人間になりたかった鬼の子 〜人の章〜
「鬼の章」のつづきです。
今度は人間の子どもからの視点になります。
鬼の子が人間の子供を人間の大人に送り届けたとき、鬼の子は嬉しそうに人間の大人と人間の子供を眺めていました。
そのとき、人間の子供は鬼の子を見て、「やっぱり鬼の子は怖くないんだ」と思いました。
人間の子供は、また遊びたいと思いました。
そして、大人たちにも、「鬼の子は怖くないんだよ」と教えてあげようと思いました。
「あ、鬼の子だ」
子供は鬼の子とまた遊べると思うと、胸の中があったかくなって、思わず声を上げました。
その瞬間、大人たちの顔が怖い顔に変わりました。
大人たちは、寄ってたかって鬼の子に押し寄せると、大人のひとりが鬼の子の腕を掴んで、そのまま地面に叩きつけました。
それから、集まった大人たちは、鬼の子を叩いたり、殴ったり、足で踏んだり、蹴ったりしました。
鬼の子は声も出さずにうずくまり、ぎゅっと目をつぶっているように見えました。
声を上げた子供は、背中から冷たい水をかけられたような感じがしました。
人間の子供は目の前で起こっていることが、よくわかりませんでした。
ただ、鬼の子とはもう遊べない、ぼんやりとそう思ったのでした。
そう思うと、鼻の奥がツーンと痛くなりました。
そのときでした。
突然、すごく強い風が、山々を揺らして吹いてきました。
人間の大人たちも子供たちも、あわてて頭を抱えてしゃがみこみました。
そのとき、どこからか声がしました。
「鬼の子は、泉の神がもらっていく。」
その声は、さらさらとした小川のようで、直接頭の中に響いて来るのでした。
人間たちは、
「なんだったんだ」
と、お互いに顔を見合わせました。
「あっ、鬼がいないぞ」
人間の大人が叫びました。
そこに鬼の子はいませんでした。
「泉の神、が持っていったということか」
年をとった人間の大人がいいました。
「それでは手は届くまいよ。家に帰ろう」
大人たちはぞろぞろと、集落のある方へ歩いていきます。
「ねぇ。鬼は神さまが連れてったの?」
人間の子供の一人が人間の大人にききました。
「そう、みたいだな。」
人間の大人はこたえました。
「神さまも鬼なの?」
子供はききました。
「鬼は鬼。神様は神様さ。」
大人はこたえます。
子供は何が何やらわけがわからなくなりました。
「神さまは、人間を食べるの?」
「神さまは人間なんか食べやしないよ。」
「じゃあ、鬼は人間を食べるの?」
「そうらしい」
「誰が食べられたの?」
「それは昔の人さ」
「昔って、どれくらい?」
「そりゃあ、、大昔さ」
「鬼は本当に人間を食べるの?」
「そりゃあ…食べるさ。そうなってる。」
「鬼にきいたの?」
「まさか。鬼なんて、さっき見たのが初めてさ」
「そうなんだ。じゃあ、鬼の角とか触ったことないの?」
「ないさ!そんなことしたら、たべられちまう。」
「そうなの?僕、たべられなかったよ?」
「たまたま、運が良かっただけさ」
「本当に鬼は人間を食べるの?」
「しつこいな!鬼は人間を食べるし、昔からそう決まってるんだ!」
人間の大人は、大きな声をだして、さっさと先に行ってしまいました。
人間の子供は、なにかモヤモヤしたものがお腹のあたりにたまってるような気がしました。
そのあと、人間の子供たちはしばらく遊びたい気分にならなかったので、家でじっとしていました。
幾日か経って、人間の子供たちは泉に遊びに行くことにしました。
林の中にポッカリとひらけた広場の真ん中に、底が見通せるほど透きとおった泉が湧いているのでした。
人間の子供たちはそこで泳いだり、飛び込んだり、水を掛け合ったり、ぷかぷかういたりして遊ぶのがすきでした。
その泉には真ん中に岩場があり、そこから飛び込むのも人間の子供たちの好きな遊びの一つでした。
その岩場には一本の木が生えていました。
子供たちが前に来た時には確かに木はありませんでした。
気になった子供たちは、泉の真ん中にある岩場まで泳いでいきました。
岩場に乗り上げると、子供たちは木に手のひらをそっと当ててみました。
そのとき、風がざぁっと吹いて、木を大きく揺らしました。
子供はとっさに手をひっこめました。
子供たちは顔を見合わせました。
「あたたかいね。」
「そうだね。」
子供たちは目をまんまるにみひらいて驚いていました。
その木は周りに普通に生えている木よりも明らかに温かかったのです。
子供たちはもう一度、木に触れてみました。
やっぱり、木は温かでした。
子供たちは、木にそっと寄りかかって、頬をくっつけてみました。
やっぱり、木は温かでした。
「あたたかいね。」
「そうだね。」
子供たちは目をつぶって、木の体温を感じていました。
そのうち、子供たちはその木の根元で眠ってしまいました。
子供たちは夢をみました。
泉で遊んでいる夢でした。
いつも遊んでいる仲間たちと、あと、鬼の子が一緒でした。
鬼の子も子供たちもいっぱい笑って、胸のあたりが暖かくなりました。
「ざぁっ」と音がして、子供たちは目が覚めました。
あたりはもう暗くなっていました。
泉は昼間とはうって変わって、真っ暗で底がまったく見えませんでした。
まるで、黄泉の国に通じるという穴みたいに。
子供たちは泉に入ることが怖くなりました。
そのときでした。
泉がしろく光って、人の顔のようなものが映し出されました。
泉の神様です。
子供たちはお互いにしがみついて、ガタガタと震えています。
泉の神様は言いました。
「その木は鬼の子が姿を変えたものです。それが怖くはないのですか?」
子供たちは驚いて木を振り返りました。
木はさわさわと揺れて、なにか返事をしているようでした。
「鬼の子はお前たちと遊んだことがとても楽しかったといいます。しかし、人間の大人たちはなんの理由もなく鬼の子を殺そうとしました。」
泉の神はいいました。
「鬼は、人間の子供を食べるって。」
子供の一人は言いました。
「そう信じているのか?」
泉の神は子供に尋ねました。
「わかんない。」
子供は答えました。
「お前はどう思うのか?」
泉の神はもう一度子供に尋ねました。
「僕は、鬼と遊んで楽しかった、と思う。」
子供は答えました。
「そうか。楽しかった、か。」
泉の神はいいました。
そのとき、鬼の子だった木はさわさわと枝をゆらして、木の葉を落としました。
子供たちはそれを拾ってじっと見つめました。
すると、鬼の子と遊んだ楽しかった時のことが目の前に浮かんでは消えていきました。
子供たちは泣いていました。
「人間の子らよ。もうそろそろ、ここは山の民の時間になる。早く帰られよ。」
泉の神がそういうと、泉の水がざぁっと二つに分かれて、道ができました。
子供たちは、その道を通って家に帰りました。
家に帰った子供たちは、大人たちに叱られました。
子供たちは大人たちに遅くなった理由も聞かれましたが、「楽しくて遊びすぎた」と言っただけで、泉の神様に会ったことも、鬼が木になったことも大人たちに話しませんでした。
あくる朝、子供たちは早い時間から泉に向かいました。
大人たちからは「暗くなる前に帰るように」と、何度も何度も言われました。
子供たちは泉に着くと、さっそく泳いで岩場まで行き、木に寄りかかりました。
そして頬を寄せると、木の温かな体温が伝わってきました。
そのとき、泉が淡く光って泉の神が姿を見せました。
「人間の子よ。鬼の子は人を食べると思うか?」
泉の神は人間の子供たちに問いかけました。
「わからない、けど…。」
人間の子供
言い澱みました。
泉の神は黙っています。
あたりには、鬼の子の木がさわさわと葉っぱを揺らす音だけが響いてました。
「わからないけど、ぼくは、食べない、ような気が、する。」
人間の子供は途切れ途切れに言葉を紡ぎました。
「そうですか。」
泉の神がそう言ったあと、また沈黙が訪れました。
鬼の子の木の葉ずれの音も止み、あたりには完全な静寂が訪れました。
子供たちも、動いたり喋ったりする気にはなれませんでした。
どれくらい時間が経ったでしょう。
泉の神が静かに話し始めました。
「人間の子らよ。鬼の子とまた遊びたいと思いますか。」
人間の子供たちは、てんでにうなづきました。
「人間の子らよ。山の神に会いに行くといよいでしょう。山の神は、山のてっぺんにある祠にいます。ただし、もしかしたら、命を取られるかもしれません。」
そう言うと、泉の神は消えてしまいました。
人間の子供たちは互いに顔を見合わせて、うなづきあいました。
それから、山のてっぺんに向けて歩き出しました。
山のてっぺんには、大岩がどしんと座ってました。
そこは鬼の子が人間になりたくて、岩に角をこすりつけた場所でした。
しかし、そこには大岩があるばかりで、祠らしきものは見当たりません。
人間の子供たちは、山の神を呼びました。
「やまのかみさまー」
「おーい、かみさまー」
いくら呼んでも山の神は現れません。
子供たちは、声を枯らして叫びました。
いくら呼んでも山の神は現れません。
子供たちが、呼び疲れてヘトヘトになった頃、子供の中の一人が、大岩の下に挟まれるように据えられた、小さな小さな祠を見つけました。
子供たちは、そこで手を合わせました。
「山の神さま、どうかまた鬼といっしょに遊ばせてください。」
すると、祠の扉が開いて、小さな小さな山の神が現れました。
「なんだ。人の子か。」
山の神は不機嫌そうに人間の子供たちを見上げました。
子供たちははじめて見る山の神さまの姿に驚きながらも、泉の神さまに言われて来たことを伝えました。
「そうか。」
山の神はそういうと、黙ってしまいました。
子供たちは、泉の神さまに言われた「命を取られるかもしれない」という言葉を思い出して、お互いにぎゅっと手を握りながら、山の神の言葉を待ちました。
「…鬼の子のことを思うと、人間の顔など見たくもないし、いま、ここで喰らってやろうかと思った。」
山の神は静かな声でいいました。
「しかし…あの子は、まだ、お前たちと遊びたいらしい。」
山の神は言葉をつづけます。
「お前たちには、話しておいた方がいいのだろう。むかしの…むかしのはなしだ。」
山の神の話はこのようなものでした。
いまから、ずうっとずうっとむかし、鬼の子が山で暮らしていました。
ある時、鬼の子は川辺で遊ぶ人間の子と出会いました。
それまで、ずっとひとりぼっちだった鬼の子は、人間の子とすぐに仲良くなり、毎日一緒に遊びました。
あるとき、鬼の子は遊びに行く途中で、イノシシに襲われました。
なんとか、無事に追い返したのですが、足に大きな傷を負い、動けなくなりました。
鬼の子は傷を治すため、寝ぐらにしている木のうろでうずくまって眠りました。
どれだけたったのか、鬼の子が小鳥のさえずりに目を覚まされると、傷はすっかり良くなっていました。
鬼の子はすぐに、人間の子と遊ぶために川辺に向かいました。
しかし、人間の子はそこにはいませんでした。
鬼の子は、人間の子を探して歩きました。
足が棒になるほど、歩き回って、山のふもとまで来た時にはもう夕方でした。
鬼の子はそこで人間の子を見つけました。
嬉しくて、駆け出して、人間の子を呼びました。
ところが、人間の子は振り向きもしません。
不思議に思った鬼の子は、人間の子のところまで駆けていきました。
鬼の子は人間の子の肩をつかんで振り向かせました。
「おい、今日も遊ぼう。」
鬼の子はいいました。
「うわぁ!」
人間の子は、鬼の子を見て驚き、尻もちをついてしまいました。
鬼の子は人間子の顔を覗き込みました。
「なにをそんなに驚いてるんだ。」
鬼の子が不思議そうに人間の子にききました。
人間の子は、鬼の子の顔をみて怯えたようにうずくまっています。
そこに向こうの方から、人間の大人たちがやってきました。
人間の大人たちは、鬼の子が人間の子に覆い被さるように話しかけているのをみて、鬼の子が子供を襲っていると勘違いしました。
「鬼が子供を襲ってる。」
人間の大人の一人が叫んで走り寄ってきました。
それから近くに落ちていた棒切れを拾うと、鬼の子に向けて振り下ろしていいました。
「なにをするんだ!どこかに行ってしまえ!」
鬼はびっくりして、飛び上がり、そのまま後ずさりして、山に逃げて帰りました。
そのあと、鬼の子はまたひとりぼっちになりました。
「ということが、昔、あった。」
山の神は子供たちよりも、ずっと遠いところを眺めて、長い息を吐きました。
「…その、人間の子は、鬼の子のことを忘れちゃったの?」
子供の一人がききました。
「鬼はな、人よりも長生きなんだ。」
山の神はいいました。
山の神の話はつづきます。
「鬼は風と木の交わるところにうまれる。そしていずれ、木になるんだ。だから人よりもずっと長生きなんだ。」
「でも、鬼の子は人間の子は傷が治って、すぐに人間の子に会いに行ったんでしょう?」
子供のひとりがききました。
「木が傷を治すのには、人より長い時が必要なのだ。鬼の子が人間の子を訪ねた時には、何十年と過ぎて、とうに子供は死んでしまっていたのだよ。」
山の神はこたえます。
さらに子供はききました。
「でも、顔をみたんでしょう?」
山の神はこたえます。
「難しい話かもしれないが、鬼には人間の顔の区別があまりつかんのだ。人がうさぎや魚の顔を区別できないように、な。」
山の神は地面を見つめて、また、長い息を吐きました。
それから山の神は言葉を続けました。
「もしかしたら、一緒に遊んだ子供の子孫だったのかもしれないな」
そう言った山の神の顔は、なんだか最初に見たときとは違って、子供たちには少し人間っぽく感じられました。
子供たちは不思議に思いました。
「人間の子は、鬼に食べられなかったんでしょう?なんで、鬼が人間を食べるっていうの?」
山の神は首を振りながら、こたえました。
「ワシにもよくわからん。」
子供たちは困った顔をして山の神をじっと見つめました。
山の神は、その視線に耐えかねたのか、付け加えました。
「人間の世界では、本当の真実より、自分が真実と思っていることの方が、大事らしい。」
それでも、子供たちにはよくわかりませんでした。
ただ、鬼は人間を食べないらしい、ということはわかりました。
子供たちは山の神にお礼を言って、山を下りようとしました。
そのとき、山の神が子供たちを呼び止めました。
「今の話、信じてくれるか。」
山の神は子供たちに問いかけました。
子供たちはそろってこたえました。
「信じるよ。友達だもん。」
ぽつりと、子供のひとりがいいました。
「でも、ひどいことしちゃった。」
その言葉でほかの子供の顔も下を向いてしまいました。
山の神が子供にはなします。
「人の子よ。鬼の子は、お前たちがまた泉で一緒に遊んでくれるのが嬉しいと言っている。」
「なんで、わかるの?」
子供たちは問いかけます。
「それは、あれはワシの子だからだ。」
山の神は自慢そうにこたえました。
子供たちは怪訝そうに顔を見合わせます。
「だって、鬼には親はいないって、あの子もいってたよ?」
山の神は少し困った顔をして、いいました。
「それは、山に生まれたものはすべて、ワシの子供だからだ。」
「すべて?」
子供たちは口をそろえて聞き返しました。
「そう、すべて、だ。木も風も、うさぎやイノシシも、草も虫も。すべてだ。」
山の神は優しげに微笑みました。
「木や風が、山の神さまの子供なら、鬼は山の神さまの孫じゃなくて?」
子供のひとりが、山の神にききました。
「うーん、そういう意味ではなくて、なんというか。まあ、つまり、ワシの大切な家族ということだ。」
山の神は「家族、か」と、もう一度、口の中でつぶやきました。
子供たちはよくわからなかったけど、山の神が鬼を大切に思っていることを感じました。
「それから…」
山の神は少し厳しいような、悲しいような顔で話を続けました。
「ワシはもう一度人間を信じてみようと思った。それは、お前たちといる時、鬼の子が見たこともない笑い顔を見せてくれたからだ。」
山の神は大きく息を吐きました。
「しかし、間違い、だった…。いや、ある意味正しかったのかもしれん。」
山の神は目を伏せて、じっと息を殺しているように見えました。
大きく息を吸うと、話を続けました。
「鬼の子を人間にしたことは、間違いだったかもしれん。しかし、お前たちと遊ぶことができたのは、鬼の子にとって、幸せだったのだろう。だから…」
山の神はじっと子供たちのことを見つめていいました。
「鬼の子が木になったことも、昔あった出来事も、すべてお前たちの胸の内に留めておいてはもらえまいか。」
「黙っていたほうがいいの?」
子供のひとりがききました。
「どうか、たのむ。」
山の神はそう言うと、すぅっと消えていきました。
残された子供たちは、山の神の頼みごとを守るよう、お互いに誓いました。
その後、子供たちは毎日、毎日、鬼の子の木がある泉に行きました。
夏には泉で泳いだり、秋には鬼の子の木から落ちる葉を拾い集めたり、冬には雪合戦や氷の上で滑ったり、春には花を集めて、花輪にして鬼の子の木にかけてあげたり。
いつしか子供たちは大人になり、その子供たちも泉で遊ぶようになり、そのまた子供たちの遊び場となった頃、鬼の子と遊んだ子供たちもひとり、またひとりと、死んでいきました。
その亡骸は焼かれたあと、鬼の子の木の根元に埋められ、それぞれ目印の板が立てられました。
それからしばらくして、3人の板から木の芽が出てきました。
時が経ち、いま、泉の岩場には4本の木が寄り添うように仲良くならんで立っています。
そして、いまでも、天気のいい夏の日には、どこからか、子供たちの笑い声が聞こえてくるといわれています。
これで鬼の子と人間の子どもたちのお話は終わりです。