紡がれ奏でる間奏曲 その1
今回は短編集 3話編成でお送り致します。 それではどうぞっ!
——アリサの時間。——
「それじゃあ、お休みアリサ」
「……お休みなさい、みちる」
みちるへと就寝の挨拶を告げ、特性マジックハンドで屋根裏部屋への梯子を落とす。
ギシ……と音を立て、自室へと昇り、梯子を引き上げハッチを閉める。
ここからはアリサ個人の時間。すぐに寝るも良し、千里眼で見通すも良し。
ひとまずベッドへと腰掛けると、机の上に置かれた封筒が目に映る。……アリサの初給料だ。
居候の身であるアリサにとって、衣食住を提供して頂いている上に、給金まで渡されてしまうと御恩を一生返せないと一度返金を提案するも、軽いお説教と共にアリサの手へと戻され、結局マスターとマダムへと深々と頭を下げて受け取る事となったものだ。
元の世界では紙幣などもう既に存在せず、過去の記録に残る骨とう品でしかなかった。この世界でも電子マネーが出来始めたらしいがまだまだ現金の力は強いと聞く。
封筒を手に取り中身を再度確認する。妙にギラギラした装飾のされた、この国の偉人らしき肖像の書かれた紙幣。一番価値の高いとされる一万円札が残り4枚。最初に手渡された時は6枚だったのだが……。
ついこの前のあかり達とのお出かけに出た時、出発時はマダムより支給された服だったが、集合場所である噴水広場前の洋服店の店員とばっちり目が合い、半ば引き摺り込まれる形で入店、試着、そして気が付けば購入していた。
「……今思えば、凄まじい圧だった」
瞼を閉じて思い出すと、血走った目で鼻息荒く迫るあの女性店員は、アリサの無表情の拒絶も何のそので、絶対にこの服を着せたいという欲が見え隠れしていたように思えた。
頭を振り、あの女性店員の顔を記憶の片隅へと追いやると、次に思い出して来たのは学校での事。
アリサへとふぁんさなる物を教えたクラスメイト、倉間奈央からは、球技大会後にウインクの他にも色々と教わっていたが、これを覚えれば最っ強の存在になれるとのアドバイスを受け、教本も受け取った。
再び瞼を閉じ、倉間奈央から借りて一通り目を通した教本の内容を思い出し、シミュレーションを行う。
呼び出す場面は中庭、時間帯は夕方頃が定番らしい。
「……あ、アリサ……何よ、こんなところに呼び出して」
顔を赤くして目を反らしながらも呼び出しに応えてくれるみちる。そんな彼女へまずは一つ目の技——壁ドンを行う。
対象との距離を詰め、自身の圧で対象を近くの壁まで後退させたら、一気に左右どちらかの手を突きだし、顔には当てぬよう、風圧だけを感じさせる勢いで壁へと掌底を叩きこむ。
男性の手足が長い人物ならば掌底ではなく前腕で壁を叩き、更に対象との距離を狭めるらしい。そして身長差がある場合、対象の顎をくいっと持ち上げ、自身との目を強制的に合わせるそうだ。
「んなっ……!?なななな……っ!?」
対象が言葉を失い、自身の目を見て瞳を潤ませたら第二の技、殺し文句をすかさず刺さるように言う。
「……君は本当に可愛らしい、私の愛しの子猫ちゃん」
「ッ~~~っ!?」
うまくいけば、対象はもうイチコロとか。しかしここぞという時、この人だと思うまでは温存せよと倉間奈央からは言われていた。
……しかし、本当にこれが最強への道なのだろうか。私には威圧行為にしか見れないが、この世界の女子には間違いなくクリティカルヒットするシチュエーションとの事らしい。
思い返せば、その他にもいくつかのふぁんさを指導された。
指ハートから投げキッス、撃ち抜き等々……。
意味など、深く考えてはいけないのだろう。
ただ、これをすることにより、喜ぶ人間がいる。その事実だけを大事にすれば良い……のだろう。
ちらりと姿見に移るパジャマ姿の自分を見る。早速脳内で復習していたふぁんさの動きを確認し、次第に熱が入り立ち上がって試行錯誤し、キレのある動きができるようになった気がした。
……そこで、急にふと我に返って、ポーズを決めたまま立ち尽くすアリサ
「……私は、何をやっているのだろう」
ぽふりと再びベッドへと腰掛け、窓の外を見上げる。するとそこには明るく輝く月があった。
柔らかな月光を浴びながら、自身がこの世界へと来てからもう1ヵ月以上が過ぎて、そんな短期間のうちにかなりこの世界の緩さに染まってしまっていたと独り言ちる。
食事は美味だが、栄養的にもアンバランスで、調理時間という無駄がある。……だが美味だ。
更にこの世界は音楽を始め、絵画や陶芸、その他多くの芸術が未だ時代と共に進化を続け、人の心を揺り動かしている。
無駄だ、不要だと切り捨てられていたものは、こんなにも美しく、人の心を豊かにするのだ。
……そして、何よりも大切で……失いたくないと思うもの。友人が出来た。……帰る場所、迎えてくれる人が出来た。
ぎゅっと自然と握る手に力が籠っていく。
自分がなぜこの世界へと零れ落ちたのかは分からない。だが、自分がここにいるという事は、何かを成し遂げる為にいるのだろう。……あかり達ブレッシング・ノーツなるグループの補佐なのか。それともディスコードなる謎の組織の壊滅なのか。
今のところはどちらを行えど、使命を果たしたという感覚はやってこない。……つまりはまだ、これからという事だ。
「……私は私らしく、この時間を大切にしよう。……私は、咲良アリサなのだから」
静かに、それでも力強く、月へと誓うかのように、アリサは呟いた。
——ソラシーの日常――
初めましてソラ! ソラシーはソラシーソラ!
……あ、いきなりびっくりしたソラ? ふふん、今のは自己紹介ソラ。
ソラシーは今、柚木あかりの家に住んでいるちょっとだけ特別なメロディーバード。羽根はふわふわ、声はぴいぴい、でも心は……わりと乙女ソラ。
もともとは遠い遠い異世界、『ハルモニアランド』って国から来たソラ。
ハルモニアランドは、音の魔法で満ちた国ソラ。空に浮かぶお城、風のように踊るメロディ、光る楽譜が雲のように空を流れて、誰もが自分の音を持っている素敵な国だったソラ……。
でもディスコードという悪いやつらによってみんなの音が……思いがミュートジェムによって奪われてしまったソラ、仲間たちの助けで伝説の救世主様を探しにソラシーだけ逃げてきたけど……怪我をして気を失ってしまったソラ。
そんなソラシーを助けてくれたのが柚木あかりソラ!
傷付いたソラシーを手当てしてくれて、あかりは、ソラシーに名前をくれたソラ。
ほんとは……『セレスティリア・ソラリア=フィーネ=ミルフィリオン=シグナス』っていう、すっごく長い名前があるソラ。
でもあかりが名前を付けてくれた、その時の声がとっても優しくて、あたたかくて……だから、今はずっと「ソラシー」って名乗ってるソラ!
名前って不思議ソラ。誰かに呼ばれて、心がぽっと明るくなる。
あの時のあかりの声、ソラシーは一生忘れないソラ。
さて、今日はソラシーの1日をこっそり、特別に紹介するソラ!
朝は、ちょっとだけ静かに始まるソラ。
だって、あかりはまだ眠ってるから。
ソラシーはいつも、あかりのベッドの近くにある段ボール箱の中に置かれたふかふかクッションの上で、眠っているソラ。……でもそろそろあかりがちゃんとしたベッドを買ってくれるって言っていたソラ、楽しみソラ♪
たまにお寝坊しちゃう事もあるけど、先に目が覚めるのはソラシーの方ソラ!
起きるとまずはクッションの上で羽繕いをして、寝ぐせのついた羽を綺麗にするソラ。
その次にあかりのベッドに飛び移って、お布団の中でむにゃむにゃしてるあかりの頬を、そっとつつくのがソラシーの役目ソラ。
「ぴっぴ〜……そろそろ朝ごはんの時間ソラ〜……」
それでも起きなかったら、羽根で顔をくすぐる秘技『モーニングフェザーテク』を発動するソラ。
「う〜……ソラシー……くすぐったいよ〜……もうちょっとだけ……」
これがあかりの日常ソラ。
あかりはとってもがんばり屋さんだから、本当はいっぱい寝かせてあげたいソラ。でも、最近はお弁当を作る為に早起きしているから心を鬼にして起こすソラ。
学校もブレッシングノーツとしても、どっちもがんばってる。すごいソラ。えらいソラ。
朝ごはんの時は、いつもあかりと一緒に食べるソラ!
あかりのごはんは、自分で作ったお弁当のおかずの失敗したものを食べていたり、菜月ママの作った料理を食べたり決まっていないソラ。
でもソラシーの分は、穀物ミックスと決まっているソラ!……本当はちょっぴり別のメニューも食べたいなーなんて思っていたりするソラ。
……でも、あかりがこっそり何か美味しい物をくれることもあるソラ♪ 甘かったり、しょっぱかったり、時々辛かったり……いろんな味があって幸せ〜ソラ!
朝のあかりのお見送りが終わったら、ソラシーはひとりの時間ソラ。
でもね、ぜーんぜん退屈じゃないソラ!
この町は、見てるだけで楽しいことがいっぱいソラ。
窓から見える電線には、スズメたちが朝の会議をしていたり、隣のおばあちゃんが元気に洗濯物を干してたり……。
ソラシーはこの平和なスミゾラタウンも大好きソラ!だからそういう日常をじーっと観察してるソラ!
初めの頃は、外に出る為の窓を開けるって動作がとっても難しかったソラ。でも今じゃスイスイのチョチョイのチョイソラ!
空を飛ぶと、洗濯物を干す菜月ママの姿が小さく下に見えるソラ、そのままぐるりと町を一周しに行くのが最近の日課ソラ!
こっそりあかり達の学校を覗きに行って、いい匂いのするお店の近くを飛んで、最近知り合いになった小鳥のお友達とおしゃべりをして、甘酸っぱい木の実をつまみ食いして、おうちに帰るソラ。
……おうちに帰ったら、菜月ママの用意しているタオルで足を拭いて綺麗にするソラ。エチケットソラ。
お昼を過ぎると、ちょっと眠くなるソラ。
そんな時はお気に入りの場所、リビングのカーテンタッセルに止まってお昼寝するソラ!
束ねられたカーテンに身を預けて身体を潜らせると、ふわふわ包まれる感覚……最高ソラ!
……菜月ママには危ないからダメよって怒られるけど、つい潜っちゃうソラ。やめられないソラ!
夕方になると、二度目のお散歩の時間がやってくるソラ。
ちょっとだけ近所の屋根を飛び移ったり、公園のベンチで日暮れを見るくらいソラ。
風に乗って羽ばたくのって、気持ちいいソラ〜……!
時々、帰り道の小学生たちが「ソラシーだー!」って声かけてくれるソラ。
名前、ちゃんと覚えてもらってるの……ちょっと誇らしいソラ。
ピ……もしかしてソラシー、有名人ソラ?
でも時々、この時間になるとディスコードの悪い奴等が次元の穴を越えてやってくることがあるソラ。
ソラシーにはピピッと来て分かるソラ。だからすぐに伝説の救世主様、メロリィエンジェルとメロリィエストレア、そしてサポーターのみちるに知らせるソラ。
でも最近はブレッシング・リンクという超便利お助けアイテムをみんなにプレゼントしたソラ!
……これで、もしソラシーに何かあっても、きっと大丈夫ソラ。
無事にあかりが元気な声で帰ってくると、ソラシーはすぐに玄関まで飛んでお迎えにいくソラ!
あかりの肩や頭にぴょんって乗るのが、おかえりなさいのスキンシップソラ。
最近は本の匂いがほんのりしてて、今日も頑張ってきたんだなって分かるソラ。
それだけで、ソラシーはすっごく安心するソラ。
夜ごはんの時間になると、家の中がいい匂いになるソラ。
菜月ママの手料理は、ソラシーにとっても楽しみのひとつソラ。
もちろんソラシーの分は少しだけだけど……家族と一緒にテーブルを囲めるのが、とっても幸せソラ!
陽太パパはお休みの日じゃないと遅くまでお仕事していて、中々一緒にご飯が食べられなくて、ちょっぴり残念ソラ……。
夜が更けてくると、お風呂に入ったあかりがふわふわのパジャマ姿になって、
「今日はね〜、学校でね〜」って、いっぱい話してくれるソラ。
ソラシーは、それをふんふんと聞きながら、あかりの手の中で、あったかいぬくもりに包まれるソラ……。
あかりの宿題タイムにはソラシーもおとなしくしてるソラ、でもたまにう〜んって唸ってる時は、ノートの上でスライディングしていたずらする事もあるソラ。
だって、ちょっと構ってほしいソラ〜!
「も〜、ソラシーったら〜!」って笑うあかりが大好きソラ。
夜も更けて、あかりが眠そうにあくびをしてベッドに入ったら、ソラシーも自分のベッドに戻るソラ。
おやすみなさい、今日もいい夢が見られますように。
また明日も、平和で、あったかい日になりますようにって願いを込めて眠るソラ。
こうして、一日が終わっていくソラ。どうだったソラ?ソラシーの事、ちょっぴり分かってくれたソラ?
ソラシーは……この毎日が、宝物みたいに大切ソラ。
だけど、ハルモニアランドを救う使命を忘れた事は一度もないソラ。
……できる事なら今すぐにでも、エンジェルとエストレアを連れて戻りたいソラ。
でも、伝説の救世主様があともう一人見つからないと、きっとハルモニアランドを襲った、あのディスコードのリーダー……グラーヴェには勝てないソラ……。
もし、ディスコードを撃退して、ハルモニアランドに音が……みんなのキラキラの感情が戻った時は……。
でも、今のソラシーは、ソラシーソラ!
名前を呼んでくれるあかりがいてくれる限り、ソラシーはソラシーで居られ続ける。それでいいソラ……!
……それじゃあ今日はここまでソラ!また会おうソラ〜♪
―—爆音男爵と爆盛定食――
薄暗い闇に包まれた、時空の狭間に存在するディスコードの本拠地たるオペラハウス。
このオペラハウスの中心には別次元へと旅をする扉が置かれたコンサートホールがあり、その扉を守護するように常に控えているのは門番クレシド卿。
そんな彼が趣味で始めたバーカウンターには、名状しがたき絵の描かれた土産の瓶が置かれていた。
「……男爵に押し付けられたこれは、どうしたものか」
彼の忠告通り稀に訪れるリタルダンドに見つからないようにカウンターの奥底へと隠しておいたが、そろそろ処分をしたいと考えていた。
肝心の男爵は前回の出撃時、気を失ったまま顔から次元の穴から飛び出てきてヘッドスライディングを決めた後、目を覚ますといつぞやのミーザリアの如く
「黒い悪魔……黒い悪魔が出たんじゃあああッ!!!」
と喚き散らし、緊急招集で集まった他幹部等の前で問いただすも、黒い悪魔が一撃でワルイゾーを瀕死状態まで追い詰め、男爵自身も命乞いをしてようやく逃げ帰ってきた。ただそれ以外の情報を持ち帰られたわけではなく、黒い悪魔の正体もその能力も、何一つ得られるものはなかったのだ。
これをグラーヴェへと報告するわけにはいかず、リタルダンドによるキツいお仕置きを受けて床へ伏せているのだ。
「全く……奴が来れば、責任を取ってこれを処理させるというのに」
やれやれと再び瓶をカウンターの奥へとしまおうと手を伸ばすも、クレシド卿は違和感に気付いた。
名状しがたき蛸のような生き物を描いた絵が動いた……?いや、動くはずがない。これはラベルに書かれた絵なのだ。動いてたまるものか。
先程飲んだワインの酔いが回ったのだと、眉間を揉みながら目元の凝りをほぐす。
そして改めて瓶を見た。——眼が合った。
「ッ……!?」
思わず後ずさり、棚へとぶつかって並べたボトル同士が音を鳴らす。
墨漬けの漆黒の墨の中でギョロリと確かに眼球がこちらを見ていた。
「な……んと、いう事だ」
この私が料理如きに恐怖……した?バカな。疲れているだけだ。偶然漬けられた冒涜蛸の目がこちらを向いているだけだ……。
自然と震える手で瓶の向きを変えて目の向きを変えようとするも、何故か回転させていても眼はこちらを覗き込んだまま。
そのままカウンターの収納の扉を開け、再び奥深くへと墨漬けを封印する。
だが不思議なことに、もう目の届くところにはないというのに……瞼を閉じればまだあの眼がこちらを見ているように思えて来る。
「……今日は寝よう」
そのままバーカウンターの奥にある、クレシド卿の控室へと頭を抱えながら戻ると倒れ込むようにしてベッドへと横たわる。
……目を閉じると、暗闇の中であの眼がこちらへと近付いてきている気がして目を開ける。
そのまま限界を迎え意識が途絶えるまで、クレシド卿は目を開けたままでいたそうな……。
「ぬぅぅぅぉおおおおおおっ!ワシ復活ッ!!!!!!」
バンッと大きな音を立てながら自室から飛び出してくるのはフォルティシモ男爵。
リタルダンドによる折檻から復活し、丸一日食事をとっていない身体は喧しく空腹を訴える。
空きっ腹を抱えて食堂へと足を運ぶも、既に食事の時間は過ぎパンのひとかけらすら残っていない。
ならばクレシド卿の所へ行けば何か簡単なツマミが食べられるだろうとホールへと向かうも、珍しくクレシド卿が奥の控室から出てこない。
「もしもぉぉぉしッ!!!クレシド卿!!!ワシが来たぞッ!!何か作ってくれィ!!!」
バーカウンターに腰かけて大声で呼びかけるも、物音ひとつ帰ってこない。……まさか不在なのだろうか。
「なんじゃい……仕方ないのぉ……」
門番がいないなら、好きに出入りさせてもらおうと次元の扉を開き、向かうはあかり達の世界。
男爵が現れたのは、スミゾラタウンの駅前から少しだけ離れた商店街のアーケード。未だ古き良き時代から続く店が立ち並び、一本路地裏へと入っていけば昼間からでも赤提灯が来訪者を出迎えてくれる。
男爵が現れた事により、青空だったはずの空は赤黒い雲に覆われ、周囲にも赤黒い霧が立ち込めていく。
「んん~んッ!中々風情があるじゃあないかッ!どれ、どこか良い店はないか……?」
急激な天気の変化と立ち込める赤黒い霧に騒めく人々をまるで気にせず、近くにあったガラス張りの食品サンプルの並ぶディスプレイを食い入るように眺める。
「ほぉ~??とんかつ……こいつァ旨そうだ!!ここに決めたぞッ!!」
盛大にガラガラと音を立てガラス戸を開き、のっしのっしと店内へと入る男爵。
彼は身長が185センチ程あり、燕尾服に立派に蓄えたカイゼル髭、一目見ただけでも只者ではないと店内に緊張が走る。
「いらっしゃい、空いてる席へどうぞ」
「うむ、そうしよう!!」
店主の奥方だろうか、かなり高齢の老婆がお冷とおしぼりを男爵の机へと並べていく。
「外人さん、ご注文は」
「ワシはガイジンではないッ!!我ァが名はフォルティッッシモ男爵ゥ!!!とにかく腹が減った!!とんかつを頼むゥ!!」
「え?何だって?」
「んなっ……!?」
男爵はいつも通りの爆音に近い声量を発していた。しかし横に立つ老婆にはそれでも聞こえていなかったという事実に一瞬敗北感を覚えてしまう。
「……こ、この老婆、音の遮断フィールドでも張っておるのか……!? いや、違う!これはただの……加齢による聴力の衰えッ!!」
その時、男爵の目に飛び込んできたのは、壁に貼られた一枚のポスター。
『名物!超特盛とんかつ定食・爆盛五重の塔!
制限時間30分以内に完食で無料!失敗時は代金2,980円也!』
「おぉ……これは!!爆盛の五重奏ッ!!!まさしくワシにふさわしい挑戦状!!」
次は老婆の耳元で更なる声量で告げた。
「とんかつッ!!!!爆盛とんかつを所望するッ!!!!」
「あぇ、とんかつ??まぁまぁ、久し振りに人様の声が聞こえたもんで、嬉しいねぇ」
老婆は注文票を手にゆっくりと厨房の主人へと注文を告げる。
店内の常連客は、耳のかなり遠い事で有名な老婆に、メニューを指さす以外で注文を通した初の人間として、そして爆盛を頼む挑戦的な客だと男爵へと好奇の目を向ける。
そこから男爵は料理が届くまでは以外にも静かだった。ただラジオから流れる流行りの音楽には眉を顰め、ミュートジェムを持ってこなかった事を失敗したとブツブツ呟いていた。
「お待たせねぇ、爆盛とんかつ定食ですよぉ」
老婆がヨロヨロと運んできたのは、山のように積み上げられた五段重ねのとんかつの塔!
白飯は茶碗に山盛り!味噌汁は……意外にも普通!キャベツは山盛り!!
「ぬぉぉおおおおお!!来たなッ!これぞ芸術ゥッ!!!」
店側の気遣いて箸ではなくナイフとスプーンが用意され、握ったフォークでザックリととんかつの一切れを突き刺して掲げる。
「いざ、実食ッ!!!」
ジャクッと心地よきパン粉のサクサク感と、肉厚な豚肉の脂身の甘み、そして肉のジューシーさ。
「んまいッ!!!!!」
男爵は喜びからか、どこからか取り出したレゲエホーンをかき鳴らす。
店内にいる老婆以外の全員が思っただろう。 うるせぇと。
「おっと、ワシとしたことがソースを忘れておったわい。たっぷりたっぷりと……」
ドバドバと中濃ソースを注ぎ、また一切れを一口で頬張る。
揚げたての熱さにハフハフと口内の熱を逃がしながらサクサクと咀嚼し嚥下する。
「これまたうましッ!!!!」
すかさず白米を口へ運び、次のとんかつへとフォークを突き立てた。
「ふぅぅ……!旨い!旨すぎるぞこれはァ!!」
次々と消えていくとんかつたち。そして途中で気分を変えるように男爵は味噌汁をスプーンで掬い、一口。
あっさりとした合わせ味噌に、豆腐とワカメ、そしてほんのり香るダシが口内の油を洗い流しリセットするように染みわたる。
「むぅ……このスープ……地味ながらも調和が取れておるッ……だがワシは……調和など断ち切る者ッ!!」
そう言いつつも味噌汁を飲む手は止まらない。
半分ほど飲み干したあたりで一度スプーンを置き、キャベツへと大量のソースをぶちまけ、大口で頬張る。
「野菜など飾りにすぎぬ……と思っておったワシが浅はかッ!!これが……清涼感というやつかッ!!」
キャベツでの休憩も挟みつつとんかつは三層目に突入。既に普通の人間であれば満腹を訴える量だが、男爵は箸——ではなくフォークを止める事なく勢いで食べ進めていく。
「なんだあの外人……」
「いや、外人じゃねぇって言ってたぞ……」
「しゃべってなくても動作がうるせぇ」
あちこちから囁かれる声に構わず、男爵はとんかつの四層目へ。
「むぅ……重いッ!!腹の底まで響いておる……これはまさしく第四楽章ッ……胃に奏でるシンフォニィィィィィィィィィィ!!!!」
手が止まりかけるたび、男爵は己に喝を入れながら次の一切れへと挑む。
そしてついに——!
「……完ッ食ッッ!!!!」
机にフォークを置き、天を仰ぐ男爵。顔は脂にまみれ、髭にはキャベツが絡まるも、皿の上には散らばったパン粉の破片と垂れたソースだけが残されていた。
老婆が伝票を持ってやってくる。
「はい、無料ねぇ。このチャレンジ、久し振りに成功した人見たわぁ」
「ふぉぉおおおおおおおおおおおおッ!!!!!ワシの胃袋に、勝利のファンファーレが鳴り響いておるゥッ!!!」
またも炸裂するレゲエホーンの音に店内が揺れる。
「ほれ、外人さん。記念にチーズ」
カメラを向けられ、男爵は勝利の満面の笑みを浮かべて応える。きっと過去にこのチャレンジを成功させた勝者の写真に並べられるのだろう。
不思議と男爵は悪い気持ちはしていなかった。
「旨かった、また機会があれば来ようッ!!!」
すっからかんだった胃に大量のとんかつやキャベツ、米が入り正直気持ち悪さすら感じ始めた男爵は早々に店を後にしようと、店のガラス戸を開ける。
―—だが、そんな男爵を待ち受けていたのは既に変身を終えているメロリィエンジェルとメロリィエストレア、そしてアーケードの人々を避難させ終えたみちる達の姿だった。
「やっぱり、ここにいたっ!!お店の人達の感情を返しなさいっ!!」
「おぉぉッ!娘っ子共!!随分と威勢がいいじゃァないかッ!!良いだろうッこのフォルティッシモ男爵ゥ!!!今日こそ貴様らブレッシングノーツを倒して……と言いたいところだが、今日はワシはミュートジェムを持っとらんのだ。それに今動けば……吐くぞ」
うわっ……とエンジェルがドン引きした顔で男爵を見る。一方でエストレアは冷静にチャクラムをいつでも打ち出せるように構えたまま、男爵へと問いかけた。
「……じゃあ何、戦わないでそのまま帰るって事?」
「如何にもッ!!ワシは機嫌が良い!また今度会い見える時は存分に戦おうじゃァないかッ!……というわけでサラバだッ!」
次元の穴を空け、上機嫌に鼻歌を歌いながら穴へと飛び込み姿を消す。
すると周囲を覆う赤黒い雲も霧もたちまち消え去り、元の青空が返ってきた。
本当に大人しく帰っていった男爵に、エンジェル達は呆然と立ち尽くす。
「……え?」
「……帰った?」
「……本当に、何しに来たのよ」
その後、拠点へと帰った男爵は、しばらくの間暴食による胸やけに苦しんだそうな。
というわけで、アリサ・ソラシー・まさかのフォルティシモ男爵の短編でした。
さてさて、次回は本編へと戻ります。
どうぞお楽しみに~!




