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ほたるび骨董店の内緒話  作者: 月夜野繭
さよならとつぶやいて、きみは夏空に消えた
2/5

風鈴と夏雨と



「写真、SNSにアップするので、見てくださいねー」

「素敵なお店だったって宣伝しておきます!」

「はい、ありがとうございました。またどうぞ」


 結局ふたりの女性客は、古城市の市花であるスミレの絵が彫られた小さな木工品の手鏡を揃いで買っていった。


 彼女たちを店の外まで見送り、そのまま表の暖簾を下ろして店仕舞いする。まだ夕方にもならない時間だが、心が騒いでしまって店の営業どころではなかった。


 硝子の風鈴がチリン、チリリンと鳴って、またすうっと風が流れはじめる。

 透が振り返ると、少女――ホタルはやはりレジの前に突っ立って、貝殻細工の写真立てを見つめていた。


「今、店を閉めちゃうから、ちょっと待っててな。それから話聞くから」

「…………」


 手早くレジを締め、店内を簡単に片づける。そして、ホタルを連れてバックヤードから裏庭に出た。


 古めかしい建物や土蔵に囲まれた狭い裏庭の奥に、祖母の住居がある。透が間借りしている小さな古民家だ。

 さっきの客はほたるび骨董店を古民家と言っていたが、あれは店舗建築なので正確にはこちらの居住スペースが古民家だろう。


 ホタルを八畳ほどの座敷に案内して、窓を開け放つ。さすがに熱気がこもっている。


「そこ、座って。あー、うちにジュースとかないな。麦茶でいいかな?」

「うん。麦茶好き」


 ふわっと花が咲いたように、ホタルが無邪気に笑った。ずっと無表情だった子供が初めて見せた笑顔に少し感動する。


 なんだ、子供らしい顔もできるんじゃないか。


 氷を入れた麦茶を用意して、座敷に戻った。

 昔ながらの造りのこの家はリビングルームやダイニングルームという区分けもなく、和室が田の字型に四部屋並んでいる。

 庭に面したひと部屋を祖母が寝室として使い、その隣が茶の間、日当たりの悪い奥の部屋を透が寝室にしていた。


「さて、と。じゃあ、ホタルちゃん、おじ……おにいさんの名前は透っていうんだ。夏越透」

「ナゴシさん」

「透でいいよ」

「トオル」

「呼び捨て!? まあ、いいか。それで、きみはどうしてその写真を探しているの?」


 ホタルは正面の座布団に腰を下ろした透を静かに見つめた。まっすぐな視線なのに、なぜか目が合っていない気がする。


 妙な感覚だった。確かに向き合っているのに、少女が透の存在を通り越して、もっとうしろのなにかを見ているような。


 麦茶のグラスの中の氷が溶けて、カロンとかすかな音がした。


「トオルは、思い出したくないことってある?」

「思い出したくないこと? 最近の子供は大人っぽいこと言うなぁ」

「…………」


 大人びた言葉も落ち着いた態度も、小学生の女の子のものとは思えない。透が茶化した口調でまぜっかえすと、また無表情に戻ったホタルから冷たい沈黙が返ってきて、少し焦った。


「いや、うん。そりゃあ僕もこの年だからいろいろあるよ、と言いたいところだけど、特にないかな」


 付き合って間もないのに別の恋人を作って去っていった彼女のこと、業績がふるわず従業員を自己都合退職に追い込むため嫌がらせのような仕打ちをしてきた会社のこと。

 実際にはいろいろとあるが、子供にこぼすような愚痴でもない。


「…………」

「忘れっぽいんだよ、昔から」

「それじゃ、思い出したいことは?」

「思い出したいこと?」


 ホタルの大きな目が瞬きもせず、一心に透を見ている。ホタルの瞳は髪や肌と同じく、やや色素の薄い透き通った榛色をしていた。


「大切だったはずなのに、なぜかぼんやりとしてしまっている記憶。忘れたくなかったのに、忘れてしまっているなにか」


 温度の感じられない視線に、一瞬背筋が冷える。

 まるで歌っているかのごとくひと息に話す少女の高い声に、得体の知れない不安を感じた。


 この少女はいったい……?






 ――思い出したいこと。


 それは、ある。この十五年間、ずっと心に引っかかっている少年時代のある夏の出来事。


 透の十歳のころの記憶には、欠落があった。


 夏休み。

 祖母の家。埃の匂いのする古い骨董品。

 涼風に揺れる風鈴。昔ながらのアルマイトのやかんで煮出した麦茶。

 よく一緒に遊んだ近所の女の子。


 ……近所? その子は本当に近所の子だったのだろうか。






 思い出そうとすると、頭が痛くなる。それでも考えつづけると、次第に脳内に霞がかかってくる。


 心の底にある曖昧な空洞をいとけない少女に言い当てられたように感じて、透は思わずホタルから目を逸らした。


「どうしてそれを」


 遠くで雷が鳴っている。

 ホタルは透のつぶやきには答えずに、雷雲の影もない青空を見上げた。


「写真には、お父さんとお母さんとわたしが写っているの」


 せいぜい十歳くらいにしか見えないホタル。


「トオルに、その写真を一緒に探してほしいの」


 十五年前に売られた写真立てに入っていた写真。


 何かがおかしい。違和感が警報を鳴らす。

 十歳の少女と十五年前の写真立て。時系列が狂っている?


 もしホタルの言うことが無邪気な嘘でないのなら、そこには何が写っているのか。






「じゃあね、また来るね」


 ホタルとは途切れがちに小一時間ほど話して、店舗の出入り口ではない住居用の勝手口から送り出した。


「あ、ああ。準備をしておくよ」


 手を振るホタルに、どこに帰るのかは聞けなかった。聞いてはいけない気がしたのだ。

 ホタルの両親は離婚して、今は祖父母と暮らしているという。それだけは聞いた。幼いころの透に近い境遇だった。


 心の琴線になにかがふれる。

 思い出しそうになるが、思い出せないもどかしさ。


 ホタルと話して、まず写真立てを売った人物を探そうということになった。

 筆まめな祖母のメモによると、そのひと、夕凪杏子は家財道具のほとんどを売り払って上京したらしい。

 東京での連絡先も書かれていた。


「明日が定休日でよかった」


 透はそこにホタルを連れていくことを約束した。

 保護者の許可もなく遠方に連れ出すのもどうかとは思ったのだが、ホタルが『おばあちゃんに話しておくから』と言うので、そのまま任せてしまったのだ。


 透はため息を吐いた。

 自分は本当に駄目な大人だ。


 古い台帳の備考欄に書かれていたのは、東京の下町にあるアパートの住所と〇九〇から始まる携帯電話の番号。なにぶん十五年前の情報で、今もそこにいるのか微妙だが、それしか手がかりはない。


 ホタルは麦茶が好きと言いながら、グラスにはまったく口を付けなかった。

 ちゃぶ台の上のグラスを片づけて、縁側に出る。


 小さな中庭は質素で飾りけがない。

 ほたるび骨董店へと続く苔むした石畳の脇に、姫沙羅の木が一本だけ植わっている。椿に似た一重の白い花がいくつか、緑の葉の陰にひっそりと咲いていた。


「思い出したいこと、か」


 少女の家族写真の謎。そして、なぜか時期が符合する自分の少年時代の空白。

 これは偶然なのだろうか。


 グルグルグルと大型の猛獣の唸り声のような音を立てて、遠雷が近づいてきていた。瓦屋根の向こうに積乱雲が見える。


 そのとき、青く晴れていた空が突然暗くなると、勢いよく雨が降りはじめた。夕立だ。


 ホタルは無事に家に着いただろうか。


 雨粒が焼けたアスファルトを濡らし、埃くさい夏の空気が漂ってくる。

 子供のころ、遊び疲れて帰ってきた夏休みの匂い。

 濡れた髪をタオルで拭きながら麦茶を飲んで、驟雨を眺めている時の懐かしい匂いだ。


 言葉にならない喪失感が空っぽの胸にあふれて、透は縁側で雷を怖がる子供のようにうずくまった。





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