第5話 ロアレフの旅立ち
兄様はそれは凄まじいお人だった。
少々心は幼くあったが、勝負事においては負け知らず。特に武芸に関しては騎士長のお墨付きで、剣術や槍術などなどあらゆる戦う術を砂が水を吸うかのように喰らっていた。
ちょっと頭は弱くて、政務や礼儀作法の勉強は難しいし堅苦しくて苦手だったようだけど、それでも懸命に学んで少しずつ取り込んでいた。
そして何より、兄様は優しかった。私の我儘を聞き、至らなさを諭し、いつだって私を一番に考えてくださっていた。私もそれに甘え、ひっつき虫のように兄様の後を追っていたのを覚えている。
兄様の寛大さは留まるところを知らず、街への視察では強盗犯を捕らえてみせ、けれど未遂だったことを考慮し、お金に困っているのならと自分の身につけていた装飾を与えて更生させてしまった。
本来は然るべき場所で裁かなければならないんだけど、兄様の嘆願で特例として通った件。これを機に民衆の間でも人気は高まっていた。
それに比べ、私は武芸などでは劣るけれど頭の回転や記憶力などが長けていたために政務等は得意だった。将来は兄様と共にお互いの至らない部分を補いながらこの国を支えていくんだと信じてやまなかった。
そんな時に、あの事件は起きた。
「皇太子の位はロアレフに与える。タウロは魔物にでも食わせておけ。魔王になる可能性があるならば本望であろう」
星詠みの言葉は広まり、疑念と不安によって国は混乱に陥った。
「心せよ。もうあれはお前の兄ではない。いや、元からそんなものはいなかったのだ」
私はただ立ち尽くし、見ていることしかできなかった。あんなに兄様を慕っていた兵士らも、恐れを確かに目に宿して斬りつけている。
「わかったなロアレフ。お前が王だ」
あの日、ただ一つの予言によって、私たちの未来は砕かれてしまった。
私は皇太子となった。だけど私はどうしても納得がいかなくて、父上に直訴しようとした。けれど、父上の自室の前で聞いてしまったんだ。
「ようやくタウロが消えてくれた。あれはロアレフを王に据えるには邪魔だったからな、ちょうど良い機会であったわ」
「しかし、何故タウロ王子……いえ、タウロをそこまで嫌うのです?解析魔法によるとロアレフ王子以上の資質は備えていたようですが」
「ふん……あれは民に甘すぎるのだ。この前にあった強盗の件も、勝手に場を収め、あまつさえ未だ皇太子のみでありながらこの我に意見するなど身の程を弁えぬ愚行を犯しおって……あの甘さは毒だ。あのような愚物が王になれば、必ずやその毒でこの王国を腐らせ他国に喰われてしまうだろう。資質など、大して離れてさえおらねばどうでも良いのだ」
その日から、私の表情から笑顔が消えた。
数年の時が経った。私は王位継承者として育ち、内務関連はすっかりマスターしたし、武術に関しては騎士長殿たちに手解きをしてもらい、槍術を修めた。
兄様と比べやはり民の目はいささか厳しいものもあったが、滞りなく私は王への階段を上がっている。そして、いよいよ王となるための最後の課題に挑む時がやってきた。
「ロアレフ、ここに参じました」
「うむ。此度お前を呼んだのは他でもない。もうすぐ成人となる頃合い、王になるための試練である『巡礼の旅』へ行く時が来たのだ」
このフェニシア王国は遥か昔、一人のエルフによって魔物から救われた人々が建国したもの。
特に王となった一族は既に国を去ったエルフに感謝を示し、時代の王にならんとする者が他の大陸にあるエルフの森に聳える世界樹と呼ばれる御神木から聖水を賜るという儀式を定めた。それが『巡礼の旅』だ。
この旅では聖水を賜るために他の大陸へ一人で赴かなければならない。他の国々の様子などを見て自身の成長を促進するとともに、途中で出くわすであろう魔物たちを退ける武者修行となることを狙いとしているからだ。
この旅の完了をもって、王として認められ晴れてフェニシア王国を継ぐことができる。
「そなたには我が国に伝わる宝具の一つ、『残光の聖槍』を下賜する。見事、成し遂げて見せよ」
「勅命賜りました。御心に感謝致します、フェニシア王」
父上の傍に控えていた騎士長殿が一本の槍を台座から手に取りこちらへとやってくる。
『残光の聖槍』。至上の祈りが込められた光の力を宿す十字槍。かつて魔物たちを退けたエルフは、去り際にこの槍を人々に与えたという。
騎士長の手から畏まって受け取れば、聖槍は銀の光を発し私の魔力と結びついていく。聖槍は光となって私の中に収まり、いでよと念じれば自在に光を瞬かせ私の手に顕現した。
周囲はその様子を見てざわめき出し、口々に奇跡だとはやし立て始めた。きっと彼らは、かの伝説のエルフと私を重ねて見ているのだろうか。
「おぉ……!聖槍はお前を主と認めたようだな。流石は皇太子、良き資質を持っておるようだ」
「ロアレフ王子、万歳!万歳!」
臣下たちによる歓喜の叫びが玉座の間に溢れる。だが私は、このようなことが起きても何かが喉に詰まったかのような息苦しさを感じていた。酷く不快にさえ思っているのかもしれない。
ああ、兄様。私はやはり駄目な弟です。
王として民を、国を導くことが使命であるというのに……貴方が居なければ、皆に祝福されたとしても心は動かないのですから。
「では行け、ロアレフよ。諸国を巡り、エルフの森より世界樹の聖水を手に入れるのだ!」
「はっ!」
兄様。兄様。この不甲斐ない私に力を貸してください。王として民を思い、父上の跡を継ぐことを誇れる心。それを偽れる勇気を。
マヌカー港町。大陸の北東部に位置し、隣の大陸へ行く船が唯一出ている場所に私は来ていた。
「おう、兄ちゃんもこの大陸を出るのかい?ちと今は部屋が埋まってまっててな、相部屋って形になるがいいか?」
「ええ。こちら、乗船料です」
「毎度!んじゃ、お前さんは四号室に行ってくれ。先に部屋とってる奴とはきっちり挨拶……いや、手間が省けたみたいだな」
「?」
説明をしてくれていた船員が私の後ろを見て……!?
突如、背後に現れた気配。それも首筋に刃を当てられたような恐ろしいものを感じた。
すぐさま振り向くと、そこには―――
「おや……貴方が同室になる方ですか。どうも、俺は旅の冒険者ベヘモットと申します。こちらは相方のスラー。短い間ですがよろしく」
「……よろしく頼むよ、人げボブっ!?」
いかにも旅に手馴れていそうな装いをした中年男性と、相方らしい何やら急にお腹を押さえ始めた青髪の少女が立っていた。
その変な様子に少しばかり毒気を抜かれ、いつの間にかおぞましい気配はどこにも感じられはしなかった。