第9話 海魔vsスライム魔人
クラーケンは海面へ足を出し海の中へ人間たちを引きずり込んでいたが、捕まえるのが面倒になったのか細かく分裂させていた足を一本に戻した。
船を破壊し丸ごと沈めるつもりなのだろう。そして天高く伸ばし、ゆっくりと船の中心へと振り下ろす。
《メイルストロム》
そんな巨大な足を、砲撃を思わせる強烈な勢いを伴った水塊が押し返した。
「――――――ッ!!?」
イムさんの放った上位の水魔法 《メイルストロム》。類稀なる才を持つものでしか扱えないそれを、イムさんは軽々と放った。
急な反撃に怯んだのかクラーケンの足の動きが止まる。しかしこれは攻撃ではない。ただの下準備。イムさんの本領はここから始まるのだ。
《液状同化》
足を押し返した激流が幾つもの水の球体となり、クラーケンの足の周囲に漂う。イムさんが指を鳴らせば、それらは魔力を充填し水のレーザーを発射した。
「――――――ッ!!」
海中からでも、クラーケンのものであろう甲高い叫び声がよく聞こえる。無理もない、高圧の水流レーザーはクラーケンの足を容易く貫き、細切れに切り裂いてしまったのだから。
これがイムさんの力、《液状同化》。液体のものであれば何であれ自分の一部にし、手足のように操ることのできるスライムの奥義だ。
「お前のせいだ。お前のせいで、ボクは満足な食事を終えることができなかった。絶対許さないからなタコもどき!バラバラに切り刻んだ後は美味しいタコ焼きにしてやる!」
理由を語られると力が抜けてしまうが、イムさんの怒りは相当なもの。その目に慈悲の色は無い。
しかしクラーケンもやられたままではないようだ。新たな足が海面に顔を出し、辺りを大きく薙ぎ払った。生成された水の球体は全て破壊され、イムさんに圧倒的な質量が迫る。
イムさんは再び水魔法で水を呼び出し、今度は一本の鋭利な針を形成。向かってくる足を刺し貫いた。
それでは終わらず、針は水温を急上昇させ水蒸気爆発を引き起こす。内側からの爆発に足は耐えきれず、半ばで分断されてしまった。
落下する足の一部をイムさんの水魔法が受け止め咀嚼する。その時、イライラとした顔は段々と喜色に満ち始めた。
「ベヒーモス様!このタコすっごく美味しいみたいだ!」
「そ、そうなのか?」
「ああ!レストランの魚介料理以上の感動だよ!」
水蒸気爆発によって熱されたことで茹でダコになったクラーケンの足。食にうるさかったイムさんがここまで豪語するのか……少し興味が湧くけれど、さすがに俺は魔物を食べる気にはなれねぇな。
まるで緊張感のない会話。まず敵を前にしてすることではない。クラーケンも俺たちが話している間に動きを見せていた。
足が全て海中に引っ込み、大きく海面が膨れ上がっていく。海を突き破り現れたのは巨大なゲソ頭。その中心に巨大な一つ目が大きく見開かれた。ゲソ頭……まさかクラーケンってタコじゃなくイカだったのか?
「クラーケンはタコとイカ両方の性質を持っています。他にも様々な水棲生物の特徴を所持していますよ」
「そうなのか、博識だな……って、生きていたのかレフさん。あと頭の中を読まないでくれ、心臓に悪い」
いつの間にか俺の隣にいたレフさんに内心ビックリするも、務めて冷静に振る舞う。人間たちにとっては一大事だ、冷静に立ち回らなければ……悪目立ちをしてしまっては元も子もない。
「それにしても、スラーさんは凄まじい水魔法使いなのですね。あれは上位魔法の《メイルストロム》に見える……」
「………………」
これは、やり過ぎか?イムさんはクラーケンと渡り合っているが、これを目撃した人間たちに噂を広められてしまうとマズイ気もする。クラーケンの仕業に見せ掛けてここで全員海の藻屑にするのも……。
『待て待て。そなた魔王となってからどうにも殺気が出やすいぞ。憎悪を抑えろ、無意識に漏れ出てしまっているぞ』
ん……すまんタウロス、助かった。
『そなたはもはや己の憎悪のみに当たれば良いわけではない。魔王となった今……歴代の魔王たち、そして全ての魔物の憎悪も飲み下さねばならぬ。常に頭を冷静にせねば、いずれそなたが飲まれてしまうぞ』
肝に銘じるよ。まだまだやることはある。こんなところで失敗をするわけには行かねぇからな。
突如、辺りが閃光に包まれる。クラーケンの瞳から魔力の光線が放たれたのだ。
イムさんは水を凝縮し、平たく伸ばすと鏡とした。光線は鏡に反射され空高く伸び、その先にあるもう一つ形成された鏡に反射しクラーケンへと返る。
「――――――ッ!!?」
まさか自分の攻撃が跳ね返されるとは思わなかったのだろう。クラーケンは高熱によって盛大に炎上し、それを見たイムさんはさらに涎を溢れさせた。
苦しみによるものか、のたうち回った足が船の方にまで飛んでくる。イムさんは……クラーケンの焼けた匂いに気を取られてるじゃないか。やるならもう少し真面目に戦って欲しいものだ。
俺が受け止めるため前に足を進めようとすると、なんと先に前に出た者がいた。手に銀の十字槍を収めたレフさんだ。
「情けない姿ばかり晒しているので、挽回の機会を伺っていたんですよ。ベヘモットさんは手を出さないで結構、これぐらいなら―――」
《無明突貫》
俺の目の前で、クラーケンの足が弾けた。よくよく見れば、その跡は無数の穴のようなものが集まってできたようだ。魔力の波動も感じた。これらから察するに……。
「―――ざっとこんなものです。どうでした?」
今、残像のような動きがレフさんの肩あたりに生じた。つまるところ……レフさんの突きは光の速さを超えていたということだ。
光を超える、すなわち時間までもを置き去りにした神速の突き。それを魔力による身体強化、ブースト、そして反動を無効化することで成り立たせている。
「凄いな……」
「少しでも見直して貰えたなら良かったですよ」
人間がこのような技を扱えるとは。タウロス、前線にはこんなのがたくさんいたのか?
『アホを抜かすな!魔王軍の大幹部に位置するものらでもなければ不可能な芸当だ。人間はそもそもその成り立ちから魔力の保有量も魔物と比べれば雀の涙。人間が光の速度を超えるなど、それこそ―――』
タウロスの言葉が止まった。それこそ、なんだ。途中で言い止めるんじゃない。
そう心の中で問い詰めていると、どうやらイムさんの方もいよいよ大詰めに差し掛かっていたらしい。
「――――――ッ!!!」
クラーケンの残った全ての足が分かたれ、先端に魔力が収束するのを感じる。それらは無数の魔力弾となり、イムさんへと殺到した。
《一斉砲水》
対し、イムさんは水の球体を無数に形成し弾幕を貼る。魔力弾と水弾は互いに相殺し合うも、クラーケンは加えて海中からクチバシのような口を伸ばしイムさんへ食らいつこうとする。
「タコの口ってコリコリしてて美味しいと聞いたことがあるな」
《水蒸気爆弾》
しかし今のイムさんの興味は食にしかない。水弾を口の中に放ち、水蒸気爆発によって破裂させると水で包み込み食い尽くした。
クラーケンの足に甲殻類の外殻が生え、鋭い矛をイムさんへと差し向けるも、それすらもイムさんは鉄砲水で貫いた。
いよいよ為す術が無くなってきたクラーケン。その身を海に沈め始めるのを見ると、イムさんは掌から一滴海へとスライムの雫を落とした。
「範囲指定、限定支配―――」
《液状同化》
「―――逃がさない。君はもうボクのご飯だ」
海が割れる。海域そのものが動いたことでクラーケンが宙に浮いたその全容を現すが、すぐさまその穴は閉じられることになる。
《捕食行動》
ピタリと閉じられた海面。先程までの荒れた海は凪ぎ、それ以降クラーケンが上がってくることは無かった。
「ケプッ……ご馳走様」