触れられた心、揺らぐ旋律
時刻はお昼過ぎ。
結婚式場から戻ってきたあかり達三人とソラシーは、あおいの家に着くまでの間、ずっとバクオンダーと黒い少女について話し続けていた。
「やっぱり、あの爆音……耐えるだけでも精一杯だったわね……何か対策していかないと」
「そうだね。……それに私が一対一で戦った時よりも、男爵……強かったよ。あの黒い魔法少女と戦ってた時、私、見ていたんだ」
「……でも最後は勝てたよっ!三人で!」
「あの黒い魔法少女のおかげソラっ」
「もー、ソラシーっ!そうだけど……そうだけどっ!!」
笑いも混じる会話の裏には、悔しさと焦りが混ざっていた。
もう一歩間違えば、結婚式場も、あの街並みも、守れなかったかもしれない――そんな現実が、三人の胸に重くのしかかっている。
あおいの家の前に着くと、三人は短く別れの挨拶を交わす。
「あおいちゃん、ゆっくり休んでね!」
「二人もね。今日は本当……お疲れさま」
「またね、あおい」
マンションの自動ドアが閉まり、足音が遠ざかる。
残ったのは、あかりとみちるの二人だけ。
「私達も帰ろう?」
「うんっ!」
さっきまでの会話が嘘みたいに、言葉が途切れる。
並んで歩くうち、みちるの視線が空の遠くを見据えた。
そして、低い声でぽつりと落とす。
「――ねえ、あかり……。あかりは本当にあの黒い魔法少女の正体、分からない?」
「んぇ?うーん……そうだねぇ……全然分かんない!」
「ソラシーもぜんぜんソラ!」
「……そっか」
みちるは、本当は分かっていた。……あの白銀色の髪、見間違えるわけがない。
でも髪型は彼女らしくないシニョンにまとめていた。
どんなに言ってもポニーテール以外結ばなかったのに……。
それと、怪しい銀色のバイザー……あれは一体何なのか。
帰ったらアリサを問い詰めなければと心に誓うみちるだった。
「でも、悪い人ではないよねっ!きっと!」
「当たり前じゃないっ!!」
あかりの言葉に、みちるはつい大声で返事をしてしまい、頬を赤くして目を伏せた。
そんなみちるの様子を見ていたあかりは、にっと笑顔を浮かべて歩きながらそっとみちるとの距離を一歩詰めた。
「仲良くなれるといいね、あの子と」
優しいあかりの言葉に、みちるもようやく表情を柔らかい物に変えた。
「……うん、きっとなれるはず……」
やがて二人は桜並木をゆっくりと歩き、いつもの喫茶店の前に辿り着いた。
扉の向こうからは、昼下がりの柔らかなカップの音と、パンの焼ける香ばしい馴染みの香りが漂ってくる。
「うわぁ~良い匂いっ!お腹空いてきちゃった。じゃあ、またねっ!」
「ええ……また学校でね?」
短く交わした言葉の裏で、みちるの胸の中には別の思いが膨らんでいた。
――絶対に確かめる。あの時、私が見たのは……。
そう決めて、みちるはドアノブを握る。
柔らかなベルの音が、静かな昼下がりに鳴り響いた。
「……お帰りなさいませ、お嬢様」
出迎えたアリサが微笑みながら優雅に一礼をする。
彼女の微笑みを見て、店内の女性客から小さく黄色い声が上がり、アリサとみちるへ視線が集中する。
「アリサちゃんの微笑みっ……!見たっ!?」
「見た見た!!えーっあの子羨ましい……」
アリサの貴重な微笑みを唯一向けられたみちるも、もちろんみるみるうちに顔を赤く染めていくが、はっと我に返り、わなわなと身体を震わせながらビシッと人差し指をアリサへと突き付けた。
「うちはそういう店じゃないからーっ!?」
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リビングで昼食を取った後、みちるはアリサと交代してお店の手伝いに入った。
午前中に強く降り続いていた雨も止み、雲間から太陽が覗いてきた午後は人の入りも多く、芳夫も詠子も忙しそうに厨房を行き来していた。
接客担当のみちるも配膳からレジ打ち、片付けを手際よくこなしていくが、黒い魔法少女、その正体について考え事をしてしまったせいで目測を誤り、テーブルに身体をぶつけてトレーに乗せたガラスコップが倒れ、落ちていく。
「あっ……!?」
だが、コップは割れる事なく、アリサの手によって受け止められた。
「……大丈夫?」
「え、ええ……ありがと」
みちるの持つトレーにコップを戻し、アリサはポニーテールにした銀髪をゆらゆらと揺らしながらホールを確認し、レジの横の定位置へと着いた。
機械仕掛けのように正確で、無駄がない。……いつも通りのアリサだ。
「……今はちゃんとこっちに集中しないとね」
みちるは軽く頭を振り、余計な事は考えるなと仕事モードに意識を切り替えた。
お昼のピークも過ぎ、店内も落ち着きを取り戻した15時過ぎ。
退店した客のテーブルのコーヒーカップや皿を片付けし厨房へ戻った際、みちるは洗い物をする詠子へ小声で話しかけた。
「ねぇおばあ様、今日の午前中の事なんだけど……アリサってどうしていたかしら?」
みちるの問いかけに、詠子は洗い物をする手を止め、孫娘へと向き直った。
「アリサちゃん?お店をお手伝いしてくれていたけど、何かあったのかしら?」
詠子は微笑みながらみちるの目を見る。
「……ううん、今日もお手伝い一人でお願いしちゃっていたから、疲れてないかなって」
目を逸らしながら答えるみちるに、詠子は笑みを深めた。
「偉いわねみちるちゃん。……後で直接、アリサちゃんにお礼を言うのが一番あの子も喜ぶと思うわ?」
「うん……。ありがとう、おばあ様」
それからもアリサに変化はなく、ただ時間は流れていきあっという間に閉店時間を迎えた。
いつも閉店30分前に慌てて駈け込んでやってくる、学生時代から数年近く通う常連の兄弟が最後の会計を済ませて帰っていくと、店内は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
芳夫と詠子は厨房で片付けを続け、ホールではアリサがレジを締めている。
硬貨がトレーに落ちる小さな音さえ、妙に耳につくほど静かだった。
アリサは計算を終えると、売上を芳夫へと渡し、何事もなかったかのようにみちるの横を通り過ぎた。
その横顔には、戦場の影など一片も感じさせない。
夕食のテーブルでも同じだった。
食器の配置、ナイフとフォークを使う手の所作、咀嚼の速度まで一定で、感情の波は一切見せない。
それはいつものアリサそのもの。
その“いつも通り”こそが、かえってみちるの胸の奥をざわつかせていた。
――もし……もし本当に、アリサがあの黒い魔法少女だとしたら。
考えがそこまで至った時、アリサがふと視線を向けてきた。
鈍い輝きを持つアリサの瞳と目が合い、みちるは咄嗟にカトラリーを持ち直して視線を逸らす。
「……みちる?」
「ごめん、なんでもないの」
口元だけで笑ってみせたが、心臓の鼓動は収まらない。
夕食を終え、後片付けを手伝った後、みちるは先に自室へ戻った。
ベッドで枕に顔を埋めている時も、湯船に浸かっている間も、黒い魔法少女の姿が頭から離れない。
あの白銀色の髪、黒いロングコートとスカート。手にしていた剣にも変形する杖。……そして目元を隠す銀色のバイザー。
この特徴を覚えているのは、何故かみちる一人だけ。
あかりに聞けどあおいに聞けど、二人は同じように黒い服を纏った魔法少女とだけ答え、それ以外の特徴をみちるが説いても首を傾げるだけだった。
浴室を出て脱衣所で髪を拭いていると、扉の向こうから祖父母とアリサの小さな話し声だけが微かに聞こえていた。
パジャマに着替え、ドライヤーを手に取る。
騒音と共に吐き出される温風に踊る自分の髪をぼんやりと眺める。
この時間、無心で考え事をするにはうってつけな時間。
その間に、みちるは覚悟を決めた。
――確かめる。今夜、はっきりさせる!
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時計の針が日付の境目を指す前、みちるはそっと廊下へ出た。
屋根裏部屋のハッチの下に立ち、みちるは深く息を吸い、悩む心と共に息をゆっくりと吐きだす。
緊張のせいか、手のひらがじっとりと汗ばんでいた。
壁に立てかけられているマジックハンドを手に取り、ハッチのレバーを引く。
ギィッと音を立てて仕掛け梯子がゆっくりと展開し降りて来る。
もうここまで来たら引き返せない。
意を決してみちるは梯子を登った。
屋根裏部屋は月明かりが窓から差し込み、床の木目を青白く照らしている。
既に照明の消えた部屋で、アリサはベッドに腰掛け空を眺めていた。
サラサラと流れる白銀の髪が月光で煌めき、恐ろしい程整ったその姿はどこか幻想的で、彼女がこの世のものではない神仏精霊の類ではないかとすら覚えてしまう。
アリサはみちるに気付くとゆっくりと振り返った。
「……こんな時間に、どうしましたか?」
落ち着いた声。
半袖のパジャマの袖口から覗く腕の白い陶磁器のような肌に、つい目が行ってしまうがすぐにアリサの目へと視線を合わせた。
――聞かなきゃ。
みちるは一瞬、喉が詰まりそうになったが、視線を逸らさずに口を開いた。
「……聞きたいことが、あるの」
その言葉に、アリサの目がわずかに細められる。
屋根裏部屋の静寂が、二人を包み込んだ。
アリサは少しだけ首を傾け、淡々と問い返す。
「……何でしょう?」
その声音は柔らかいのに、何かを探るような重みがある。
みちるは息を整え、唇を噛み――そして言った。
「今日……あの結婚式場に、いた……?」
一瞬、月明かりが陰る。
アリサの表情はピクリとも動かない。そして沈黙を保っていた。
「……何故、そう思うのですか?」
柔らかな声色。しかしその奥に、何かを計るような重さがあった。
みちるは視線を逸らさない。
「髪の色も、姿も……あの時の人に、似ていたから」
「……似ていただけで、別人かもしれません」
「ええ、そうかもしれない。でも――違うとも言わなかったわよね」
二人の間に、月明かりとお互いの呼吸の吐息だけが満ちる。
アリサの口元が、微笑みとも無表情ともつかない形を取った。
「みちるは……本当にその場にいた人間が、私だと思っているんですか?」
みちるは答えず、ただ一歩踏み込んだ。
「……もしそうなら、聞かせてほしいの。何で顔を隠していたのか。何であかりやあおいには記憶が残らないのか」
アリサは視線を外し、窓の外の夜空を見やった。
「……みちる、あなたには……二つの選択肢がある。一つ……何も聞かなかった、見なかった事にして日常に戻る。二つ……真実を知って、強制的に全てを忘れる。どちらを選びますか」
その声は淡々としているようで、どこか迷いの色を含んでいた。
みちるがそう感じたのは、アリサがあえて目を反らして外を見ながら今の言葉を告げたからだ。
みちるが思考を巡らしたのはほんの一呼吸の間だけだった。
ゆっくりと歩き出すと、アリサの座るベッドの前へ。そしてアリサの隣へと腰掛けた。
「決まってる。私の答えは――三つ目。真実を知った上で、アリサの隣にいるわ」
アリサは僅かに目を見開き、みちるへと振り向く。
その瞳は穏やかな湖面のように揺れていた。
「……あなたは時々……本当に厄介な人です」
淡い笑みが、唇の端に浮かぶ。
みちるは笑い返すでもなく、真剣な表情でアリサの瞳を見つめていた。
「……聞けば、もう引き返せないかもしれません。それでも良いのですか?」
「ええ。もう覚悟は出来ているわ」
答えながら、みちるはそっとアリサの膝に置かれた手に自分の手を添わせる。
アリサは手と手が触れ合った瞬間、ぴくっと手を強張らせた。
普段なら手を繋ごうが握ろうが、何をしても大した反応も返さない。
そんなアリサが、今日は触れただけで明らかに反応を見せた。
じっと自身を見つめるみちるの真っ直ぐな目に、ついにアリサは思わず目を伏せてしまう。
何かを悩むように、何かを恐れるように。
ようやく、長い長い沈黙を破り、アリサが口を開いた。
「……申し訳ございません。私には……覚悟がない」
蚊の鳴くような微かな声。
アリサの言葉が、屋根裏部屋の静けさに吸い込まれていく。
「私は……この手を知ってしまった。そしてみちるの……あかりの、あおいの心からの優しさを、温かさを知ってしまった」
――ぽつり、ぽつりと零れる言葉たち。
「私は……失うのが怖くなってしまった。この平和な毎日、この時間、感じるあなたの手の温もり。……話せば、話してしまえば、きっとあなたは……この手を放して私から離れていく。あかりも、あおいも……」
――その言葉はまるで懺悔のように。
「……私は、多くを奪ってきた。……この手も身体も汚れている。本当なら……こうしてあなたの隣に座って、優しく手で触れられて良い人間ではない。……それなのに、浅ましく今のままで居たいと縋ってしまう」
ゆっくりと、アリサは顔を上げ、みちるの目を見た。
その顔は……普段の感情を殺し、クールで大人びた物とはかけ離れた、不安と悲しみ、恐怖で染まった年相応の少女の顔だった。
「っ……」
思わずみちるは声を失ってしまった。あのアリサが、感情を露にしている。
しかしこの事に驚いてしまったみちるは、すぐに自分を責めていた。
――私はまだ彼女の事を全然分かっていなかった。知っていなかった。なのに、もうアリサの事を分かった気になっていた。
アリサは完全無欠のヒーローだと、勝手に思い込んでしまった。本当は、アリサも自分と変わらないただの女の子なのに。
下手な言葉はチープで想いを伝えられないかもしれない。
そう思った時には、先に身体が動いていた。
「っ……みちる?」
みちるはアリサを強く強く、抱き締めていた。
遠慮も羞恥もかなぐり捨て、自分の心が、想いが強く触れ合う身体の熱で伝わる様に。
アリサは、みちるの腕の中で瞬きを忘れた。
その温もりが、自分の輪郭を形づくるようで――怖くて、でも、嬉しくて。
頬が彼女の胸に触れた。温かくて、柔らかい。それに……うるさいくらい彼女の鼓動が脈打つのを感じていた。
息を吸い込む度に、甘いみちるの匂いが胸いっぱいに広がる。
それだけで、胸の奥の何かが、軋むように痛んだ。
そっと、遠慮がちにアリサの手がみちるの背に回される。
その感触を受け、みちるはもっと両手両腕の力を強めた。
淡い月明かりが二人の重なった影を床に伸ばす。
アリサは小さく息を呑み、それ以上は何も言わなかった。
沈黙の中、外の風が窓ガラスをそっと揺らし、カタリと音を立てた。
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――いつまでもこうしていたかった。どこまでも心地良くて、安心する。
胸の奥が……痛い。胸の奥底に仕舞い込んだ感情達が外に出せと暴れまわっているのが分かる。
やっぱり、この時間を……この毎日を失うのは怖い。
ようやく出会えた、打算や任務に縛られたものではなく、自分の意思で護りたいと思う人を、失うのは怖い。
でも……ここまで彼女にしてもらったからには、自分もそれに応える義務がある。
例え……その結果、全てを失ったとしても。
あの時、本当なら終わっていたはずの自分の時間。
肉体が、精神が消えゆく間際に見ている夢なのかもしれない。
ならば、自分の手で終止符を打たなければならない。しっかりしろ、H-163。覚悟を決めろ。
「——ありがとう、みちる」
もう、羽虫の羽音のようなか細い声ではない。しっかりと芯のある声で、未だ自分を抱くみちるへ感謝の言葉を告げる。
「……おかげで、覚悟は決まった」
そっと身を離そうと、みちるの背へ回した手を離した。
――が、みちるの腕は離れない。離そうとしない。
「……みちる?あの、腕を」
「嫌。このまま話して」
何度か身動ぎをするが、それでもみちるは離そうとしない為、アリサは小さく息を吐いた。
――抱きしめられたままでは、余計な感情まで零れてしまいそうで怖いのに。
離れようと思えば、きっと容易いだろう。でも……不思議と、そうしようとは思えなかった。
それどころか、この腕の中でなら、どんな言葉も受け入れてもらえる気がしてしまう。
そんな淡い期待すら芽生えてしまった。
「……分かりました。お言葉に甘えさせていただきます。」
アリサは静かに息を吸うと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「みちるの言う通り、件の黒い魔法少女は私です。顔を隠していたのは、認識阻害魔法を発動させる為……。極力この世界の理に介入しないように努めていたからです」
「認識阻害……この世界……?」
「……私は、この世界とは違う、遥かに文明も技術も発展した世界から紛れ込んだ……異物だと認識しています」
アリサから語られた聞きなれないワードに、必死に理解を追いつかせようと頭をフル回転させるみちる。
彼女の胸元に顔を押し付けられたままのアリサには、彼女の早まった息遣いも脈動も音として聞こえていた。
「異物って、どういう――」
問いかけは最後まで形にならなかった。
アリサが先に口を開いたからだ。
「……この世界にとって私は、在ってはならない存在です。私がここに居るだけで、均衡が揺らぐ。……故に、極力の介入を避け、介入した場合記憶を消していました」
みちるは口を開きかけて、やめる。
腕の中にいるはずのアリサの声が、どこか遠くから響いてくるように感じられた。
「あかり……いえ、エンジェル達が苦戦していたワルイゾーやバクオンダー。フォルティシモ男爵やミーザリアも、私の敵ではなかった。でも……私はエンジェル達が苦戦し傷付き倒れ伏すまで動かなかった。」
「……どうして?」
「皆の成長を促す為……なんて偉そうな建前を考えていました。でも……本当は、自分が出る事によって、化け物のような強さを皆に怖がられ、武器を向けられるのが怖かったのかもしれません」
淡々とした声の奥に、かすかな震えが混じっていた。
みちるはアリサの背に回した手に力を込める。
「……結局は、私が怖かっただけ……。皆の目が、私の正体を知った途端に変わるのが……」
アリサの吐き出す言葉は、淡々としているのに弱々しい。
みちるは胸の奥で何かが強く跳ね、締め付けられるのを感じた。
――じゃあ、私はなんで覚えているの?
その言葉が喉までせり上がっていた。
みちるは、ほんの少し腕の力を緩めてアリサの顔を覗き込んだ。
月明かりに照らされたその顔は、強く見えても脆く、触れてしまえば崩れ落ちてしまいそうで――。
だからこそ、視線を逸らせなかった。
「じゃあ、私は……何でちゃんとアリサの事が見えたの?……なんで覚えていられるの?」
アリサの瞳がゆっくりとこちらを向く。
その奥に、一瞬だけ揺らぐ影。
「あなたは……魔力を持っているから。それも、途方もないくらい強大なものを」
「え……?」
「……私の認識阻害魔法は、通常ならば魔力持ち相手でもぼんやりとしか記憶には残らないぐらいの効果があります。それ故に、ディスコードからは黒い悪魔の二つ名で呼ばれているみたいです。……ですが、みちるはその認識阻害という現実改変の魔力へ無意識のうちに抵抗しているみたいです」
「……抵抗、ね。そんなつもりはなかったけど」
「無意識で発動している……と言う事ですか。やはり、マダムの言う通りみちるは天才なのかもしれませんね」
静かに告げたアリサの目は優しい。
急に秘めた才能を褒められたみちるはどう反応したらよいのか、視線を彷徨わせ、最後には再びアリサへと視線を戻した。
「それで、アリサはどうするの?……聞いてしまった私の記憶、また消しちゃうのかしら?」
少し意地悪気に微笑みながら腕の中のアリサをじっと見つめる。
するとアリサは少し目を見開き、驚きの表情を浮かべた。
「みちる……またって……まさか」
「思い出したのよ、たった今。……靄がかっていた記憶が、はっきりと」
――ワルイゾーが吹き飛ばした道路標識看板が迫る中、白銀のバイザーを付けたアリサが助けてくれた事。
その後、アリサが持っていた杖の輝きを見て気を失っていたんだっけ。
「ちゃんとあの時言えなかったから、やっと言えるわね……ありがとう、アリサ」
みちるの言葉を受け、アリサは目を見開き、ふるふると首を横へ振りながら口を開いた。
「ッ……そんな、私が……勝手に記憶を消したのに……嫌われても仕方ない事をしたのに……お礼を言われるような事じゃ……」
「ううん、アリサがいなかったら私、あそこで死んじゃっていたのかもしれない。だから……嫌いになんてならない。なれるわけない!」
ようやくみちるは腕の力を緩め、アリサを解放する。
そして、同じ高さの目線で、真っ直ぐ、しっかりとアリサを見つめる。
「だから……その……、ありがとう。これからも……ずっと私と一緒にいてね?」
その言葉は、静かに、しかし確かな熱を帯びてアリサの胸に届いた。
心臓が強く跳ね、全身に脈が走る。
その時、揺らいだアリサの瞳から一筋の透明な涙が流れ落ちた。
それは月明りを反射して、宝石のようにキラキラした、綺麗な雫だった。
「ふふ……どうしたのアリサ……?」
みちるは微笑みながら、アリサの頬を伝う涙を優しく指先で拭ってあげる。
「……これは、……何でしょう。私にも……分かりません」
また一つ涙が溢れ、みちるの指を濡らしていく。
「私は、アリサを怖がらない」
揺れる瞳がみちるを映した。
「これから何を知っても、どんな過去があったとしても、私は構わない。だってアリサ……前に言ってくれたよね。あなたの傍にいます。みちるがそう望むのならって」
「……ですが」
みちるはアリサの言葉を遮るように言葉を重ねた。
「だから……アリサ。あかりやあおいを護ってくれるあなたを、過去のこれまでのあなたを、そして……弱さを見せてくれるあなたの全てを……知りたい」
アリサは、息を飲んだ。
その言葉は甘くも鋭くもなく、ただまっすぐに心へと入り込んでいく。
「……知って、心変わりは……しませんか?」
「ええ。私は絶対、あなたから離れない。だから……アリサも、もう一人で抱え込まなくていい」
言葉の代わりに、アリサはそっと目を伏せた。
胸の奥にあった恐れが、ほんの少しだけ溶けていく。
「……ありがとう、みちる。あなたに会えて……よかった」
それはどこかぎこちないものではあったが、アリサは初めて……歯を見せて笑った。
みちるはもう一度、アリサをしっかりと抱き締め、アリサもそれに応え、みちるをしっかりと抱き締めた。
淡い月光が二人を包み、外の世界から切り離されたような温かな静寂が、屋根裏部屋いっぱいに満ちていた。
これにて第一部、完結です。
ようやく人らしい感情を取り戻し、笑顔を見せたアリサ。
次回の50話からは第二部 アリサの過去編が始まります。
ニチアサ成分は一旦お休み。プロローグにチラ見せしたディストピアがやってきます。
それでは次回予告です!
~~次回予告~~
みちるちゃんとアリサちゃん、ついに本音で向き合えたんだね!
なんだか私も胸がじーんってしちゃったよ……!
でもでも!ここからが本当のはじまりなんだって、アリサちゃんが言ってたの。
えっ……アリサちゃんの過去? 戦場!? な、なんか急に物騒なんだけど……!でも、きっと大丈夫だよね……? たぶん……。
次回、「遠き日の残響」
みんな、心の準備……できてるかな?




