20 リリアナローズ(裏)
キツネ仮面をつけ、白いローブで全身を隠した姿のセリーナがリリアナローズを後にしたあと――カノンはすぐにクラリス夫人に問いかけた。
「夫人、セリーナちゃんは一体……?」
「きっと、いい人に拾われたのね。」
「ですね。きっと上位冒険者でしょう。そうでなければ、アラクネの糸なんて簡単に手に入るはずがありません。」
「大事にされているなら、それでいい。ただ……あの子が、あのクズ男に会いに行くとは思わなかったわ。」
「ときには、真実を知らないほうが幸せなこともあります……。」
「セリーナは、あの母親に似て頑固なの。きっと、私たちが話したことも信じていないでしょう。相手は伯爵家。私にできることは、彼女の“帰る場所”を用意しておくことだけ。でも――彼女を拾った人は、きっとあの子を守ってくれている。なぜか、そう確信できるのよ。」
「でも……セリーナちゃんが生きていて、本当に良かったですね。」
「ええ。今度こそ、後悔はしたくない。だから、あの子は――わたくしが育てます。さあ、仕事に戻るわよ。あの布で、最高の一着を作るわ。」
クラリス夫人は、この半年ずっと後悔していた。
半年前、ガンド村にいるセリーナに仕立ての依頼を出そうとした矢先、村長からこう返事が来た。「セリーナは数日前に森へ入ったまま、戻ってきていない」と。
なぜ夫人が、わざわざ遠く離れたガンド村のセリーナたちに依頼を出し続けていたのか――
確かに、セリーナの母・エメラルダの裁縫技術は高かった。
だが、ガンド村からバールヴィレッジまでは馬車で最短でも2日。運賃もかかるし、効率が悪いことは夫人自身も分かっていた。
それでも、夫人にとってそれは“贖罪”だった。
リリアナローズ開業初期――
当時孤児だったエメラルダは、クラリス夫人の気まぐれで迎え入れた初めての弟子だった。
店が有名になり、夫人はカースティア伯爵家との繋がりを得た。そして、エメラルダを伯爵家に針子のメイドとして推薦してしまった。
その結果、エメラルダは伯爵家の三男・エドガーと恋に落ち、二人は駆け落ちした。駆け落ちた後、夫人に助けを求め、ガンド村に家を用意したのも夫人だった。
しかし、セリーナが生まれて数年後――エドガーが亡くなったという知らせが届いた。
夫人はエメラルダ母子を再び店に迎え入れようとしたが、そこでエドガーが村長に借金をしていたことが発覚。
母子二人は村から出ることを許されず、バールヴィレッジへの移住も叶わなかった。だから夫人は、二人の借金を少しでも返済できるように、急ぎでない仕事を優先的に二人へ回していた。
クラリス夫人はずっと悔いていた。
なぜあの時、娘のように思っていたエメラルダを伯爵家に推薦してしまったのか――もし自分の後継者として育てていれば、少なくとも借金返済のために過労するほど働き、病気で命を落とすことはなかったかもしれない。
表向きには何もなかったように振る舞っていたエメラルダも、心の奥では伯爵家への推薦を恨んでいたのかもしれない。夫人の支援を断ったのも、きっとそのせいだ――そう、クラリスは思っていた。
エメラルダが夫人の依頼を受けていたのも、借金返済のために仕方なく従っていただけなのでは――そう思うようになってから、夫人は二人の前で冷たい態度を取るようになっていた。
そして今年――
今度はその娘・セリーナが森に入ったまま行方不明に。
母・エメラルダが亡くなった時、なぜ自分はセリーナを引き取らず、残った借金を肩代わりしなかったのか――夫人はそのことを、ずっと悔やんでいた。
夫人はソファに深く腰を下ろし、静かに目を閉じた。
今日、セリーナが生きていたことを知った夫人は、迷うことなく彼女を受け入れる決意をした。
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セリーナはリリアナローズから宿屋に戻ったあと、相変わらずやることもなく、部屋で悠希が置いていた素材を使って何かを作っていた。
「よし、これで新しい頑丈なお財布は完成!」
その夜、お財布が完成したあと、私は窓辺に座って夜空を眺めながら、精霊さんを待っていた。
「ん?こんばんは、セリーナ。また夜ふかし?」
セリーナ:こんばんは、精霊さん!
「嬉しそうだね。布、うまく売れた?」
セリーナ:もちろんです!いつも依頼してくれる服屋に、2反売りました!
「おお、よくやったね!これで借金も余裕で返済できる。土曜日には、このお金で村長の顔を殴ることもできるね。」
セリーナ:それはいいアイデアですね!このお金で村長を殴る!!
彼女の意外な返事に、悠希は思わず笑ってしまった。詳しく聞くと、セリーナがこの半年間、リリアナローズからの依頼が途絶えていた原因は――村長だった。
村長は勝手に店に連絡し、「セリーナは行方不明」と伝えていたのだ。そのせいで、店からの依頼は止まってしまっていた。
それと、店側はセリーナを雇うつもりで、セリーナも父に会えたらその店で働くつもりだという。
「え、セリーナ。お父さんとまた一緒に住むつもりなの?」
セリーナ:え?一緒に住むつもりよ。
「一緒に住むと、貴族のご令嬢になるよ。……大丈夫?」
セリーナ:大丈夫って……もしかして、ご令嬢になったら、働くのはダメ?
「……お父さんとお母さん、貴族のこと話してないんだね。」
セリーナ:えっと……この国の王様のもとで働く人?怒られちゃダメな人しか……
それもそうだ。
セリーナは貴族の庶子――ほぼ“隠し子”だ。両親は貴族の世界から逃げ出した人間で、セリーナにとって貴族は「偉い人」か「怒られちゃダメな人」くらいの認識しかない。
貧しい村では、貴族に会える機会なんてゼロに等しいのだから。
「セリーナ、これから話すことは……よく考えてください。あなたがお父さんに会うということは、あなたの人生が大きく変わる可能性がある。」
セリーナ:え?う、うん……
悠希は、父・エドガーが本当にセリーナと一緒に住みたいと思っていることを知っていた。
例のサブクエストでは、エドガーが伯爵になったあと、すぐにプレイヤーに依頼してセリーナ母子を探していた。だから、セリーナがご令嬢になっても、きっと周囲に愛されるだろう――そう思っていた。
でも、ふと考えてしまった。
ラノベでは、庶子はだいたい他の貴族に虐げられるイメージしかない。使用人に裏でいじめられたり、政略結婚で愛のない結婚を強いられたり。派閥争いや、見えない圧力もある。
セリーナにとって、貴族社会に入ることは――本当に幸せなのか?
「ここは……現実、か……。セリーナ、時間が惜しいから、周回しながら話すね。」
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その夜、精霊さんは“貴族”というものについて、私に詳しく話してくれた。
昔、お父さんとお母さんが貴族の話をするときは、「偉い人とは関わっちゃダメ」――それだけだった。でも、精霊さんの話を聞いて、私はようやく知った。
お父さんは伯爵家の跡取りで、もし私が会いに行けば、私も“貴族の世界”に足を踏み入れることになる。
ご令嬢になったら、自由はなくなる。
裁縫もできなくなるかもしれない。
マナーがすべてで、知らない貴族と突然結婚させられることもある。
私はもともと貴族じゃないから、他の貴族にいじめられるかもしれない――でも、それは精霊さんが読んだ“物語の中の話”。
当時はまだ小さかったけれど、記憶の中のお父さんは、優しかった。
死んだと思っていたのに、まさか生きていたなんて――会いたいという気持ちは、本物です。
そんなことを考えている間に、精霊さんがアラクネにとどめを刺した。
「おおお!!!やっと出た!蜘蛛女王の魔宝石!!これでセリーナの魔法専用装備の一番の難関はクリア!こんなに早く出るとは思わなかった、よかった……!」
「セリーナ?もう寝た?」
セリーナ:いえ……まだです。
「そんなに悩まなくていいよ。簡単に言えば、借金を返し終えたら、君はもう自由。リリアナローズで働いて、好きな人に出会って、恋をして、普通の生活を送ることだってできる。」
セリーナ:……うん。
「でも、もしお父さんとまた一緒に暮らすなら、君は貴族の世界に入ることになる。お金の心配はほとんどなくなるし、高等な教育も受けられる。運が良ければ、文官として城で働くこともできるし、逆に旦那様の屋敷を管理して、毎日お茶会をして過ごす――そんな未来もある。」
「ただ、貴族の世界には闇も多い。そう簡単に幸せになれるとは限らない。……でも、お父さんと一緒にいられる。さっき話したのは、あくまで“本の中の話”だから、気にしなくていいよ。」
セリーナ:……うん。死んだと思っていたお父さんに、また会いたい。
セリーナ:でも、正直……私は普通に生活したい。
セリーナ:貴族になって、働かなくても贅沢に暮らせるようになっても――
セリーナ:亡くなったお母さんの頑張りが、無駄になったような気がして……それが、嫌。
「大丈夫。今すぐに決める必要はないよ。このまま普通に暮らして、数年後にお父さんに会うっていう選択肢だってある。それに、ワタシがいる。まずは“アリス”としてお父さんに会ってみて、それから決めても遅くない。」
「それにね――お母さんは、君の幸せを願ってる。たとえ君が貴族の世界に入ったとしても、幸せになれるなら、それで十分だよ。」
セリーナ:……そうですね。ありがとう、精霊さん。
「いえいえ……はぁ、アラクネの糸、回収する?結構たまってるけど。」
セリーナ:あっ!精霊さん!アラクネの糸!
セリーナ:リリアナローズが欲しがってたの!全部回収して!
「ほう……了解。全部回収する。明日、店に売ってきてね。」
セリーナ:わかりました!
そう――今、無理に答えを出さなくてもいい。
精霊さんのおかげで、借金はもうすぐ全部返せる。まずは“アリス”としてお父さんに会ってみて、それから考えればいい。
こうして私は、宿屋に籠もりながら、日々ちょっとした物を作って過ごし、精霊さんはダンジョンを周回して、転送ポイントの解放に奔走していた。
そして――知らないうちに、今月の返済日、土曜日がやってきた。
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土曜の朝。
俺はいつもの平日と同じ時間に目を覚ました。
朝食を済ませても、なぜか胸の奥がずっとモヤモヤしていた。
「……嫌な予感がする。」
この一週間、セリーナは毎晩、俺がログインする時間まで起きていて、その日の出来事を丁寧に報告してくれた。
俺も、できる準備はすべて整えた。
万が一、アリスが村長の背後にいる組織に“お尋ね者”として認識され、星月ドレス姿のアリスが使えなくなった場合に備えて――セリーナ用のSR魔法使い装備も、ちゃんと作っておいた。
村長の立場になってこの件を考えた、もし彼が最悪の手段を取ってくるなら……その時のためのプランも、いくつか立ててある。
「……なんか、心配になってきた。さっさとログインしよう。」
ゲームにログインした瞬間、俺の視線は、何かを作っている小さな手に向いた。
セリーナ:おはようございます、精霊さん。
「おはよう、セリーナ。朝ご飯はもう食べた?」
セリーナ:はい、もう食べました。荷物もまとめました。いつでも出発できます。
「了解。昨晩話した計画通りに動こう。まずは普段通り、ガンド村の市場で露店を開く。村長がこちらに接触してくるのを待って、その場で――他の人たちの目の前で――借金を全額返済する。これで村長の“返済していない”という嘘は封じられる。その後は家に戻って、すぐにここへ転移する。大丈夫、実行するのはワタシだから。何かあったら、すぐに森の最深部に転移して逃げる。」
セリーナ:わかりました。お願いします、精霊さん。
よし、準備は万全。
セリーナ解放作戦――実行開始だ。
俺は宿屋の部屋に置いていた冷蔵庫や荷物をストレージに回収し、村人の格好に着替えて、ガンド村のセリーナの家へ転移した。




