平穏な日常♪
「美味しかった……ご馳走様でした~!」
チーズケーキが乗っていた皿には、装飾でつけられていたチャービルだけが残り、ハニーミルクコーヒーの入っていたコーヒーカップも中身が綺麗に無くなっていた。
お腹も満たされ、幸福感に包まれていたあかりは壁に掛けられていた時計を見て、自分がこの店に来てから既に30分が経過している事に気付き、慌てて席を立った。
「……お帰りですか?」
「ひゃああああっ!?あ、アリサちゃんっ!?」
すぐ背後から声がかけられ、思わず悲鳴を上げながら振り返るといつの間にかエプロンを着けたアリサが立っていた。
「えっ!なっ!えぇ!?」
「……お会計はあちらで行いますので伝票をお持ちになってお進みください」
「あ……はい……」
衝撃で呆けたままふわふわとレジへと進み、コーヒー豆の代金とハニーミルクコーヒーの代金を支払う。
「……ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
あかりは袋を抱え、店の外に出たところでようやく頭が追いついてきた。
「……えっ、えっ、なんでアリサちゃんがここにいるの!?」
あの無表情で背後に立たれた時の驚きといったら、心臓が跳ね上がったまま今もドキドキが止まらない。
顔を赤くしながら、あかりは少し深呼吸して胸を落ち着かせようとした。
でも、ほんのちょっぴり──口元が笑ってしまう。
アリサちゃん、みちるちゃんの家の喫茶店で働いてるんだ……なんか、かっこよかったな……!
カラン、と店のドアベルが鳴る音が背後からして思わず振り返ると、みちるとアリサが軽く手を振って見送ってくれていた。
「またねー!!」
建物の影で二人が見えなくなるまで全力で手を振り返し、ほんのりあたたかい気持ちを胸に、あかりは家へと帰る道を歩き出した。
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「ただいま~♪ってあれ、誰も居ない?」
家に戻ると菜月は買い物に出かけたのか、リビングはカーテンが閉められ、電気も消えたままで薄暗い。
手洗いうがいを済ませると階段を登り自室へと戻った。
「ただいまソラシー!待たせちゃってごめん……って、ソラシーもいない?」
クッションの上にも、ベッドの上にも、部屋の中でソラシーが止まれそうなところをぐるりと見回すがどこにもいない。……まさか、昨日のうるさいおじさんに捕まっちゃったとか!?
慌てて部屋を飛び出し階段を駆け下りて、外へ探しに行こうと靴を履いていた時に目の前で玄関のドアが開いた。
「あら、ただいまあかり。どうしたの?」
「ママ!ソラシーがいない……の」
「ピピィ?」
買い物袋を持つ菜月の肩にちょんとソラシーが乗っていて、あかりの言葉が止まる。
「あぁ!ソラシーちゃんお利口さんだから買い物も一緒に行けちゃうのよ?お店に入る時はすぐ近くの電線の上とかフェンスとかに止まってお留守番していてくれるし!ねー?」
「ピィ~!」
「あ……あはは……それなら良かったよ……」
菜月はにこにこと笑いながら買い物袋をキッチンへ運び、ソラシーは菜月の肩から軽やかに飛び降り、くるくると羽ばたいてあかりの頭に着地した。
「ただいまソラ~!」
ちょん、と額にくちばしが触れるくらいにすり寄ってきて、あかりは思わず笑みを零した。
「もう、心配したんだからね~!」
「ふふ、そんなに大げさに心配しなくても大丈夫よ。……それより、今日は喫茶店どうだった?」
菜月がエプロンをかけなおしながらキッチンから顔を出す。
「うんっ!とっても素敵だったよ!コーヒー豆の香りもすごく良くて、みちるちゃんとアリサちゃんもいてね、すっごく優しくしてくれたの!」
目をきらきらと輝かせながら喋るあかりに、菜月は「そう、それは良かったわね」と頷き、微笑む。
「じゃあ早速お茶にしましょうか。新しく買ってきてくれた豆、使わせてもらおうかな?」
「わぁっ、やった!じゃあお手伝いするっ!」
「ピ!」
ソラシーも両翼を広げて元気よく鳴き、あかりは笑いながら台所へ駆けていった。
「ねぇママ、この豆ってどうやって挽くの? 香りがすっごくいいね!」
「ふふ、じゃあ今日は特別に教えてあげようか!あかりも覚えておいてね~」
菜月が棚からコーヒーミルを取り出し、メジャースプーンで量を測りながらミルへと豆を入れる。ソラシーはその横で、豆の香りに興味津々でピョンピョン跳ねている。
「ピピィ……!」
「ソラシー、良い匂いだけどこれ食べたら死んじゃうよ?鳥さんには毒だからね!」
「ピッ!?」
そうしている間に菜月は計量を終え、必要分の豆をすべてミルへと注ぎ、一度手を止める
「はい、じゃあこれをぐるぐる回して豆を挽きます!あかりやってみる?」
「うんっ!やるやるっ!」
思ったより力が必要で、ハンドルをしっかり握りぐるぐると回すと、ゴリゴリと音を立て豆が回りながら中央の刃に吸い込まれて挽かれていく。
少し早めに回そうとすると砕けた豆が飛び出してきたり空回りをしてしまい、ちょうど良いスピードの感覚を掴むまでは犠牲になる豆もあった。
やがて挽きたての粉の香ばしい香りが部屋いっぱいに広がり、あかりはほっとした表情で、挽きたての香りを胸いっぱい吸い込んだ。
「うん……幸せの香り……!」
「じゃあ次はミルの引き出しを開けて、溜まった粉をこのフィルターに入れてね」
あかりは茶色の台形の形をした紙のフィルターを陶器製のドリッパーに乗せ、そこへと粉状になった豆を入れていく。そこから引き継ぐように菜月はトントンと粉の位置が平坦になるようにドリッパーを叩き調整すると、コーヒーサーバーの上へと置き、ドリッパーへ注ぎ口が細長いヤカンからお湯を注ぎ、蒸らしを行う。
「わぁ……粉が凄い膨らんでもこもこしてる……!」
「ふふ、ここですぐにお湯を注いでしまうとちょっと軽い味わいになっちゃうから、ちゃんと30秒くらいは待たなきゃダメよ?」
時計の秒針を目で追い、きっかり30秒過ぎたのを確認すると、膨らんでドーム状になった粉の中央へと乗せるように優しくお湯を注ぎ、500円玉くらいの円を描いて回りが盛り上がったら一度注ぐのを止める。
膨らみが落ち着いてきたらまた円を描くように注ぎ、収まれば再び注ぐ工程を繰り返し、二人分のコーヒーがサーバーに溜まったら、まだコーヒーが落ちているにも関わらずドリッパーを外してシンクへ。
「あっ……もったいない……」
「そうね、でも最後まで落としてしまうと雑味まで一緒に入ってしまうから仕方ないのよ」
次に菜月はコーヒーサーバーを持ち上げると、軽く回すように揺らし、中身が混ざるようにしてからそれぞれのコーヒーカップへと注いでいく。
最後にそれぞれ牛乳を混ぜ、あかりのカップへは茶色のザラメをたっぷり入れてスプーンで混ぜ、ようやく完成となった。
「ここまでがコーヒーの作り方ね!さぁ冷める前に飲みましょう♪」
「はーい!コーヒーを淹れるのって大変なんだね……!」
ソファに座って、あかりはあったかいカップを両手で包み込み、そっと一口。
「わぁ……美味しい……! 甘くて、ミルクの香りがふわってして……なんか、お店で飲んだのと同じくらいだよ!」
「ふふ、それは良かったわ。」
菜月は少しミルクを入れたカップを手に、ほっと息をつく。
「あかりが選んできてくれた豆、とってもいい香り……!ありがとうね!」
「えへへ……! でもママの入れ方が上手だからだよ!」
「まぁまぁ、あかりは褒め上手ね」
ソラシーはテーブルの上で小さな器に入れられた穀物をついばみ、途中で満足したのか、あかりの肩にちょこんと乗ってきた。
「ピピィ……♪」
「ソラシーも満足そうだね!」
「ぴぃっ!」
あかりが笑って頬をすり寄せると、ソラシーはこそばゆそうに小さく羽を震わせる。
あかりはミルクたっぷりのコーヒーをもう一口飲み、ふうっと小さく息を吐いた。
「……今日もいい一日だったなぁ」
学校、帰り道、喫茶店、家族と飲むコーヒー。
それぞれが優しい音色のように胸の奥で重なって、あかりの心を温めていく。
「パパが帰ってきたら次はあかりが淹れてあげる?」
「それいいねっ!やってみるっ!」
さっきの手順を頭の中でもう一度整理しておけばきっとできる……よね?
「ふふっ、きっとパパ喜ぶわよ~!」
「あ、あはは……頑張るね!」
早めに日記に書いておいて忘れないようにしなきゃ。……あとはみちるちゃんに何か特別なコツがあったら聞いてもいいかも?
明日またみちるとアリサに会える。それだけであかりは笑顔になり、二人と何を話そうかと今から話題を練るのだった。
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夕食後、あかりはお皿を片付けるのを手伝ったあと、ソラシーを肩に乗せて二階の自室へ戻った。
「今日はあったかい日だったね、ソラシー」
「ピピィ♪」
机の上には今日学校でもらった教科書と、各科毎に分けたノートが並んで置かれている。
そういえば、時間割のプリントを見て教科書の入れ替えをしようと思っていた時に夕食の準備が出来たんだっけ……。
忘れないうちに教科書とノートを鞄に詰める。それと筆記用具も忘れずに。
ハンガーにかけた制服に汚れやほつれが無い事を確認し、明後日の準備が滞りない事を確認したあかりは、自分の勉強机へと向かい、可愛い装飾のされた小さなノートを取り出した。
これはあかりの[今日のいいことノート]だ。
毎日、今日あった小さな幸せを書き残すのが習慣になっている。
ページを開き、ペンを握って目を瞑り今日あった事を思い出していく。
「今日は……みちるちゃんとアリサちゃんと、放課後一緒に帰れたこと。それと……喫茶店で美味しいコーヒーとケーキを食べられたこと。後は初めて淹れたコーヒーをパパが泣きながら喜んで飲んでくれた事……。うん、完璧っ!」
書き終えると、あかりはにっこり笑ってノートを閉じ、大事に元の棚へと戻した。
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入浴を終えて、パジャマに着替えたあかりは階下のリビングにいる両親へ「おやすみ」を伝え、自室へと戻ってきた。
「ふぁ……今日は平和で良い一日だったね~。あのうるさいおじさんとかワルイゾーも、もう来なければいいのに」
「まったくソラ……。でも悪者が来てもあかりがいれば大丈夫ソラ!」
「うんうん、ぜーんぶ私がやっつけちゃうから!安心してて!」
部屋の電気を消して、ベッドへと潜り込み温かい掛け布団の中でぐっと手足を伸ばしてリラックスする。
「おやすみ~ソラシー……」
「おやすみソラ!あかり」
ソラシーもクッションへと身を任せて顔を埋める。
明日はどんな新しい日が待っているだろう?
そんな胸のときめきと小さな期待を抱きながら──あかりは静かに、夢の中へと落ちていった。
その頃、階下のリビングでは陽太と菜月がソファーに座り、テレビを見ながら静かに話をしていた。
「あかりはもう寝たかしら?」
「あの子は寝付きが良いからね、きっともう夢の中だよ」
そう話す陽太の手には、もう完全に冷め切ったコーヒーが少し入ったマグカップが握られていた。
折角あかりが淹れてくれたのに、すぐに飲み干してしまうのは勿体ないとちびちび飲んでいた結果未だに飲み切らずに残っていたのだ。
「そうそう、ソラシーちゃんの事なんだけど……怪我はもう完全に治ったみたいなの。自由に空も飛べるしどこか痛そうにしていないし」
「ああ、それは良かったね。見た感じあかりにとっても懐いているみたいだし、ママにも懐いているみたいじゃないか」
「パパ以外はね?ふふっ……」
からかうように笑いながら言う菜月に、陽太は無言でコーヒーを啜る。
「最初の約束だと、治るまでの保護って話だったけど……どうしようか?」
「……そうねぇ、あの子とっても賢くて普通の鳥とは全然違うのよ。あかりもちゃんとお世話しているし……それに、私もソラシーちゃんの事気に入っちゃったの」
菜月が微笑みながらそう言うと、陽太も笑みを浮かべ頷いた。
「じゃあソラシーはうちの新しい家族という事で!あかり達にも明日言ってあげよう、きっと喜ぶよ」
「ええ……!お祝いにソラシーちゃんにちょっと良いご飯買ってきてあげようかしら!」
静かな夜のリビングに、夫婦の穏やかな笑い声が響く。
その話し声が届かない二階のあかりの部屋。
すやすやと眠るあかりのベッドの下のクッションで、ソラシーがふわっと小さな羽を広げ、キラキラと自身に集まる優しい想いを感じ取り、小さく「ピィ……!」と鳴いた。
春の夜、誰も知らないところで、小さな家族の輪がまたひとつ、優しく編まれていく。
今回はちょっと短め。
やったねソラシー! 家族が増えたよ!
というわけでディスコードの襲撃もなく、平和な一日を過ごすあかりちゃんの様子でした。
次回、入学式と襲撃!
お楽しみに~