第10話 逆だったかもしれねぇ…
クラーケンがイムさんによって退治された後、生き残った人々は甲板に集まっていた。
幸いというべきではないだろうが、船の動力部は死んでおらず僅かとなってしまった船員たちでも充分動作するらしい。
居住区などの甲板上に設置された建造物はだいぶ破壊されてしまったために、瓦礫などを避けて集まれるのが甲板だった。
家族を失った者、友人を失った者、同僚を失った者などなど、悲観にくれる人々の拠り所はクラーケンを撃退したイムさんになるはずなのだが……。
「ベヒーモス様。無事だった小舟に《液状同化》で海水ジェットを取り付けたよ。いつでもこの船から脱出できる」
「そうか……それとスラー。呼び名はしっかりしてくれ。偽名で行くと決めただろう?」
「えぇ……」
俺とイムさんは小舟でこの船を降りる準備をしていた。そもそもイムさんは魔物、憎むべき人間たちに感謝されるのが何よりも嫌らしい。
クラーケンは私情で倒しただけ。人間たちの命を救うつもりはなかったし、ましてや心の支えになんて死んでもなるものかと嫌悪感丸出しだったから俺も脱出に賛同したんだ。
「そもそも、まだベヒーモス様の名前はどこにも広まっていないはずさ。ボクの名前ならまだしも、魔王様の名を偽る必要は無いんじゃないかい?」
「逆だ。広まっていないからこそ徹底すればさらに動きやすくなる。念には念を。誰かが『今度こそ我ら魔物の時代だ。新たな魔王、ベヒーモス様が現れたのだから』みたいなことを言ってみろ。俺の苦労は何もかも無駄になる」
慎重に越したことはない。いざ打って出る必要も無い今の状況では波を荒立てないことが肝要なんだ。そう説明してやりながら小舟に乗り、いざ脱出だとしたところで、俺の感覚が気配を一つ感じ取った。
「ベヘモットさんにスラーさん!そこで何をしてるんです?」
レフさん……毎度いいところで出てくるじゃないか。いや、その運命力には感服するよまったく。
「大事になってしまったのでね。動きが取れなくなる前に離れようと思って」
「それは……」
「レフさん。お前さんも覚えておいた方がいい。何事も過度に注目と期待を向けられることは、大抵がどこかで負の面が色濃く強い時だ。それが解決者とその恩恵にあやかれた者どちらであってもね。こうなってしまった以上、こちらに意識が集まる前に行かせてもらうよ」
そう、過度な期待とは相手と己の腐敗を招く。そしてそれを裏切られた時、痛烈な苦しみと新たな依存先とを求めるようになる。
俺がまだ王子だった時、そして魔王となると予言が出回った時の民の顔がいい例だ。俺の懸念が当たっていなければいいのだが。
「巡り会った友への、俺からの忠告と贈り物だ。経験談とも言うけど。縁があれば、また会おう」
「あっ、ちょっ!」
イムさんに目配せし、海水ジェットが水を吹く。小舟は勢いよく走り出し、あっという間に船から離れていくのだった。
さて、そんなこんなで目的の大陸に到着した。名をセンタス。この世界にある三つの大陸、その中心に存在する最も巨大な大陸だ。
ちなみに俺たちが出てきた西の大陸をウェス、魔物領でありタウロスの城がある東の大陸をイースと呼ぶ。
センタス大陸は魔物との攻防で度々領土が変わっている激戦の地だ。しかし魔王タウロスが勇者に倒されてしまった今、そのほとんどは人間たちが治めているらしい。
『西側はほどほどに、東側の探索を進めるべきだな。人間たちに奪われたのだ、魔物たちに大規模な移動などできまい。おそらく生き残りがあればどこかに身を隠しているはずだ』
「ならまずはどこかの街でこの大陸の地図を入手しなくちゃ始まらないな。山や森、隅々まで探さないと見つからない」
「けれど、我々は魔王城のあるイース大陸にまで攻め込まれている。タウロス様が敗れた今、この大陸に残った魔物たちが生きてるかどうか……」
『ふん……我が敗れてからまだ日が浅い。人間どもの国はどこも未だにお祭り騒ぎだ。たとえ残党狩りが開始されているとしても、勇者を交えなければ安心はできぬ。そしてその勇者は祭りの出席、国への勧誘によって今ごろ引っ張りだこ、どの国も勇者も満足に動けぬだろうよ』
そう、魔王が倒されたということは強大な敵が消えたということ。それだけ。
魔王という共通の敵、巨大な壁が消えたことで自身の国を他国よりも繁栄させることに目が行くようになる。そしてそれを成すには、魔王を倒した勇者を迎えるのが最適だ。
愚かしいことだ、敵がいなくなれば新たな敵を作り出す。それが同じ人間であろうとかまいはしないだろうというのがタウロスの見解だった。
「だけど対応が早いのに越したことはないんじゃないか。タウロスの言う通りなら今が絶好の機会。人間たちが勝利の余韻に浸っている中、こちらはじっくりと勢力を盛り返させてもらおう」
まず目指すのは本来船が到着するはずだった港町ハーボー。航路など知らぬままにだいたいの方角に直進していたから、俺たちが上陸したのは切り立った断崖。イムさんを抱きかかえてほぼ垂直の崖を走り登ることになったのは二度とない経験だろう。
遠くまで見渡してみれば、海に面した街が見えた。きっとあれが港町ハーボーなんじゃないか、というふわふわな憶測でそこへ向かっている最中だ。
「そういえば、海水と同化してクラーケンを食べていたけど……陸に上がっても同化はしたままなのか?」
「同化し続けるのは魔力を消費するからもう切っているよ。水の確保は魔法でなんとかなるし、海を使わなくても戦闘に支障はないさ」
「そうか……ん?なら食べたクラーケンはどうなった?」
海水との同化を切ったなら、海水で食い尽くしたクラーケンの行方はどうなるのか。まさか異空間を通して繋がっていたりするのか。
「ボクが食べたものは魔力に変換されて蓄えられるんだ。姿かたち、能力もろもろね。ボクの中はまったく別の世界、そこを通して魔力が送られてくるのさ」
まさか本当に繋がっているとは思わないじゃないか。今思うと、スライムも不思議な魔物だな…。
『何も驚くことなどないぞベヒーモス。魔物は人間と違い、肉体を構成するのは大部分が魔力だ。魔力とは失敗作である我らが持つ不浄なる力、世界を歪める力だ。この世のものとは思えぬような構造をしていようとなんら不思議ではない』
「ほぉ〜ん……でも人間も魔力を持ってるのはどうしてなんだ?魔力は魔物が持つ力なんだろ?」
「魔物に対抗するためさ。元々人間は魔力を持たなかった。でもそれだと魔物に対抗するには絶望的だから、神は魔物がこの世から根絶されるまで人間に世界に干渉する力を与えた。ボクらの魔力とは厳密には違うものなのさ」
世界を歪める力が魔物の魔力。世界に干渉する力が人間の魔力。どちらも似ているようで違うもの。そして力技にも見える魔物の魔力の方が、性能としては人間のものよりも上を行くらしい。
『だがそれも此度で終わりだ。我はそなたがこの戦の歴史を終わらせると確信しておるゆえな!だがまだまだそなたは力を使いこなせてはおらぬ……故に、魔王城にある宝物を使う。そなたが真に潜在能力を解放することができたその時、我らの勝利は確定するだろう』
また新しいものが出てきた。魔王城にある宝物?俺の力になるのなら大歓迎だけど、まずは目先の目標を達成するべきだな。
話している間にだいぶ近付いてきた港町ハーボーの入口。本来であれば海の方から入るはずだった港町を、俺たちは逆の内陸側から入ることになるのだった。