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ほたるび骨董店の内緒話  作者: 月夜野繭
さよならとつぶやいて、きみは夏空に消えた
1/5

午後二時半の炭酸水



 きみと初めて出逢ったのは、遠い夏の日――。


 あんなに大好きだったのに、なぜか顔も思い出せないきみ。

 覚えているのは、祖母の営む骨董店の名と同じ響きだった、その儚げな名前だけ。


 きみの名は、ほたる。


 僕は、まぼろしの幼馴染みにもう一度逢うため、この静かな田舎の街に帰ってきたのかもしれない。






   * * *






 冷えた炭酸水の泡がはじけて、ピチピチと涼しげな音を立てた。乾いた夏の風が水滴のついたグラスをかすめていく。


 梅雨が明け、いよいよ本格的な夏が来た。

 標高二千五百メートルの高山のふもとにあるこの古城(こじょう)市は、七月の午後でも空気が清々しい。

 そのうえ築百年近い古家の店舗は風通しもよく、これまで七月にクーラーの必要性を感じたことはない。


「いらっしゃいませ」


 (とおる)は年代物のレジカウンターの裏の椅子に座ったまま、開けっ放しの扉から入ってきたふたり連れの観光客を出迎えた。

 アンティークショップといえば聞こえはいいが、なんということもない土産物屋兼古道具屋だ。礼儀を気にするほどかしこまった店でもない。


「ゆっくり見ていってくださいね」

「はぁい、ありがとうございます」


 それでもできるだけ優しい声音を意識して声をかけると、透を見た女性客がきゃらきゃらと笑う。

 最近地元の城址公園がドラマの舞台になったらしく、ぽつりぽつりと若い女性が訪れるようになった。


 透は炭酸水をぐいっとあおると、小さくため息を吐いた。女性、特に若い女はあまり得意ではない。


 背も高いし体もそれなりに鍛えているのに、もともとの線の細い柔らかな雰囲気のせいか、同年代の女性から弟のように扱われることが多かった。

 二十五歳にもなって、同期の女性から『トオルちゃんってなんだか仔鹿みたいでかわいいよね』と言われたときにはさすがに抗議したが。


 それはほんの数か月前のことなのに、はるか昔のような気がした。東京と、この祖母の暮らしていた小さな街。物理的な距離のせいで、そう感じるのだろうか。

 それとも、疲れ果てた心が田舎の空気にようやく癒されはじめているのか。


「雰囲気のいいお店ですねぇ」

「表の看板もレトロで素敵」

「ありがとうございます。大正時代の建物らしいですよ」


 江戸時代には交通の要衝としてにぎわっていたという旧街道沿いの店舗は木造で、濃い飴色の格子戸がかつての宿場町の雰囲気を残している。

 表には『螢燈堂(ほたるびどう)』という墨筆の看板が掛けられているが、それはこの『ほたるび骨董店』の昔の名だ。

 現在の店主、夏越(なごし)透の祖母が当時としては革新的なひとで、これからの商売は気取っていては駄目だとわかりやすい屋号に変更したらしい。


「わぁ、本物の古民家なんだぁ」

「写真撮ってもいいですか? SNS映えしそう」


 女性たちのテンションが上がる。透が愛想よく許可を出すと、あちこちにスマートフォンを向けて写真を撮りはじめた。

 土産物のひとつでも購入してくれればいいか、と透は苦笑して、少し気の抜けた炭酸水を飲み干した。


 午後二時半。

 そよりそよりと流れていた風がいつの間にか消えていた。遠くからチィーチィーと蝉の高い鳴き声が聞こえてくる。


 急に暑くなった気がした。

 入り口の暖簾の脇に掛けてある硝子の風鈴が涼しげな音を立てる。風もないのに、と思って視線を上げると、レジの前に少女がつくねんと立っていた。


「いらっしゃい」

「…………」


 かわいらしい女の子だ。

 十歳くらいだろうか。柔らかそうな栗色の髪に、色白の肌、整った目鼻立ち。子役のモデルのようだ。


「親御さんのお使い?」


 透は怪訝に思いつつ少女に声をかけた。


 ――もう小学校は夏休みだったかな?


 小学生の下校時間にはまだ少し早い時刻だった。ランドセルや荷物も持っていないし、そもそもこの骨董店に子供が楽しめるものはなにもない。


 少女の背後では、先ほどの女性客がこちらにスマートフォンのカメラを向けていた。

 透が小さく笑って頭を下げると、「……くんみたいね」「あの俳優さんに似てるよね」と彼女たちは興奮したような声を抑えて、ひそひそとささやき合っている。


 少女はなんの物音も聞こえていないみたいに、透を静かに見つめていた。


「どうしたの? うちの店に、なにか用があるのかな?」


 透が辛抱強く話しかけると、少女が小さな声でつぶやいた。


「写真を探しているの」

「写真?」

「うん。そのフォトフレームに入っていた写真」


 細い指が透のうしろの棚を指さす。

 レジの奥には、古い額縁や写真立てが並べられていた。木工職人が彫った一点物の額縁から、古布の入った手ぬぐい額縁、ちょっとレトロな昭和時代の写真立てまで玉石混交の品々だ。

 少女が言っているのは、比較的新しい貝殻細工のもののようだった。中には色褪せて黄ばんだ紙だけが挟まっている。


「写真はないよ。きみはフォトフレームが欲しいの?」

「ううん、いらない。そこにあった写真が欲しいの」

「困ったなぁ。写真はもとからなかったはずだよ」

「ずっと探してるの。大事な写真なの」


 表情の乏しかった少女の顔に、初めて焦りの色が見えた。眉を八の字にして、高い声も心なしか早口になっている。

 少し可哀想になって、透は少女にうなずいた。


「じゃあ、ちょっと待ってね。台帳を見てみるから」

「……ありがとう」


 商品番号を確認し、席を立つ。

 店の裏の倉庫には、祖母が記した古物の売買の記録がずらりと並んでいた。祖母はパソコンなど使えなかったので、すべて手書きだ。


 祖母は先日引退したけれどまだまだ健在で、今は店を営んでいたころには行けなかった長期の旅行に出かけている。

 今年になって透が東京の会社を辞めようと考えていることを知り、ほたるび骨董店を継がないかと誘ってきたのは祖母だ。自分のような消極的な男に自営業ができるか自信はなかったが、幼いころから世話になってきた祖母に少しは恩返しがしたかった。


 透は商品番号と照らし合わせて該当の台帳を抜き出すと、店に戻った。栗色の髪の少女は先ほどと寸分違わず同じ姿で佇んでいた。

 いつも店の中を流れている高原の風は相変わらずやんだままで、額に少し汗が浮かぶ。


「おまたせ。今、調べてみるからね」


 こくりとうなずくと、少女はレジ台の上のグラスをじっと見つめた。

 炭酸水を飲み終えたあと、置きっぱなしにしていた。グラスは汗をかいているが、祖母愛用の端切れのコースターが水滴を吸い取ってくれている。


 不思議な雰囲気のある女の子だった。

 子供らしい日焼けあとのない透けるような白い肌には、汗ひとつ浮いていない。大きな二重の目は幾分異国の血を感じさせた。


 そして、美しいといってもいいほどの顔立ちなのに、その服装はどこか古くさい。

 弟妹や子供、恋人すらいない独身の透はまったく詳しくないが、今どきの子供はもっと華やかに装っている気がする。


「えーっと、このフォトフレームの買い取りは十五年前か。結構経っているね」

「…………」


 十五年前といえば、透も十歳。彼女と同じくらいの年ごろだ。


 同じ県内ではあるが、古城市とは別の街に住んでいた透は小学校が夏休みになると、いつも祖母の家へ遊びに来ていた。半月ほど祖母と二人で過ごし、また実家に戻るのだ。

 シングルマザーとして朝から晩まで働いていた母は、やんちゃざかりの男の子を祖母に預け、ひととき体を休めていたのだろう。


 古い台帳を見ていると、当時の想い出があれこれとよみがえる。ふと、台帳に記された名前に引っかかりを覚えた。


「きみ、名前はなんていうの? どこの子だい?」

「…………」


 祖母はそのとき、写真立て以外にもたくさんの雑貨を引き取っていた。売り物にもならなさそうな、取るに足らない生活用品を。

 夕凪(ゆうなぎ)杏子(きょうこ)。それが、それらの品を売りに来たひとの名だった。

 珍しい名字だけれど、それだけではなくて、なにか記憶の奥底から違和感が湧き上がってくるような……。


「ホタル」

「え?」

「わたし、ホタルっていうの」


 ――ホタル。


 (ほたる)、か……。






『……わたし、蛍っていうの』

『ばあちゃんの店と同じ名前だ』


 思い出の中の少女はかすかに笑っていた。

 けれど、色褪せた写真のように細部がかすれてしまっていて、少女の顔がわからない。


『いのち短し恋せよオトメ』

『なにそれ?』

『ママが言ってた。どうして蛍って名前を付けたのって聞いたとき』

『ふーん……』






 蛍。

 初夏の宵、一瞬の命を燃やして消えていく小さな虫。歳時記によると夏の季語でもある。


 螢。蛍。ほたる。ホタル。


 そして、それは、小学生のころ透が祖母の家へと遊びに来ていた、夏休みの間だけの幼馴染みと同じ名前。

 あんなに大好きだったのになぜか顔も思い出せない、初恋の少女の名だった。





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