第3話 命名、ベヒーモス
「さて、まずは何から聞かせてもらおうかな。少しワクワクしているイムさんだよ」
「いや、その前にこの部屋どうにかしない?足の踏み場も無いんだが」
イムさんに案内された自室。扉を開けて目に飛び込んできたのは凄まじい散らかり具合だった。
これでも俺は王子の身だったから周囲はきちんと整理整頓されていた。使用人たちがやってくれていたとはいえ、その状態に慣れきっていた俺にはいささか居心地が悪い。
「ああ、すまない。これでも一昨日に部下たちによる大掃除があってね。まだ片付いている方だと思うよ」
「これで片付いている!?ある意味才能じゃないかこれ。たったの2日でどうやってここまで散らかせるのか教えて欲しいぐらいだよ……」
「いやぁ、そう言われると悪い気はしないね」
「褒めてねぇんだわ」
イムさんはスライムだからか、角張ったりした物が散乱している床を気にせず歩いていく。
俺はなるべく踏みたくないから僅かな物の間をつま先立ちで進んでいくが、これは神経がすり減っていくなぁ…。
「ボクとしてはすぐに使えるところに物を置いているだけなんだけどね。あれもこれも必要になってくるからこうなってしまうんだ」
「あの角材は何に必要なものなんだ?」
「あれは数時間前、暇つぶしにDIYしようと用意したものだよ。でも別の事で閃きがあったから放置してた。たぶんしばらくDIYをする予定は無いかな」
「なら要らないだろ!片付けときなさいよ!」
部屋の隅に置かれた角材を腹いせに軽く叩く。嫌な音がした。ヒビが入った角材を見て思わずあっと声が漏れたが、イムさんは椅子の上の物を床に払い落としていて気付いていないようだ。
俺はそっと角材から離れると、イムさんが出してくれた椅子に腰掛けた。
「はぁ……そもそもデカい角材をこんなに用意して何を作るつもりだったんだ」
「等身大のボクの木像だよ。スライムだから自分の形をしっかり覚えておかないとこの姿になれなくなっちゃうんだ。だけど造形が技術に左右されてしまうし、鏡を見ればいいんだと気付いたんだよね」
「お前さん……いや、もしかしてと思っていたけどあれか?馬鹿なのか?」
「違うよ。まったく……どうして皆、ボクをカバに例えるのだろう?」
「わーかった。馬鹿だ」
「だからボクはカバじゃないよ」
頭が痛くなってきた。俺は早くこの流れを断つべく、無理やり話の軌道を戻すことにした。
「さて、お前さんに用があると言ったが、その前に俺が何者なのかってことから話さないといけない」
「……それはずっと気になっていたよ。例えどれほどの剛力を持った英雄でも、まずスライム魔人のボクを純粋な力で撥ね飛ばすなんて不可能だからね。つまり、君は物理を超えた力の持ち主ということ」
「あぁ……その辺りはまだまだ俺自身も把握しきれてはいない。だが、この力は魔王として修行した果てにあるもの。少しズルをして、永続する前借りをしたのさ」
イムさんの表情は動かない。俺は一つ深呼吸をして決意を固めると、いよいよ本題を言うことにした。
「俺は魔王タウロスの後継者。次代の魔王として選ばれた」
「面白い冗談だね?」
イムさんの右手が鋭利に変形し俺の首元にまで伸びる。俺の目はしっかりとその様子を捉えていたが、防御も回避もせず座ったままだった。
だって、直感でわかってしまったんだ。この攻撃は俺には通らない。
「……薄皮一枚すら、切れないのか」
指は俺の首で止まっていた。生じた音ですら、まるで金属を擦っているようなもの。
つくづくこの身体は頑丈だ。激情を乗せた一撃でさえ、簡単に受け止めてしまうんだから。
「わかるよ。君は人間なんだろう?魔物の振る舞いとしては危機感も無い無防備な様子だから。でも君の中からは魔王様の魔力を確かに感じる……人間の、中から」
伸びていた指を縮め、イムさんは拳を握った。言葉は無いが、俺の中で僅かに揺れるものを感じる。タウロスも何かを思っているのだろうか。
「ボクにこんなことを言う資格は無い。それはわかっているつもりさ。でもあえて言わせてくれ……何故、お前なんだ」
「このような争いとは無縁の大陸で!ぬるま湯に浸かりながら悠々と暮らしてきたであろう面をさげた奴が!しかも人間が!!魔王様の後継者?新たな魔王?いったいなんの冗談だこれは!!」
「一目見てわかったさ。魔王様との親和性はとても高いようだね。君には見えていないだろうけど、その身から溢れ出る絶望と憎悪の奔流は芯に強く根付いている。魔人である私から見ても垂涎ものだ。だがそれでもだ!!」
「我々魔物を罵って排斥し、恐れと侮蔑をもって命を刈り取ってきた人間!それもこんな腑抜けた輩に!何故、貴方は力を渡した!何故!主導権を握らせている!!」
「何故だ。何故……」
肩を震わせ涙を零しながら、イムさんは心の丈を吐き出していく。俺は……何も言えない。イムさんの持つ疑問はもっともだからだ。
人間と魔物ははるか昔から争いを繰り返している。しかし、その始まりは亜人と呼ばれた魔族たちと魔獣と呼ばれた魔物たちを排斥した人間による攻撃。
当時は宗教の教えにより自らを神が創ったものという認識をしていた人間。それ以外の魔族たちは神の失敗作として卑下された。失敗作というのは事実だ。数千年前に起こった神と原初の魔王の戦いによって世間全体に明らかにされたこと。
神は原初の魔王と共倒れ。今や魔物は仲間内から最も力ある者を新たな魔王として人間と戦い続けている。
「ボクは……魔王城にいなかった。遠征中だったから。その場で戦うことができなかった……皆に合わせる顔が無いんだよ…」
「でも、これでようやく逝ける。さあ、ボクを殺してくれよ」
そこでようやく、俺はイムさんの考えに気付いた。きっとイムさんは攻撃が効かないことをわかっていた。それでもこんなことをしたのは、やりきれない想いをぶつけることの他にもう一つあったんだと思う。
俺に殺されること。それが、イムさんの狙いだ。
「……ああ、いいぞ。殺してやる」
動揺した感情が感じられた。タウロスめ、意外と配下思いの奴だったらしい。
だがこれはケジメだ。例え元人間だったとしても、今の俺は既に魔王。数々の無礼には相応の罰を与えなければならない。それが王の務めだ。
俺は右腕を振って突風を起こし部屋の物を吹き払う。そして座ったままのイムさんを床に踏み倒すと、振った状態の右腕を引き絞り拳を放つのだった。
「なんで……」
俺の拳はイムさんの顔、その真横に突き刺さった。
「俺への無礼は全て過去の思いに支配されたお前が行ったもの。この一撃をもって、過去のお前は死んだ」
「お前は全てを吐き出した。もはや今のお前は、既に無念に塗れる必要は無い。なぜなら……お前は今、新たな魔王、新たな主の前にいるのだから」
タウロス、俺は決めたぞ。必ず魔物たちをまとめあげ、俺はこの世界を手に入れる。人間も魔物も、そのどちらもが互いを受け止め幸福を追求し、俺に尽くす完全な世界を!
俺の内から魔力が溢れ出し、それは輝く業火とどす黒い闇を顕現させ身体に纏わりついた。魔王の火炎と憎悪の闇……これこそ、俺を象徴する王の冠なのだ。
『この気配……そうか。未だ幼さの残る精神も消え、今や完全に魔王として成ったか!ならば聞かせよ、そなたの名を!世界に轟く新たな脅威、唯我独尊を謳う王の名を!』
「神はもういない。この世界は誰のものでもない。だから俺が手に入れる。俺の行く手を阻もうとする者も、俺のものを奪おうとする者も、容赦はしない。覚悟しておけイム。お前も既に俺のものだ」
「俺はもはやタウロではない。不甲斐ない迷いを持った人間は死んだのだ。我が名は―――ベヒーモス。『貪欲』を意味する王の名だ」