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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第二部 第一楽章 灰色の記憶達
51/86

叡智の刻印、命の線引き

今回の話から、残酷な描写が多くなっていきます。


耐性のない方、苦手な方。無理せず癒しの動物の動画や好きな音楽を聴いて気を紛らわせてください。


覚悟は良いですか? ではどうぞ。

再び視界が暗闇に包まれ、パッと光が戻った時にはみちるは硬い床の上に立っていた。



冷たく無機質な白と灰で塗り込められた大空間は、消毒液のわずかな刺激臭と、空調の低い唸りだけが支配していた。

壁は可動式の防音パネルで囲われ、隙間なく閉じられていた。


室内には椅子が百近く、円を描くように配置されている。


次々に入室した子供達は番号順に着席し、背筋を揃え、膝の上で指を組む。


泣き声も私語もない。あるのは呼吸の規則正しいリズムだけだ。



時は統一皇国歴6249年。アリサは5歳になっていた。


この世界で「人間」として残れるか否かの境界線を跨ぐ年である。




天井のパネルが滑り、スチールグレーのアームが無音で降りてくる。

先端に装着された半透明のヘッドギアが、子供達の頭部にぴたりと密着した。


こめかみ、後頭部、延髄。端子が自動で位置合わせを行い、微かなクリック音が連なる。


空気が一気に張り詰めていく。


照明が少し落とされ、壁面に巨大なパネルが点灯した。

座席配置図と対応番号が並列で映し出されている。



「認知刻印プログラム、起動」



無機質な女の声が、天井のどこからともなく響く。



刹那、子供達の頭へ光が降り注いだ。




それは視覚で捉えられる“光”というより、神経の奥に触れてくる冷たい電流のようなものだった。


ヘッドギアの内側で、無数の細い線が一斉に点灯し、螺旋を描いて脳の中心に収束してゆく。


ナノマシンを介して脳へ情報が書き込まれていく。


読み書き、数理、国史、衛生、法規、基本戦術、組成変換、魔法化学基礎、皇統の血脈、忠誠の定義。


文字列が音になり、音が像になり、像が意味に変換されて、処理され、積層され、固定される。


教わるのではない。理解するのでもない。()()()()()()のだ。



「あぐッ……!!」


ヘッドギアのせいで目元を見る事が敵わないが、幼いアリサは自らの足に爪を食い込ませ、唇を強く嚙み締め、血が垂れるのも構わずに必死に痛みに耐えていた。


脳へ直接莫大な情報を一度に捻じ込まれたが故に、激しい痛みと意識の混濁、発熱が幼くまだか弱い子供の身体を蝕んでいく。





書き込みは波のように押し寄せ、引きながら、また重く覆う。



焼けた針を脳に沈められ、そこからキンキンに冷えた氷水を流し込まれるような滅茶苦茶な痛みで、ガリガリと正気を削られていく。


それでも……アリサは耐えていた。




みちるは思わず口元を押さえた。まるで胸郭の中身を掴まれて圧迫されているような気分だった。



――視線を走らせる。


ひとりの男の子が小さく肩を震わせた。鼻腔から赤い線がつぅと落ち、白い制服の襟に染みをつくる。


更に他の席では、女の子が椅子の脚を掴んで耐えている。指の関節が白く浮き出し、噛みしめた唇にうっすら血が滲んだ。


激しすぎる痛みに耐えきれず、叫ばぬように噛みついていた自身の腕を喰いちぎり、周囲へと血を撒き散らす子供もいた。



それでも子供達は泣かない。泣けば減点だ。減点が続けば、あの黒い扉の向こうへ行くことになる。

――ひとつ前の記憶で見た()()()だ。



彼らの生活空間の壁の一角、目立たない位置に設置されたその扉には取っ手はない。こちらから開ける術はない。

みちるは無意識に一歩、そこから遠ざかった。




その瞬間、壁面のスクリーンからいくつかの番号が消えた。



番号の消えた椅子に座っていた子供は、もうピクリとも動かない。


背もたれが倒れ、椅子はベッドのように変形して音もなく床を滑り、黒い扉の元へ向かう。

すると扉が自動で開き、子供達を奥へと呑み込む。


すべての動作が無駄なく滑らか――だが、容赦がない。



みちるは唇を噛んだ。歯の奥に鉄の味が滲む。


助けられない。触れられない。記憶は容赦なく、ただ無常に見せつけるだけ。

もう遥か過去の出来事なのに、何もできない自分への苛立ちが、悲しみがみちるの心を蝕んでいた。




ヘッドギアの光が消えたのも束の間、第二の波が訪れる。



「一次処理、完了。二次処理、移行」



無機質な機械音声が、子供達の頭上に落ちる。


五歳の子供に向けられているとは思えない、残酷な仕打ち。


隣の男の子が息を飲み、胸郭が過呼吸で小刻みに震えた。

監視者の白衣の男が歩み寄り、鎮静魔法を施す――助けるためではない。正確に処理が行われるよう、動かなくさせただけだ。


男の子の身体がビクンと震え、動きが止まる。だが目や鼻、口から液体が垂れ流されている。


壁面のパネルがまたひとつ点滅し……消えた。

モノ言わぬ身体を乗せた椅子が滑り、黒い扉へと消えていく。



——知識注入は、まだ続く。


魔術式の構築、図形の回転、語彙の束、国家の規範、エネルギー収支、戦術の骨子。

今後、少年少女等が困らないように、()()()が送られ続ける。



五歳の身体は柔らかい。脳も柔らかい。だから入る。だから折れる。


列の端で、少女が椅子から滑り落ちた。ヘッドギアが外れ、警告灯が短く赤く点滅する。

すぐに彼女を白衣の男が抱え上げ、再び椅子へと座らせヘッドギアを再装着させる。


「あ”……あ”ァ……」




みちるは耐え切れず、その場へ蹲って目を固く瞑り耳を塞ぎ、いやいやをするように頭を振る。


『なんでっ……なんでよぉっ!……こんな惨い……人じゃない……』


アリサはそっとみちるの背に手を添え、抱き寄せる。

かつての自分を見る目には、悲しみと諦めの色が浮かんでいた。


『私は運が良かった……そうとしか言えません』





どれほど時間が経っただろうか。


壁の時計は存在しない。代わりに、規定プログラムの進行バーが無機質に伸び、最後の目盛りを越えた瞬間、照明の色温度が和らいだ。


みちるは膝をついたまま、幼いアリサの席へ顔を向ける。


ヘッドギアが外れ、静かに瞼を開いたアリサは、まばたきを一度だけした。

肩の上下が浅く整い、小さな手で頬に流れていた汗を弾き飛ばす。



幼い彼女の口の端には血の流れた後が残されていた。

試練を耐えた傷跡も、何もなかったかのようにナノマシンに修復され、口内の歯が食い込みズタズタになった肉も、握り締めすぎて剥がれた爪も、元通り。



彼女は一度も泣かなかった。震えもしなかった。

 

ただ、自分の中で何かが削られていく音を聞きながら、生き残る為に必死に命に縋りついていた。



みちるは胸の奥を、冷たい針で縫いとめられたように感じた。


——この子は、この年で、もう選んでいる。

生き残るために、何を切り捨てるのかを。


『これが、5歳の試練。()()()()()()の選別の日』



試練を乗り越えた自身(幼いアリサ)を見下ろすその瞳は凪いだ海のように静かだ。


「これを乗り越えた良い子だけが、“次”へ進む」

 

彼女は説明ではなく、事実を置くように言った。


「適応できなかった()()()は……次は良い子に生まれる為にやり直しをする。そうすれば皆良い子のまま、良い大人だけがこの世界を彩る事が出来る」

 



みちるは首を振った。視界が熱で滲む。

 

『そんなの絶対……間違っている……!命は……もっと尊い物なのよ……?』


『……ここでは、()()()()()()()()のです。だからこそ、……今思えば、滅びて良かったのかもしれません』



ピクッと、椅子に座った少年少女達が一斉に立ち上がり、一糸乱れぬ歩行で次の部屋へと順序良く進んでいく。

みちるは幼いアリサの後ろ姿を目で追った。

小さな背中。均等に振られる腕。踵の上下運動に無駄がない。

その歩き方の美しさが、恐ろしかった。


まだ幼い子供達がここまでできるのかと感嘆し、同時に、それを強いられた事実に血が引いた。



扉はまた、音もなく閉まった。

残響が消え、空間に再び冷たい静寂が満ちる。

 


床のスリットから清掃ドローンが顔を出し、誰も座らなくなった椅子の脚の跡を磨いている。跡は消えた。初めからなかったように。




『これが“教育”。この先に“訓練”があり、その先に”家族”が待っている。ここからも選別が続いていく』

 

みちるは拳を握った。爪が掌に食い込み、戻ってきた痛みが、かろうじて自分を現実へ留めてくれる。


『アリサ……あなたは、こんな場所で、ずっと……』


言葉はそこで途切れる。続ければ、彼女にまた、何かを背負わせてしまう気がしたから。


アリサは否定も肯定もしなかった。ただ、みちるを見た。

長い睫毛の影が、頬に落ちる。


『——それでも』


彼女は静かに息を吸い、吐いた。


『私は諦めませんでした』




世界がわずかに歪む。壁のパネルの光が引き延ばされ、床の格子が波打ち、天井のパーツがほどける。記憶が次の階層へ滑っていく予兆。


みちるは思わず、彼女の手を探した。


指先が触れる。温度がある。ここだけが、現実だ。



――世界は暗転する。




———————————————————————————————————





わずかに耳の奥をくすぐるような低い振動音が響き、やがて光が戻った時、彼女は見覚えのある無機質な空間に立っていた。



そこは、5歳の試練を生き延びた子供達が集団生活を送る区画。

灰色の床は冷たく、壁は分厚い金属で覆われ、天井の白色照明が均等に並び、空調の唸りだけが単調に空気を撫でていた。


部屋の奥には、訓練器具が整然と並ぶ。低い台座に載せられた多面体パズル、反射神経を測る光点パネル、魔力安定化用の透明な球体。

一切の装飾はなく、色彩は白と灰と黒だけ。遊び場ではない。ここは、淘汰を続ける場所だった。


幼いアリサ――この時6歳――は、床の中央で膝を組み、きゅっと目を閉じて座っていた。

背筋はぴんと伸び、肩の動きはわずか。外界の音を遮断し、意識を一点に研ぎ澄ませている。



彼女の前には、解体された立方体のパズルが散らばっていた。

金属とも樹脂ともつかぬ無機質な質感のピースが、次第に微細な震えを帯び、やがてふわりと宙に浮かび上がる。


カッと目を開いた瞬間、ピースは一斉に収束し、完璧な立方体へと組み上がって彼女の掌に落ちた。

表情は変わらない。達成感も歓喜もなく、それをただ無感情に見つめ、ぽとりと床に置く。


次は魔法の練習だ。

彼女は掌を開き、空中に六つの魔力球を形成する。火・水・風・土・光・闇――すべてを同時に、等しい大きさと密度で。

それは高度な魔力制御を要する課題で、通常は十代半ばでようやく試みるべきものだ。


だが、アリサの球はわずか数秒で形を成した。

しかし、その均衡は長く続かない。火が揺らぎ、水が波打ち、光と闇が互いに干渉して霧散する。最後に残ったのは風だけだった。


「はぁ……はぁっ……」


額には薄い汗。脳の奥で鈍い痛みが脈打つ。

それでも、彼女は再び魔力を練り上げる。もう一度。もう一度――。


周囲にも子供達の姿があった。

壁際でパズルを組み上げる少年。指先から火花を散らしながら風の球を膨らませる少女。

誰も言葉を交わさない。会話は時間の浪費であり、集中を乱す行為として減点の対象になる。



部屋の端では、白衣を着た監督者が端末を手に、一人一人の動作を無言で記録していた。

時折、数字が画面に浮かび、一定以上の成果を上げた子供の横に「+」の印が付く。印のない者は、次の選別で消える可能性が高い。



アリサは視界の端でそれを捉えていた。

彼女の行動を監視する視線。筆記音。数値化される価値。

だが、それに怯むことも、媚びることもない。ただ、己の中の精度を高めることだけに集中していた。



再び六つの魔力球が現れる。

今度は火と水の干渉を避けるため、配置を対角に変え、光と闇を中心から少しずらす。

だが、わずかなズレが全体のバランスを崩し、土が粉々に砕けて消える。

視界が一瞬白く飛び、耳鳴りが響く。吐き気が喉元までせり上がるが、彼女は手を下ろさない。


「……っ」


脳にかかる負荷は限界を超えていた。

神経が焼けるような痛みと、冷たく痺れるような感覚が交互に押し寄せる。

やがて、魔力球はふっと霧散し、アリサの体が前のめりに倒れた。




――瞬時にナノマシンによる治療回復が行われ、焼き切れかけた魔力回路も千切れた脳の血管も修復される。


止まりかけたアリサの胸が浅く上下し、再び呼吸が整う。彼女は目を開き、起き上がった。





みちるはその一部始終を見て、拳を握りしめた。

ここでは、成長も競争も、生存のための条件に過ぎない。

倒れれば回復させられ、また課題に戻される。休息は許されない。



やがて、入浴の合図が鳴る。

子供達は一斉に立ち上がり、等間隔の列を作って部屋を出ていく。

足音も歩幅も完全に揃い、個性という概念は欠片も感じられない。


最後に出て行くアリサの背を、みちるは見送った。

小さな背中。無駄のない動き。

その美しさが、同時に恐ろしくもあった。


――これが、この世界での「普通」なのだと。



扉が閉じ、室内には再び冷たい沈黙が戻る。


残されたのは、床に落ちた一片のパズルの破片――それは、アリサがわずかに力を込めすぎて欠けたものだった。




みちるは震える息を吐いた。


『ねぇアリサ、今……6歳よね。この施設はいつまでいたの……?』


アリサは少しだけ視線を落とし、破片を見つめた。


『……7歳までですね。6歳のこの一年間は一番穏やかなものだったかもしれません』


『これが……穏やか……?』



みちるの声が震える。

死ぬ寸前まで無理をして、ギリギリで呼び戻される日々。

それが一番穏やかだったというのなら――この先に待つのは、どれほどの地獄なのか。


『……死ぬのは……怖くなかったの……?』


アリサはみちるから視線を逸らし、黒い扉をじっと見つめた。


『……怖かった。ここを出るまでも、出た後も。ずっと死ぬのは……怖かった』



そっと、後ろからみちるはアリサを抱きしめた。

彼女の体温が、いつの間にか冷えていたアリサの身体を温めていく。


『……大丈夫。もうアリサはここにはいない。私の傍にいるの』


アリサは何も答えず、ただその言葉を胸の奥で反芻していた。




記憶は次の場面へと移り変わる。


薄暗い空間の輪郭が揺らぎ、灰色の床がほどけて闇に溶けていく。


再び、二人を闇が包み込んだ。




今回は5歳から6歳まで。アリサが過ごした記憶でした。


かつて、第3話であかりから中学校の話を聞いた時、アリサが心の中で静かに呟いていた言葉を覚えているでしょうか。

「選別」とは、まさにこういうことだったのです。


それでは、次回予告です。


~~次回予告~~


7歳。


いよいよ、施設を出る“機会”が訪れる。

――「家族のお迎え」。


だが、それは言葉通りの温かいものではなかった。

もう、選別は始まっている。


次回――「家族」


それでも、私は立ち止まらない。

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