家族
何度目になるか分からない、暗転からの再構築。
ぐにゃりと歪みぼやけた世界が次第にしっかりと色と形を取り戻していく。
次にみちるとアリサが降り立ったのは、いつもの少年少女が過ごしている部屋とは違う、広い講堂のような場所だった。
高い天井から降り注ぐ光源は、無機質な白を放ちながら床に均一の輝きを落とし、影を極力削ぎ落とすよう計算され尽くした配置で横一列に並ぶ子供達の列を照らしている。
柔らかさも温もりもない、ただ良く子供達の姿が見えるように。
——まるで、オークションの品物のように。
壇上に並ぶのは7歳になった少年少女。
みな同じ灰色の制服を着せられ、髪も爪も管理下で切り揃えられた無個性の群れだった。
だが、その顔に宿るのは一様ではない。
緊張に口を噛みしめる者。震える手を背中に隠す者。虚ろな目で正面を見据える者。
そして、僅かな希望を胸に抱き、自分は選ばれてこの場所を出ていけると信じる者。
この年齢こそが選別の刻限。
7歳になれば『迎えの日』と呼ばれる行事が行われ、一級市民の夫婦が機関に足を運ぶ。
彼らは講堂の椅子に座り、『面会』の始まるのを待っていた。
楽しみに満ちた笑顔を浮かべる者や、下卑た表情を浮かべる者。表情を一切変えぬ者など様々で、己の欲する『子』を見繕いに現れる。
今や、一級市民の夫婦は誰も子供を産まない。
自ら腹を痛め、長期間かけて子を産み、もしその子が悪い子なら。
その為に費やす時間、労力、リスク。それが非効率であると断じられた社会なのだ。
ある程度成長するまで機関が管理し、選別し、不確定要素を取り除いた最も効率的な方法で育て上げられた優秀な良い子だけが『選ばれる』対象となる。
子供にとってはそれが唯一の道。選ばれなければ二級市民への下り坂。
そこからさらに落ちれば、待っているのは軍の冷徹な収容と、研究機関による人体実験。
――だからこそ、子供達は願う。必死に願う。
今日だけは。今日こそは……誰かの眼差しに、自分が映りますようにと。
壇上に立つ監視者が、淡々と名簿を読み上げる。
一人一人が呼ばれ、前へと進み出て、自分の資質を提示する。
保有魔力量、術式制御の数値、身体能力。
もし見栄を張ったとしても、虚偽である事がナノマシンにより明らかにされる為、自分の首を絞める事に繋がる。——嘘をつく悪い子だと。
それ故に、子供達は自らの全てを赤裸々に曝け出す。
感情の色もなく、淡々と言葉を吐き出すその姿は、自己紹介ではなく、見本市の実演販売に近かった。
親候補達は、一見何も持っておらず、ただ前に進み出た少年少女を眺めているように見えるが、ナノマシンにより網膜に投影されている情報により、子の詳しいデータを同時に眺め、気に入った子がいれば候補へ加えられる。
無論、子供達は誰が誰に候補として選ばれたのか。……誰からも選ばれなかったのか。結果が出るまで知る事はない。
H-163。
今までアリサはそう呼ばれてきた。人ではなく、人形として。
まだ人になる事を許されぬまま育ってきた彼女は、静かに順番を待つ。胸の奥は冷え切っているのに、掌だけが汗ばみ、じんじんと熱を帯びていた。
「次」
監視者の声が響き、アリサは一歩を踏み出した。足音が白い床に硬く反響する。
胸を張り、感情の起伏を抑えた冷静さをアピールする。
そして彼女は掌を開き、空中にバスケットボール大の六つの魔力球を形成する。火・水・風・土・光・闇――すべてを同時に、等しい大きさと密度で。
ずっと練習を続けてきた、高度な魔力の制御。アリサの努力の賜物だ。
アリサは目を閉じ、魔力制御へ神経を集中させ、六つの魔力球を自身を囲むように回転させた。
同時に複数属性を展開し、操るのは大人でも難しいのだ。
講堂に僅かな感嘆の息が漏れる。
最後に魔力球の回転を止め、一つ一つの魔力を解放していく。
闇魔法によって天井の照明を隠し、光魔法によって輝く光の粒を降らす。
床から生やした身の丈ほどの岩を赤く燃え盛る炎で焼き、流れる水で冷やし、不可視の風の刃で切り刻み、小さな小石へと変えていく。
そのまま小石を巻き上げた小さな竜巻が、更に小石を砕き砂へと変え、最後は全てを霧散させる。
「……以上です」
ぺこりと一礼して退き、他の子供と同じ列へと戻る。
その顔は無表情を保とうとしているが、うまくアピールが出来た事により、僅かに口元がヒクヒクと動いていた。
『アリサってこんな小さい頃から凄かったのね……客席の大人達も目が大きくなっていたわ』
みちるは、ぱちぱちと壇上のアリサへ拍手を送った。
しかし、その目には尊敬と悲しみの色が浮かんでいた。
『……生き残る為には、ここを突破しなければならない。そう思って全力を尽くしました。……思えば、次の子には悪い事をしてしまったかもしれません』
そう、憂いを込めた視線を今まさにアピールを始めた少年へ向ける。
少年は精一杯声を張り、自身のプロフィールを読み上げた後、炎の魔法を渾身の力を込めて発動させた。
両手から吹き上がる炎は次第に色を赤からオレンジに、そして青く変貌させていく。
炎魔法に一点特化させたアピールだ。あの炎で身を焼かれたのなら一瞬で炭化していく事だろう。
その為、制御には細心の注意を払う必要がある。
——ぐらりと少年の姿勢が崩れた。
次の瞬間、炎は掻き消えるように消え、少年の膝が床を叩いた。
必死にアピールするあまり、許容の範囲を超えた魔力を注いでしまったのだろう。
魔力切れを起こし、意識を朦朧とさせてその場に座り込んでしまった。
「対象、評価不能。……H-163、J-610を下がらせろ」
「……了解です」
アリサが少年へと近付き、その腕を掴んで引き摺ろうとすると、少年は弱々しく抵抗するように身に力を籠めた。
「……待って、下がらせないで。……まだ、終わってない」
少年は懇願するようにアリサの目を見て、涙を瞳に浮かばせる。
――だが、アリサは手を離さなかった。
「……命令だから」
少年は、さっと顔色を青ざめさせ、いやいやをするように暴れて抵抗するが、無情にもアリサに引き摺られ列へと戻された。
「……次」
監視者は何事も無かったように、次の少女を前へと進ませる。
少年はまだ息が荒いが、必死に顔を上げて「……ぼ、僕は……!」と口を開くが、誰も気に留めない。
今の一部始終をしっかりと見ていたはずの親達も、一切少年の事が目に入っていないかのように笑みを湛え、他の子のデータを語り合ったり、次に前に出た少女へと目を向け、何事も無かったかのように過ごしていた。
『……みちる。私はこの時の自分が間違っていたとは思いません。ですが……きっとあなたは、これを良しとしないでしょう?』
自嘲気味に笑い、目を伏せるアリサに、みちるは何も言えないでいた。
そんなことない。アリサは悪くない。
……そう、口にするのは簡単だ。
でも、そんな薄い言葉はきっとアリサへは届かないだろう。
『……私は、自分が生き残る為に他を切り捨てました。思えば、これが初めて自らの意思で誰かを切り捨てた瞬間だったのでしょう。……故に、ナノマシンが記録に残していた」
壇上で表情を崩さずに無感情に前を向いている自分と、その隣で顔を青ざめさせ、暗い面持ちで足元を見つめる少年——J-610の姿を、アリサはじっと見つめていた。
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『面会』は淡々と終わり、候補者として選ばれた子が番号を呼ばれて別室へと移動していく。
その中にアリサの姿もあった。
別室へと移動できた子は、講堂に集まった30人近くのうち20人。
呼ばれずにその場で立ち尽くす子供の中には、アリサが引き戻したJ-610も混ざっていた。
くしゃりと顔を歪ませ、膝から崩れ落ちて項垂れる子も、うつろな目を天井へ向けたまま涙を流す子もいた。
彼等の今後は……どうなってしまうのだろう。
残された子供達が気になるも、みちるは後ろ髪を引かれる思いを振り切り、別室へと移動したアリサを追った。
「——ここで待て」
監視者の号令に、子供達が整列したまま立ち止まる。
別室は先程までの講堂に比べ、遥かに小さい部屋だった。
空気が粘りつくように喉を塞ぎ、痛いほどの沈黙とピリリと張り詰めた空気が室内を支配し、最後の『面会」の時を待つ。
「今から読み上げる者から目の前の扉を進め。B-221、V-175」
番号を呼ばれ、部屋から出ていく少年少女。
そのまま戻らない子。一人だけ戻ってくる子。呼ばれた全員が戻ってくる事もあった。
そして……いよいよ、その時が訪れた。
「H-163、進め」
呼ばれたのはアリサ一人だ。
周囲の子供達からの視線を一身に受けながら、最後の試練へ向けてドアを開いた。
「……失礼します」
一礼して隣の部屋へと入ったアリサへ、容赦のない値踏みするような視線が彼女の頭からつま先にかけて向けられる。
待ち受けていたのは、二組の夫婦だった。
アリサはナノマシンの知識をフル活用し、最敬礼で4人へとお辞儀をした。
「……H-163です。この度は候補にお選び頂き……深く、感謝申し上げます」
背筋を伸ばし、言葉の抑揚までも計算された声。訓練の成果を示すかのように、アリサの所作は隙がない。……その姿勢、角度。全て完璧だ。
だが、ほんの一瞬だけ。胸の奥で脈打つ心臓が喉を震わせ、声が掠れそうになる。
幼い少女のその微かな揺らぎを、四人の大人たちは気付いたのか、気付かなかったのか――。
完璧な礼を終えると、すぐさま二組の視線がアリサを挟み込むように絡みついた。
一組目の男はいやらしい笑みを浮かべ、舌なめずりすら隠さない。
二組目の若い夫妻は穏やかそうに微笑んで見せたが、目の奥に潜む暗がりが、むしろ一組目よりも不気味だった。
「……ほぉ。中々、筋がいいじゃないか」
まず口を開いたのは一組目の男だった。
五十代半ばに見えるその男は、肥えた腹を掻きながら、アリサを舐め回すように見つめている。その視線は、獲物を前に涎を垂らす捕食者のものだった。
彼の隣には二十代の若い女。表情には一切の感情がなく、ただ虚ろな瞳で座っている。飾り人形のような彼女の存在は、むしろ男の異常さを際立たせていた。
「お前たちには分からんだろう。この従順そうな瞳、完璧に叩き込まれた礼儀作法……育て甲斐があるというものだ」
にやにやと笑う男の声に、アリサの背筋は無意識に硬直する。
そこへ、二組目の夫妻が穏やかな声を重ねた。
「……ですが、この子はまだ幼い。我々のように落ち着いた家庭で育てる方が良いでしょう」
若い夫婦。二十代半ば、柔らかい物腰と人の好さそうな顔立ち。だが、夫婦揃っての微笑の奥に、どこか冷たい光が宿っていた。
一見すれば善良。だが、アリサの直感は警鐘を鳴らした——この二人、危険だ。
「そうですわ。この子のような娘には、優しく導く大人が必要です。ねえ?」
「ああ。力ずくでなく、心を解してやるのが最善だ。そうすれば……余計な抵抗もなく、我々の思い通りになる」
穏やかな声に混じる、ねっとりとした本音。
「なっ……! ふざけるな!」
一組目の男が机を叩いた。
「貴様らのような腑抜けに、こんな上玉が扱えるものか! この子は私の手で仕込んでやる! 私だけが理解してやれるんだ!」
「上玉、とはまた下品な言葉ですね」
二組目の男が、薄く笑う。
「あなたのような下卑た嗜好に、この子を任せるなど論外だ」
「何だと!? 誰が下卑た嗜好か!美しい物を愛で、味わうのが至高だろうに!」
「美しいからこそ、あなたに壊される前に、我々が——」
二組は互いに言葉をぶつけ合い、譲らぬ火花を散らす。
――口汚く罵り合う声が耳障りだ。
アリサはただ、感情を殺して自分を求めて争う二組を見つめた。
一方は欲望を隠さぬ地獄。もう一方は、仮面を被った地獄。
どちらに選ばれても、結局待つのは地獄。
だがそれでも、顔を上げ、微笑みを浮かべ続けなければならない。
親の求める完璧な人形として振る舞う。それが、生き残る唯一の術だから。
——ギィ……。
重い金属の扉が、ゆっくりと開く。
音が響いた瞬間、取っ組み合いにすらなりかけていた二組の言い争いが、唐突に止んだ。
冷気を伴うような気配が室内を満たす。
「遅れて申し訳ない」
軍靴の音を鳴らし、落ち着いた威厳の伴う硬質な声が部屋に響く。
入ってきたのは壮年の男と、その隣に寄り添う女性。
男は軍服に身を包み、肩には大佐を示す徽章が光っていた。
鋭い双眸が一瞥するだけで、先程までの喧騒は幻のように消え失せる。
その背筋は伸び、ただ立っているだけでこの空間を支配していた
「……っ、大佐殿……!」
一組目の男が声を引きつらせる。
「ご機嫌麗しゅうございます」
二組目の夫妻も、慌てて頭を下げた。
だが、大佐は彼らを一顧だにしない。視線はまっすぐ、アリサだけへと注がれていた。
「……H-163か」
「はい……!」
アリサは即座に返答する。背筋は硬く、だがその声には僅かに震えが混じっていた。
大佐はゆっくりとアリサへ歩み寄り、彼女を見下ろした。
「風魔法の適性値は……突出。制御は安定。素質は十分……」
彼は網膜に映し出されている資料を読み上げ、僅かに口角を上げる。
「——良い。気に入った」
それだけで、決定は下された。
一組目の男も二組目の夫妻も、顔を真っ赤にして声を上げようとしたが、大佐の鋭い視線がそれを凍り付かせる。
「不服か?」
低く響いた声に、誰も口を開けなくなった。
「ならば決まりだ。H-163は我々が引き取る」
妻らしき女性が一歩前に出た。彼女の微笑は柔らかく、それでいてどこか冷たい。
「ようこそ、我が家へ」
凛とした声の底に潜む凍てつく感情に、アリサの胸が微かに軋む。
——地獄の行き先は、選べない。
だが、生き残る可能性があるなら、彼らに従うしかない。
「……ありがとうございます、これからお父様お母様の為にこの身、お捧げ致します」
片膝をつき、深く頭を下げた。
アリサはこれから何が待ち受けていようとも、ようやく掴んだチャンスを無駄にする気はなかった。
アリサはついに機関での選別を乗り越え、家族を得ました。
皇帝と皇国に忠誠を誓う軍属のオルディス家。
この先、どうなっていくのか。 それでは次回予告です
~~次回予告~~
オルディス家、そこは守られる場所ではなく、鍛えられる場所だった。
刃となれと命じられ、私は刃となる。
だけど……心の奥で、まだ温もりを探していた。
次回、『鋼鉄の家にて』
それでも、私は立ち止らない。




