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In Digital  作者: ハルミネ
10/15

- Ⅸ.微熱

⚠️本シリーズには実際に実在しているイベントやメーカー名、名称や”アイコン”、データなどが出てきますが、フレーバーとしての使用であり、全てが完全なる架空の産物であり、何ひとつとして真実や正しいところはありません。

⚠️また特別は団体、性別、国籍、個人などを指して、差別、攻撃、貶める意図もありません。

-----------------

各自の自己責任でお読みください。

当方は読んだ方に沸いた各感情ついて責任を負いません。

全ての文章、画像、構成の転記転載禁止です。

誤字脱字は見つけ次第修正します。

ご指摘・ご意見・リクエスト等は受け取りません。

-------------------------

あくまで趣味で書いているので、できるだけ辻褄は合わせますが、

後半になってつじつまが合わなくなったり、

内容が変わったりすることもあります。

諸々御了承ください。

1.




ピリリリリ・・・・・




デスクの上に置かれた、真っ白い携帯電話が、味気ない甲高い電子音を立てた。

その携帯電話の主は、一瞬その音に、びくり、とカラダを震わせる。


オフィスの一角、あたりが夜陰に包まれる中、そこだけ蛍光灯の

明かりが、煌々とついていた。


その小さな機械の、背面にある液晶には、「Eric」の文字が点滅している。



彼女は、パソコンのキーを打つ手を止めて、その長方形の薄い箱のような

形をした、機械を見やった。




(・・・・・本当に、来た・・・・)




そう、思った。

おもむろに彼女は、それに手を伸ばした。


それは、この日の昼間のことだった。








――アンタ、とんでもないものに好かれたわね・・・



前日、彼女の”悪友”のアキが、「信じられない」と言いたげな顔で、

「レナが欲しい」と全面に表示した彼女のパソコンモニタを凝視し、

彼女の顔も見ずに、言ったセリフ。


彼女にとっても、それは、身の上に突如降りかかった、不可解な、

怪現象だった。



夢であれば、どんなによかったか、と思った。








(・・・・・気が重いわ・・・)





外は、嫌味なほどの快晴だった。

でも風は少し、肌寒い。



朝の天気予報では、一日中晴れだが、夜は少し冷える、と

言っていた。


今夜のことなど、別に、どうでもよかった。

昨日、一生続くはずだった”平凡な毎日”は、

あっけなく崩れ去ってしまったように思えた。






レナは、壁の三分の二がガラス窓という、廊下を歩いていた。

白い壁が光を反射して、眩しいほどだった。



『Tim Delix』本社の社屋。

拠点は、ニューヨークだが、本社は青山にあった。

「Tim Delix」はデザイナーの名だが、

この会社のCEOは、[[rb:元洲 瀬名 > もとす せな]]という日本人男性だ。

まだ20代でデリクスのために起業したという話だ。


有名な日本の建築家がデザインしたという、建物は、

よくある「会社」のビルとしては、”異端”だった。


ガラスとコンクリートが織り成す、無機質な外観。

水、水の音、白砂、竹の緑。廊下の照明は白熱灯の間接照明。

まるで、ショールームか、現代美術館のようだった。


ちなみにオフィスは、天井照明なので、普通のオフィスと変わらない。




レナは、”あの”上司の使いで、ここにやってきていた。



けれど、彼女の憂鬱の原因は、その上司ではなかった。




――エリック、もしかして”洗脳”されていたりして・・・




信じてもらえないだろうと、思いながらも、

『Vanity NY』のレセのこと、その夜のことを、レナはアキに話した。

ただし、逐一、ではないが。


確かに、その出来事は、”幻”ではなかった。


その時の、奇妙な皮膚感覚は、今も忘れていない。



けれど、彼女の体験は、とても”非現実”的で、

真面目に考えることは、馬鹿らしいことのように思えた。




(――エリックは、今”正気”じゃないってことかしら・・・・)




もし、”洗脳”されているのなら、その”洗脳”が解けたら、

一体彼はどうなるのだろう、と。




(・・・・アタシのコトを、忘れてしまう・・・・?)




じわり、と胸が、焦げてしまうような感覚が滲み出てきた。


「別に、だからって、どうってこともないわ」と、レナは、

滲み出てこようとする感情を、小さく首を振り、かき消す。




(・・・・だって、決めたもの・・・・)




そうして脳裏に、ひとりの男の姿を浮かべる。

涼しい目元、どこか憂いを帯びた雰囲気。

感情表現の乏しい表情。上品さと、清潔さが漂うたたずまい。


ブルガリのムスクの香り、品のよい色気。




(――・・・・孝也)




昨晩、繋がらなかったが、留守番電話にメッセージを入れて置いていた。

「まだ想っていてくれるなら、ちゃんと付き合いましょう」と。


でもそれは、どこか、ズルイ言い方だった。

向こうの気持ちは、最初から見えていたから。

8割の”Yes”、2割は”まさかのNo”。


それでも、自分が傷つかないような、言い方だった。

でもレナ自身では、恐らく桜木孝也は、”No”とは言わないだろうと、

思っている。


”そういう”男だから。










「・・・・・あ、」



朝来た道と、光景が違う。



カーペット敷きの床の上で、レナは止まった。

ベージュ色のパンプスのヒールが、コツッという音を立てる。

考え事をしている間に、曲がるべき道を通り過ぎたようだった。


知らない部屋に繋がる道。

レナは、立ち止まったまま、キョロキョロと、辺りを見回した。

初めて来た建物の中は、彼女にとっては、迷路そのもの。

どこで、道を間違えたのか、わからない。




――キィィ、




近くで、ドアの開く音がした。




(あぁ、どうしよう!)




レナは、なぜか焦っていた。

別に、”ここの社員”の顔をしていればいい。

”ここの社員”でなくとも、知らん顔していれば、いいのだ。


別に、レナを”部外者”視して、どうこうされるわけじゃないのだから。



カツカツ、と靴音が、こちらに向かってくる音がした。

音の感じから、”男の靴”の音のようだ、と思った。



(え、えーっと・・・・どうしよう・・・)



軽いパニックを起こしてしまい、冷静になれない。

レナは、その角を曲がってくると思しき、その足音に背を向けた。



そ知らぬ顔で、歩き出そうとした瞬間、声が振ってきた。





「・・・・・あれ、レナ?」



「?!」




呼ばれた名前に、反射的に振り返ってしまった。

そして、




「・・・・エリ、ック・・・?」




驚きのあまり、失礼にも名前に呼ばわってしまった。しかも指差して。

が、当の本人は、気に入ったようだった。


書類を担ぐように後頭部に触れさせながら、

にっこり、と満面の笑みで答える。




「・・・・レナ、どうしたの?」



「・・・・え、あ、・・・・仕事で、ちょっと・・・・」




間違ってはいない。

慌てふためく内心の混乱を悟られまいと、

顔に営業用の笑顔を、即座に貼り付ける。




「・・・・ふーん・・・」




なんか「疑わしい」と言いたげな返事だった。

さぐるような視線。




「アナタは、まだ日本に”居らした”のね・・・・」




それから逃れるように、話題を反らせる。

エリックは、書類で後頭部を撫でつけながら、




「・・・・・一応、ここの”社員”だからね」




と、苦笑いのような笑みを見せた。




「!!――え・・・・?」



「・・・・『Tim Delix』の専属モデルの条件てさ、

 ・・・・・・ここだけの話だけど、”広報部に入る”ことなんだ」



「・・・・・こ、広報・・・?」



「そう、だから普通に”事務仕事”をしているんだ。何もないときはね」



「そ、そうなの・・・」




「モデル=ショーや撮影に忙しい→海外モデル=日本には数日しか居ない」

というような方程式で、理解していたレナには、驚くべき事実だった。




「”変わっている”と思うよ。ボクも。・・・・ところでさ―――」



「え・・・・?」



「”どこ”に用だったの?」



「!!」




ニヤ、と笑いながら、指差した先を見て、

レナは、固まった。

「バレた」と。



彼女の抱えている封筒は、「芳華堂」のものではなく、

「Tim Delix」のものだったことを、すっかりわすれいた。


つまり”用事は既に済んでいた”ことが、バレたのだ。



そして、業務内容上、大体レナの用事の内容を悟ったエリックは、

この階の構造を知っているため、レナが、”どうして”ここにいるのかも、

わかってしまった。



”迷子”バレバレ。




さすがに表面を取り繕うこともできずに、顔を反らしたレナの

横顔を見て、エリックは、小さく笑った。




「・・・・ねぇ、レナ、」



エリックの声のトーンが微妙に変化したのに、気がつき、

レナは、顔を上げた。


何かを言い出したそうな顔だった。




「・・・?  ・・・・なに、?」



エリックは、「うーん」と、一瞬躊躇したように、はにかんで、

「今夜、デートなの?」と、問い掛けた。



「は?」



レナは、不意をついた質問に、思い切りよく破顔した。

どこを見て、そう思ったのかと、素早く自分の今の姿を思い返した。


ちなみに、今日の彼女の姿は、いつもの、後ろへ流した、

ブラウンのストレートヘア、ペールグレイのスキッパーシャツ、

白色の膝丈のタイトスカート、ターコイズのネックレスに、

バングルにターコイズをあしらった細身のベルト、手には明るい

ベージュ色のトレンチコートと、書類と、ベージュのカバンを持っている。

足には、飾りっけのない、オープントゥのミュールをはいている。



レナが、明らかに戸惑っているのを見て、

エリックは「あれ、外れ?」とのたまう。

混乱中のレナは、そんな予定の約束をした覚えがないことを思い出し、

彼の意図も探らぬまま、首を縦に振った。


エリックは、「そうかぁ」と、意味深な笑みを浮かべ、それから、

「・・・・今夜、ヒマ?」とレナには”思わぬ”直球を投げてきた。




「え・・・・?」




レナは、ようやく彼の”意図”に気がついた。

しかし、答えに困った。




「・・・・え、っと・・・・あの、」




レナが、答えに困って、しどろもどろになると、

エリックはすかさず、「キミの会社に迎えに行くから、どっか案内してよ」

と、悪びれる様子もなく、のたまう。




「え、でもなんで・・・・アタシが・・・?」



「会社、確か”ホーカドー”でしょ? 調べたんだけど、本社はタメ・・・なんとか

 っていうところにあるんでしょ?ここから、近いよね」



「えっ、あ、・・・・」




なんか思わぬ方向に話が進んでいっている、と思っているのに、

動揺して、頭と、舌が上手く回らず、全く話についていけない。




「た、確かに、ここから、地下鉄で行けば遠くないけどッ、」



「うん、でしょ?・・・・あぁ、えーと、電話番号教えてよ。あとメアドも知りたいな」



「えっ、?」




またしても混乱し始めたレナの前で、エリックが、古びた色のデニムパンツの

後ろポケットから、薄型で細身の携帯電話を取り出した。



まったく状況に追いついていないレナに、「ほら、携帯出して!」と催促する。

レナは、促されるまま反応し、バッグから携帯電話を取り出してしまった。

すかさず、「はい、電話番号は?メアドは?」と強い口調で、催促され、

脳内真っ白のレナは、促されるまま、電話番号も、メールアドレスも

教えてしまっていた。



ハッ、と気づいた時には、「じゃ、また夕方に電話するね~」と言いながら、

すれ違って去っていくエリックの後ろ姿が見えた。





(・・・・・え、今・・・・・)



と数秒前の出来事を思い返し、思わず、携帯の画面を見ると、

しっかり、「Eric」の名で、電話番号らしき数字の列と、

メールアドレスと思われる英数字の列が、しっかりと並んでいた。


レナは、一体、なにが起こったのか一瞬わからなくなり、

唖然として、しばらくそれを凝視してしまった。






(どこかへ行きたいなら、近しいスタッフに頼めばいいのに、…)




と、彼女がまともな考えを出せたのは、社に帰る道の上だった。







2.








―――午後8時…。



彼は銀色にそびえたつビルの前に来ていた。

長身に、ベージュのキルティングジャケットに、オールドカラーの

デニムをはいていた。頭には、金髪を隠すためのニットキャップを

かぶっている。

端整な面立ちに、大人びた中にも、幼さが滲んでいる。


彼は豪奢な雰囲気の正面に、しばし圧倒されて、それを見上げた。

濃紺の夜空を背景に、上に行くにしたがって、その輪郭は、

夜の闇に溶けているように見えた。




「さすがに凄いなぁ・・・・」




と、つぶやき、今まで当てていた、

銀色の携帯電話を、耳から離す。

夜風の冷たさが、心地いい。


もうすぐ、彼女に会えると思うと、ドキドキした。

昼間、『Tim Delix』本社で見かけたときは、心臓がドキン、と跳ね返った。

彼女を呼んで、その彼女が振り向く、その瞬間を思い出すだけで、震えてくる。


さらり、と宙に舞うストレートの髪。

ふわり、と鼻腔に感じる、甘い香り。

壊れそうな、華奢な肩。



ここ数年来忘れていた、感覚。

初めて好きだったコと、デートにこぎつけたときの、

彼女に会うのを待ち遠しく思う、そのトキメキに似ていた。




人影が見えた。

ドキン、と胸が高鳴る。


ああ、彼女だ、と認識して、手を挙げると、

彼女が小走りで走り寄って来る姿に、言い知れない幸福感を味わう。



彼女が、エリックの前に立つと、彼女は、彼の顔をまじまじと覗き込む。




「・・・・本当に来たのね・・・・」




感慨深げに言うのに、思わず笑みをこぼしてしまった。


エリックは、地下鉄に乗って、レナの勤める本社社屋のある駅まで来た。

駅から、レナに電話をして、道のりを教えてもらいながら、

ここまでたどり着いた。


電話を通して聞く声に対してのドキドキよりも、

彼女をいざ目の前にしたら、

その数倍、ドキドキしている自分に気付く。




(・・・・あぁ、)




エリックは、自分がどれだけ、その女に惚れているのかを思い知った。

そして、彼女の呼吸がわずかに乱れているのに気がつくと、

彼女もまた、自分をどれだけ待ち焦がれていたかと、思った。


それは、ただ、小走りに走ってきたせい、かもしれなかったのに。




荷物をオフィスに置いたままなの、という彼女のあとについて、

裏口から、建物に入っていく。


華奢な肩の、小さな後ろ姿を、眺めながら、

「かわいいなぁ・・・・」と、小さく笑った。


歩くたびに、柔らかそうなマロンブラウンの髪が揺れる。

そのたびに、ふわり、と首筋辺りから甘い香りが、漂ってくる。



靴音が響く、暗い廊下を歩きながら、誰もいないのだから、

と鎌首をもたげる本能を

「まだ、」となだめすかせるように、やりすごす。



後ろから力いっぱい抱きすくめて、声を上げられても、

我が物にしたい・・・・。



そんな暗い衝動。





ジャラ・・・・




金属同士がぶつかり合う音に、唐突に、我に帰った。




「ちょっと、待っててくれる?」




鍵を開け、室内の電気をつけて、入ってく後ろ姿に、

「あ、うん・・・」と、掠れた声で返した。

心の中で、とぐろを巻いていた暗い衝動を、誤魔化すように、

その、あまり広くないオフィスを、見渡す素振りをした。



そこは、本当に、”あまり広くない”空間だった。

壁際に置かれた書籍棚に、びっしり入れられた雑誌や、ファイルが、

異様な圧迫感を漂わせている。


並べられたデスクの全部に、人が座るのを想像して、

なんて窮屈なオフィスなんだ、と思った。




「お待たせ」



「あ、うん・・・」




珍しそうに室内を見回していた、エリックの前に、準備万端のレナが立った。

エリックは、その姿を、やはりまじまじと見てしまった。



昼間見た、スキッパーシャツに茶色のタイトスカートという服装に、

トレンチコートのエリを立てて、黒いストールを首に巻いている。


ストールは、首に髪の毛の上から巻かれているので、

ロングの髪が、ショートボプに見えた。



ちんまり、とまとまった姿が、エリックには、たまらなく可愛く映った。







「・・・・それで、どこ行きたいの?」



横を歩くレナが、エリックの顔を振り仰ぎながら、問いかけてくる。

エリックは、「あー」と、曖昧な声を出して、考えるフリをしたが、

実は、どこでもよかった。





――ただレナと、一緒に入れるなら。






けれど、それをそのまま言うわけにも、いかなかったので、

「レナのいつも行く、おいしい店に行きたいなぁ」

と、とりあえず”思いつき”の提案した。



すると、レナは、おもむろに

「食べれないものは?」と問う。




「生ものじゃなかったら、なんでも」




と、答えると、

レナは、歩きながら、しばらく考える仕草をして、

「わかったわ」と返した。


それにエリックは、「楽しみだなぁ」と笑顔を向ける。

レナは、そんなエリックの表情を見て、

「まぁ、その格好ならバレないかしらね」と、

笑って見せた。



エリックは、”バレても”別によかったのだけれど、

彼女の笑みに、つられて笑った。



彼女のさらり、と流れるストレートヘアの前髪の

その「ふわふわ」という動きに、しばらく見とれた。







3.





我ながら、奇妙だと思った。





今はもう、その想いも、色あせて、滅びてしまったかと思っていたのに。





身が焦げて、その肉が骨に焦げ付いてしまいそうなほど、

想っていたときは、叶わなかったことが、


それをすっかり、忘れてしまった今、その相手が、目の前に立っていた。





ポートレイトと変わらぬ笑顔。

ただ違うのは、その頃よりも、いくらか大人っぽい顔つきになっていたこと。

トレードマークの金髪が隠されていたこと。




彼は、自分を”見ていた”。



この身に付いている、この目だけを見つめている――。




じわり、と、カラダの奥底から、何かが染み出してくるのを感じた。

まるで、ホラー映画によくある、何度も白く塗りこめた壁から、

忌まわしい真っ赤な血痕が、じわりと染み出してくるような。



それは、とうに、死んでしまったはずの、あの頃の想い、匂い、感覚。


覚えのある、目の前の男から発せられる、香り。






――今晩ヒマ?




そう、その口が、そう言葉を紡ぐ瞬間が、自動再生されている。

この社に帰ってから、ずっと。


白い携帯電話に、内蔵された、今日新しく記憶された、メモリー。



あの状況が、都合のいい幻だったかもしれないと、

つい、何度も、彼が入れたメモリーを、確かめたい衝動になるのを

必死で堪えた。



今考えると、彼女は、自身でも、別に堪えずともよかったのに、と思ったが、

それでも「堪えなければ」と思ったのは、彼女の”プライド”だったのだろうか。


そして、一度は、身に染み付いてしまった「想い」を、完全消去することは、

なかなか難しいことなのだろうか。


また、夢かもしれないと、カラダのどこかを”つねりたい”衝動も、あった。

しかし、彼女はどうしてか、これにも”耐えた”。




心の中に吹き荒れる、混乱の嵐を、表面には欠片も出さずに、

レナは、「今日」をやりすごした。

幸い、誰にも気付かれた様子はなかった。


当然あのアキにも。




別に隠したかったわけではなかったが、

とりたてて、公言することでもなかった。





ただ、”バレ”たら、大騒動になることだけは、確かだったが。







そうして、目の前に座るその男を、感慨深げに見た。


横には、縦に伸びた大きなガラス窓。

そこからは、目の高さまである竹の垣根、

その向こうは、細い路地があった。


”隠れ家”のような、店。






ガラス窓に対して、90度に置かれた長方形の木目の浮き出た

テーブルが置かれ、並べられた四角の皿の上には、

自慢の創作和食が盛られていた。



部屋は、事前予約をして、そこが空いていれば、

他の目が届かない、個室に通される。



白熱灯に照らし出された室内は、オレンジがかったような、

暖かい雰囲気を醸し出している。




「なかなかいいね」




エリックが、満足そうに笑ってみせる。

それに、レナは「そう、よかった」と答えた。




「よく来るの?」




意外にも器用に箸を使いながら、唐突にそう聞いてくる。




「えぇ、たまにね」



「ふぅん、もしや、今日は、気を使ってくれた・・・?」




エリックの「気を使う」とは、”わざわざ個室にした”ということ。

とレナは、解釈した。だから、彼女は、「えぇ、まぁ」と微笑みを貼り付けた。


エリックは、「なるほど」という表情をし、「ありがとう」といたずらっぽい

笑みを浮かべた。




「・・・静かだし、気に入ったよ」



「そうね、ここは静かね・・・”まったり”したいときは、ここが一番落ち着くわ」



「・・・”癒される”?」



「えぇ、そうね」




内心の動揺を表に出さぬように努めながら、笑みを貼り付けていた。

そして、食事をしながら、あたりさわりの無い会話をする。


日本に来るのは何度目、最初の日本はどうだった、何を食べた、どこへ行った、

・・・から始まり、日本に滞在している間の話、見聞きしたこと、などだった。




「『Vanity NY』のレセのときに、あまり話せなかったから、

 今日は、レナと、色々話しができて、嬉しいよ!」



と、エリックは、無邪気に笑う。

当のレナには、”聞きたいこと”が、たくさんあったが、それは言うまいと、

当り障りの無い、質問、受け答えをしていた。





――またね、”レナ”・・・




レセプションの時、初対面のはずが、

名乗ってもいないのに、どうして自分の名前を知っていたのか。



――・・・また”会った”ね・・・・



その夜、レナの部屋に現れた、”エリックの幻”と、

目の前のエリックとには、なにか関係があるのか。





なぜ、自分は、エリックという”セレブリティ”と

、 ”会食”しているのか――。





いくら考えても、レナには、エリックとの、

過去においての接点を見出せずにいた。

どう考えても、あのレセプションの次点では、

お互い”初対面”のはずだった。


なぜ、自分は、あれから数日しか経っていないのに、なぜ食事になど、

”誘ってくれた”のか・・・・、と。




レナの内心は、溢れかえる「疑問」で、混沌の海と化していた。




「・・・・レナ、これって、なんて魚だっけ?」



「・・・え?――あぁ、それは・・・・」




レナは、済ました顔で、「えぇと」と、一瞬考えるフリをした。

しかし、目の前のエリックが、ニヤリ、と笑ったのを見逃さなかった。




「レナ、今なんか考え事してたんでしょ、」



「えっ――、・・・・やだ、まさか・・・・」




いたずらっこのような目で、顔を覗き込まれる。


実は「図星」だったレナは、思わず”反応”してしまった。

”営業用”の作り笑顔を貼り付けたが、エリックの「疑わしいな」

という視線が、痛かった。




「・・・・で、なんの魚?」



「え、えぇと・・・・ホッケね」



「・・・・”ホッケ”・・・?・・・、ふぅん・・・」




エリックが、やはり器用に箸でつまんだ欠片を、しげしげと眺めて、

おもむろに口に運ぶ一部始終を、ドキドキしながら見てしまった。



「・・・・うまい」と、にんまり可愛い笑顔を浮かべたエリックに、

レナは、なぜかホッとする。


その光景を、しみじみと、「奇妙」だ、とレナは感じた。




「・・・・レナはさ、」



ドキン、レナの心臓が強く拍動した。彼は何も言ってはいないのに、

どうしてか、その先を聞きいてはいけないような感じを味わう。




「・・・・なに、かしら?」


すましたように、皿から口に野菜を運ぶ。

エリックも、とりすましたように、焼き魚の白身をつつきながら、




「・・・・彼氏いるの?」



「!」




ピク。とレナの箸を持つ手が止まった。

横に流した、レナの前髪が、ピク、と震えた。




――オレと、もう一度ちゃんと付き合わないか・・・・




桜木孝也の声が、脳の中で再生し出した。

レナは、それを打消すように、一瞬止めた手を動かし、口の中へ運んだ。

視線は向けてはいないものの、暗にエリックが、

”探って”いるような気がしてならなかった。


「早く答えなければ」と焦る一方で、思うように言葉が出てこない。




「・・・・・え、と・・・・」



「ふーん、居るんだ・・・・」



「えっ・・・」



「ん?」




視線がぶつかって、見詰め合ったまま、しばし妙な間。

そして、レナは反射的に、視線を反らせた。

エリックが、まだ自分を見つめている気がして、一瞬気持ちが乱れた。


レナは、思い切って、合い席に座っているエリックを盗み見た。

けれど、彼は、もうレナを見てはなかった。


安堵したレナは、澄ました声で、




「・・・”今”は、いないわ・・・・」




レナは既に「付き合ってもいい」という意思表示を、

孝也の携帯の留守録に入れただけで、彼とは”まだ”、

「合意」はしていない。



「・・・・ふぅん、”今”は、ね・・・」



また、妙な間・・・――。




「・・・・・・”オレ”にすればいいのに、」



「!!」




ガチャン、陶器製の皿が派手に音を立てた。

エリックは、そ知らぬフリをして、よっぽど気に入ったのか、

まだホッケから、身をつまみだしている。


数秒後、レナが、完全に固まって動かないのに、気付いたのか、

それとも”計っていた”のか、チラリ、と上目遣い気味にレナを見やる。


その視線にいよいよ焦ったレナは、態勢立て直し不十分のまま、

うかつに”返答”してしまった。




「・・・・・・な、今の、何・・・?」



「・・・・・・・・・・”告白”、」



「――――、・・・・・は?」




エリックは、割り箸の端をかじりながら、してやったりの笑みを、

口の端に浮かべた。

レナは、破顔したまま、エリックを凝視している。




「・・・・・・・・・”オレ”にしなよ、」



「・・・・・」




あまりに突発的な”告白”に、

しばらく思考が停止してしまった、レナだったが、

無理矢理我に帰り、再び体裁を整える。


さっきから、なんか調子が狂っているわ、とレナは、

自分の、精神的”モロさ”を、恥ながら、再びは繰り返すまいと、

密かに誓う。




「・・・・そ、そこまで言うなら、なにか”特典”でも?」



レナは”反撃”を試みる。

にっこり、艶然と微笑みながら、嫌味を込めて言った。



エリックは、大きめのどんぶりから、煮ダイコンをつまみながら、

少し考えて、




「・・・・・料理を作ってあげるよ、」




と、レナの顔も見ずに、済ました顔で、のたまった。

レナは、「なぬ?!」と内心思ったが、ぐっと、精神を持ちこたえた。




「・・・・得意料理は?」



「・・・・・・なんでも、」



「・・・・・・・へぇ?」




レナは、揶揄するように、片眉を跳ね上げた。

彼女は、「なんでも」という返答が、気に入らなかった。


「なんでも」「全部」というのは、「特にない」のと、

同等だと思っていたから。




「・・・・・たとえば、”これ”も作れる?」




レナは、目の前のどんぶりの中にあった、「ふろふき大根」を指した。

ただの”意地悪”のつもりで。


エリックは、唇に箸をつけたまま、ちら、とレナを見て、




「・・・・できるよ」




と、ニヤリ、と笑った。

レナは「嘘だ」と思った。




「・・・・作り方は?」




エリックが、あまりに済ましたように答えるので、

”意地悪”がエスカレートする。

エリックは、上目遣い気味に、じっ、とレナを見て、

ふと、視線を落として、手もとのものを箸でつつく。




「・・・・・言ってもいいけど、あまり面白くないよ」




ほらね、とレナの中に”意地の悪い”ものが、渦巻く。




「・・・・・知らないのね?」




と、意地悪くレナが食い下がると、

エリックは困ったように息をついて、

「わかった、そこまで言うなら、」と言ったかと思うと、

いきなり、材料とレシピらしきものを読み上げ始めた。


ぎょっとしたのは、結局レナの方だった。

実際レナは、その作り方、材料など詳しく知るわけは無い。


なにせ、「料理の出来ない女」だったのだから。




「・・・・わ、わかったわ!――もう結構よ・・・」



「・・・・ん?・・・・もういいの?」



「・・・・えぇ、よくわかったわ――で、”特典”はそれだけ?」




レナは、にっこり微笑みながら、次の”意地悪”を繰り出した。

エリックは、顎に手を当てて、そこをさすりながら、

「うーん」と唸り、




「マッサージかな」




と、いけしゃあしゃあとのたまった。

なんだか”セクハラ”ギリギリの”特典”である。




「・・・・・・まぁ、」




レナは、さして驚いていない表情で微笑む。

しかし、エリックの方は「何か」を含んだような表情をしていた。

頬杖をついて、にっこりと微笑み返すと、




「気持ちよくしてあげるよ」




と、明らかに「裏」を感じさせる笑みを浮かべていた。


レナは、内心「!!」の反応だったが、表面にそれを出さずに努め、

ゆっくり、両肘をテーブルの上について、顎先で両手を組んで、

目元をいっそう細めた。


レナはエリックとの会話が「英語」で、本当によかったと思った。

ここは、個室になっているから他の人には聞かれないが、

店員は時々料理を運びに、ここへ来る。

今のエリックのセリフを、「日本語」で聞かれていたら、

きっとその場で死にたくなっただろうと、思った。




「・・・・・・そう、それは楽しみね。

 ――でもそれ以上言ったら、皿投げつけるわよ」



「・・・・・・それは、困るから、もう言わないよ」




目細めた微笑みに、若干怒りを込めたのがよかったのか、

エリックは、両方の手の平を見せながら、「降参」のポーズをする。




「・・・・・・まぁ、そうね、考えておくわ」




眉をハの字にして身を縮めたエリックに、

思わず気を緩めた瞬間、無意識に口から出た言葉は、

孝也にも言ったセリフと全く同じだったことに、言ってから愕然とした。






(どうせ、”考え”すらしないくせに・・・・・)











微笑みを浮かべる顔の、その内側で、気持ちが冷え切っていく。

自分の、気付いていなかった本性を、思い知らされたようだった。
















・・・・なんてズルいやり方・・・・―――。




と。







話自体は2000年ごろに書いたものなので、技術が古いです。

実際のデータ、名称などを使っていても、全て架空物であり、真実はありません。

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