届けたいのは、ありがとうの気持ち!
投稿遅くなりました。もうあっという間に7月ですね……皆様も体調を崩さぬようお気を付け下さい。
それではどうぞ!
ゴールデンウィークが明けた朝の教室には、どこかまだ休み気分の抜けきらない空気が漂っていた。
気だるげそうに机に身を投げ出している男子やあくびばかりして眠そうにしている女子。
連休中にどこへ行った。誰と遊んだ。そんな他愛ない話が穏やかに飛び交う中で、誰かが母の日について話し出すと、それを聞いていた他のグループの生徒達も次第に同じ話題を口にし、ワイワイと教室内が騒がしくなっていく。
「確かにそういえばもうすぐ母の日だよね~、何あげるの?」
「カーネーションだけってのもな~、去年もそれだったし……」
「手紙とかどう?あと人気なスイーツとかさ」
そんな中、あかりはHRに備えて筆記用具を机に並べた後、一人母の日の贈り物を考えていた。
今年は何を渡そうかな~……やっぱりお花だけだとちょっと寂しい気もするし……手作り料理もお弁当の味見でいつも食べて貰ってるから新しさがないし……
「う~ん……悩むなぁ~……」
ちらと時計を見ると、HRが始まるまではまだ時間がある。
そこであかりはみちるに相談しよう!と席を立ち、小走りにみちるの席へと駆け寄ると、彼女は先程までのあかりと同じように目を瞑り、何かを考え込むように「う~ん……」と唸っていた。
「みちるちゃん、もしかして母の日のプレゼントで悩んでる?」
あかりの言葉にぴくっと反応すると、みちるがそっと視線を向ける。
「う、うん……。お母様は……海外にいるからエアメールで何か送ろうかなって」
「そっか!……みちるちゃんのお母さん、今……海外でお仕事しているんだね!凄いなぁ……!」
「ええ。今は欧州の支部で研究員として働いてるわ。お父様もお母様も……もう日本には何年も帰ってきてないの。母の日も、誕生日も……いつも、エアメールだけ」
次第に声も小さく、表情もどこか遠くを見つめるように暗くなっていくみちる。
そんな彼女の様子に、あかりは少しだけ言葉を迷ったが、意を決して微笑みかけた。
「だったら、一緒に選びに行こうよ!放課後に、ちょっとだけショッピングモールに寄り道して!」
「えっ……?」
「お手紙と一緒に贈れるような、みちるちゃんらしい素敵なプレゼント、探しに行こう? 送るなら早い方がいいんでしょ、エアメールって!」
その言葉に、みちるは目がぱちぱちと瞬きさせる。
「……いいの?付き合ってもらっちゃって」
「もちろん!お母さんを想う気持ち、すごく素敵だもん。みちるちゃんが悩んでるなら、力になりたいって思っただけだよ!」
そう言ってにっこりと笑うあかりの笑顔は、どこまでも明るくて、温かい。
みちるは一瞬だけ迷った表情を浮かべたが、やがて小さく、けれど確かに微笑んだ。
「……そうね。……うん、私も何か……贈りたいって思っていたから。ありがと、お願いしようかしら」
みちるの目に、わずかな決意の色が差した。
「うんっ!それじゃあ放課後、楽しみにしてるねっ!」
そんな二人のやりとりを、教室の窓際に座るアリサは何も言わずに静かに見つめていた。
表情も少し柔らかくなり、その目はどこか優しく、微かに笑みを浮かべているようにも見える。
やがてチャイムが鳴り、朝のHRが始まった。
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放課後。
下校のアナウンスが響く中、制服のまま並んで歩くあかりとみちるは、笑い声を交えながらショッピングモールへと向かっていた。
「お母様はね、紅茶が好きなの。休日は必ずミルクティーを淹れてくれて……よく、私の髪を撫でてくれたわ」
「ふふっ、優しいお母さんなんだね。じゃあ紅茶に合いそうなものとかも、いいかもしれないね!」
モールへと到着した二人は、エスカレーターを上がって、雑貨フロアを見て回る。
香りの良いティーバッグの詰め合わせ、シックな紅茶缶、小さな陶器のカップとソーサーのセット。生活雑貨、インテリア。
どれも魅力的で、みちるはその一つ一つを真剣なまなざしで見つめていた。
「……あ。これ、可愛いかも」
手に取ったのは、繊細なバラの模様が描かれた、ミニサイズのガラスティーポットとカップのセットだった。
箱の側面には『母の日限定・ギフトラッピング対応』のシール。
「わぁ、かわいい! これなら、きっとお母さんも喜んでくれるんじゃないかな??」
「ええ。でも実は……お母様、もういっぱいポットを持っているの。だから別の物にしないと」
みちるはそっとティーポットを棚へと戻す。その仕草に、ほんの少し名残惜し気な色が滲んでいた。
「そっか……でも、プレゼントって使えるものだけじゃなくて、気持ちが伝わるものの方がいいんじゃないかな?」
あかりはふわりと笑って、並ぶ商品棚を一緒に眺めながら続けた。
「例えばさ、すごく高価なものとか、実用的なものじゃなくても……『ありがとう』って気持ちが込められてたら、絶対嬉しいと思うの。だって、私ならそうだもん!」
その言葉に、みちるは少しだけ目を見開いたあと、ふっと口元を緩めた。
「……そうね。そういう考え、素敵だわ。……ううん、私、ちょっと見直したかも」
「えっ、見直された!? そ、それって褒められたってことでいいのかなっ!?」
「ふふっ、そう受け取っておいて」
二人は笑い合いながら、改めて店内を回る。
二人は紅茶売り場を離れ、続いてスイーツコーナーへと足を運ぶ。
カラフルなマカロン、可愛らしい焼きドーナツ、リボン付きのクッキーセット……どれも母の日らしく華やかな品揃えだった。
「これ、ラズベリーのフィナンシェだって。見た目も可愛いし、紅茶にも合いそう!」
「そうね……うん、これは候補に入れておこうかしら」
みちるは試すようにパッケージを手に取りながら、どこかまだ迷っているような表情をしていた。
あかりもそれに気付き、少しだけ首をかしげる。
「やっぱり、しっくり来ない?」
「ええ……どれも素敵だけれど……なんだか、決め手に欠けるというか……」
「うんうん、分かるよ~。気持ちはあっても、どこかこれだ!って思える瞬間がないと、選ぶのって難しいんだよねぇ~」
あかりが肩をすくめながら笑うと、みちるも少しだけ口元をゆるめた。
そんなときだった。
ふと目に入ったフォトスタジオの入り口に、季節限定のポスターが貼られているのが目に入る。
『母の日キャンペーン:あなたの笑顔を届けよう!今だけ記念品プレゼント!』
「……あ、これ……!」
あかりが思わず指を差して、目を輝かせた。
「ねぇみちるちゃん! 写真、送るのはどうかな? みちるちゃんの今がちゃんと伝わるし、絶対、お母さんすごく喜んでくれると思うよ!」
「……えっ、写真……?」
一瞬きょとんとしたような顔をしたみちるだったが、その目がゆっくりと、ポスターの写真に映る母と娘の笑顔に吸い寄せられるように細められていく。
「笑顔を……届ける……」
その言葉が、心のどこかに優しく落ちた気がした。
「ね、どうせならアリサちゃんとあおいちゃんと、みんなで撮ってみようよ!学校の中庭とかでさっ!」
「……ふふっ、あかりって、ほんと、時々びっくりするくらいの提案をするのね」
「えっ……ご、ごめんっ、変だったかなっ!?」
「ううん、違うの。……すごくいいと思う。私の、大切な友達との写真……!」
言いながらみちるは、そっと高鳴る胸に手を当てた。
「よぉーし、それじゃあ今日は、とりあえずお菓子を選ぼう! 写真は明日にでもっ!」
「ええ。……付き合ってくれてありがとう、あかり」
「えへへ、なんだか久しぶりに、みちるちゃんの優しい笑顔見れた気がする!」
ちょっとだけ照れたような表情を浮かべながら、みちるが視線をそらす。
思いつめていた胸が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
それから30分後、ショッピングモールからの帰り道を歩くあかりとみちるの手には、それぞれ紙袋が一つずつ握られていた。
みちるは日持ちのする抹茶のクッキーを。あかりはフィナンシェやマドレーヌなどの焼き菓子を。
みちるはそっと紙袋を抱きしめながら、小さく微笑む。
「あかり……今日はありがとね」
その言葉に、あかりもにっこりと笑ってうなずいた。
「もー、何回も言わなくて大丈夫だよ~!写真の件、夜にでもブレッシング・リンクであおいちゃんにも話してみようね!」
「ええ、私も帰ったらアリサに話してみるわ」
そして、いつもより少しだけ軽くなった足取りで、二人は夕暮れの街を並んで歩いていった。
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翌日の昼休み。
いつも通りの中庭に集まった4人、いつも通りにお弁当を広げたところで、突如あかりが後ろ手に隠していた秘密道具を掲げた。
「じゃじゃーんっ!自撮り棒~!!」
「おぉ~」
ぱちぱちとみちるとあおいが手を叩く。
「これならみんなもお弁当も入るよねっ!ささっ!ばっちり撮るよ~!!……でもその前に、今日はスペシャルゲストっ!ソラシーが来てくれてまーす!」
「ピピ~ッ!!」
すぐ近くの植え込みの中からソラシーがピョンッと飛び出してくる。昨日あかりと打ち合わせしていた、みんなへのサプライズだった。
「わぁ、ソラシーも来てくれたんだ……!ありがとね」
「ピピィ♪」
ソラシーを撫でるみちるを、あおいはふっと優しく微笑みながら見守り、アリサは撫でられているソラシーをじっと見つめていた。
そうしている間にも、あかりは自撮り棒の先へスマホを装着すると、するすると棒を伸ばし、画面を確認しながら構図を調節する。
「みんなー!寄って寄って!」
みちるの頭にソラシーが飛び移り、ばっちりポーズを取っているのを見て笑い合いながら、4人と1羽は
ぎゅっと身体を寄せ合い、スマホのカメラの方へと視線を向けた。
自撮り棒を掲げたあかりが、周囲を確認して声をかける。
「じゃあいくよー! はいっ、チーズ!」
シャッター音と共に画面に収められたのは、制服姿の4人が肩を寄せ合い、頭にソラシーを乗せて楽し気に笑顔を浮かべる少女達の姿だった。
「あ……」
スマホを覗き込んだみちるは、少しだけ目を見開いた。
「……これ、私の笑顔……こんな顔、してたんだ……」
画面の中の自分は、どこか気負いも取り繕いもなく、ただ自然に笑っていた。
それは一人では決して写せなかった、自分でも知らなかった表情。
「わ、めっちゃ良い写真撮れたねっ!!これ、あおいちゃんにも送っておくよ!」
「ありがとう、じゃあ後はアリサにも……って、そういえばアリサってスマホ持ってないんだっけ?」
「……持っていた方が良いのでしょうか」
「いや、絶対ってわけじゃないけど、あったら便利かな……くらい?」
「ふむ……」
みんなでスマホを囲んでワイワイと盛り上がる中、ソラシーがみちるの頭の上で羽をぱたぱたと広げ、うれしそうにピィッと鳴いた。
「……ありがと、ソラシー。ほんとに……嬉しいな。こんな時間が持てるなんて」
みちるはそっとソラシーの頭を撫でる。小さなその体が、くすぐったそうに身をよじる。
「お母様、元気にしているかしら……」
ふと小さくつぶやいたその声は、春空に溶けて、風と共にそっと流れていった。
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その夜、みちるは自室の机で丁寧に便箋を広げ、ペンを走らせていた。
机の上には、丁寧にラッピングされた抹茶クッキーと、一枚の写真。
友達と一緒に笑いあう、最高の一枚だ。
誰かと一緒に過ごす事。信頼できる友達がいる事。あの頃の自分には考えられなかった未来。
それに……頼もしくてカッコいい新しい家族もできた……。
ふとペンを走らせる手を止める。
「あれ……?私、アリサの事お父様達に話していたっけ……?」
メッセージアプリを見返してみるも、やり取りの内にアリサの名前はない。
「……まぁ、おじい様かおばあ様がお話してくれてるよね……」
書きあがった便箋をもう一度読み返した後、もう一枚の便箋に追伸として、書くかどうか悩んだけれど、短く一言を添えておく。
最終確認が済んでから、便箋を丁寧に折り畳み、クッキーと共に大き目の封筒へと入れた。
最後に写真をそっと撫でて封筒に入れ、封をしてみちるは静かに微笑む。
「これなら……ちゃんと伝えられる気がする。ありがとう、みんな」
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5月の第二日曜日、この日はただの日曜日ではない。そう、今日は母の日である。
穏やかに晴れた空の下。人々は手に大切な人へのプレゼントやカーネーションの花を手に、相手の喜ぶ笑顔を思い浮かべ、足早に行き交っていた。
あかり達もその中の一人で、あかりはいつものランニングコースにある花屋に一番乗りでカーネーションを買うと、すぐに家に帰って事前に買っておいたお菓子と一緒に菜月へとプレゼントをした。
その後の昼食もあかりが手作り料理を振る舞い、菜月も陽太も大喜びをしていた。
一方であおいは前日のうちに花も星座の刺繍のされたハンカチも用意しており、母が起きると少し照れながらも感謝の気持ちと共にプレゼントを渡していた。普段弁護士の仕事で家を空けている事の多いあおいの母だが、目元に涙を浮かべながらあおいを抱き締めていた。
時間は午後15時。
花屋の前では、カーネーションを抱えた小さな男の子が「ママ、はいっ!」と満面の笑みで手渡している。
スイーツ店には長い列ができていて、母の日限定ケーキのPOPが目を引く。
周囲から聞こえてくるのは、賑やかで温かな「ありがとう」の言葉ばかりだった。
そんな中、みちるはモールを一人静かに歩いていた。
その手には、赤いカーネーションの花束と、焼き菓子ギフトの紙袋が握られている。
これは彼女の祖母、詠子へのプレゼントだった。
自分をいつも気にかけ、静かに寄り添ってくれている存在。
体調を崩してしまった時も、一人塞ぎ込んで泣いてしまっていた時も、優しく背をさすって傍にいてくれた祖母の手を、笑顔をみちるは忘れていなかった。
ほんの……少しだけ、感謝の気持ちとして……ね。
そんな思いを胸に、ふっと微笑むと出口へ向かって歩き出した。——その時だった。
腕のブレッシング・リンクが激しく振動し、確認すると画面にはソラシーが慌てているようなアニメーションが流れている。ディスコードの襲撃だ。
「こんな時に……!どこにっ!」
急いで駆けだそうとした時、先程まで賑やかだった人々の声が、戸惑いの混ざった騒めきに変わっていた。
「……え?」
照明が、チカッと瞬く。
モールの室内だというのに、周囲に赤黒い霧が立ち込め、視界を染めつつあった。
ざわっ、と背筋を撫でるような感覚。
手にしていた紙袋を強く握りしめながら、彼女は次第に音の無くなっていくモール内を走り抜け、吹き抜けのある噴水広場へとやってきた。
すると噴水の上に、黒く染まり鈍く輝くミュートジェムが浮かんでいるのが見えてしまった。
「あれは……ミュートジェム……!」
既に人々の感情や音が奪い去られた後のようで、呆然と虚ろに立ち尽くす親子をはじめ大勢の買い物客の人々がその場に倒れこんだり立ち尽くしている光景が広がっていた。
緊張がみちるの全身を走り抜ける。早くあかりとあおいにも連絡をとブレッシング・リンクへ手を伸ばす。
しかしその時。
「……母への想い。優しくて、温かくて……本当に美しいわね」
艶やかな声が広場へと響く。
赤黒い霧の中から、ゆっくりとミュートジェムの元へと歩いていくのは銀色のマイクを携えた女。
ディスコード幹部のミーザリアだ。
「だからこそ、それを奪うのに……罪悪感なんて、必要ないわよね?」
唇に笑みを浮かべ、パチンッと指を鳴らした。
それを合図にミュートジェムが赤黒く輝き、閃光を放ちながらボコボコと異形の怪物へと変貌していく。
ボウッ、と咲いた異形な黄色・白・赤黒いカーネーションの花。そしてその花束を束ねる包装紙から手足が伸び、蝶ネクタイのようにリボンを結ぶ、母の日の想いを喰らい尽くしたワルイゾーが、現実の幸福な景色を塗り潰すように生まれ落ちた。
「ワァルイゾオオオオオッ!!」
まだ気付かれていない、逃げるなら今だ……。
みちるの足が自然と後退する。
逃げなきゃ。けれど、誰かが――!
彼女の瞳に映ったのは、放心したように立ち尽くす人々の姿だった。
「……やっぱり、だめっ!助けないと……!」
みちるは手にしていた花もお菓子も置いて、一人ワルイゾーとミーザリアの前へと躍り出た。
「さぁワルイゾー……あら?」
「……ディスコード!みんなの……大事な母の日の想い、返しなさいっ!」
宙に浮かぶミーザリアは、ノコノコとワルイゾーの前に飛び出してきたのが、ブレッシングノーツの中でも唯一変身できないお荷物な少女一人であると分かると、困ったように眉を下げて嗤った。
「あらあら、あらあらあら……何の力も持たない子が、私達の前に飛び出して来たら危ないわよ?」
「ワルイゾォォォォ!!!」
ズシンと威圧するようにワルイゾーがその場で足踏みをして、モールの床をバキバキに砕き割る。
その振動に、その風圧に、みちるは思わず足が竦み一歩後退ってしまうが、それ以上下がる事は自分の心が許さなかった。しっかりとした意思を瞳に宿し、ミーザリアを睨みつけた。
「……その目、気に入らないわね。分かったわ、お望み通り痛い目にあってもらう。ワルイゾー!」
「ワルイゾォォォォー!!!」
手だと思っていた部分がバラリと解け、カーネーションの茎が複数の蔓となってみちるへと襲い掛かる。
「ぐっ!うぅっ……!」
両手両足、全身を蔓に巻き付かれて宙へと持ち上げられる。ギリギリと締め付けられる全身には鈍い痛みが走っていた。
「分かる?あなたには何もできないの。ただのブレッシングノーツのお荷物。無理して私達に歯向かわない事。じゃないと……それだけじゃ済まなくなるわよ」
お願い、早く来て……!みんな……!
——その祈りに応えるように次の瞬間、モールのガラス扉を突き破り、まばゆい金銀の光輪が残光を残して飛来し、みちるを拘束する蔓を切断していく。
それと同時に拘束を解かれ落下していくみちるを、飛び込んできたエンジェルがしっかりと抱き留めた。
「みちるちゃんっ!大丈夫っ!?」
「……大丈夫、ありがとうエンジェル!」
「エンジェル、相手はまたあの女の幹部みたいだよ」
「来たわね、ブレッシング・ノーツ」
エンジェルとエストレア、二人の戦士が駆けつけたところで、ようやく戦いの幕が上がる。
「いくよっ!エストレア!」
「うん、合わせる!」
ダンッと床を強く踏みしめ、エンジェルがまっすぐに飛び出し、エストレアがその後ろからチャクラムを射出し、エンジェルの行く手を遮ろうとする蔓たちを切り落とし、道を作る。
「ナイスだよエストレアっ!プリズム・シャイニングキック!!!」
走った勢いそのまま、低くジャンプをすると両足へと七色の輝きを宿し、ワルイゾーへと渾身の一撃を叩きこむ。
「ワルッ!?」
ワルイゾーはキックの衝撃と纏われた七色の輝きのエネルギーの爆発によって吹き飛ばされるも、蔓を鎧のように編み込み衝撃を吸収していた為、蔓こそボロボロのグズグズになっていたが、肝心のワルイゾー本体にはあまりダメージが入っていない。
「ミーティア・レイッ!」
間髪入れずにエストレアのミーティア・レイが襲うも、ワルイゾーは咆哮しながら頭の花弁をまき散らし、花びらの盾で受け止める。が、ミーティア・レイによる衝撃は想像以上だったようで、みるみるうちに盾にしていた花びらを飲み込み、ワルイゾー本体へと届く。
「やった……効いてる!このまま畳みかけて……っ!」
「──でも、甘いわねぇ」
空中から見下ろすミーザリアの囁きが、空気を震わせた。
「改めて名乗りましょう。私の名はミーザリア、孤高なる静寂の歌姫。私の独唱で導いてあげるわ?」
彼女の背後の左右に現れた魔法陣からはスピーカーのようなものが展開されており、手にした銀色のマイクをバトンのように軽やかに回して唇へと寄せ――優しく歌いだした。
その旋律は静かで、美しくて、甘やかで、そして——狂っていた。
「っ……う、そ……! 耳が……頭が割れそうッ……!」
「……なに……この、声……何……これ……いやぁっ!!」
エンジェルもエストレアも、耳を塞ぐようにして膝をつく。脳に直接響くその歌声は、幻覚をもたらし、聴く者の思考を曇らせる。
更に、避難が間に合わず棒立ちになっていた買い物客たちが、ふらふらとおぼつかない足取りで動き始める。
彼らはまるで夢遊病者のように、ゆっくりと歩きながらエンジェル、エストレアとワルイゾーの間に割って入ってきた。
「だ、だめ……!そこにいたら危ないの……っ!うぅっ……!」
「ダメ……!来ないで、近づかないで……!!」
幻覚幻聴にギリギリ耐えながら叫ぶ二人の声も届かず、客たちは何かに導かれるようにしてじわじわとエンジェルたちへと距離をつめ、その両手を伸ばしていた。
「このままじゃ……でも……動けない……!」
焦る二人。しかしその中でただ一人、影響を受けていない少女がいた。
「……っ……ちょっと痛むけど……大丈夫、私には、あまり効いてないみたい……」
みちるは眉をしかめながらも、冷静に周囲を見回していた。彼女の目には、正気を失っている客たちと、幻覚に苦しむ仲間の姿がしっかりと映っていた。
どうして私だけ……?でも……今は!
みちるは決意を胸に、ぎゅっと両手を握りしめて戦場へと踏み込んだ。
目前で苦しむ仲間たちと、ふらふらと近づいてくる客たちを見て、大きく息を吸い込み、幻覚に惑う二人に聞こえるように大声で呼びかけた。
「エンジェル!エストレア!しっかりして!!」
その呼びかける声にかろうじて反応した二人が一瞬だけ顔を上げる。続けてみちるは迫り来る客達の前へと飛び出した。
「あなたたちは、こっちよっ!」
みちるの声に、虚ろながらも客等の視線が集中する。パンっと手を鳴らして注意を引くと、みちるは身を翻して少しでもワルイゾーとエンジェル達から距離を離そうと、広場の端へと誘導するように駆け出した。
そんなみちるを追いかけるように追尾した客達は、ふと夢から覚めたかのように、客の何人かが足を止め、苦しげに頭を押さえながらその場にしゃがみこむ。
「目が覚めたなら耳を塞いで!そのまま振り向かないで離れた場所へと走って!!」
みちるの判断は冷静だった。エンジェルやエストレアのようにワルイゾーやミーザリアへ攻撃はできない。けれど、自分にしかできないことがあるんだと。
そして懸命に救助を続けるその姿を、ミーザリアは興味深そうに見つめていた。
「……やっぱり、面白い子。普通の人間なのに、どうしてあの子だけ……?」
マイクをゆらゆらと揺らしながら、歌声の調子を少し変える。しかし、みちるにはあまり影響がない。
「よほどしっかりした自我を持っている……?生まれ持った資質?……それとも」
だが、ミーザリアの歌声はエンジェルとエストレアをさらに追い詰めていく。
ワルイゾーは蔓の手を次々と伸ばし、エンジェルとエストレアを弄ぶように打撃を続け、光も星も、赤い霧に飲まれて霞み始めていた。
「ふぅん、やるじゃないあの子。……いいわ、一般人は見逃してあげる。でも……お情けはここまでよ」
ミーザリアが一際高音を発すると、今までいたぶるようにエンジェルとエストレアを打撃していた蔓の手の一部が、みちるを捕らえようと蛇のように地を這って迫り、避ける事も叶わないみちるの身体を再びしっかりと握り締めて捉える。
「ぐっ……!!」
「さよなら、お嬢さん」
パチンっと指を鳴らすミーザリア。
これを合図にワルイゾーはこの何の力も持たぬ少女を握り潰すだろう。
しかしそれを直視するのも後味が悪い。ミーザリアは目を背け、聞こえるだろう少女の最後の声に耳を澄ませた。
だが、ミーザリアの予想に反し、聞こえてきたのは驚愕に染まるワルイゾーの悲鳴だった。
「ワ、ワル……ワルイゾオオオッ!?」
「な、何……?何が起きたのよ?」
視線を戻したミーザリアの目には、先程までと同様に蔓の手に握られたままのみちるの姿が映る。
だが明らかに違うのは、彼女から眩い光が溢れ出し、彼女を包囲する蔓の手達から黒煙が立ち上り、消し炭となって風に吹き散らされる。
「な、何っ!?あの力は……!?」
明らかにさっきとは様子の違うみちるに思わずミーザリアの歌が止まる。
見開かれた目には膨大な魔力により金色の光が灯り、溢れ出た魔力がみちるの身体を覆い炎のオーラのように揺らめき、周辺で青白いスパークを起こす。
ゆっくりとワルイゾーを見据える彼女はまるで――太陽の如く神々しく。懲りずに伸びてきた蔓の手を灼熱にて焼き溶かした。
――だが、そこまでがみちるの限界だった。
彼女を覆う魔力のオーラも鳴りを潜め、力無くその場へとへたり込み、そのまま地へと倒れ伏して気を失った。
だがその輝きと熱波によって、エンジェルとエストレアの二人を蝕んでいたミーザリアの幻惑から解放され、指先まで力が戻りつつあった。
「あれ……私?……ッ!!みちるちゃんっ!?」
「みちる……!無茶して……!」
倒れ伏すみちるを見て慌てるエンジェルと、すぐさま駆け寄りみちるが気を失っているだけだと確認を取るエストレア。
復活した二人と未知数の力を見せたみちるを前に、ミーザリアはじわりじわりと無意識のうちに後退をしていた。
「へ、へえ……太陽の力、ね。でも——もう太陽は沈んでしまったみたいね!!」
ミーザリアが再びマイクを手に歌い始めようとした瞬間、エストレアのチャクラムが襲い掛かり回避を余儀なくされる。
「エンジェルッ!ミーザリアは私が抑える!その間にワルイゾーを!」
「うんっ!任せてっ!」
消し炭にされた茎や、追撃をしようとして焼き溶かされた茎が復活せず、明らかに攻撃も防御も手数の減ったワルイゾーなど、今のエンジェルの敵ではなかった。
「はあああああっ!!」
連続してパンチからの回し蹴りがクリーンヒットし、噴水を破壊しながら倒れ込むワルイゾーへとエンジェルはパクトを変化させたライアーを構える。
「この想い、旋律にのせて……!」
エンジェルがライアーを奏でると、まばゆい虹の音符が空へと舞い上がる。
紡ぐ旋律に乗せるのは、大切な人に伝えたい感謝と愛情。それは、いつもそばにいる家族への思い。
そして今、心を奪われた人々が本当は伝えたかった「ありがとう」の気持ち。
遠く離れた人へ届ける手紙のように……優しい音色がモール全体に響き渡る。
その音はミーザリアの歌をかき消し、魅了されていた人々の表情をふっと緩めていく。
「大好きって気持ちも、ありがとうって言葉も、絶対に──届いてほしいからっ!」
エンジェルの想いが、旋律の輝きが波紋のように周囲へと広がっていき、宙に踊る七色の煌めく音符たちがワルイゾーを優しく包んでいく。
「このハーモニーで、想いを取り戻す……!ハーモニック・フィナーレッ!!」
ワルイゾーの頭部のカーネーションの花束の色が、赤とピンクへと色を変え、目元からは一筋の光が涙のようにこぼれ落ち、花びらとなって舞い散るように消えていく。
そしてその場には、キラキラと透き通った宝石、ハーモニック・ジュエルが静かに残されていた。
「……ワルイゾーが!……仕方ない、退いてあげる」
ミーザリアはしつこく自分を狙い続けるチャクラムをマイクで弾き飛ばし、次元の穴を開いて姿を消した。
赤黒い霧も立ち消え、酷く壊された噴水も、エンジェル達が突き破ってきたガラスドアーも、ひび割れ見るも無残な状態だった床も元通りになり、感情を奪われていた人々も次々に正気を取り戻していた。
「エンジェル、いつものあれを」
「任せて!エンジェリック・リストレーション!」
虹色の音符が空中へと広がり、モール中へ、また町中へとその旋律が優しく響き渡り、残す必要のない恐怖を、優しくゆっくりしたメロディが癒し、まるで夢を見ていたかのように忘れさせていく。
人々が表情をとろんと夢見心地にしている間に、ソラシーがパタパタとエンジェル達の上を飛び回り健闘を称えていた。
「エンジェルもエストレアもお疲れ様ソラ!!……あそこにあるの、みちるの荷物ソラ、忘れずに持っていくソラ」
「うんっ!分かった!……みちるちゃんは大丈夫そう?」
「見たところ、怪我は大丈夫そうだね。とりあえずみちるを運ぼうか」
二人は変身を解いて、気を失ったままのみちるを近くのベンチへと運び、彼女が目覚めるまで待つことにした。もちろん彼女のカーネーションとお菓子も回収済みだ。
「……う、ん……」
少しして、気を失っていたみちるがゆっくりと目を開け、身体を起き上がらせた。
「みちるちゃんっ!よかった、気がついた!」
「……あかり……それに……あおい……」
少し混乱した表情で見回すみちるに、あおいがやんわりと微笑んだ。
「安心して。もう、全部終わったよ。ミーザリアも撤退して、ワルイゾーも倒した」
「そう……よかった……」
力が抜けたように小さく笑うと、みちるはふと、手元にお菓子の紙袋とカーネーションの花束が戻ってきていることに気づいた。
「これ……」
「ちゃんと拾ってきたよ。忘れ物にしちゃもったいないくらい、想いのこもったプレゼントだもん」
あかりの言葉に、みちるは胸にじんわりと温かさが広がるのを感じた。
「……ありがとう。ほんとに、ありがとう」
あたたかな仲間たちに囲まれて、自分の想いをもう一度大切に胸へと抱く。
「……二人共、気になってる事……あるよね」
「えっ……えーっと……うん」
「……そうだね。でも、聞いていい事なのかな?」
きっとこの二人なら、特別な力を持つこの二人なら……話してしまってもいいのかもしれない。
……私を一人にしないでくれるかもしれない。
「……明日、ちゃんと話すわ。だから今日は、待ってて……?」
決意を秘めて真剣な顔で告げたみちるへ、あかりとあおいは微笑みを浮かべながら頷いた。
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夕方、すっかり遅くなってしまって足早に帰ってきたみちるは玄関を開けると、階段を登り自室へとまっすぐ戻り、花とお菓子を一度机へと並べて置き、呼吸を整えた。
決心がついてリビングへ降りようと思った時、自室の部屋のドアがノックされる。
「みちるちゃん、おかえりなさい。入ってもいいかしら?」
「え、ええ!おばあ様!」
エプロンを着けたままの詠子がドアを開け入ってくる。みちるは自然と鼓動が早くなっていくのを感じていた。
「あ、あの……おばあ様。これ……渡させてほしいの」
彼女が差し出したのは、用意した赤いカーネーションの花束と、焼き菓子。
「……母の日、おばあ様に、ちゃんと伝えたかったの。私の気持ち」
詠子は、しばらく言葉を失ったまま花を見つめ、そしてそっと手を伸ばした。
「まぁ……こんなに……優しい気持ち、私、受け取ってもいいのかしら」
「もちろん。……だって、おばあ様は、私の、もうひとりのお母様だから」
その言葉に、詠子は声にならないほどの驚きと、喜びと、涙を滲ませて。
「ありがとう、みちる……こんなに嬉しい母の日、初めてよ……」
そのまま、二人はゆっくりと抱きしめ合い、温かな沈黙が流れていく。
窓の外では、茜色の空がゆっくりと夕闇に溶けていく。
ブレッシング・ノーツが守ったこの街に灯る明かりのひとつひとつが、
きっと誰かの「ありがとう」を、そっと映している。
マダムの手で揺れる赤いカーネーションの花。
その花のように、みちるの頬も、優しく染まっていた。
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―—フランス、パリ
窓の外には石畳の道が続き、花屋のカートが赤いカーネーションを乗せて通り過ぎていく。
異国の風景の中で、楠絵里香はポストから取り出した封筒の宛先を見て、目を見開いた。
すぐに家へと戻り、夫の芳明と一緒に封を開けた。
中には、日本から届いた娘・みちるからの手紙と、一枚の写真。
そこには、娘が友達と笑い合い、柔らかな陽だまりの中で肩を寄せ合っている姿が写っていた。
「……みちる……」
絵里香の指先が、写真の裏に添えられた文字へと触れる。
──《みんなと過ごせる毎日が、とても大切です。元気でいてね。》
次に、綺麗に折りたたまれた便箋を手に取った。
お母様へ
お元気ですか?
欧州はまだ寒い日があると聞きました。
こちらはもう春も深まり、制服も夏服に替わろうとしています。
今年も母の日がやってきます。
去年と同じように、メールで済ませるつもりでしたが……。
今年はどうしても、お母様に手紙を書きたいと思いました。
久しぶりに、家族以外の誰かと一緒に笑いました。
誰かに背中を押してもらって、自分の「想い」を形にしたくなったのも初めてです。
新学期、初めてできた新しい友達。
まだ慣れないことも多いけれど、毎日がほんの少しずつ、明るくなっていくのを感じています。
お母様が昔、休日の朝に淹れてくれたミルクティーの匂い。
髪をとかしてくれた手の温もり。
今でも、ちゃんと覚えています。
だから私も、ちゃんと伝えたいと思ったんです。
ありがとうって。
ずっと大好きだよって。
今回は、みんなと一緒に撮った写真を同封します。
きっと、お母様にも届く笑顔だと信じて。
また夏休み、お母様にも、お父様にも会いたいです。
みちるより
読み進めるうちに、ふっと笑みが浮かび、瞳が潤んでいく。
「……こんなに素敵な娘に育ってくれて……ありがとう」
「え、絵里香、俺にも見せてくれないか……!?」
「ふふ……どうぞ?」
隣でみちるからの手紙を見て「うぉぉぉぉぉ!!みちるううううぅぅ!お父様にも父の日にもお手紙くれるのか!?期待していて良いのか!?」と騒がしい芳明をあしらいながら、もう一度写真を見る。
心の奥で、あの子が一人で泣いていた頃の記憶がよぎる。
けれど今、手元にあるこの言葉と笑顔が、全てを塗り替えてくれる気がした。
カップに注がれたハーブティーから、ほのかに湯気が立つ。
その湯気の向こうに、絵里香はまるで、みちるがそこにいるかのような感覚に包まれていた。
そして——ふと、独り言のように呟く。
「今度の休暇には……ちゃんと、帰らなくちゃね」
パリの空は、遠く日本へと続いている。
母と娘を繋ぐ想いは、距離を越えて、確かに届いていた。
「……あら?」
同封されていたクッキーを取り出した時に、もう一枚便箋が引っ掛かっていた事に気付く。
中身を見ると、追伸の一文が記されていた。
「おや、もう一枚あったのか。どれどれ?」
便箋を広げた絵里香の後ろから覗き込むように芳明もその一文を見る。
―—瞬間、沈黙が場を支配した。
「…………絵里香、日本へ飛ぶぞ」
「え??」
「親父め、なぜ黙ってたんだ!!というかお袋も!!あの力があればすぐに分かったはずなのに……!!」
パチンっと芳明が指を鳴らすとどこからか中身の詰まった旅行鞄が足元へと飛んでくる。
「馬鹿言わないの。まだまだお仕事いっぱいあるんでしょ?」
絵里香も指を鳴らすと芳明の足元の旅行鞄がまたどこかへと飛んで戻っていく。
「だって!だってな!?……許されるわけがないッ!!俺は許さんッ!!許さんぞおおおっ!」
「ふふ……みちる、良かったわね」
——追伸。
気になる人が、できました。
母の日イベントと、みちるの半覚醒のお話でした。
気が付けばいつもより1.5倍の文字数に……!長くなって申し訳ない……
というわけで、次回もぜひお楽しみに!




