今はまだ、まだ今は、今からは。
「結婚しよう」
幼馴染のジョセフが、突然言ったその言葉は、自分の耳が悪くない限り、プロポーズの言葉に聞こえた。
突然で、しかも前後の脈絡も無い。
しかも私達は付き合ってるわけでもない。
単なる幼馴染。
おまけにいえば、私達は街の警邏隊の巡回の仕事が終わり、乗っていた馬の手入れを終わらせていた所だった。
「…え?」
思わず間抜けな声が出た。
そして慎重に辺りを見回す。
うん、誰もいない。
今、この厩舎にいるのは私とジョセフ二人だけ。
と、言う事は。
冷やかすために言ったわけでは無い、らしい。
ジョセフは私の目を逸らさずに見つめている。
その目はあくまでも真剣で、冗談で流すには無理がありそうだった。
「…それ、私に言ったの?」
「この場にアンジェラ以外誰がいるんだよ、俺の前にいるのはお前しかいないだろ?」
分かれよ、と言いたげに答えたジョセフを私はマジマジ見つめ返す。
「結婚…
私とジョセフが?」
言葉が思わず口に出た。
幼い頃からずっと憧れていた好きな人からのプロポーズの言葉。
ずっとずっと待っていた言葉。
夢にまで見た瞬間。
場所は厩舎だけど。
馬臭いけど。
サイレージの臭いも凄いけど。
憧れていたロマンチックな場所でもないけど。
「うん、どうかな?」
おずおずとジョセフは私の手を握る。
そう言って照れたように笑うその笑顔に。
胸の中に、言いようの無い悲しみと怒りが湧き上がる。
「それって、ロアーナがディランと婚約したから?」
「な、何言ってんだよ、ロアーナは関係ないよ。
そうじゃなくて、俺にはアンジェラが一番だって思ったから」
焦ったように言い訳を始めるジョセフを見ると笑ってしまった。
ゆっくりと手を振り解く。
手を振り解かれて、ジョセフの手はもう一度私の手を取ろうとして止め、その手のやり場に困ったようにして腕を組んだ。
なんて分かりやすいのか。
嘘吐き。
私はずっとずっとジョセフしか見てなかったのに。
ロアーナを熱く見つめていた視線を、私が知らないとでも思ったの?
ロアーナに触れた手で私に触れて欲しくない。
ロアーナに愛を囁いた口で、私に結婚しようなんて言わないで欲しい。
私が一番欲しかった言葉を、今、何で言うの?
ロアーナが貴方を選ばなかったから。
愛する女に捨てられたから。
ジョセフの目が不安そうに揺れる。
「…アンジェラ…?」
情け無い声を出さないで。
まさか私にこんな態度を取られるとは思っていなかったのだろう。
喜んで飛びつくとでも思っていたのだろう。
そうね。
貴方は私だったら断らないって知っているものね。
小さい頃から、貴方の後ろを金魚の糞のようについて回った私なら。
今の警邏隊の仕事だって、ジョセフがいるから頑張って入隊した。
縋るような目をして私を見るジョセフ。
私は自分の気持ちを落ち着ける様に長く息を吐いた。
今はまだ、腹が立つ。
今はまだ、モヤモヤしてしまう。
だって今はまだ、ジョセフの好意は愛じゃないから。
でも今は、私のちっぽけなプライドなんて、気にしてたらいけない。
このタイミングを逃したら、きっと私はジョセフを手に入れられない。
きっと今じゃなきゃ、いけない。
人恋しさから、寂しさからプロポーズされた。
それがなんだと言うんだ。
失恋して弱ってる、その心を甘やかしてやる。
寂しさにつけ込んでやる。
人恋しさに寄り添って、私以外は目に入らなくしてやる。
憧れて、夢見ていた展開とはほぼ遠い。
だって、それでも良いから。
貴方と一緒に居たいから。
理由がどうあれ、私を選んでくれたから。
ううん、一番弱ってる時に、私に縋ってくれた。
今はまだ、それで良い。
だから私も、貴方がくれた機会を精一杯利用する。
「やり直し」
「…え?」
「聞こえなかった?
やり直しって言ったの!」
ジョセフはポカンとした顔で私を見る。
「私ね、ロマンチックなプロポーズに憧れてるの」
そう言い切ると、ジョセフは首を傾げた。
しばらくして私の言葉を理解したジョセフの顔はホッとした笑みを浮かべる。
ああ悔しい。
やっぱり私はジョセフが好きなんだと思い知らされる。
ジョセフは私の額を優しく爪で弾く。
「わかった。覚悟しておけよ、アンジェラ」
「うん、楽しみにしてる」
私は満面の笑みをジョセフに返す。
彼の心細さから始まる関係でも構わない。
私が、この手を離したくないから。
私が、その手を掴みたいから。
私達は並んで厩舎を出る。
ジョセフの手が私の手を握りしめる。
私も今回は振り解きはしなかった。
今までよりほんの少し近づいている距離。
今までよりほんの少し甘い雰囲気。
「後、私ね。
ジョセフの事が大好きだからね。
覚悟しておいてね」
そう言って笑ってジョセフを見上げると、少し恥ずかしそうに目を瞬かせた。
ロマンチックなプロポーズが先か、私がジョセフを落とすのが先か。
私の十何年の想いを甘く見るなよ。
今はまだ、貴方が差し出した手の温もりだけでも嬉しいから。
今はまだ、何も考えずに、大好きな人の隣に立てた事を素直に喜ぼう。
今からは、幼馴染じゃなく、恋人同士。
終わり