「ミセス・リッチ」其の二
低く呻きを漏らした。
暗い瓦礫の下で、手脚の感覚を幾度も確認する。
「……明日はきっといい日になるわ。それもとびきり」
右腕が潰れている。
肩から先がごっそりと。
手術では治せないことがなんとなく分かった。
激痛の中で、外が静かになったことを確認する。
どうやら残っているのは自分だけのようだ。
「だから今日はついてないのよ」
とっておきのジョークにも、AIは反応しない。私の声は虚しく夜空に呑まれていく。
右腕が潰れていることは確かだ。だって感覚がない。繋がっていることはこうして目に見えて分かっているが、そのせいで動けないことも事実だった。
瓦礫の下で、右腕が埋もれている。切らなければ抜け出せないが、それを叶える道具はここにない。
いつもなら、指示を聞いてドローンを飛ばしてくれるのだが、今日はそれがない。私は冷や汗をかきながら、ただただ一人で救助を待った。
◆ ◇ ◆ ◇
瓦礫から抜け出したのは実に三時間も経った後だ。
爆発に巻き込まれた瞬間はまだドローン達と自分の義足、それから義眼で対処できた。問題はその後。気絶したあとだ。
敵はどうやら、私の拠点を直接叩いたようだった。
ショックというか……せっかく造ったAIを壊されたことにはちょっとした怒りを覚えた。
でも事態はもっと深刻だ。
利き腕を失った。
最重要とも呼べる仕事道具を。
腕が無ければ作れないのは当然のことだ。
私はラボに置いてあった幾つかの義肢たちに思いを馳せる。
「仕方ないわね……」
そうだ、仕方ない。
自分の商品を、自分で買うしかない。
自分以外の誰かに体を触らせるのは初めてだ。
左眼も、両脚も、自分で造って自分で繋げてきた。だから不安は多少なんてものではなく、甚大にあった。
だが仕方ない。あとの調整は自分でやるにしても、今はそのための腕が片方ないのだから。
「それじゃあ、お願い」
会社員として雇ったスタッフの中から選りすぐり、たった一人にこれを任せることにした。
その男性は不安そうな顔をして、すでに準備万端な私の右肩を見る。
「あら、不安なの?」
「不安は不安ですとも。何せ我らがミセス・リッチのお身体ですからね」
「ミセス・リッチ……?」
聞きなれない言葉だ。
「ご存知、ないのですか!?」
「知らないわ。初めて聞く名前よ」
「…………貴方の呼び名ですよ。会社では名前を公表していませんから、誰が始めたのか、貴方のことを皆、そう呼んでいるんです」
「へぇ」ミセス・リッチか。「嫌ぁね、私まだ結婚してないし、そんな歳でもないのに」
笑って見せると彼は顔を赤らめて俯いた。
感情なんてどうでもいいからさっさと繋いで欲しい。
「貴方は外の世界に興味が無さすぎますよ。支えるこちらの身にもなってください」
「支えているのは私よ。雇っているのだからね。早くしてちょうだい?」
男性はさっさと準備を始めた。待たせるべきでないと判断したらしい。
「では……少し、痛みますよ」
「慣れっこよ」
手際はいい。ミスもない。だが無駄はまだまだある。口出ししたい気もするが――ああ、そうそう。
「そこにカメラが置いてあるでしょう」
「え? ――え、ええ。それが如何しました」
「しっかり撮っておいて。貴方が自分で、仕事のやり方を見直せるように」
こっちの方が、指摘するより早い。失敗は自覚し見直してこそ意味がある。
私だってそうなのだから、他の人もそうなのだろう。ここまで一度も部下――にあたる従業員達――の仕事ぶりは見てこなかったから、後で自分も見てみようと思えた。
「今度から、もう少し顔を出しましょう。約束するわ。貴方達も安心でしょう?」
「それは、まぁ、そうですね。トップのことを何も知らないとなると、我々も不安だ。貴方がいてくれると言うだけで、胸を張って仕事ができる。……ではそろそろ」
「ええ、初めてちょうだい」
安置されていた義手が近付く。これが今から私の右腕になるものか。そう思うと、少しだけ…………。
「よろしくね」
……少しだけ怖くなった。
◆ ◇ ◆ ◇
「何度も言っているでしょう。そうやって威圧的な態度だから、貴方の部署は育たないのよ。技術なんてちゃっちゃと伝えてあとはゆっくり見守りなさい」
「しかし、ミセス……彼らは我社の命運を背負う存在です。無責任なやり方では良くない。技術面以外も育てるべきです」
「そんなもの、勝手に育つわ。外に出て人と関われば自ずとね。貴方の分身を作れなんて言っていないのよ」
右腕の調節を行わせながら、私は部下に説教を下す。
「それに、私の腕もロクに調整できないのに。偉そうなことを言える立場かしら?」
「貴方の義肢は、我々が造る物より遥かに優れているんですよ。自分だけで何年テクノロジーを進める気ですか」
「ちょっと、痛いわ」
「義肢に痛覚があるんですか?」
「言ったでしょ、今回は人工的に神経を作ったって」
「やはり貴方は凄い……」
信仰など欲しくはない。
「……ねぇ、こんなことを聞くのは気が引けるけれど、どうして孤児院に手を出したの? あの子達に無理強いするなんて、それこそ……」
ネジを緩ませて、痛覚のスイッチを切る。
目の前の男はしばらくだまった。
「彼らには仕事が必要だ」
そして、ゆったりと語る。
「導くべきなんです。失ったものは我々が作る。それが理念だと言うのなら、居場所も、収入も、私たちが用意しなければならない。そして、そこには責任が伴う方がいい。捨てた人間と同じになりたくないなら、捨てないためにはどうすればいいか、大人が教えねばならない」
大層でご立派で、身勝手なことだ。
「素晴らしい演説ね。手帳に残しておくわ」
「ありがとうございます」
「貴方は遠慮って言葉を覚えなさい」
「……知っていますよ」
肩を竦める。
「もういいわ。あとは自分でやる。貴方は見てて」
「では、報告をしても?」
「了承しましょう」
右目にモニターを映し出し、義手に調整を加える。あとはキーボードを叩くだけの簡単な仕事だ。……まぁ、片手でやればそこそこに時間を食うのだが。
「まず、先月被害に遭った孤児院ですが」
「私が腕を落としたところね」
「……ええ、まぁ、はい。逞しくて羨ましいです…………その孤児院ですが、我が社で買い取るということで纏まりました」
「聞いたわ。それこそ入院中にね」
「ええ、はいそうでしたね。では、買い取り後、改築まで済ませたということは?」
「それも、耳には入ってる。随分勝手なことをしたそうじゃない?」
「改築が余計と?」
「そうは言わない。勝手に視察に行ったけれど、孤児院を支社にしようって魂胆が見え透いてるのよ、あなた。そういうことをしろとは一言も言っていない。あれは居場所を奪う行為よ」
「………………レディー・プアがいるかもしれない、と言っても?」
キーボードを叩く手を止めて、彼を見る。
「確かなの?」
「可能性は随分と高い。彼女の足取りを追えば自ずと見えてくることです」
「釣ることにしたわけね……それで、処理は私に任せると」
「いえ。御手を煩わせるまでもない。ミセス・リッチ、貴方は敵には辟易としているでしょう」
「ああ……叶うなら、貴方達でやってほしいものね」
それなら少しは安全か。私がいないなら、レディー・プア――私を目の敵にして襲ってくる敵――も、そう躍起にはならないだろう。
出来れば殺さないで欲しいものだ。孤児院の出だと言うなら、彼の言葉の如く、仕事を与えるに足るだろう。
あの能力は、正直言って、喉から手が出るほど欲しい。
「それじゃあお願いね。下がってよくてよ」
「御厚意感謝致します」
正直一人でやっているより、今の方が楽でいい。
私はもう随分と、敵の相手に疲れていた。
「ああ、そうだ。一つだけ、言っておくことがあるわ」
「なんなりと」
「殺さないでちょうだい。できるなら、一人も」
「善処しましょう」