16 魔女の疑惑
セリーナたちが遺跡のダンジョンに入っている頃――
バールヴィレッジ冒険者ギルドの執務室では、ギルド長エルドラーナと職員のフレディが話していた。
フレディは、目の前のテーブルに置かれたシャドウウルフの皮を見ながら言った。
「ギルド長、あのアリスさんって……一体何者なんですかね。昨日売ってた素材の謎もまだ解明されてないのに、今日になってクリスタルゴーレムのコアまで持ってきたん。」
エルドラーナは、同じくアリスが昨日売った“ハチミツ”――いや、ハチミツの瓶を見つめながら答えた。
「知らないわ。あんなに強いのに、昨日が初めての冒険者登録だったのよ。さっき話した時、カースティア伯爵家に何か弱みを握ってるようなことも言ってた。でも、あの子……ちっちゃいし、まだ子供よ。子供であの強さは、どう考えてもおかしい。カースティア伯爵家の暗殺者……って線はないわね。だって、パーティードレス姿で、しかも変な仮面をつけてるのよ?そんな格好で暗殺者なわけがない。」
「アリスさんが強いのは知ってましたけど、まさかクリスタルゴーレムまで倒せるとは……あのゴーレム、数ヶ月前にこの街の上位パーティーでも倒せなかったですよね?」
「ええ。それに、恐らく彼女はソロで倒したのよ。」
「そ、ソロ?!」
エルドラーナはハチミツの瓶をテーブルに戻し、お茶を一口飲んだ。
「そうよ。今朝、ゴーレムのコアについて領主様に報告する必要があるって話した時、彼女に『一緒に同行してほしい』って言ったの。でも、あえて“パーティーメンバーと一緒に”とは言わなかった。もし彼女が誰かと組んでいたなら、『パーティーメンバーに相談します』って返すはず。でも、彼女は何も言わなかった。つまり、ソロで行動してるってこと。冒険者登録も昨日だし、間違いないわ。」
「こ、これは……かなりの実力者ですね。ギルドでは冒険者のプライベートを詮索しない方針ですが、ギルド長も一応気をつけてください。」
「彼女のその強さ――その気になれば、あたしなんてとっくに殺されてるわよ。でも、勘だけど……あの子、悪い人じゃないと思う。」
「はいはい、女の勘ですね。」
「何よその言い方。あたしの勘、結構当たるのよ?」
フレディは苦笑しながら、シャドウウルフの皮を手に取った。
「……あ~~~この皮、見れば見るほど、剥ぎ取り方がまったくわからないですね。まるで中身だけ消したみたいに、完璧な皮。しかも、売られた皮のサイズが全部同じ。……まるで誰かが“完璧に再現した”皮のようで……不気味です。」
エルドラーナは再びハチミツの瓶を持ち上げ、フレディに言った。
「このハチミツの瓶もね……彼女、本当に“回収の魔法”をかけてるって言ったの?あたしには、何の魔力も感じられないけど。」
フレディは少し困った顔で答える。
「えっと……彼女は“かけたらしい”って言っただけです。彼女でもよくわかってないみたいで。」
「一瓶持って、あとで領主様の前で試してみるしかないわね。器を交換して、反応を見る。」
「じゃあ、この皮も領主様に渡すんですか?」
「ええ。清潔で、傷ひとつなく、完璧と言えるほど綺麗な皮。謎の方法で剥ぎ取られてるから、普通に売ったら、あたしたちみたいに違和感を覚える人も出るでしょう。問題を起こすより、珍品として領主様に買い取ってもらった方がいい。」
「領主様なら、上の貴族様への贈り物にも使えるし。貴族への贈り物って、美品や変なものばかりだから、逆に違和感を持つ人は少ないはずよ。」
「なるほど……でも、もしアリスさんがまた素材を持ってきたら、どうします?」
「皮なら、量によってね。上質なものだから、ギルド内で使うこともできる。でもハチミツは無理。瓶抜きじゃ高すぎるわ。それ以外の素材なら、普段通りに買い取っていい。彼女と仲良くしておけば、見たことのない魔導具や装備品を買い取れるかもしれないし……ふ、ふふっ。」
「ギルド長……よだれ、出てますよ。」
エルドラーナは慌てて口元に手を当てる。
「出てないわよ!……今度、アリスさんの対応はあたしがやる。あんたはシャドウウルフの皮とハチミツを馬車に積んで。あたしは領主様のところに持って行く。」
「了解で~す!」
「……それと、裏でガンド村の村長も調べておいて。」
「はいはい、わかりました。」
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画面は再び〈ナイジェリアの遺跡〉へと戻る。
ナイジェリアの遺跡――
地上にぽつんと佇む、苔むした石造りの門をくぐった瞬間、空間が歪んだ。まるで別の世界に踏み込んだような感覚。
そこは、誰もいない廃墟となった街エリアだった。崩れた建物、風に舞う紙片、ひび割れた石畳。空は曇り、光源はないのに、どこかぼんやりと明るい。
敵はゾンビ、霊体、クモ系、そしてキラーネスミのような小型モンスター。平均レベルは30。もちろん、すべて撃破済み。
探索中に見つけた鉱石、マナストーン、魔鉱石、そしてダンジョン限定の植物系素材――見つけ次第、すべて回収した。
昼食の時間、俺は攻略サイトを確認し、宝箱の位置をマーク。その通りに進み、すべての宝箱を回収したあと、最深部にある崩壊した巨大な宮殿へと足を踏み入れた。
セリーナ:精霊さん……誰がこんなところに宝箱を置いてるんですか?
「ダンジョンって、そういうものだよ。そうじゃなきゃ、誰も入らない。世界の謎――そう思っておけばいい。」
セリーナ:そうですか……ダンジョンって、そんなものなんですね。
正直、俺も最初は宝箱なんてあるとは思ってなかった。この世界、妙にリアルだから、宝物内のアイテムは地下に埋まってるとか、瓦礫の下に隠れてると思ってた。でも実際は、攻略サイト通りの位置にちゃんと宝物にあった。
宝箱を開けたあと、箱は消えた。これはゲーム仕様だ。転送ポイントと同じく、俺にしか見えていないのかもしれない。
「セリーナ、簡単そうに見えるかもしれないけど――もしミニマップがなくて、ストレージもなくて、今の装備がなかったら。市販の装備じゃ、ソロでこんなサクサク攻略なんて無理だよ。第一、ワタシたち、宝物や素材を入れるカバンすら持ってない。油断はダメ。絶対に。」
セリーナ:ごめんなさい……精霊さんが、モンスターたちを全部一撃で倒してるから……
「一応、初めての攻略だからね。安全面を考えて、最初は全力で行くべきだと思う。ここの強さもなんとなく掴めたし、次はさっき拾ったR武器で戦ってみよう。他のスキルも上げたいし、セリーナもちゃんと戦い方を見て、解説を聞いておいてね。」
セリーナ:わかりました!頑張ります!
そんな会話を交わしながら、俺たちは崩壊した巨大な宮殿の中層へと足を踏み入れた。
宮殿の内部は、やはり現実とはかけ離れた、いかにも“ゲームのダンジョン”らしい構造だった。瓦礫の配置や倒れた棚の位置――どれも不自然なくらい、俺たちを最上層へと誘導するように並べられている。ミニマップにも、最上階にボスがいると表示されている。
すんなりと最上階へ到着。
そこは、設定上“この宮殿の主の寝室”らしい。ボスは、この部屋の中にいる。
「中に入ったら、すぐボス戦になる。セリーナに返事する余裕はないかもしれないけど……準備はいいか?」
セリーナ:はい!気をつけてください!
俺は一応、今の装備を確認する。
全身UR装備、ヨシ。
回復ポーションは未使用、ヨシ。
このダンジョンで拾った〈R 毒避けの腕輪〉を両腕に装備。毒耐性50%、ヨシ。
準備、ヨシ!
【R 毒避けの腕輪】
• 毒耐性25%アップ
毒耐性50%でも、正直心細い。
だが――大丈夫。当たらなければどうということはない。
ボスの攻撃パターンは攻略動画で予習済み。赤い攻撃範囲もあるし、すぐに回避ができる。何かあれば遠距離から火魔法を連発して持久戦に持ち込めばいい。
俺は、来る前に準備していたボディソープの瓶を手に取り、そっとボス部屋の扉を押し開けた。
ボス部屋は、寝室としては異様に広かった。
だが、床以外のすべてが糸で覆われている。天井、壁、家具――まるで巨大な蜘蛛の巣の中に迷い込んだような空間。
中央には、天幕付きのベッドが鎮座している。その天幕の上に、異形の存在がいた。
人間の女性と蜘蛛が融合した姿――アラクネ。長い銀髪、血色のない肌、下半身は巨大な蜘蛛の胴体。アラクネは俺たちの姿を認めた瞬間、甲高い声で叫びを上げた。
「ギィィィィィ――ッ!!」
同時に、ボス名とHPバー3本が表示され、戦闘が始まった。
【廃墟の影アラクネ Lv.38】
普通なら、まず距離を取って攻撃パターンを確認する――だが、アラクネにはそれが逆効果だ。
ゲームでは、糸攻撃の糸は一定時間で消える仕様だった。しかしこの世界では、恐らく残り続ける。足場を制限されれば、回避も困難になる。
さらに、HPが半分を切ると、子グモを4体召喚する。この広い部屋で、5対1になれば被弾のリスクは跳ね上がる。可能な限り、ノーダメージでクリアしたい。
攻略動画では、遠距離から火属性魔法を連発し、巣や糸を燃やしながら戦うのが定番。時間はかかるが、子グモを無視で、ジャンプ攻撃さえ気をつければ、比較的安全に倒せる。
だが――この世界では、妙に“現実的な方法”でボスを倒せることがある。だから、俺は正攻法の前に、ある実験を試すことにした。
昆虫の弱点――それは「気門」。
虫の表面を洗剤で覆えば、腹部の気門が塞がれて窒息する。台所の悪魔“G”に使った時は、効果は抜群だった。そのため、俺は事前にボディソープを用意していた。もしこの方法が通じなければ、素直に炎魔法で戦うしかない。
開幕、アラクネの爪が飛びオーラ攻撃が床を裂く。それを回避しながら、俺はウォーターボールにボディソープを1/3注ぎ込む。移動しながら混ぜ、泡が立った瞬間――ベッドの上で微動だにしないアラクネの腹部に向かって、魔法を発射。
泡水が腹部に命中。
最初、アラクネは無反応だった。だが数秒後――その人間の顔が、苦痛に歪み始める。
「あ……顔に鼻がある。窒息は無理か。」
そう思った瞬間、アラクネの名前の横に防御力低下のアイコンが表示され、スリップダメージが発生。
アラクネは攻撃をやめ、上半身の人間の腕で泡まみれの腹部を必死にこすり始めた。泡を落とそうとしている――――まるで、苦痛と焦りに駆られているかのように。
これは、完全に予想外の効果だった。
「まさか……こんなに泡を気にするとは思わなかった。」
アラクネが泡を拭っている間に、俺は次の手を考える。
窒息は無理。なら、正攻法で燃やすしかない。プレイ動画通りの立ち回りで、持久戦覚悟で、距離を取りながらファイヤーボールを連続発射。
ドン! ドン! ドン! ドン!
命中。だが――ここでも“ゲーム仕様外”の現象が発生した。
ファイヤーボールがアラクネに命中し、巣ごと天幕付きのベッドに炎が広がった。染み込んだ火が、ベッドを燃え始める火種となった。
部屋全体を覆う糸は、即燃えではない。多少の炎耐性があるらしい。だが、寝室の木製の家具には炎耐性なんてない。
炎が触れた部分から、じわじわと燃え広がっていく。
「やば……」
火の勢いはまだ激しくない。だが、このまま放置すれば、部屋全体が火の海になる。
アラクネは死ぬ。俺も死ぬ。
今はベッドだけが燃えている。範囲はまだ小さい。急いで水魔法で消火する。
(正攻法の炎魔法は使えない。どうする?短剣でゴリ押し?それとも、あえて周囲を燃やして、アラクネが自滅するのを待つ?)
とにかく、一旦部屋から出てから考えよう――そう思って、扉に向かって走る。だが、扉は開かない。見慣れた赤い文字が浮かび上がる。
《戦闘範囲外に出られません》
「……やっぱり、そうなるか。」
定番の“ボス戦ロック”。すぐにメニューを開いて、転移できるかを確認する。幸い、転移は可能だった。だが――警告が表示される。
《このダンジョン内で取得したアイテムは、転移時に消失します》
……やっぱり、そう来たか。




