トモダチと情報収集と
「到着~!ここがスミゾラタウンの図書館だよ!」
桜並木を抜け、ほんの数分で目的地の図書館へとたどり着いた。思っていたよりも立派な建物だ。
歩いている間、隣を歩く柚木あかりはずっと笑顔で、この町――スミゾラタウンについて語ってくれていた。
彼女の通う快晴学園のこと、美味しいと評判のパン屋、センスのいい雑貨を扱う店のことまで。
私は何も知らず、聞くたびに首を傾げるばかりだったが、彼女は気にする様子もなく、携帯していた情報端末で画像や映像を次々に見せて説明してくれた。
その無償の善意に、私は少し戸惑った。
だが、彼女の語る情報は確かにこの世界を理解するための貴重な素材であり、私はそのすべてを脳裏に焼きつけ、形式的ながらも丁寧に礼を述べた。
自動ドアを通り館内へと進むとカビと埃に混じって、乾いた植物の香りがほのかに漂う広々とした書物庫に辿り着いた。
利用している人々はそれぞれ好きな本をその場で立って読む者、一度にそんなに読めるのか分からない程机に山積みにした本に囲まれて読む者など思い思いに過ごしている。
見渡していくと本のコーナーとは別に旧世代的な情報端末が並んだコーナーを発見する。書物を見て情報を得るのも悪くはないが今はこちらの方が効率が良い。
ふと隣を見るとまだ柚木あかりが付いてきている。彼女は何か別の予定があってあの場所を歩いていたのではないのだろうか?
「……柚木さん、私はあれで調べ事をする。ここまでありがとう。」
アリサが目的を無事に達せた事を見届け、安心したのかあかりは柔らかく笑みを浮かべた。
「じゃあ、私はこっちの雑誌コーナーで時間潰してるね。静かな場所だから、おしゃべりはまた外で!」
その瞳に一切の裏はなく、ただ自然体で、あたたかい。
「……必要があれば呼ぶ」
そう返すと、あかりは「うんっ」と短く返して、軽い足取りで別のフロアへと歩いていった。
———————————————————————————————————
静まり返った閲覧室。
分厚い本を開く音、ページをめくる指先。
室内の空調音や情報端末の熱を吐き出すファンの音以外に、余計な音はない。
目の前の端末を操作する為に、スクリーンの横に置かれた情報端末の本体へ手をかざし、いつものようにナノマシンでコントロールしようとするも思考通りには動かない。
どうやら元始的に手動で動かさないといけないみたいだ。
隣に座る他人がどう使っているのかを盗み見て、右側に置かれたコントローラーと目の前の文字や数字が印刷されたボタンのかたまりを叩き、見よう見まねで光る画面上にある「検索」と記された項目を選択すると、情報を引き出す窓口のような画面が開いた。
まず調べたのが言語関係。
この世界に来た時にずっと目にしている言語の他にもこのボタンのかたまりにある英語を始め、無駄に多くの言語が存在しているらしい。
皇国ならば星のどこへ行っても同じ言語で話せると言うのに……なんと非効率な事だろうか。
ナノマシンの補助システムをフル活用し、文字の種類や意味、同じ文字・同じ発音なのに違う意味がある等、集中しなければ頭がパンクしてしまいそうな文法を詰め込み、この国の一般教養とされる最低限の知識を脳裏へ刻み付けていく。
同じ姿勢で作業を続けたせいか少し肩の凝りを感じ、休憩も兼ねてふと目を上げて周囲を見渡すと、ガラス越しのラウンジコーナーにあかりの姿が見えた。
雑誌を読みながら、何かを見て笑っていたり驚いていたり、コロコロ変わる表情は見ていて飽きない。
その笑みは、春の陽だまりのように、そこにあるだけで心を和らげる光だった。
私にはない物をすべて持っているようなその輝きから目を背け、また視線を画面に戻した。
その後もアリサは画面に映る情報を無表情で読み続けていた。
未知の言語、未知の文化、未知の生活様式──必要最低限の情報は、すでに頭の中で分類され、記憶されている。
もっと知識を吸収しなければと思えど、なぜか指はキーボードの上で止まっていた。
再び視線をそっと上げると、ラウンジに座るあかりが目に入る。
ページをめくる手、笑顔、揺れる髪。
――無駄な時間だ。非効率だ。そう思っていたはずなのに。
「……検索はここまでで充分」
そう呟き、アリサは立ち上がった。
「……申し訳ない、時間を取らせてしまった」
「あれ、もういいの?早いね~!」
あかりは読み終わった雑誌をパタンと閉じ、元々雑誌が置かれていた棚へと戻すと「じゃあいこっか!」とはにかみながら図書館の外へと歩き出し、アリナもその後に続いた。
何故あんな雑誌一冊で楽しそうに笑えるのか、何故そんなに感情が沸き立つのか。
問いかけてみたい気持ちをぐっと抑え、あかりと再び桜並木を歩く。
「やっぱり綺麗だよね、ここの桜並木!今の時期はいつもこの通りを歩く時楽しみにしてるんだ!」
「……そうか」
不思議な感じ……。柚木さんと出会ってからずっと胸の辺りに何かが詰まっているようなそんなもやもやを感じる。でも……嫌じゃない。
こんな感傷的になるのも、この散る桜の花弁のせいだろうか。
あの時、敵の魔法が来る事を察知していた私が彼ではなく彼女に防御魔法をかけてあげていれば——。
「……アリサちゃん? アリサちゃん!!」
「ッ……!……何?」
桜の花弁に散った戦友の姿を幻視していたアリサは、いつの間にか振り返っていたあかりの顔がとても近くにある事に驚く。
また、近くで見たあかりのキラキラした目に、吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
「また……。さっきみたいな悲しい目、してる」
「……悲しい目?」
アリサは反射的に問い返した。
悲しい目?——この私が?
自分がそんな表情をするはずがない。
もうあの場所で、全て置いて来てしまったはずだ。
今更そんなモノを持っていたところで、何の役にも立たないはずなのに。
「うん、なんとなくだけど……アリサちゃん、すごく遠くを見てた。悲しそうだったよ」
あかりの声はやわらかく、どこか胸の奥に触れるようだった。
アリサはしばし口を閉ざす。
——私はあの時、何を感じていた?
戦友の幻影を見たとき、胸の奥でチクリとしたものは何だった?
「……わからない。悲しい、とは、どういう感情なのか」
「そっか……」
あかりはアリサの返答を否定も肯定もせず、ふわりと笑った。
「でも、無理に分かろうとしなくてもいいと思うよ。今は……こうやって一緒に歩いて、桜を見て、胸に何かを感じたならそれだけでいいと思う」
「ん………」
答えは出ないまま、歩みを進める。
アリサの横を、淡いピンクの花びらが舞い落ちてきた。ふと見ると、数枚の花弁が彼女の肩にふわりと乗っていた。
「ふふっ……アリサちゃん、桜ついてるよ。ほら」
あかりがそっと指を伸ばし、アリサの肩から花びらを取る。
その指先がアリサの頬へとほんのわずかに触れた瞬間——不思議な熱が、アリサの胸にじんわりと広がった。
何かが、芽吹くような感覚。
言葉にしてしまえば、とても陳腐な言葉になってしまうだろう。
だからこそ、アリサはその漠然とした感情をただ抱き締めていた。
「……ありがとう」
短く、けれど確かに声を発したアリサに、あかりはうれしそうに微笑んだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか?」
空はゆっくりと夕暮れに染まりはじめていた。
歩き出したあかりの背に、アリサはふと問いかける。
「……柚木さん、また……会えるかな?」
その問いに、あかりはくるりと振り返って——まっすぐな目でうなずいた。
「もちろん。だって、もう友達でしょ?」
トモダチ……友達。私の……初めての友達。
その言葉が、アリサの胸に静かに、確かに届いた。
「それと、あかりでいいよ!私も、もうアリサちゃんって呼んでるし!」
あぁ……、やっぱりこの子は眩しい。どこまでも真っ直ぐで、底抜けのお人好しだ。
——だったら、私が守らないと。
「……うん。ありがとう、またね……あかり……」
小声ながらもアリサに名前を呼ばれたことでまたにっこりと、輝く笑顔の花が咲いた。
———————————————————————————————————
時刻はすでに16時を過ぎ、店を出てから早くも2時間が経とうとしていた。
マスターが取ってくれた散策の時間も、そろそろ終わりが近い。きっと夕方から夜にかけて、客足も増えてくる頃合いだろう。
あかりと別れ、小走りで喫茶店へ戻ったアリサは、窓越しに店内を覗いた。
そこにはすでに複数組のお客様が。
急いで裏手の玄関からバックヤードに回り、手早く支度を整えてエプロンを装着。
そのまま喫茶スペースへと戻った。
「マスター、休憩ありがとうございました。有意義な時間を過ごせました」
「あぁ、おかえりなさいアリサさん。散策は楽しめたかな?」
「……はい。とっても」
ほんの数時間前と比べて、アリサの雰囲気がどこか柔らかくなったのを感じたマスターは、静かに微笑み「それは良かった」と独りごちる。
定位置に戻ってホールを見渡したアリサは、客の様子を手早く確認した。
今すぐに追加注文が入りそうな人も、そろそろ帰りそうな人もいないと判断すると、調理スペースへ入り、溜まっていた洗い物に取りかかる。
一般常識とこの世界の文明レベルを理解したアリサにとって、いまや接客以外に怖いものはない。
コーヒーカップやトースト用の皿をしっかり手洗いしながら、時折りマスターの目を盗み、水魔法を使って一瞬で複数の食器の汚れを落とし、水切りかごへと手際よく並べていく。
洗い物を終えると、次は店内の清掃だ。
お客様の目に触れすぎないよう自然に、しかし無駄なく素早くテーブルを拭き、椅子を整え、飲みかけの水が減っていれば、ピッチャー片手に注ぎ足していく。
「ほぅ……」
テキパキと動くアリサの姿に、マスターは思わず感嘆の声を漏らした。
一体、彼女の休憩中に何があったのか——謎は深まるばかりだ。
ただ、表情はまだ硬い。
その機械じみた部分が完全にほぐれるには、もう少し時間がかかるだろうとマスターは感じた。
それでも心の中で、確かにアリサにエールを送っていた。
———————————————————————————————————
あっという間に時間は過ぎて、閉店時間を迎えた。
本来閉店は19時半。しかし閉店10分前に滑り込んできた最後の常連客とマスターの会話が弾み、ようやく「また明日」と席を立ったのは45分過ぎだった。
常連の彼はいつもカウンターにしか座らないらしく、それ以外のテーブル席はマスターの指示で先にアリサが片付けを終わらせていた。もちろん外の立て看板も撤収済みだ。
ドアの吊り看板の文字もクローズにし、店の出入り口を施錠。まだ作業のあるカウンター付近以外の照明を落とし、各窓のカーテンを閉めていく。
アリサが各箇所の閉め作業をしている間に、マスターがカウンターの掃除と洗い物を済ませ、今日の売り上げの集計を手早く終わらせ最終確認を終える。
「……これで大丈夫ですね。アリサさん今日はお疲れさまでした」
「……はい、お疲れ様でしたマスター」
無事に今日を乗り切って一安心し油断したせいか、アリサのお腹から可愛らしく音が鳴った。
「ぁ……失礼しました」
表情こそ変わらないが、お腹を押さえ目を伏せたアリサをマスターは微笑ましく見ながら「それでは夕食にしましょうか」と促し、彼女を連れて二階への階段を登っていった。
マスターさんが聖人過ぎる?物分かりが良すぎる?それはもう少し先のお話を見れば分かるかもしれません
次回もお楽しみに!