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二十六話 にせもの

身代わり作戦の続きです。

楽しんでいただければ幸い。

 影武者貴妃である私が、腑抜けた美人さまにお説教の手紙を渡す作戦。

 後半である。 

 二人目の相手、わん李翻りほん美人は、結果から言うと、難物であった。

 まず、私が扮するすいさまが部屋の前に来たというのに、侍女に案内だけさせて、自分はなかなか出て来なかった。


「失礼いたしました。今日は暑うございますので、朝から汗が止まりません。濡れたまま翠蝶すいちょう貴妃殿下にお会いするわけにもいかず、拭くのに手間を要しました」


 などと、涼しい顔で白々しい言い訳をしたことから始まり。

 私がむっつりだんまりを決め込んで手紙を渡しても。


「昨夜からずっと手がしびれておりまして。ご無礼をお許しください」


 そう言って、侍女に手紙を受け取らせて。


「喉の具合がよろしくございませんか。それでしたら、薬効に良いという南の茶を用意してございます。ぜひご賞味していかれませ」


 手のしびれというのはなんだったのか、全く反省していない風で、へらへら笑って茶に誘い。

 黙って首を横に振り、さっさと私が部屋を出ようとすると。


「中庭の蛙も、すっかり静かになりました。夏も終わりでございますね」


 と、いつもキャンキャン叫んでいる翠さまに対して、明確なあてつけのようなことを言い放った。

 大声ばかり出しているから、喉も痛くなるんだぞ、という、悪意の嫌味であるのは間違いない。

 私の被害妄想じゃないぞ!

 あいつの目つきは、そういう嫌らしい意図を含んでいた!


「ギィ」


 危なく私のこらえきれぬ呻き声が、李翻美人に聞こえるところであった。

 なんだ、あいつは!

 こっちは西苑のあるじ、翠さまの変わり身なんですけどォォン!?


「翠さまに対してあの態度、あり得なくないですか!? いっつもああなんですかあの人!?」


 人の耳が立っていない所まで来て、私の憤懣が爆発した。

 毛蘭さんは困り顔で、マアマアと私をなだめながら教えてくれる。 


「お家の格が、ね。翠さまのご生家の司午家しごけより、湾家わんけの方が、少し上なのよ」

「いくら親がそうだって言ったって、後宮では翠さまの方が」


 私は納得できなかったけど。


「湾家は一昔前に、大将軍さまを輩出されたのよ。司午家の武官はその右腕として各地を転戦して栄達をいただいたの」

「うわ、それは、微妙な関係ですね」


 先祖を見れば、湾家は司午家の直接の上司なのだという。


「李翻さまはまだ後宮に来て日が浅いけど、いきなり美人の位に就かれたわ。本人はすぐにでも、貴妃やその上にまで登ると思っているんでしょう」


 だからあんなに慇懃無礼でいられるのか。

 そりゃあ、こんな女たちを相手に後宮の取り仕切りをしていたら、翠さまのストレスもマッハで溜まるというものだ。


「わかりました。またいつか身代わり作戦があっても、李翻美人の扱いは細心の注意を心がけます」

「ふふ、次も頑張ってね、ニセの翠さま」


 毛蘭さんのありがたいフォローで私の腹の虫もある程度収まり、部屋に戻る。

 なにはともあれ、二人の美人に文書を渡して反省を促すというミッションは、無事に終わった。

 しかし課題も残る結果となった。


「こりゃあ翠さまも大変だあ」


 今の皇帝陛下はまだお若いので、必然的に後宮の妃たちも総じて、若い。

 まだこの後宮はできてから五年の月日しか経っておらず、秩序の整っていない状態にある。

 例えるなら小学五年生までしかいない学校の生徒会役員なり風紀委員長を、翠さまは担っているようなものだ。

 毎日のように無秩序と戦わなければいけないし、ストレスが溜まるのもうなずける話であった。


「ちかれた。今日はお客さんなんて来ませんように」


 願いながら、私は翠さま愛用のふかふかカウチ椅子に腰かけている。

 翠さまが城下町や市場で遊び終わって帰って来るまで、私は翠さまの顔を保ち、部屋に坐していなければいけない。

 完全な、アリバイの捏造である。

 しかしどうやら私の必死の願いは、徒労であったらしい。


「もし。巌力奴がんりきやっこが、司午翠蝶貴妃殿下のお部屋の前で申し上げる」


 理由はわからないけど、巌力さんが来たのだ。


「巌力さんなら、入ってもらっても、大丈夫ですよね?」


 私は毛蘭さんに確認を取る。

 不思議と巌力さんに対する信頼度が高い私は、彼が厄介ごとを持って来るとは思えなかったからだ。

 

「寝室に行ってて。出てきちゃダメ、声を発してもダメよ」


 しかし毛蘭さから禁固の指示を受け、こそこそと翠さまの寝室に隠れる羽目になった。

 今の私が、巌力さんに会ってはいけない理由が、なにか存在するのかな?

 耳を澄まして、毛蘭さんがどのように巌力さんに対応しているのか、なんとか聞き取ろうとする。


「ご面会はできませぬか」


 巌力さんの声は重く響くので、聞き取りやすい。

 

「ええ、少し、熱っぽかったのがぶり返してしまわれて。感冒かもしれませんから、日を改めていただければ」


 面会謝絶の出まかせを、毛蘭さんが巌力さんに告げている。

 風邪なんて全く引いてませんけど。

 ツラいことも泣きたくなることもたくさんあるけど、私は、元気です。

 

「……ですか。では、後ほど……伺います……お大事に……」


 声の小さい女の人が、残念そうな口調で言っている。

 おそらく先ほど中庭で、巌力さんと一緒にいた、謎の妃だろう。

 謎の妃と巌力さんは、なにか翠さまに会う用事があったのか。

 もしくは近くに来たついでに、挨拶と世間話に顔を出してくれたのか、そんなところかな。


「はあ、危なかった」


 対応が終わり、相手方にはお引き取りいただいた。

 毛蘭さんが、額の冷や汗を拭いている。

 イマイチ事情が呑み込めない私は、当然の質問をする。


「私があの女の人に会うのが、そんなにマズいんですか?」

「当然よ。かん貴人に会っちゃったら、央那おうなの身代わりなんて、一発で見破られるわ。本物の翠さまはどこだって、大騒ぎになるわよ」


 中庭の謎の女は、環貴人だったのか。

 って、貴人て。

 後宮全体にたった四人しかいない、東西南北に別れたエリアごとの、実質的なリーダーで。


「あの人が、東苑とうえん統括の、かん玉楊ぎょくよう貴妃でしたか!?」


 確か、彩林さん密室死事件の際に小道具としてでっち上げた、ピカピカに光る銀盆の持ち主だ。

 あのときも巌力さんは、環貴人の言いつけで銀盆を回収しに西苑に来たんだった。

 翠さまにとっての麻耶さんのように、環貴人にとっては巌力さんが、深く信頼している宦官なのだったな、そう言えば。


「央那は中庭で見たのがはじめてだったのね。いやあ、肝が冷えたわ。でもあの様子なら、おそらく疑われてもいないでしょう」


 安心してお茶を飲む毛蘭さん。

 他の妃の前であんなに堂々と影武者作戦を実行しているのに、環貴人に対してだけ、異様に警戒している。 


「前に私、翠さまに言われたんです。環貴人には挨拶しに行くな、って。でも私が私の顔で環貴人に会いに行ったって、なにか問題あるんでしょうか? 翠さまに化けているのが見破られる、とかならともかく」


 環貴人になにか特有の鋭い洞察力があり、変装が見破られるのだとしても。

 ただの一介の侍女であるれい央那おうなが会ったとして、なんの困ることがあるのか、私にはわからなかった。

 毛蘭さんの答えは、こうだった。


「いざそのときが来てしまったら手遅れだから、今のうちに教えておきましょう。環貴人は、目がお見えになっておられないのよ」

「え」


 盲目の貴人。

 後宮に二百八十七人いる宮妃の中には、そういう人もいるのか。


「だから、見た目を化粧でいくらごまかしても、あの方には通じないの。足音、声色、ひょっとたら匂いまでかぎ分けて、央那と翠さまの違いに気付くでしょうね」

「変装しても、全く意味がないですね。最初から見た目を判断材料にしてないなら」


 だから翠さまは、変装する前であっても、私と環貴人の接触を禁じたんだ。

 私の声や匂いを記憶されたら、あとあとややこしいことになるから。

 その後の身代わり作戦に、大きな支障となるに違いないから。


「わかったでしょ? これからも央那は極力、東苑に行くのを避けること。特に環貴人には絶対に会わないこと」

「はい、肝に銘じました。央那、東苑の環貴人への接近を、可能な限り避けるようにします」


 幸いにも、数多くの宮妃のお部屋が構えられた、だだっ広い後宮、朱蜂宮しゅほうきゅうである。

 滅多なことで私と環貴人がエンカウントするようなことは、起こるまい。

 私は楽観的にそう考えて、とりあえず早く翠さま帰って来て、と願いながら、夜を過ごすのであった。


「あー遊んだ遊んだ! 貧相な成りで物欲しそうにしてたからかしら? 豆腐屋の店主にいっぱいおまけしてもらっちゃったわ! 後であのお店には名前を伏せて付け届けを送らなきゃね!」


 結局、翠さまは出発から二日後に帰って来た。

 一体全体、どこでどんな遊びをしてきたのやら。

 非常にご機嫌で、肌つやもうるうるぴっかぴかだ。


「おかえりなさいませ、ご主人さま」


 私は着慣れない贅沢な衣服と厚化粧、そして自由が大幅に制限された行動のせいですっかり、心身ともに疲弊しきっていた。

 まるで私の生気がそのまま、翠さまに吸われてしまったかのようだった。

 くやしいのうくやしいのう。


「央那にもお土産あげるわ。あんたなんかやつれたんじゃない? 食べて力を付けなさい」


 翠さまは油紙に包まれた、豆腐ドーナツのような揚げ物のお菓子をくれた。

 一口食べると、しっかりとした食べごたえと甘味で、口の中に満足感が広がる。

 うん、すごく美味しい。

 大豆の旨味が強く、砂糖の甘味がちょうどいい。


「お豆腐屋さん、繁盛してましたか?」


 目じりにせり上がって来るものをこらえて抑えつけて、平静を装って聞く。


「お客さんひっきりなしだったわよ。夫婦二人で忙しそうに切り盛りしてたわ。旦那さんがお豆腐切って揚げての大童おおわらわで。奥さんがお客の相手してお勘定して」

「それは、良かった」


 翠さまは、城下の人々の生き生きした暮らしぶりを見たくて、こうしてたまに抜け出すんだろうな。

 特に後宮は、経済的利益を生む活動がほぼない、消費専門の空間だ。

 作って、運んで、売って、買って、そうやって経済を回して。

 人が社会を作って「活きて」いる現場を見るには、後宮を飛び出さなくては不可能なのだ。

 私が夢中で豆腐菓子をむさぼっているのを見て。


「あんた豆腐好きなの? また今度行ったらたくさん買って来ようかしら」


 フンフンと鼻歌を歌いながら、庶民に変装していた服を脱ぎ散らかし、翠さまが言う。

 私は苦笑いして。


「実はお豆腐、嫌いなんですよね、私」

「そう? 体にいいのに」


 尊敬して信頼している翠さまに対し、無意味な嘘を吐くのであった。


 あったかもしれない未来で、豆腐屋の会計係をしていたであろう、豆腐好きで計算が得意な女は。

 初夏のあの日、邑ごと焼かれて、死んだのだ。

 年端のいかない男の子と、一緒に。


 私の嘘だらけの身代わり作戦第一回は、こんなバカげた嘘を吐くことで、終わりを告げたのだった。

 後宮に来てから、嘘ばかりついているな。

 いつかきっと、根っからの嘘つきになってしまい、自分が何者なのかも、わからなくなるのだろうか。

 それだけは嫌だなと、私は心から思うのだった。

次回もお楽しみに。

感想ご意見などあればご遠慮なく。

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