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「ミセス・リッチ」其の一

 左脚が、無い。

「良かった。早く逃げて」

 とびきりの笑顔を取り繕って、目の前で震える子供の頭をゆっくりと撫でた。

 優しく声を掛けてあげると、その子は弾かれたように立ち上がって走り去っていく。

 それでいいんだと思う反面、どうしても毒づくことはやめられなかった。仕方の無いことだ。飲み込んで、お腹の中で反芻することにしよう。

 罵りたい時はぐっと飲み込んで、笑顔を見せる。それが大人の嗜みだって、お母さんは言っていたから。

 姿が見えなくなってから、ふぅ、と大きく息を吐く。

 脱出しないとね。

 幸い、右脚は無事みたい。崩れてきた瓦礫の隙間にでも入ったのだろう。

 潰れたのは左脚。

 安いものだ。解放できた子供たちの将来に比べれば、安いもの。

 軽快に指を鳴らしてドローンを操作する。

「それも、義肢と言うつもりか?」

「これだって立派に人の生活を助けてくれるわ。手や足の形をしていないとご不満かしら?」

 マシンアームが連なって瓦礫を動かす。

 右目に映ったスクリーンを幾重にも動かして、次の反撃に備える。

「お終いにしましょう。私の時間は安くないの」

 ああ、終わったらまた、脚を新しく作らないと。

 彼女はそんなことを考えて、うんざりとした感情を、心の彼方へ押しやった。


 これが、彼女が生まれて初めて味わった挫折である。



◇ ◆ ◇ ◆



「やられたわ……まさか、残りの右脚を狙われるなんてね」

 それから数ヶ月が経ち、私は残った右脚をも失った。

 近頃、敵の襲撃が多くなった。

「義肢の接続は自分でやらなくちゃいけないし……痛っ」

 指先がちくりと痛む。

 ぷくりと膨れた血を舐めて作業に戻る。

 黙々と、義肢の調節を行う時だけは全てを忘れていられる気がした。

 左に続いて、右脚までとは。戦いを続けることの代償がこれとは思いもしなかった。

 ため息をつきそうになって、すかさず笑顔を取り繕って、自分は何をしているんだろうと考える。


 私の名前は、リッチェル。リッチェルバーン・アマーリエ・シュテルンスタイン――というのが本名だ。

 歳は19で、去年会社を立ち上げたばかり。

 特技は義肢や義眼……欠損を補う物を創ること。これを使って会社を立ち上げ、定価よりも遥かに安く売り出したはいいものの。

 滑り出しからここまで、怨みを買い続けるのは予想外だった。

 一人でも多く、不自由から助け出したいという思いが人々の反感を買うとは思いもしなかったのだ。

 欠損や機能障害を抱えている人は世界に溢れている。彼らだって、障害の無い日々を送りたいはず。そんな当たり前のことを悪どい商売にしたくはなかった。

 腕が無いなら作ればいい。目が見えないなら見える物を当て嵌めればいい。

 単純な理論。それをたった一人で実行し続けた結果の先に待っていたのは戦いの日々。

 私は少し――ううん。もう随分と疲れていた。


「さてと、それじゃあテストをしましょうか」

 ゆっくりと立ち上がる。

 違和感は無い。痛みもだ。

 ギアやモーターの稼働音も問題なし。

 初動は上々と言ったところか。

「歩行テスト開始」

 右脚から踏み出して、恐る恐る、左脚を前に出す。

 うん、バランスを取れている。

 数歩歩いてみて、どうやら日常生活に支障がないことを確信する。

「走行テスト、開始!」

 広めに作った室内を、駆け出す。

 派手に転んだ。

「痛い……」

 まさか走行に問題があるとは。

 やはり何事も、順風満帆とはいかないようだ。


 走り出しは上手くいかない。

 だから少しずつペースを上げる。

 そして、数度の失敗は気にしない。

 走り出したことに変わりないから。

 それが私の流儀。

 だけどこうまでうまく行かないとやっぱり腹が立つし、嫌気がさす。

 起き上がろうとした体は重く、いつまで経っても立とうとしない。

 ゴロリと仰向けになって、無味乾燥な天井を見上げた。

 一度走り出したら止められない。ゴールに辿り着くまでは。

 ゴールは目の前だ。そう信じて走り続けている。

「お母さん……」

 ふと、呟く。

「私、これで合ってるのかな」

 安く売ることが間違っている。

 義肢を売ることがおかしい。

 いや、そのために闘わなければいけないことがそもそも。

 だから私が正すのだ。

 自由を手に入れた人々が、闘いという不自由に、身を投じなくてもいいように。

 だから私が闘うべきだ。


 右脚を上げて動かしてみる。

 ぎこちない動きだ。まだまだ調整がいる。左目の奥に映されたモニターがエラーを吐いて、まるで血のように赤く染まる。

 やっとのことで上体を起こし、よたよたと机に戻った。

 黙々と作業をしている時は心がザワつく。何かしなければ落ち着かないから手を動かしても、その霧は晴れない。

 この義肢を使ってまた、私は闘うのだろう。まるで確信に近い予感に嫌気が差しても、手を止めることは出来なかった。



 結局のところ私は怖がりだ。他人を前に生身を晒すことが出来ない。

 義眼がなければ左眼は見えず、義肢がなければ立つことすら出来ず、偵察機(ドローン)がなければ人と会うことすら出来ず――武器がなければ、話すら出来ない。

 人は私をヒーローだという。

 義肢を与えた人達は私を褒め称えてくれる。

 だけどその行動は、どこかで誰かの恨みを買って、どこかで誰かの商売を潰している。

 私のやっていることは正しい。

 だけど、他人の正義を踏みにじっていることも確かだ。

 私は正義が分からない。

 だけど、私は創り続けるしかない。

 この世界が、正しく歩んでいける手脚を。



◆ ◇ ◆ ◇



「大丈夫よ。きっと貴方はまた歩けるわ。私の造った脚があれば大丈夫」


「大丈夫ですよ。貴方はきっと、故郷に帰って恋人を抱きしめられる。私が造った義手があればきっと叶います」


「大丈夫よ。私の造った義肢があれば」


「大丈夫」


「大丈夫――」


 大丈夫だ。


 何も問題は無い。


 失ったなら作ればいい。

 無くしたなら与えればいい。

 安全を。安心を。生活を。そのための手脚を、眼を、臓器を。

 私が与えればいい。私がいればいいんだ。

 この眼は機械で、両脚は機械で、だから、この眼で見ている半分は機械を通していても、踏みしめるこの大地が機械を通したものでも、私には分かる。

 求められていると分かる。

 お金などではなく、人々は自由を求めていると分かる。

 自分自身から解放されたいから、人々は私を求めるんだと分かる。

 私には分かる――居なくなってはいけないのだと。



「困ったわ……とても……」

『Yes.このままでは機材で埋もれると予測できます』

「ああ……そういうことを言ってるんじゃないの、けど確かにそうね。お喋りなあなたを作るために随分をスペースを取ったから」

 ため息を一つ。

 机に突っ伏すようにして、ここも手狭になってきたな、と物思いに耽る。

「いえ、そういうことじゃないのよ」

『疑問。ラボの問題は早急に対処すべきです』

「だったらお金を稼がなきゃ、でしょ」

『否定。リッチェルバーン氏の総資産額は現在――』

「聞きたくないわやめてちょうだい」

 もう一つため息。

 降り掛かってきた仕事の話。いや、降って湧いたと言った方が適切なのか。

「このお仕事は、受けるべきかしら」

『疑問』

「言ってみなさい」

『迷うような事業ではないと結論づけています。なぜすぐに受けないのですか?』

 紅茶を淹れたカップを傾けて、一拍置いた。


「機械的に見れば、受けるのが正解よ。収入だって上がるでしょうし、買い手だって今よりもっとずっと多く増えるでしょう。知名度だって上がるわ」

 正直、いい事づくめだ。

「でも違うの。そうじゃないの。これはお金の問題じゃないわ。…………このお仕事が、正しく在れるか、そうでないか。これはそういう話なの」


 そして、そこに金銭は持ち込めない。


「最初から、義肢を兵器として造ることは……私にはできる。出来てしまうのよ。私の両脚がそうであるようにね」


 だけど、これは正義か悪か、そういう話だ。


「いい? 私は戦争をしたいわけじゃないし、それをどうしようとも思ってない。終わるのなら終わればいいし、続くのなら続けばいい。はっきり言って胸糞悪いわ」

『リッチェルバーン氏、お言葉遣いを』

「はいはい。そうね。聖なるクソよ。戦争なんてまさにそれだわ。私はその後始末を付けて、綺麗にして回ってるだけ。私の義肢はただ、前と同じ生活だとか、五体満足な生活を提供するためだけのものなのよ」

 だから、復興に役立つような義肢は売らないし、作ろうと思わない。

 けれど武器は違う。身を守るために必要だし、こんな世界だ。普通の生活とやらに、最低でも武器は要る。

「だから、安心を提供するために……義肢を……いいえ、兵器を造れと言われたの。ねぇ、これが正しいって思う?」

 心を持たないモニターは、私の声を拾い上げ、必死に答えを出そうとする。

『――――パラドクスと判断』

「私が悪かったわ」

 つまり、自分で答えを出すべきだろう。


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