これからのあらすじ
放たれた弾丸はあらぬ方向へ走り、分厚いガラスにヒビを産む。
当たるわけが無い。
震える彼女を見ていると、それだけは分かった。
たった一発。
どれだけ重い引き金だったか、想像するに難くない。何より、彼女がそれを証明していた。
「お茶にしましょう?」
「……はい」
膝を着いたその子は、糸が切れたよう。虚ろな目で、ただ私の言うことを聞いた。
◆ ◆ ◆ ◆
あとは、すべて話した通りだ。彼女は自らのことを話し、私は自分の過去を話した。
「そう……随分苦労してきたのね」
この道程がどれほど壮絶なものだったか。考えるだけで抱き締めたくなる。
「あなたこそ」
長い長い話が終わり、私は改めて彼女を見つめる。
幾らかは落ち着いたかしら。
殺す気は無いようで安心した。こんなところで死ぬ気は無いし。どれだけ強気な言葉を吐いても、所詮私は無力だから。
「…………私は貴方を狙い続ける」
「ええ」
「貴方が何を言おうとも」
「ええ」
「だから……」
「ええ」
「今日のところは失礼します」
「ええ!?」
ちょっと待ってよ。
突然のことに驚いた彼女は、立ち上がろうとして止まる。
「何を驚いているんです」
「あのね、あのね、せっかくここまで来たんでしょう?」
「ええ、そうです。組織を抜けてここまで来ました。貴方を今日、ここで殺すと決めて。後は私がこの身を差し出せば、報復を受けて全てが終わる。そのはずだった」
「貴方の悪い癖よ! そうやってすぐ、自分を犠牲にしようとする!」
「払えるものはそれくらいですから」
払う、って……この子は命をなんだと思っているのだろう?
いや、私が言えたことではないか。私だって沢山犠牲を払ってきた。他人の命と、自らの手足を。そうやって身を削ることに、私達二人は慣れ過ぎている。
「覚えなさい。貴方がいなくなって悲しむ人がここにいる。貴方の目の前にね。そのために生きなきゃいけないでしょう」
「ですから、私が貴方を殺す。そうすれば誰も悲しまない」
「私が死んだら悲しむ人は大勢いるのよ。困る人もね」
彼女の――レディー・プアのことを丸め込むのはそう難しくない。要は何かで縛ってしまえばいい。今までそうやって生きてきたのだし、新しく仕事を与えてやれば。
与えればいい。
私には、結局のところこれしかない。
「私の執事をやりなさい。そこで好きなだけ狙えばいいわ」
私の命か。これほど高いチップもないだろう。しかし、相手の時間をもらうのだから。こういう事柄は、対等でなければ意味が無い。
そう、対等に。別に雇っているから上ということなんて有り得ない。私とこの子は対等だ。犠牲を払いここに立ち、何かを得ようとしているのだから。
早々に格付けをしようなんて野暮なことは思わないし、考えてもいない。
まぁ、この子がどう思うかは別だけど。
「……私を?」
「ええ。都合がいいでしょ?」
やはり驚くか。
「申し訳ありませんが、仕事があるので……」
「ちょっと待って、あなた他所で働いてるの? 組織を抜けたのに? というか働けるの?」
「不思議なことでもないでしょう。生きるためにはお金がいりますから」
「えーっと……どういう仕事か教えてもらえないかしら……」
「特殊清掃と、建築現場と、警備を少々。あとは飲食店も」
「ずいぶん円滑に組織を抜けたのね!? 貴方幹部じゃなかった?」
「ある程度収入の返納を行って、組織のことを黙秘する契約を結びましたから」
「ああ……もういいわ。分かった」
「では」
「ええ。連絡先を教えて頂戴。今日から私の執事一本にしてもらうから」
「困ります」
「困らない。休暇も給与もしっかり与えるもの」
どうやら、教えることは多そうだ。それに、教わることも。何せ私は世間知らず。義肢の研究と製造にほとんどの時間を割いてきた。自分の楽しみを追いかけるようになったのは、本当に数年前のことで……「そうだ、他にも教えて欲しいことがあるわ」……この子に趣味はあるのだろうか。
「プア、貴方、歳は幾つ?」
「数ヶ月前で十九になりました」
「……。……!? 未成年……」
「驚くことですか」
「……私、二十六よ。一つか二つ、下くらいだと思ってたんだけど……ずいぶん老けてるのね……」
歳不相応な顔付きだな。
それだけ苦労をしてきたのだろう。自分の容姿にかける時間も無かったのだ。彼女はそれだけ戦い続けた。
「よく言われます」
「これからは、言われないようにしなくちゃね」
私の隣に立つ以上、ある程度の見た目は保って欲しい。私のプライドのためでもあるが、何よりこの子のためになるだろう。
それに、綺麗になったレディー・プアを見てみたい。
「……分かった。こちらで色々と調整しましょう。明日から……」
出来るなら、仕事は早く覚えてもらいたいな。
「今日からよろしくね、アポロ」
「……?」
「貴方のことよ。アポロ。そう呼ぶ。貴方も私を好きに呼んでいいわ」
「では……リッチ、と」
「悪くないわ」
さて、話はこれくらいにして、休むとしよう。
「それじゃあ軽く部屋のことを教えておくから、着いてきてちょうだいな」
◆ ◆ ◆ ◆
「――それじゃ。貴方の部屋はここ。今日はゆっくり休みなさい」
それだけ言うと、リッチはヒラヒラと手を振る。
「おやすみ、アポロ。明日は私よりも早く起きてよ」
執事室……と言っても、今まで泊まったどんな場所よりも良い部屋だ。彼女――リッチがどんな生活をしてきたか想像も出来ない。
柔らかいベッド……ベッドは柔らかいものだったのか。いや、そういうことは今はいいか……とにかく、ベッドだ。そこに腰掛けて、今まで使ってきた家に思いを馳せる。
適当に腰掛けて、ジャケットを脱ぐ。
銃の手入れをしなければ。携帯している道具では充分には出来そうにないが。
「おかしなことになったな」
呟いて、頭を抱える。
なんだこれは?
思い返すとまた手が震えてきた。
殺すつもりでここまで来た。その命を確実に奪うつもりで。
なのに、出来なかった。やらなかったのではなく出来なかったのだ。
彼女を見ると。
その、冷たくも優しげな瞳を見ると。
私の今までを振り返ってしまう。鑑みて、そして、今ここにいる自分にふと立ち返り、恐怖してしまうのだ。
彼女の今までを。私とはちがう、想像もできない人生の形を、私は恐れた。
「……」
時間が欲しいとリッチは言った。私にはそれが分からない。理解の及ばないほどに金を稼いだ人間が、次に求めるものなど、私に分からない。彼女と私では住んでいる世界があまりにも違いすぎて、その差を埋めるためにどれだけの時間が――
フッと口元を緩めた。
埋める必要などない。
明日、落ち着いてからまた挑めばいい。それでも出来ないというなら、私には足りない何かがあるということ。判断するのは、それからでも遅くないだろう。