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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第一部 第一楽章 知らない世界
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試される一歩

 「夕飯が出来るまで座って待っていて下さい」


 というマスターの優しい言葉に「……せめて何かお手伝いをさせて下さい」と返す。


 ただ座して待つ事を拒み、彼の手助けができればと同じキッチンには立ったものの、ここでアリサに料理の知識(レシピ)こそ持っているが<実践した事がない>という高い厚い壁が立ちはだかった。



 まず任されたのが、卵の殻を割って中身のトロリとした部分だけをボウルへと落とす作業。


 手で持って軽く力を淹れるだけで簡単に破れてしまいそうな繊細なそれを、二つ叩き合わせて割ると良いと情報にはあった。



 ……本当にこの卵同士を叩きつけて大丈夫なのだろうか?どちらも砕け散る未来しか見えないのだが。



 じっと両手に一つずつ持った卵を見つめ、本当の本当に大丈夫なのか、未だに不安が抜けないが、あまり時間をかけすぎても不味い。覚悟を決めて徐にボウルの上で卵を構えた。


 「……はっ!」


 卵同士がぶつかり合った刹那、案の定卵は粉々に砕け散り、殻と中身がぐちゃぐちゃとボウルへと落下し見るも無残な姿を晒した。


 チラッとマスターの様子を盗み見ると、手早く野菜を切り分け完成させたサラダをダイニングテーブルへと持っていく所でこちらには気付いていない。


 「修復(リペア)


 時間を巻き戻すが如く、ボウルへ落下し混ざり合ってしまった中身がそれぞれの卵へと分離され戻っていき、割る前の状態へと回帰してボウルの中で転がった。



 やはりあの方法はどう考えても間違っている。誤った情報を載せた人間は処されるべき。

 そう内心で憤慨しながら改めて次は優しく殻を剥がす方針を取ることにした。


 繊細に繊細に、ほんのわずかに切断魔法で一部の殻を切断し剥がし取ると、更に薄い皮が顔を見せる。

この薄皮を破かぬように慎重に殻を取り除き、残す三つの卵も同様に殻を剥がしてボウルへと置いた。



「ふぅぅ……」


 料理というのはまさに非効率の鑑だ、栄養的にも複数の料理を取らないとバランスが取れない。この殻を剥く時間があれば効率食ならばもうすでに作成から完食まで終えている頃だろう。


 ……でも、だからこそ価値がある。楽しみがある。この卵という食材はどんな料理にも化けていく、まさに魔法の卵と呼んでも良いだろう。


 目を閉じて図書館での情報収集の際、ちゃっかり調べておいたデザートと呼ばれる見た目麗しい輝く料理等に思いを馳せる。



 「……マスター、卵割り完了致しました」


 「ありがとう。……良くこんなに綺麗に殻だけを取れましたね」


 薄皮を残して、しかも割れずにボウルに鎮座する4つの卵を見て、マスターの顔に僅かながら驚愕の色が浮かぶ。


 しかしすぐに気を取り直し、菜箸で卵を溶き解してボウルへ牛乳、塩を加えてなめらかになるまで混ぜる。


 その傍らでフライパンに火を点け、冷蔵庫から取り出した四角いバターを落とし、バターが溶けた所にボウルの卵液を流し込んだ。


 そこからはまさにマスターの熟練の手捌きで、ぷるぷるふわふわとした感触を残しながらも、卵を綺麗な楕円形を描くように折り畳み、あっという間に皿へと盛り付けた。


 それをもう一つ手早く完成させて、もう一つのフライパンで湯で焼きにしていたソーセージを3本ずつ添え、ケチャップをかけて完成。



 黄色い宝石を目前にしてアリサのお腹はくぅくぅと音を立て、早く早くと煽り立てる。



 ダイニングテーブルへと料理を並べて、二人が席へと座ったらすぐに手を合わせ、「頂きます」とフォークとナイフを手に取った。


 まずは冷めないうちに、はやる心を抑えつつオムレツの端をナイフで一口大の大きさに切り、フォークで掬うように持ち上げ口へと運ぶ。



 舌の上を転がるふわふわのオムレツはぷるんとなめらかで、噛まずともその身をトロリと蕩けさせ消えていく。


 ——美味しい。



 次にケチャップソースを絡めてもう一口。今度はケチャップの甘酸っぱさが、卵と一緒に混ぜられた牛乳の甘さを引き立てては消えていく。



 ふぅ……と小さく息を吐き、昂った心を落ち着かせる。


 これは毒だ、もう私を捕らえて決して離さない甘美な罠。


 昨日の夜からもう私の脳は焼かれてしまった。今となってはあの効率食のぶよついた食感も雑な塩味も食べられない。食べてなるものか。


 アリサの視線は次にオムレツに添えられたソーセージへ向いた。昼に食べたハムの仲間だとは知っている。肉……そう、肉だ。


 仕事中想像以上の人入りで、つい戦場にいた頃と同じ、心を殺し無の境地に至ったまま食べてしまった。


 人生で初の()()()()()()本物の肉だったのに………本当に勿体のない事をしてしまった。


 今更ながら後悔が押し寄せてきたが、今は目の前のソーセージに集中する事でその後悔の念を振り払う。


 フォークを突き立てると、プチッと張りのある手応え。まずは何も絡めずにそのまま一口。


 パキッと歯切れ良く、また噛み切った断面からじゅわりと閉じ込められた肉汁が溢れ、噛む度に口内で旨味を撒き散らしていく。



 ——気のせいか、一瞬景色が遠のくような錯覚を覚えた。これはいけない。気付けでサラダを摘ままないと。



 尚、対面で食べているマスターには無言無表情のまま時々小刻みに震えながら黙々と食事するアリサの姿しか見えていない。

 

 しかし彼女の雰囲気から、マイナス感情の為に黙っているわけではない事は、言わずとも伝わってきていた。

 

 それ故に、マスターも彼女の邪魔にならないように微笑みながら黙って食事を続けていた。






 食後、未だ“肉”の衝撃に頭を揺さぶられていたアリサは、ふわふわした気持ちのまま食器を洗っていた。

そのせいか、玄関に近付く足音の気配に気付くのが遅れていた。



 階下の住宅用玄関が音を立てて開き、バタバタと足音をさせて階段を登りアリサのいるリビングへと近付く誰か。


 ぽわついた心が一瞬にして戦士として切り替わり、腰につけていた小型化させた杖型デバイスへと手をかけ身構える。


 バンッと勢いよくドアが開かれ、飛び込んできた人影は、目の前にいたアリサに飛びつくように抱き着いてきた。


 「ただいまっおじいさまー……って、あなた誰ぇぇぇぇえっ!?!?」



 飛びついてきた少女の身体を受け止めつつ、アリサはとっさに体を回転させ、勢いを逃がしてそのまま床にストンと少女を下ろした。軽やかだが無駄のない動き。その反応速度に、飛びついた本人が一瞬目を丸くする。


 「なにその動き!? 反射神経おばけ!?……って、え、誰? 本当に誰!?」


 少女は床に立ったまま、呆然とアリサの顔を凝視する。


 明るい茶髪のロングヘアにリボンをあしらい、質の良い衣服を纏い、整った顔立ちに澄んだ瞳、そしてやや気の強そうな眉。


 ――敵性反応なし、年齢からマスターの孫娘と判断。


 アリサは警戒を解き、少女との距離を一歩取りつつ静かに尋ねた。


 

 「……名前は?」



 「なっ……なんで私が名乗らなきゃいけないのよ!? ……っていうか、何その無表情!こわ……」


 少女も一歩下がりながら、じろじろとアリサを見回した。そして、ふと何かに気付いたようにアリサの着ている服を見つめる。


 「一応、確認だけど……ここ、私のおじいさまの家よね?それと、その服……私のよね?」


 少女の問いに対し肯定の意で無言のまま一度頷く。


 「やっぱり! っていうかどこの誰よ!?日本人じゃないし!さっきから真顔のままだし!私の服……ッ!まさか下着まで私のだったりする!?新手の変態……!?」


 少女――楠みちるは、やや早口になりながら詰め寄る。が、すぐに「はっ」と我に返り、咳払いひとつ。


 「……コホン。ごほん。もしかして日本語じゃあまり分からないのかしら……でもおじい様のお知り合いなら……『私は楠みちる。以後、お見知りおきを』」


 優雅な礼(カーテシー)と仏語での自己紹介に、アリサは少しだけまばたきをしてから小さくうなずいた。


 「……大丈夫、日本語で通じる。……私はアリサ、マスターに助けられてここにいる」


 「……あっそ。っていうか、本当にどこから来たのよ、あなた……」


 更に一歩退きながらも、みちるはアリサの纏う雰囲気と一切の隙ない立ち姿をもう一度じっと見つめる。


 彼女が常人ではないと直感しているようだった。だが彼女は、それを隠すようにぷいっと顔を背けた。


 「……まあ、別にいいけど。おじいさまが許してるなら、それなりに理由があるんでしょ。あんたに興味なんて、ないし」


 口調はそっけないが、その横顔にはほんの少し、不安そうな色も混じっていた。




 「お帰りなさい、みちる。パリは楽しかったかい?」


 みちるの騒ぎを聞きつけ、奥の部屋からマスターがリビングへとやってくる。


 「あっ……! ただいま戻りました、おじい様!」


 マスターの姿を見たみちるはぱっと表情を明るくし、今度こそ迷いなくマスターへと駆け寄り、満面の笑顔でその胸に飛び込んだ。


 そんな二人の再会を見守っていると、アリサは階下の玄関にもう一人の気配を感じ取る。


 様子を見に行くと、上品な身なりの女性がトランクを手にドアの施錠をしているところだった。


 「あら……あなたがアリサさんかしら?」


 「ッ……!」


 視線が合った瞬間、アリサは“繋がった”感覚を覚えた。


 そこにいるのは一人の女性なのに、その存在に全方位から見透かされるような錯覚。どこか、心の奥底までを覗かれているような――妙な圧迫感があった。



 アリサは無表情のまま、しかしわずかに警戒を滲ませて身構える。


 その様子を見て、女性はふっと微笑み、ゆっくりと目を閉じた。すると、その不思議な“視線”はすっと霧が晴れるように消えていった。


 「……苦労したのね。今の()()()だけで、だいたい分かったわ」


 このわずか数秒のやりとりだけで、目の前の女性が只ならぬ人物であることを、アリサの身体が理解していた。頭よりも先に。背中にひやりと汗が伝っていた。


 「とりあえず……このトランク、運んでもらえるかしら? 重くて重くて」



 アリサは無言のまま頷き、女性の手からトランクを受け取る。

 中身の重量を計算しながらも、それが気にならないほど、彼女の隙のない気配に意識を引きつけられていた。


 「ありがとう。……ああ、そうだわ」


 女性が思い出したように指を鳴らすと、空間にほのかな揺らぎが生じ、小さな書類の束が空から舞い降りるようにアリサの前に現れた。



 この世界にも魔法という言葉は存在していた。

 だがその大半は創作物扱いされており夢物語の存在とデータにはあったはず。



 今の目の前で起きた現象は間違いなく魔法の類だ。しかしナノマシンの鑑定では魔科学由来の物ではないと表示されている。


 その結果を受けて書類へ向いていた視線を女性へと向けた。



 「あなた、これからこの世界で暮らすんでしょう?必要になると思って、少しばかり“細工”をしておいたの。戸籍に、住民票、身分証明書。ぜんぶ正規のルートよ、心配いらないわ」



 アリサは目を伏せ、束を受け取った。触れた紙は確かに温かみのある質感を持ち、電子偽造や幻術とは明らかに異なる。


 「名前も、考えておいたの ()()()()()


 「………さくら?」


 「そう。辛い過去の冬を耐えた蕾が()()()一人の女の子として生きて()()人生を歩む。だから“咲良”。気に入らないなら、後で変えてもいいけれど――私としては、気に入ってるのよ」


 そう言って、どこか寂しげで、それでいて慈しむように微笑んだ


 「……咲良、アリサ」


 不思議とスッと胸に入り込む言葉。

 とくんと鼓動が脈打ち、かつて名を奪われ、家名を持たぬアリサはここで改めて姓

—————————————————————————————————————





 旅行帰りの荷ほどきを終え、一息ついたところで楠家のダイニングテーブルに一同が揃った。


 テーブルには湯気の立つコーヒーとお土産の素朴な焼き菓子。その和やかな風景とは裏腹に、議題はきわめて現実的かつ緊迫したものだった。


 ――喫茶店《Rosse》の新従業員として、アリサを雇うか否か。


 「イヤよ。絶対イヤ!」


 いの一番に声を上げたのは、もちろんみちるだった。


 「バイトならまだしも、居候までなんて――ありえないわ! どこ出身かも分からない、記憶喪失の外人よ!? いくらおじい様が絶賛してても、正気じゃないわ!」


 アリサは黙って隣に座っている。表情一つ変えず、まるで何も聞こえていないかのように静かに、コーヒーカップを両手で包んでいた。


 「でもねぇ、みちるちゃん」


 マダムが口元に手を添えて微笑む。


 「私の占いだと、この子――とっても大切な()()を背負って、ここに来ているみたいなの。世界の命運がかかってるくらいにね」


 「ば、バッカじゃないの!?」


 みちるはわなわなと肩を震わせて立ち上がる。


 「おばあ様はいつもそう!スケールが大きすぎるのよ! こんな、何言っても反応なし。おじい様の絶品コーヒーを飲んでも眉一つ動かさない、()()みたいな子が、何を背負ってるっていうのよ!」


 アリサは――それでも何も言わなかった。ただ、ほんのわずかにコーヒーの湯気が揺れ、彼女の視線がみちるへと向けられたような気がした。



 みちるが横目でアリサを見るとちょうど彼女と目があった。

 そしてはっと息を飲むと、口をパクパクさせ何か言葉を紡ごうとするも声にならない。


 「嘘……本当に……?」


 ようやく絞り出すようにでた言葉だった。


 その時アリサも先程マダムと目があった時と同じような不思議な感覚に陥っていた。だがマダムのようにすべてを見透かすような深いものではなく、浅く短いものだった。


 「な、何よ……何なのよ……」


 みちるは小さく声を漏らした時、胸の奥がきゅっと締めつけられていた。


 アリサの中にある、ひとりぼっちの寂しさが、なぜか、まっすぐ伝わってきたのだ。

 そして、記憶喪失ではなく……とても話せない過去の事も。



 ――わたし、この子のこと、何も知らないのに。


 でも、どうしてだろう。

 わたし、泣きそう……


 「みちる」


 優しい声で、マスターがそっと語りかけた。


 「彼女は、大丈夫だよ。おじいちゃんがそう信じているように、君も……アリサさんを、信じてごらん?」


 「……」


 みちるは俯き、唇を噛みしめた。

 強がって、尖った言葉で跳ねのけて、それで距離を保とうとしてた。

 だけど――


 「……っ、しょ、しょうがないわねっ!」


 突然、立ち上がったみちるが叫んだ。


 「おじい様がそう言うなら……わたしだって、ちょっとは信じてあげないことも……ないんだからっ!」


 ぷいっと顔を背けるその頬は、ほんのり桜色に染まっていた。


 そして、そんな彼女の言葉にアリサがほんの少しだけ、口角を緩ませていた。


 「へ、変な顔しないでよっ! いい? 仮採用なんだからねっ!」


 「ふふっ、ありがとね、みちるちゃん」


 マダムのくすくす笑いに、みちるはますます真っ赤になって叫んだ。


 「うるさーい!!」



 マダムが笑い、マスターが肩をすくめる。

 アリサはその様子をただ静かに見守り、感謝の意を込め軽く頭を下げた。



挿絵(By みてみん)



料理に初挑戦するアリサちゃんと、新キャラ 存在が仄めかされていたマスターのお孫さんの登場です。(挿絵)

次回は謎のマダムの正体に迫ります


お楽しみに~!

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