ミルクとハチミツと、午後三時♪
一度中庭に行きタイミングをずらしたおかげか、校門へ向かう生徒の数は疎らであかり等が歩いていても声をかけて来る生徒もいなかった。
しかし歩き始めてから三者共に無言で、アリサは変わらずの無表情。あかりは何かを言いかけては考え込むように口を閉じる。みちるは無言のまま、歩く度に揺れるアリサの左手をチラチラと見ていた。
校門を出てからもしばらく無言の時間が続いていたが、いよいよ我慢できなくなったのかあかりが口を開いた。
「…………あ、あのっ!!楠さん……?」
「ッ………!え、えっと………何かしら?」
突然呼びかけられて、みちるは肩をびくりと跳ねさせた。焦ったように返事をしつつ、つい目が泳いでしまう。
あかりはそんなみちるの反応にちょっとだけ驚きつつも、思い切って言葉を続ける。
「………今日は、一緒に帰ってくれてありがとうっ!なんか、その………私、嬉しくて!」
明るく、真っすぐな笑顔。
そのあまりのまぶしさに、みちるは一瞬言葉を失った。
「………あ、う……うん。べ、別に、私はただ……アリサが一緒に帰るって言ったから……その、ついでで……」
しどろもどろになりながら、みちるはわざとらしく顔を背ける。
「でも、私は………楠さんとも一緒に帰れて、ほんとに嬉しいよっ!」
「~~~~っ!!」
みちるの耳が、わずかに赤く染まる。
「………みちる、様子がおかしい」
アリサがぽつりと指摘する。言葉に刺す意図はないが、正直すぎる観察眼は少し空気を読まない。
「だ、だまっててアリサっ!!」
「………了解」
アリサはあっさりと頷くが、横目でちらりとみちるを見つめ続けていた。
あかりはその様子にぷっと吹き出しながらも、なんだか胸がポカポカしてくる。
なんだろうこの感じ……。すごく不思議で、ドレミっててあたたかい。
「ねぇ楠さん、明日もまたこの三人で帰ってもいいかな?」
あかりの言葉にみちるは何か迷う素振りを見せ、アリサと小声で言葉を交わすと小さくため息をつき答える。
「………別にいいけど。………変わってるわね、柚木さんって」
「えへへ、それほどでも~」
「褒めてないっ!」
そうこうしているうちに、図書館前を通り過ぎて桜並木の通りまで戻ってきてしまっていた。あかりの家まであと半分を切っている。楽しかった下校時間ももうすぐ終わりを迎えてしまうのが、どこか寂しくもあり惜しくもあった。
「アリサちゃんと出会ったのもここだったよね!あの日はまだもっと桜も咲いていたけど、あっという間に葉っぱだらけになっちゃったね」
「………はい、おかげで過去を思い出す機会も数日前に比べれば少なくなりました」
アリサの言葉に、あかりはちょっと驚いたようにまばたきした。
「過去を思い出すって……?」
「………この世界に来る前のこと。桜は………私にとって、良い記憶だけじゃないから」
ぽつりと零したその一言に、ふたりとも黙り込む。
沈黙が数秒続いたあと、みちるがそっとアリサの左手を――歩きながらずっと見ていたその手に、指先でちょんと触れた。
「でも今は………違うでしょ。ここには柚木さんも、私もいるんだから」
「………はい」
アリサはほんのわずか、けれど確かに、手を返すようにみちるの指を軽く握った。
それを見たあかりは、ふわっと笑って両手を後ろで組み、空を見上げる。
「なんか、いいね……!こういうの………なんて言うんだろう。ふふっ、春の魔法かな?」
青々と色づく葉桜が風に揺れ、少しだけ冷たい風が三人の頬を撫でる。
そうして歩いているうちに、みちるとアリサが立ち止った。
「あそこの喫茶店、私の家なの。………今日は誘ってくれてありがとう、柚木さん」
見ればあかりが前々から気になっていた喫茶店の近くまで戻ってきたらしい。しかもそのお店がみちるの家と知り、あかりは思わず目を大きく開き、その瞳をキラキラさせた。
「うそっ!あのお店………えっと、rosseさんだっけ?あそこ楠さんの家だったんだ!今度行くね!いやもう今日いくよっ!!」
あかりの熱視線に思わず目を反らしたみちるだったが、小さく頷きそれに応えた。
「それと、私の事はあかりって呼んで!一緒に家の前まで帰って、お話して………もう友達でしょ?」
あかりの言葉にはっとしたような表情を浮かべたみちるだったが、彼女の手をアリサが優しく握り、小声で何かを囁くと目を伏せ、少し頬を赤く染めながら口を開いた。
「………ありがと、あかり」
「……ッ!今名前で呼んでくれた!嬉しいなぁ………!じゃあ私もみちるちゃんって呼ぶね!」
「ちょ、ちゃん付け!?……ま、まぁいいけど……っ」
顔をそむけながらもまんざらでもなさそうなみちるに、あかりは嬉しそうに「うんっ!」と頷いた。
その時、アリサのお腹から空腹を訴える可愛らしい音が鳴り、あかりとみちるは顔を見合わせてから笑いあった。当の本人のアリサは空を見上げ、流れる雲にこの後の昼食は何だろうと想いを馳せていて、相変わらずの無表情だった。
「じゃあ、また明後日学校で!」
ひとしきり笑った後、あかりは家の前であまり引き留めては悪いと、そろそろ自分も帰宅する旨を伝え、手を振りながら桜並木へと戻っていく。
「じゃ、じゃあね……!その、私も……楽しかったよ」
手を軽く振って見送るみちるとアリサ。
二人並んで、段々と遠ざかっていくあかりの姿が見えなくなるまで、その背中を見守り続け、いよいよ見えなくなった時。
「……あかりって、話で聞くのとは違って凄い子ね」
みちるがぽつりと呟いた。
「………はい。強くて、まっすぐで、ちょっと抜けていて、でも………あたたかい良い人です」
アリサも静かに、けれど確かに答えた。
─────────────────────────────────────
「たっだいま~!!」
「おかえりソラ~!!待ってたソラ!!」
玄関を開けるとすぐさまソラシーが飛んできて頭へと着地する。
「うんうん、ただいまソラシー!」
頭にソラシーを乗せたまま手洗いうがいを済ませ、一旦自室に鞄を置きに戻り、改めてリビングへと顔を出した。
「お帰りなさいあかり!お昼ご飯出来ているわよ!」
「やった!お腹ペコペコだよ~」
ダイニングテーブルへと座って待っていると、すぐに湯気が立ち上る熱々のスパゲッティミートソースが目の前に用意された。たっぷりのトマトとジューシーなひき肉の香りが食欲をそそり、すぐさまフォークを手に取る。………ちなみにソラシーはいつもの小鳥用の穀物ミックスだ。
「いっただきっきまーす!」
「ピピー」
「ん~~~っ、おいし~~~っ!」
ミートソースを一口食べると、あかりは思わず笑顔になる。
フォークでパスタをくるくると回しながら、ソラシーの方をちらりと見ると穀物ミックスには目もくれず、あかりの皿をじっと見つめていた。
「あれ、ソラシーも食べたい?」
「ぴぴぃ!」
洗い物をしている菜月の目を盗み、こっそりとソラシーの分を取り分けて皿の端に寄せて置いておく。
すると器用にパスタの端の方からミミズを丸呑みにする鶏のように麺を飲み込んでいく。さすがに長すぎると食べ辛そうだと途中であかりがフォークでパスタを細かく切り、食べやすい様にして置いておくと、ソラシーは時々嬉しそうな鳴き声を上げながらあっという間に取り分けた分を平らげてしまった。
そんなソラシーの様子をニコニコ笑顔で愛でながらあかりもミートソースを食べ進める。そうしていると菜月が洗い物を終えたのか、コーヒーを手にしながら台所から戻ってきて、あかりの正面の席へと座った。
「久しぶりの学校はどうだった?」
「んー………みんな変わってなかったよ。あ、でもね!今日転入生が私のクラスに来てて!それが前に話していたあのアリサちゃんだったの!!」
食べる手を止めてまで熱く語りだすあかりに、「あらあら♪」と微笑みながらコーヒーを一口飲む。
「そういえば、アリサちゃんってどんな子だっけ?」
菜月の問いかけにあかりはふっと目を細めて思い出すように笑った。
「うーん……すごく綺麗で、無表情なんだけど………優しい子だよ。強くて、まっすぐで、なんか………頼りになるの!」
「ふふっ、そう。頼もしいお友達ができてよかったわね」
穀物ミックスも完食したソラシーは満足そうにお腹を丸くし、ちょこんとテーブルの端で目を細めてうとうとしている。
それを見たあかりは小さく吹き出し、「ソラシーったら、もう食べすぎだよ~」と笑いながら小さなお腹をそっと撫でた。
「あとねママ!楠みちるって子とも友達になってね………!!」
窓の外では、少し雲が流れ、午後の日差しが柔らかく部屋を照らしている。
こういう何気ない時間こそが、あかりにとって何よりも大切な守りたいものなのだ。
そんなことを、彼女はまだ気づかずに、ただ幸せな笑顔を浮かべていた。
食後、あかりが自分の使った食器を洗って片付けていると、ふと瓶に詰められているコーヒー豆のストックがもう残り僅かな事に気付いた。いつもなら半分を切ったタイミングで菜月が補充をしているが、珍しく忘れてしまっているらしい。
家事の手伝いも兼ねてあかりが買い物に行こうかと考えた時、ふと下校時の事が頭に過った。
「ねぇママー!後で出かけてきてもいいー?」
「いいわよー。どこいくのー?」
「………喫茶店!コーヒー豆も一緒に買って来るねっ!」
菜月はダイニングの椅子に座ったまま、テーブルの端でうつらうつらとしていたソラシーをひょいっと抱き上げ、その柔らかさを両手で堪能しながら近隣にある喫茶店を思い浮かべる。
「この近所の喫茶店ていうと……… あの楠さんのおうちのお店かしら?」
「うんっ!だって前から気になってたし、今日みちるちゃんに今度行くねって言ったんだもん!」
片付けを終えて台所から戻ってきたあかりは、再びダイニングテーブルの椅子へと座り、正面に座る菜月をじっと見る。
「そうねぇ、あのお店のコーヒーも美味しいって評判だし………じゃあ買ってきてもらおうかな!」
「うんうんっ!最高にドレミってる豆を選んで買って来るね!!じゃあ準備しなきゃ!」
あかりはぱぁっと顔を輝かせ、嬉しそうに笑顔を見せると椅子から立ち上がり、小走りでリビングを後にした。
慌ただしい足音が階段を登っていくのを聞きながら、菜月は腕の中で気持ちよさげに寝息を立てるソラシーを優しく撫でていた。
時計は14時半を過ぎ、いよいよあかりが出発する時が来た。さすがに飲食店に動物は連れて入れないと、ソラシーは残念ながらお留守番となり菜月の肩の上でしょんぼりしていた。
「ごめんねソラシー、帰ったらまた一緒に遊ぼうね!じゃあいってきまーすっ!」
「いってらっしゃい、気を付けるのよー」
ソラシーは菜月の肩の上から「ぴぃぃ~」と鳴き、玄関のドアが閉まるまであかりの背を羨ましそうに見つめていた。
「ソラシー、あかりと一緒じゃなくて残念そうね?」
「ぴぴぃっ………」
菜月がくすりと笑い、ソラシーの小さな頭を指先で軽く撫でた。
「今日はあかりに任せて、ママとのんびりしていましょうね」
「ぴぃ………」
ぽかぽかした春の午後。
あかりは胸に少し緊張と期待を抱きながら、桜並木の通りを一人歩いていた。まもなくお店が見えてくるところまで来て、ふとアリサの事も誘えば良かったと今更ながら気付き、明日は絶対誘おうと決意を胸に秘めて、いよいよお店の入り口前までやってきた。
木製の立て看板に小さく書かれた[Café Rosse]の文字。入り口のドアには手描き風の[Open]の札が揺れている。
やっぱりちょっと緊張するけど………よーしっ………!
小さな勇気を込めてドアノブを握り、そっとドアを押すとチリン、とやさしいドアベルの音が響いた。
「………いらっしゃいませ」
店内は外観よりも奥行きがあり、穏やかなクラシック音楽が流れている。木の家具と花の飾られたテーブルがいくつか並び、優しい照明の下で大人たちが読書をしたり静かに会話を楽しんでいた。
「わぁ……素敵……!」
あかりは目を輝かせながら店内を見渡し、空いているカウンター席へと座った。
すぐに店の奥からメニュー表とお冷、おしぼりを持った上品な雰囲気の女性が現れ、あかりの目の前のカウンターへとそれぞれ並べていく。
「いらっしゃいませ、こんにちは。………もしかしてあなたがあかりちゃんかしら?」
「えっ!? は、はいっ!」
初めて会うはずなのに、なんで分かったの!?もしかしてどこかで会っていた………??
思わず取り乱して慌てるあかりを見て、女性はくすくすと柔らかく笑い、言葉を続けた。
「あの子、みちるちゃんが話してくれていたのよ。今日はよく来てくれたわね」
ふんわりとしているが気品のある不思議な雰囲気をまとう女性、みちるの祖母なのだろう。
あかりは思わず席から立ち上がり、背筋を伸ばしてぺこりとお辞儀をした。
「あ、あのっ!柚木あかりですっ!みちるさんとは今日友達になったばかりですが、これからもっと仲良くなりたくて!早速今日来ちゃいました!!」
「あらあら♪元気で可愛らしい良い子がみちるちゃんの友達になってくれたのねぇ。楠詠子よ、これからもあの子をよろしくお願いしますね」
「はいっ!もちろんです!」
あかりの元気でまっすぐな姿勢とキラキラした満面の笑みで喫茶店内も和やかな雰囲気に包まれる。
だがそんな微笑ましげな視線を全方位から注がれたあかりは顔を赤くして席に座り顔を伏せた。
「ふふ……そんなに恥ずかしがらなくていいのよ。ほら、お水を飲んで落ち着いてね」
「は、はい………ありがとうございます………!」
あかりはお冷のグラスを両手でそっと持ち上げ、緊張を和らげるように一口飲んだ。
冷たい水が喉をすべり落ち、胸の奥に少しずつ落ち着きが戻ってくる。
「それで今日は………コーヒー豆を買いに来てくれたのかしら?」
「はいっ!お母さんに頼まれたので!それとせっかくなので一杯頂いていこうかなと!」
「まぁまぁ、それはとても嬉しいことだわ」
詠子マダムはくすっと笑い、奥の厨房へと姿を消す。
その間、あかりはそわそわとメニュー表をめくってみる。
わぁ………美味しそうなケーキセット………!でも今日は我慢我慢………!
そうして待っていると、店の奥からエプロンを付けたみちるが、コーヒー豆がぎっしり詰まった袋が二つ入った紙袋を手にして現れる。
「今日来るって言ってたけど、まさか本当にすぐに来るとは思っていなかったわ………。こほんっ。こちらがおすすめのブレンドと、おじい様からのサービスのブラジルよ。ご家族で楽しんでもらえたら嬉しいわ」
「わぁっ……すごくいい香り……!ありがとうっみちるちゃんっ!」
あかりは目を輝かせ、両手で包み込むように袋を受け取る。
「それと………来てくれてありがと。コーヒーは飲んでいかないの?」
「あー………飲んでみたいけど、実はブラックだと苦手で………」
左右を見渡すと、他の客が飲んでいるコーヒーカップの中身は大体ブラックのまま。この雰囲気で甘いのを頼んでいいのか不安になっていたのだった。
「人は人、あかりはあかりよ。気にしないで好きな物を頼んでいいの。このメニューのここからここまではミルクを使ったバリエーションメニューだから苦くないわ」
「ほんと??じゃあ………このハニーミルクコーヒーのホットを一つ………!」
「良い選択ね、これとっても甘くて私も好きなの。じゃあちょっと待っててね」
キッチンカウンターで手際良くコーヒーを淹れているマスターへ、注文伝票を届けに行くみちるの後ろ姿をぼんやりと眺めていると、あかりの目の前にコトリと小さなお皿が置かれる。
見るとアーモンドチップの散らされた、可愛らしい大きさのベイクドチーズケーキだった。
「へ?えっこれっ!?」
詠子がしーっと唇に指を立てて微笑むと、ゆったりと奥へと戻っていった
申し訳なさと目の前の魅力的なケーキの誘惑に表情をコロコロ変えながら悩むも、ちょうど3時のおやつ時。
女の子は甘い物の誘惑には勝てないんですっ!と心の中で誰かに言い訳をしながら、小さなデザートフォークを手にし、チーズケーキを一口大に切って口へ運ぶ。
レモンの爽やかな酸味が駆け抜けた後、クリームチーズのあまじょっぱさとグラハムクラッカーの生地の香ばしさが広がり、さらにザクザクした触感が心地良い。
「ん~~!おいしっ!」
すぐに二口目に手が伸びそうになるが、これはコーヒーと一緒に食べればもっと美味しくなるのでは!?というひらめきに、何とかフォークを一度置く事に成功する。
ちょうどそのタイミングで、湯気の立ち上るホットのハニーミルクコーヒーがカウンターに運ばれてきた。
「お待たせ、ハニーミルクコーヒーよ」
みちるがそっとカップを置き、あかりに微笑みかける。
「ありがと、みちるちゃん!わぁ………良い香り……!」
両手でカップを包み込むように持ち、そっと口をつけると、やわらかなミルクのまろやかさと、はちみつのやさしい甘さ、そしてコーヒーの香ばしい苦みが絶妙なバランスで広がった。
「ん~~~~っっ!!」
あかりは思わず身をくねらせ、嬉しそうに笑った。
「………ほ、ほんとに美味しそうに飲むわね」
みちるが少し照れくさそうに小さく笑う。
「うんっ、すっごくおいしい! 甘いのに後味がさっぱりしてて……はぁ、幸せだなぁ……!」
あかりがケーキとコーヒーを交互に味わっている様子を、カウンターの奥から芳夫と詠子がそっと見守っていた。
「……やっぱりあの子、良い子ね」
「あぁ、アリサさんに続いて良い友達ができたみたいで何よりだ」
そう小声で呟き、微笑みながら仕事へと戻っていった。
心がぽかぽかと温かくなる春の午後、スピーカーから流れる穏やかなワルツのように、ゆっくりと時間が過ぎていくのだった。
柚木家は全員コーヒー派
パパはブラック・ママはミルク砂糖なし・あかりはミルク砂糖たっぷりと好みはバラバラ。
インスタントは基本飲まずに豆から挽くのがこだわりらしい。
それでは次回もお楽しみに