たり前の日常になりつつあった。
「おはようあかり、ソラシー。今日も元気ね!」
「おはようございます」
みちるは笑みを浮かべ、目の前にまでやってきたあかりと軽くハイタッチをする。
「いぇーい!ほら、アリサちゃんもっ!」
「はい。……こうですか?」
パチンと小気味よい音が鳴り、あかりは満足気ににっこり笑う。
「うんうんっ!今日もドレミってるねっ!」
「ピ、みんなご機嫌ソラっ!」
あかりの陽だまりのような笑顔。
その笑顔につられてアリサも思わず表情を緩め、笑みを浮かべる。
その笑みは、これまでまだみちるしか見ていない、柔らかいものだった。
「————はっ!? いけない、呼吸忘れてた……って、えええっ!?アリサちゃん笑ってる!?」
「ぴぃぃぃっ!?」
大袈裟に驚くあかりとソラシーにみちるは苦笑し、アリサは小さく首を傾げる。
「……私、笑っていたら……変……でしょうか?」
「いやいやいやっ!!!そのままでいてっ!むしろ、最高だよっ!もっと笑顔見せてっ!!」
ブンブンと首が飛んでいきそうな勢いで首を横に振り、鼻息荒く興奮した様子でアリサへと詰め寄るあかり。
「落ち着きなさいあかり、これからいくらでも見れるわよ。……ね?アリサ」
「……はい、恐らくは」
少し困ったような笑み。すぐ近くでその笑みを見たあかりは、自然とアリサを抱きしめていた。
「良かった……!!良かったよアリサちゃん……っ!!これからいっぱい一緒に笑おうねっ!!」
「あかり……。はい、皆と一緒に、思い出作りましょう」
笑い合うアリサとあかり。けれど、そこに控えめな咳払いが響いた。
「んんっ……。ほら、二人とも。そろそろ行かないと、あおいが待ってるわよ」
みちるがソラシーを肩に乗せたまま、すたすたと先へ歩き出す。
アリサの横顔を盗み見ながら、みちるは小さく胸の内で呟いた。
「……笑顔を見せるのは、私だけでいいのに」
「ピ……?」
「……ううん、何でもない」
思わず零れた本音をごまかすように、みちるは歩調を速める。
「わわっ、置いてかれちゃう! アリサちゃん、急ごっ!」
「そうですね」
あかりとアリサが追いかけるように歩を速め、三人と一羽は並んで木漏れ日の遊歩道を進んでいった。
通学路の途中、いつもの待ち合わせ場所であおいと合流する三人と一羽。
「来た来た。おはよ、みんな」
「おはよう!あおいちゃんっ!」
「おはよう、あおい」
「おはようございます」
「おはようソラ~!」
それぞれが挨拶を交わし、自然と四人の歩調が揃う。
ジリジリと朝の日差しに照らされた道を進みながら、あおいがふと空を仰いで声を上げた。
「そういえば、もうすぐ期末試験だよね」
「あぁ~!あおいちゃん……忘れたい現実をあえて口に出すんだぁ……」
あかりが深いため息をつき項垂れる。
「でも日々の復習は大事よ。突然小テストとかされても困らないように」
みちるの言葉にアリサも無言で頷く。
「ひぇっ……! さすがみちるちゃん、もう準備万端なんだね……!」
「当たり前でしょ。勉強も計画的にやらなきゃ」
あかりがソラシーを抱えたまま「うう、私もそろそろやらなきゃ~」と頭を抱え、ソラシーも「ピィ……あかり、がんばるソラ……」と心配そうに鳴く。
そんな様子に、あおいは小さく微笑みを浮かべた。
「もし不安だったら、みんなで勉強会とかどう?」
その言葉に、三人の視線が自然とあおいに集まる。
にっと笑みを見せる彼女に、あかりは縋りつくように抱き着く。
「あぁぁ~っ!あおい様ぁ~!お願いしますーっ!」
「おーよしよし、愛い奴めー。二人もどうかな?」
まるで猫をあやすようにあかりの頭を撫でまわしながら、あおいはみちる達へ視線を向ける。
「うん……良いと思う!自分じゃ気付いていない苦手な所もあるかもしれないし」
「……皆の助けになるのなら」
良い返事にあおいは満足気に頷き、スマホを取り出して予定を確認した。
「んー……じゃあ、明日の放課後とかどうかな?場所はどこでもいいよー」
「じゃあっ!あおいちゃんの家は?」
「私の家?……多分大丈夫だよ。みちるとアリサもそれでいい?」
「あおいが良いなら、お邪魔しようかしら」
コクコクと頷くアリサ。
やがて四人と一羽は談笑を交わしながら校門をくぐり抜け、ソラシーはお散歩に、四人は校舎へと別れ、今日もいつも通りの学園生活が始まっていった。
教室のざわめきが、徐々に登校した生徒たちの声で満ちていく。
窓際の席に座ったあかりは、鞄から教科書を取り出しながら後ろの席のアリサへ声を掛けた。
「ねえアリサちゃん、昨日はよく眠れた?」
問いかけに、アリサは小さく瞬きをしてから、ふっと表情を緩めた。
「はい。……みちるのおかげで」
ふわりと優しく微笑むような笑顔。
だが、その笑顔が教室の空気を一変させるほどの力を持っていた。
「……今、咲良が……笑った……?」
「うっそ、見逃した!マジで!?」
運良くアリサの笑顔を目撃した男子生徒が顔を赤く染め上げて呆然と立ち尽くす。
その様子を見ていた近くの女子達もざわざわと声を潜めながら囁き合った。
「ねぇ今の見た?ほんとに笑ってたよね……?」
「やば……ちょっと可愛すぎるんだけど」
瞬く間に噂が広がり、教室の視線がアリサに集まっていく。
だが、当の本人はまるで気付いていないかのように、落ち着いた仕草で鞄を整え、筆記用具を机の上に並べている。
「ほらほら~、アリサちゃんファンが急増中だよっ!」
前の席から振り返ったあかりがニヤリと茶化す。
「……え?」
アリサは少し困ったように首を傾げ、口元に笑みを湛える。
それだけでまた視線が集まり、数人の男子が机に突っ伏して悶絶していた。
そんなクラスの浮ついた空気を横目で見ながら、みちるは小さくため息をつく。
……私だけが知ってた顔なのに
胸にちくりと刺さるような寂しさを覚え、慌てて視線を窓の外へと逸らした。
――その直後、チャイムが鳴り、教室へ担任が入ってきた。
生徒達が慌ただしく席へと戻り、ようやくアリサに注がれていた視線が散っていった。
———————————————————————————————————
あっという間に時間は流れ、午後の授業が始まる。
黒板に書かれた年表や長ったらしい制度の名前を前に、生徒達は重苦しい空気を纏い始めていた。期末試験が近づいているせいで、皆どこか気持ちが沈んでいるのだ。
鉛筆をノートに走らせる音の合間に、ため息がちらほら混じる。
「やばい、全然頭に入らん……」
そう小声で嘆く男子、教科書と黒板を交互に見て眉間に皺を寄せる女子。
「えー、今日やったここの範囲、テストにも出るからなー。しっかり覚えておくようにー」
「「えぇ~……」」
ブーイングの大合唱もどこ吹く風か、社会科教師は表情を変える事無く板書を続けている。
頭を抱えて唸る生徒の中に、あかりの姿も混ざっていた。
ノートには、教師が大事だと言っていた板書の内容と、デフォルメさせた偉人の落書き。
蛍光ペンで大事そうな箇所に線を引き、ため息を一つ。
ふと何かを思いついたのか、こっそり後ろへ振り返り、アリサへと小声で囁きかける。
「ねね、アリサちゃん……何か覚える裏技とかないかなっ」
教師の解説と板書の内容を一字一句丁寧にノートに纏めていたアリサは、書く手はそのままに目線だけあかりへ向けた。
「……反復学習して脳にしっかりインプットする……などでしょうか」
「それが出来れば苦労しないよぉ……!」
「……あかりは努力家だから、きっとできる」
その一言と共にふっと見せたアリサの小さな笑顔。
「え、そ……そお?アリサちゃんがそう言うなら、頑張るっ!」
単純に喜ぶあかりの声に、隣席の女子生徒も「いいなぁ」と小さく呟き、男子生徒はちらちらと視線を送る。
普段のアリサの無表情で冷たい印象を覆すようなその笑みは、教室中の空気をほんのり温かくしていた。
やがてチャイムが鳴り、重いどんよりとした授業が終わりを告げる。
帰りのHRが始まるまでの短い休み時間。
いそいそとノートや教科書を積み込んで重くなった鞄を抱え、ため息をつく生徒が多い中で、アリサとあかりがにこやかに談笑している様子はまるで陽だまりのように周囲を明るく照らしていた。
「咲良、なんか今日いい雰囲気だな……」
「うん……咲良さんって笑うとすごく可愛い……」
そんな囁きがこぼれるほどに。
教師から「今週より職員室への立ち入り禁止」と「期末試験が数日後に迫っているので復習を」という通達があり、この日は解散となった。
いつもなら放課後何して遊ぶか、部活への気合いを入れる声で教室内が騒がしくなるが、ここ最近は皆試験の事で頭がいっぱいなのか、妙な緊張感漂う話し声が飛び交っていた。
「終わったぁー!さ、アリサちゃん、帰ろっ??」
その空気を吹き飛ばすようなあかりの明るい弾んだ声が響く。
「はい、行きましょう。……ですが忘れ物は大丈夫ですか?机に教科書が見えますが」
「……あっ」
ガタガタと騒々しく机を漁り、他に忘れ物がないか確認するあかりを待つ間に、みちるも帰りの準備を終えてアリサの机へとやってくる。
「お待たせ、今は……あかり待ち?」
「はい、忘れ物確認中です。……ちなみにあかりはロッカーにもノートをしまい込んだままだったはずです」
「……えっ!?」
慌てて教室後方の自分のロッカーへと駆け出し、中身を検めると、確かに数学のノートがひょっこり顔を覗かせていた。
「うぇええっ!?なんでこんな所にっ!?」
表情をコロコロ変えながら大騒ぎするあかりに、思わず吹き出して笑ってしまうみちる。
そんな彼女の笑みに釣られるように、アリサも口元へ手を添えながら、可笑しそうに笑みを浮かべた。
「……あははっ」
――ざわっ
アリサ達のやり取りを微笑ましげに眺めていたクラスメイト達が一斉に息を呑む。
「いま……!?」
「てぇてぇ……」
教室全体がざわめきに包まれる。
「はっ……!咲良さんっ!ファンサしてっ!」
アリサに最強になる為のあれこれを教えているクラスメイト、倉間奈央がスマホを構えながら叫んだ。
アリサはわずかに首を傾げ、脳裏のデータベースから無難なファンサを選び出す。
両手の人差し指と中指を立て、頬に添えて――ダブルピース。
小さく首を傾げ、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せる。
「……こう、でしょうか」
「いいっ!!!最強だよぉっ!!!」
「目線こっち下さいっ!!」
教室内が熱気を帯び、さっきまでの期末試験前の重苦しい雰囲気はどこかへ吹き飛んでいた。
皆がスマホのカメラを連写する音が響き渡り、アリサへ視線のリクエストを口々に叫んでいた。
熱狂するクラスメイトに混ざり、みちるもこっそりスマホで撮影しようとレンズを向けた時、ばっちりアリサがカメラ目線を送っていた。
「記念……これは記念だからっ!」
誰に向けたのか分からない釈明を口にしつつ、連写ボタンを押し続けるみちる。
「……もうおしまい。……少し、恥ずかしい」
時間にして十秒弱、しかしその時間で得られたものは大変大きかった。
俯き気味に呟くアリサがポーズをやめると、ようやく教室もゆっくりと落ち着きを取り戻し始めた。
だが、クラスメイト達の頬は興奮で赤く染まったまま。
各々スマホの画面を覗き込みながら「最高だった……!」と小声で盛り上がり続けている。
その中で、何故かあかりだけ涙目でアリサへと抱き着いていた。
「ああ”ぁぁ~!!わ”だ”しだけ撮れながっだぁぁ~!!」
ロッカーにノートを取りに行ったあかりは、スマホを席に置いたままの鞄に入れており、熱狂したクラスメイトの壁に阻まれスマホを取る事が出来ていなかったのだ。
「……こんなの……一生の不覚だよぉぉ……!」
アリサは目を瞬かせ、ぽつりと呟く。
「……なら、あかりのためにもう一度だけ」
そう言って、ほんの一瞬だけ先程と同じダブルピースを再現してみせた。
「きゃぁぁあああ!!アリサちゃんっ!!大好きっ!!」
今度こそ、泣き笑いの顔で必死にシャッターを切るあかり。
その姿にクラスメイトからどっと笑いが起こり、和やかな放課後の時間がゆっくり流れていった。
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いつも通り昇降口であおいと合流し、四人は通学路を肩を並べて歩いていく。
校門を出て少しして、周囲に人が少なくなってきた頃を見計らって、お迎えに来たソラシーも四人に合流し、にぎやかに会話を楽しみながら帰路を進んだ。
話題はもちろん、ついさっきのゲリラ撮影会のこと。
「へぇ~、アリサの雰囲気がちょっといつもと違うなって思ってたけど、可愛いじゃん!」
あおいがスマホの画面を覗き込み、感心したように口元を緩める。
「でしょーっ!ふふん、これ……アリサちゃんに特別に撮らせてもらったんだ~!」
胸を張るあかり。得意げに画面を突き出す彼女の表情はどこか自慢気だ。
「でもアリサ、こんなポーズ取るんだね……意外だったよ」
「……倉間さんから最強になれると強く勧められて、教わったポーズ……のはずですが」
「うん、騙されてるねそれ」
あおいの即答に、みちるが思わず吹き出して笑う。
「あはは……まぁ、でもアリサがやると様になっちゃうからすごいよね」
「……そう、でしょうか」
首を傾げつつも、褒められてほんの少しだけ口元を緩めるアリサ。
「ソラシーも見たいソラ!あかり、こっち見せてソラ!」
「だーめ、これは私の宝物だから~!」
スマホをひらひらと掲げて逃げ回るあかりに、ソラシーは羽ばたいて追いかける。
そんなふたりを横目に、あおいとみちるは顔を見合わせて小さく笑った。
やがて、あおいの住むマンションの近くまで差し掛かり、あおいは一人立ち止まって振り返り、ひらひらと三人と一羽に手を振った。
「じゃあ私はここで。明日の放課後、うちで勉強会だから忘れないでよ?」
「大丈夫っ!楽しみにしてるから!」
あかりが元気よく手を上げて答え、みちるとアリサも同意するように頷く。
「じゃ、また明日」
「お疲れ様です」
「またね、あおい」
それぞれが声を掛け合い、あおいの背中を見送った。
それから取り留めもない話を続け、あっという間にみちる達の家のある桜並木沿いの道に差し掛かる。
「それじゃあ、私もここで~!また明日ね!」
ソラシーを抱いたあかりが軽やかな足取りで、手を振りながら道を駆けて行く。
残されたのは、みちるとアリサの二人だけ。
一瞬、風が強く吹き抜け、木漏れ日の下に影を揺らした。
「……戻りましょう、みちる」
店の裏手の玄関に向かって歩き出そうとしたアリサの制服の裾を、みちるはそっと指先で摘まんだ。
振り返ったアリサに、みちるは真っ直ぐに目を向ける。
「……今夜もう一度。アリサの過去を見せてほしい」
その声には迷いがなかった。
アリサは小さく目を見開き、やがて伏せる。
一拍の沈黙の後、低く慎重な声が返ってきた。
「……みちる。これ以上進めば、もっと辛く、もっと恐ろしいものを目にすることになります。昨日見たものなど、まだ序の口です……それでも、ですか?」
みちるは唇を噛み、強く頷く。
「うん。……それでも私は、目を逸らしたくない。アリサの過去を、全部ちゃんと知りたいの」
裾を掴む手に込められた想いの強さに、アリサは静かに目を閉じた。
やがてその瞼が持ち上がり、灰色の瞳が真っ直ぐみちるを射抜く。
「……分かりました。ですが、みちるが限界だと判断したらその時点で終了します」
その言葉に、みちるの胸は緊張と恐怖で震えた。
だが、一度口にした言葉を取り消す気は全くなかった。
束の間のニチアサ日常回でした。
みちるのお陰で、胸の奥に閉じ込めていた感情を少しずつ見せるアリサと、彼女を取り巻く優しい世界。
友達として支えたいから。心を閉ざしたアリサを理解したいから。そして未来を一緒に歩むために、みちるは辛いと分かっていても、さらなるアリサの過去を見ることを望むのでした。
では次回予告です
〜~次回予告〜~
みちると共に再び潜るのは、血と魔法の冷たい輝きに満ちた記憶。
隣人を疑い、慈悲は無価値と捨て去り、ただ自分が生き残ることだけを選ぶ人々。
お父様と兄様は音信不通。お母様と姉様はもういない。
幼い私は庇護を求めるよりも、己の身を守るために、軍の門を叩くのでした。
次回――「冷たい選択」
それでも私は、立ち止まらない。




